2011/6/21

菅原中将のお名前ふたたび  航空総攻撃

ごぶさたしておりました。
身辺ばたばたしておりまして失礼いたしました。

wikidediaで菅原中将の項を見ますと
「すがわらみちおお」注釈アリ。

以前は「みちお」という読みがついていた気がする。
だから、H22.1.15投稿で、中将の次男である
深堀道義さんの著書『特攻の真実』序文に
「みちおお」とルビがあると申しあげたのでした。

wikidediaの注釈はなにかといいますと、
以前お話した大貫健一郎・渡辺考『特攻隊振武寮
証言・帰還兵は地獄を見た』講談社H21に
あるとのこと。
小生も22.5.18にそう書いた。
DVDのNHKスペシャル「学徒兵 許されざる帰還
〜陸軍特攻隊の悲劇〜」でも
「ミチオオ」とナレーションは言っておりました。

上記書はH21.7.6発行で
NHKスペシャル放映はH19.10.21

小生なんかが申すより、ずっと前に出ていたのでした。
忘れてはいけませんでした、高木俊朗『知覧』
角川文庫、小生所持はH20.7.10改版十七版
(十七刷とするのがホントでしょうね。)
も「みちおお」ですよ。
元版の朝日新聞社S40では「みちお」
中将はまだ存命であった(S58歿)。

ネット上でも「みちおお」というお名前であることに
なったのはまことに欣快でありますが、
出所は『特攻の真実』であればなおよかった。
(『特攻隊振武寮』は深堀さんにも取材しています。)
しかし、平成21年12月になくなりましたが、
深堀さんもお喜びになっているのではないかと
思っております。
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2010/10/13

ねんりんピック石川  読書日記

ごぶさたしておりました。

小生、先日開催された第23回全国健康福祉祭
石川大会(ねんりんピック石川2010)の
開会式に参加いたしました。

10月9日(土)金沢市の西部緑地公園
(構内の県立野球場はプロ野球の試合も
おこなわれる)の陸上競技場。

あいにくの雨でありましたが、
 常陸宮殿下、妃殿下がお見えになりました。
競技場のトラックをはさんでいますので
お顔がわかりません。
しかし大画面にうつされる映像とマイクを
とおしてのお声。感動でした。

小生、いままで皇族の方のお姿をじかに拝見する
機会を得ず、これがはじめてでありました。

開会式もおわり、
控室とされた建物に戻ろうとしたとき、
スタッフに車道をわたらないでくださいと
止められた。「しばらくおまちください」

 殿下が通られるのだなと、待つことしばし。
右方より黒塗りの車が。二台目にご夫妻。
窓を開けられて 妃殿下が手をふっていらっしゃる。
奥の席には 常陸宮殿下。
直視するのもはばかられ、頭をさげました。

 「華子さーん」とほかのおばさんたちが声を
かけていた。親しまれる皇室のお姿として
感にたえました。

たまたま前から二列目くらいのところに立っていて、
目の前をお車がとおるなんてことがあるのですね。
なにかいいことありそうです。

「読書日記」ではないのですが、カテゴリーが
増えるのはどうも・・・ご容赦くだされませ。
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2010/9/21

「句読点を補った」  読書日記

早坂隆『戦時演芸慰問団 「わらわし隊」の記録 
芸人たちが見た日中戦争』中公文庫H22
のおはなしです。

早坂さんは前にも申したとおり
「今から七〇年も昔」
「明治四五年」
「一二月二三日」
「六一一万五〇〇〇円」
という表記をなさる。
(引用文は別)

早坂さんにかぎらず、最近はこの手の書き方を
見かける。「新アカ版」新書などまづこの式である。
小生はこのように十、百、千を書かないのが
キライなんです。
なんといっても「○」が見苦しい。
いやね、時間を記すとき「一五三〇」と書く、
これは当りまえであるが、
「第一〇軍」と書くのだよ。こういう人は。

p.71に『今村均大将回想録2』自由アジア社からの
引用の中に
「河辺虎四郎大佐以下、一二名のみで」とある。

この「一二名」をなんと思いましたか?
ひとりふたりですよね。
「イチニメイ」と読みますふつう。
「ジュウニメイ」ではありません。
すぐうしろに「のみ」とたまたまあるから
わかりやすかった。

で、p.87に大正15年の話として、早坂さんは
「この年、吉本所属の漫才師は二三組を数えた。」
と書いている。

「ニサンクミ」か「ニジュウサンクミ」どっちだ。
「ニサン」なら話の流れからいって
「二三組しかいなかった」と書きそうなものだ。
数えたんですから「ニジュウサン」なのでしょう。

p.58に「部屋に入ると、一五、六歳にも見える
若い女が」とあった。
早坂さんは「ニサン」だったら「二、三」と書く
流儀であることが見返してみてやっとわかった。

どうでもよいことで立ち止まらせて・・・

p.146に松井陸軍大将の日記が紹介されている。
「(・・・)尚本作戦間予の体験に基く所感の一、二を
御説明す。」

松井大将が「一、二」という書き方をなさっていた
かたなのか、日記を見る機会を得ることが
できないのでなんともいえません。

日記を何百箇所も改竄したと攻撃された元秘書
(田中正明。こないだなくなりました)
がいるくらいですので。

早坂さんは「松井の日記をあたった」らしいので
まあ信用しましょ。
でもね。
p.17「凡例」に
   補った。>

じゃあ、どれが原文のままで、どれが「一部補った」
ものなのか。いちいち明記はされていないので
読者はさっぱりわからない。
「一、二」も早坂さんの「判断」で読点が
補われた可能性はある。
『今村均大将回想録2』を「一二名」と引用して
いるので、松井大将の「一、二」も
もとのままと思いたい。
が、松井大将ほどの人が「一、二」なんて
書くかねえ。

田中氏をやっつけた板倉由明さんの論文
「松井石根大将『陣中日誌』改竄の怪」
『歴史と人物』1985年冬号
というのに「あた」らねばならないのでしょうね。

板倉さんと秦郁彦さんはおともだちらしい。
秦さんの『昭和史の謎を追う 上』
文春文庫H11に南京事件の論争史が
あつかわれてる一章があります。
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2010/9/17

「わらわし隊」のネーミング  読書日記

小生のごとき昔人間は「笑う」は「ワラフ」であろう、
「わらわし隊」は「わらはし隊」が本当ではないかと
思ってしまう。

『昭和二万日の全記録5一億の新体制』
講談社H1のp.40、41に特集記事
笑いの慰問団「わらわし隊」がある。

第一回「わらわし隊」のメンバーの寄せ書きと
ミス・ワカナ、玉松一郎の漫才のレコード
(ビクターZ−82)のレーベルの写真が掲載
されている。
いづれも「わらわし隊」である。

出演者、レコード製作者ともに「わらわし隊」と
認識しておればこれはまちがいなかろう。

『戦時演芸慰問団 「わらわし隊」の記録 
芸人たちが見た日中戦争』中公文庫H22
の著者の早坂隆さんは朝日新聞社や吉本興業
に残されている写真を全部見て、当時の資料に
あたったのは大変なことだったろうと思うが、
それがかえって「わらわし隊」という表記に
なんの疑問も持たなくなってしまったのでは
ないだろうか。

「ワラワシタイ」は「わらわし隊」に決まっていると。

「笑う」はふつう「ワラフ」なの。
「荒鷲隊」のもじり(p.24)と流してしまったのは
早坂さんはやはり正かなを知らないのだなと
思わざるをえない。

兵隊さんだって「わらはし隊」ではないのかな
と思ったはずだ。
芸人さんも「『荒鷲』『赤鷲』の『鷲』であります。
わざと『わし』にしております」くらいは言ったのでは
ないだろうか。

ネーミングについて述べるならそうったことにも
触れてほしかった。

いや、ここまで書いて気づいたが、
「ワラワシタイ」は「笑わし隊」でなくて
「わらわし隊」という表記が正解とのこと。
「笑わし」と書くと「ワラハシ」というかなづかいの
規範意識がはたらいてしまうので、わざと
ひらかなで「わらわし隊」としたのではないか。

なんだか小生のひとり相撲みたいになって
きました。
前回、『中央公論』に「笑はし隊」と書いてある
記事があったということだけここに
申し添えておきます。
次回は本題。数の表記について。
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