せきをしてもひとり  


いわずとしれた、尾崎放哉の有名な一句。

こんなに厳しい孤独を詠んだ言葉は、おそらく古今東西これだけだろう。

遠い土地に一人でやってきて、「あぁ、一人ぼっちだな」と思うことはあっても、大学に行けば、同僚がいて、声をかけてくれ、咳をすれば、「だいじょうぶ?」と声をかけてくれる。

そうしたことが一切無い、声をかけてくれる人がいそうなところさえない、ただ一人。

この遠い地で、声をかけてくれる人がいることの大切さを、この10月末なのに、凍えるような寒さになっている、夜に思う。

 
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衝動的に・・・  


ここのところ、いろいろとあって、こういうときは、しょっちゅう衝動的に、CDを買ってしまう。表向きも実際も貧乏なのだが・・・。

すでに、部屋はクラシックのCDであふれかえっている・・・どうやってもってかえろうか(笑)

で、やっぱりやってしまったのです。

今回は、アンセルメとスイス・ロマンド管弦楽団によるチャイコのバレイ曲集。HMVでいつも愛読している許先生のコラムで読んでからというもの、ずっと気になっていてとうとうやってしまった。

あと、チャイコの曲を聴きたくなっていたという(あとづけだけど)こともなくはない。

それで、やっぱりいいんです。往年の名録音。大好きな「くるみわり」から聴いてますが、ほんとうにいい。
クリスマスのころ、グリューヴァイン飲みながら聴きたいですね。クリスマスの定番ですから。

クリスマス近くになると、こっちでもバッハのクリスマス・オラトリオや、ヘンデルのメサイア、フンパーディンクのヘンゼルとグレーテル、そしてチャイコのくるみわり は定番ですね。
もっとも、ぼくのすむ街のオペラハウスはなぜか、最近バレーは現代色を強める一方で、古典的なレパートリーを取り上げなくなってしまいました。もちろん、くるみわりもなし。悲しいです(涙)。

せめて、アンセルメのこの演奏でクリスマスを楽しもう。

そのためにも、11月を乗り切らないと。

またCDがふえそうだなぁ・・・
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Le Chant de la Terre  


ここのところ、「ファースト・ガンダム三部作」と、「そらのおとしものf」とに生活が埋まっている。
医学史のほうでいろいろとつまづいたり、しくじりがあったりで、歴史のことから離れたいのかもしれないが。早い話が逃避である。

ふたつの作品をみる合間に、これも逃避でクラシックを聴いているが、マーラーの作品の合間に、フランスの作曲家セヴェラックのピアノ曲集をかけた。

コンサート時に脳梗塞で倒れられて後、左手のピアニストとして、また左手のための作品の伝道者として、あらたな道をあるいているピアニスト舘野泉さんのとても素敵なCDである。

その二枚組CDの第一枚目の最初の曲集が「Le Chant de la Terre」だ。
フランス語がわからないので、HMVのサイトで見ると、「大地の歌」という訳があてられていた。

「大地の歌」というと、あのマーラーの大作(これはこれで好き)を思い浮かべるが、セヴェラックのものは、中国には何の関係もない。
彼が愛したフランスの農村部の大地での営みが歌としてつむがれている。

この曲集を聴くたびに、大地の厳しさと、大きさ、そこでの人の営みへの作曲者の愛を感じる。

もちろん、演奏がすばらいいからなのはいうまでもないであろう。

夕方の空を、小部屋の窓からみながら聴くのがとても好きだ。

「そらのおとしものf」も、第一期に負けず劣らず、おばか8割シリアス2割でみていて飽きない。
主人公の少年の、思春期真っ只中のエロガキぶりも健在である(笑)。
エンジェロイドたちが、命令をもとめてしまうことと、たほうで自由に自分でやっていいといわれていることととは、いまの世相を、どこかで映しているのかもしれないとも思うが。自分で考えて、好きなように生きる・行動するというのは、いわれているほど簡単なことではないのだ・・・。

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(無題)  


作業の必要から、アメリカにおける細菌学の興隆についての論文を読んだ。

20世紀初頭の中国における医療・医学教育の近代化にアメリカのロックフェラー財団とその支援を受けたジョーン・ホプキンズ大学医学部が少なからず影響を与えている。

この医学部はさらに、不思議なことに、やたらと細菌学に肩入れしており、中国進出にさいしても、「科学的(=細菌学にもとづいた)」医学・医療を導入している。

アメリカの細菌学への傾倒がどのような経緯でおきているのかを見ようと思ったわけである。

すると、細菌学を受け入れるだけの素地は、すでに1860年代ころにはできつつあったらしい。

そして、とくにコッホの「方法」を学んで帰ってきたアメリカ人研究者がアメリカに細菌学をひろめたとのこと。

おもしろいのは、パスツールが細菌学の父として認められていたわりには、彼のもとで研究した・しようとしたアメリカ人医学者・医者はあまりいなかったこと。
むしろ、コッホのもとにいった数が多かったというのだ。
この背景には、コッホが細菌学による研究の「方法」を確立していたことが大きかったらしい。
アメリカ人医学者・医師にとって、確固とした「方法」があることが重要だったのだろう。

ドイツ仕込みの方法をもとにアメリカの「科学的な」医学・医療が19世紀末に成立したことになる。
このことは、同時期の日本の細菌学を考えると非常に興味深い。
なぜなら、北里を筆頭に、日本の細菌学もまたドイツ仕込だったからである。

20世紀初頭、このドイツ仕込みの細菌学をもとにした「近代的」・「科学的」な医療をアメリカと日本とが中国にもたらしていたことになる。

ひじょうに、興味深いめぐりあわせといえるだろう。
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ガンダム  


本職(歴史の研究)でいろいろと立て込んでいる中、本来は、見ていてはいけないのだが・・・。
いや、立て込んでいるから見たくなるのか。

なつかしの、「(ファースト)ガンダム」三部作のDVDを、大学図書館に発見し、借りてきた。

ドイツの大学図書館おそるべし。この手にとるまで、「ほんとうに、ガンダムおいてあるんか?」と疑心暗鬼であったが、ほんとうに、ガンダムであった(笑)。

早速、みてみる。

第一部。いまのアニメ作品の画と比較すると、さすがに古さは否定できない。「マジンガーZ」を思わせるような部分も多い。
しかし、台詞やドラマトゥルギーの部分では、凡百の娯楽作品を軽く越える。

歴史に名を残す画期的な作品であったことを再確認した。

また、後のアニメ作品に影響を与えているなと思える部分多数。
「機動戦艦ナデシコ」は、ガンダム抜きには考えられまい。

ドイツ人がどうみているのかも知りたい気もする。ザビ家には、あきらかに、ナチの人種衛生学や人種イデオロギーにいかれているようなものがいるし、「ジーク・ジオン」の「ジーク」はドイツ語の勝利という単語だ。ほんとうは、「ハイル・ジオン」とでもしたかのであろう。

時間があったので、第三部の「ア・バオ・ア・クー」戦もみたが、ここでは、学徒出陣や、「戦闘員の死」が描かれていて、単なるモビルスーツ(ロボット)対戦アニメではないところを見せ付けている。
最後、シャーがキシリアを撃つ場面で、キシリアの首が吹っ飛んでいるのを描いているのにも目を見張った。いまのテレビ放映のアニメではむずかしいかもしれない。

第三部のほうが、第一部にくらべると、画の質が上がっている。より90年代のアニメに近づいているといっていいのかもしれない。

これを小学生のころみて興奮していたわけだが、内容を理解していたとはいいがたいなぁ(笑)。







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