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2015/4/30

らくらく育児クラス@京都 過去最高の7組が参加  セミナー・クラス(一般対象)

4/30(木)13:00〜、京都トコ会館1階研修室で、
らくらく育児クラスでした。

定員6組なのだが、いつもドタキャンがあるので、
8組の予約をお取りしていたところ、7組が参加。
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7組は過去最高の人数なので、どうなるかと心配したが、
まるまる育児を既にされている方が多く、良かった〜o(^-^)o

首据わりチェックでは、合格する子が多く
反って泣く子が少なく、とても楽なクラスとなった。

おひなまきは、最近は「チャイルドシート巻き」のみ実習。
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これだと、バウンサーも使えるし、大人の布団で寝る時も
全身がまぁるく保たれるし、このまま這うこともできる。

首据わりを促す体操や、足合わせ体操もできるし、ほんまに便利。
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この子はまだ3カ月半なのに、足を持って遊べる。
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これは、5か月にならないとできないのが普通なのに、
チャイルドシート巻き+天使の寝床の上だと、
ラクラクにやってのける。

髪結び風は、私が人形でやって見せたのみ。

それで、「器用で賢く、体の使い方の上手な子に育てるコツ」などを
いつもより詳しく長く話していたら、全員参加の講義終了が
15:30になってしまった(-"-; 

4/9の名古屋では、きっちり15:00に終了させたのに
今回は気が緩み過ぎた〜。

その後、希望者のみの個別指導と個別ケア。

首が据わってなかった3人の赤ちゃんのうち2人が
ケア直後に据わり、私はけっこうドヤ顔。

まるまる育児で育ち、私がケアに当たった子で
保育園に入っている1歳前後〜2歳の子のお母さんは
ほとんど皆さんが、同じように話される。

「いつもニコニコ機嫌よく遊んでいます」
「保育園では一人ずば抜けて発達がいいんです」
「先生にいつもほめられています」
「良く喋ります」
「あまり病気もしない」・・・と。

幸せそうにお子さんの自慢話をされるお母さん達の姿を見る時が
私は一番幸せな時である。
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タグ: 妊娠 赤ちゃん 骨盤

2015/4/29

大阪新歌舞伎座-16- 杉 良太郎ショー  観劇・ライブ・映画など

1月に新歌舞伎座をパスした分、今月は2回。

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「杉 良太郎 ビッグショー 2015年」

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少しは芝居も見られるのかと思ったが、歌とトークだけ。

といってもプロの歌手ではないので、
自分の持ち歌はわずか。私が知っている歌はなし。

他のプロの歌手の歌をカバーして歌うのだから、
オリジナル歌手より上手いわけはない。

それは分かっていて、
杉 良太郎ショーを選んだのには理由があった。

私が43歳頃だだろうか? 今から20年余り前、
京大病院で働いていた頃、救急部外来を手伝っていことがあった。

出勤すると、前の勤務者が「あの人、杉 良太郎よ。知ってる?」
と言って帰って行った。

私はその頃、テレビでドラマなどを
ほとんど見ることがもなかった。

なので「杉…? 聞いたことがあるかも?」程度で、
その人の名前も顔も分からなかった。

ただ、革靴が見たこともないほど美しく、
高級感にあふれていて、顔・姿・服も美しく、
「普通の人ではない」ことだけはわかった。

付き人さんらしき人が二人いたので、
私はこっそり「あの方、俳優さんなんですか?」と聞いた。

そしたら、呆れたように
「あなたは、杉良 太郎を知らないんですか?!」と

「知りません!」と私。

「あなたはテレビを見ないんですか?!」と言われたので
「見ません」と私。

太秦映画村で、時代劇の撮影中、額を縦に切られ、
応急手術は近くの病院で受けたものの、傷を残さないように、
京大の形成外科医による再縫合術を受けるための来院だった。

検査室への誘導や、手術の介助などで、
私は仕事に必要な最低限のことをしゃべっていただけ。

サインしてほしいとも、握手してほしいとも言わず、
現代のように一緒に写真を撮るわけでもない。

嬉しそうにニヤニヤするわけでもなく、
2時間程だったろうか? ずーっと一緒にいたが、淡々としていた。

後日、こんなことを同僚や後輩に話すと、
「キャーッ、杉様と! 羨ましい〜っ!」などと言われ
「そうなんか〜」と思ったくらいだった。

それから何年か過ぎ、テレビで杉様の顔が
大きく映し出されるのを、何度が見たことがあった。

そのたびに、私は額を注意深く見たが、
傷痕は全く分からなかった。

縦の傷はきれいには治りにくいものなのに、
「さすが、上手い手術や〜」と私は思った。

そうこうしているうちに、杉様のボランティア活動は
並はずれてスケールが大きい、ということを知った。

そんなわけで、「杉様をもっと知らないとあかんな〜」
との思いが強くなり、新歌舞伎座に見に行くことにした。

杉様のやわらかな関西弁は、私の耳から全身にしみていき、
話の“間”の取り方の上手さに、
だんだんと、杉様ワールドに引き込まれていった。

話の中で「ベトナムの子どもを引き取って、
養子にした子は、81人になった」と。「え〜っ(@@;」

実は私も中国雑技団の子ども達を見て、
「正式な団員へと進まない12歳くらいまでの子を引き取って、
勉強と整体技術を教えたら、
ものずこく上手くなるやろな〜」なんて考えていた。

「でも、私が今後何年間も、面倒見られるわけではないし、
息子達に重荷を負わせるわけにもいないし、無理!」

「あり得ないことや〜」と思っていた。

81人も、誰がどのようにして面倒をみているのだろうか?
どれほどの出費をしているのだろうか? 想像もつかない。

それから、認知症老人役で、失禁したり、
入浴の介助をしてもらう役で、
映画に出演しないかとの話があるとのこと。

「どうしょうかと迷っている」と悩みながら話をされていた。

「見たい? そんな映画。見たい人手を挙げて」との声かけに
手を挙げた人は、私の席から見える範囲には、
一人しかいなかった。

杉様ファンはそんな杉様を見たくないんやね〜。

その役を受ける決心がつかない理由は
「肌にシミ一つあらへんねん。玉肌やのに、
そんな老人役、似合わんと思うんやわ〜」と。

私も「見たくないわ」と思ったと同時に
「玉肌か、うらやましいな〜」なんて思ってしまった。

というわけで、トークはそんな調子でとても楽しかった。
それに、歌もなかなか味があった。

特に「瞼の母」の忠太郎の歌やセリフは、
ヤクザっぽくなく、可愛かった。

「そうか、実の母を前にして、
いつものヤクザとは違う忠太郎になっていたんや」

「それが杉様の解釈なんや〜」と、
ちょっとカルチャーショックを受けてしまった。

「こんな一つ一つが、杉様ファンの心を
わし掴みにしてしまうんやな〜」と、学ぶところも多く
杉様を少しばかり知ることができて、良かった〜。
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2015/4/28

4歳になったトコガーデン  ガーデニング(東大阪)

4/27(月)は大阪南港から、東大阪の青葉野社屋に直行し、
10時からの会議までしばらくの間、トコガーデンで撮影。

金盞花の一種「まどか」は、今年も元気。
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       十二単もビッシリ
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  トコガーデンへの曲がり角、生命力の強い
 十二単・クローバー・源平小菊が、激しい領地争い。
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トコガーデンの日当りの悪い南1/3、十二単が美しい。
アジサイも元気に葉を茂らせ、花咲かせる準備中。
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「もう紫陽花が咲いている!」と思ったら、実生の金魚草
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実生のハマダイコン。今年もたくさん咲いている。
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これも実生のヤグルマギクと、黄色のはセイヨウアブラナ?
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真ん中の1/3。芍薬の周囲にもヤグルマギクが林立
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ホットリップスは小山の様相、その周囲にもヤグルマギクと源平小菊。
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北1/3。オレンジポピーが痩せた硬い土に、ちまちまと咲いている。
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        「まどか」が大繁殖
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       大手毬も同様、大繁殖
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ひときわ鮮やかな黄色は花菖蒲  去年まで見かけなかった花
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         ネットで調べたら、スノーフレーク
    和名は大待雪草(オオマツユキソウ)と名付けられている。

こまめに手入れできないトコガーデンは、水枯れしにくく、
病害虫にも強く、宿根草や、実生で毎年育つ草花を
植えておかないと、草ポウポウの草原になってしまう。

4年前は、グランドような固い無機質な土だったのに、
かなり花壇や畑の土に近づいてきた。

が、まだまだ。野菜を育てるために、
社長の土作り作業がこれからも続く。

トコガーデンの野菜は美味しいが、高い野菜や〜。
しかし、これが健康増進に役だっていると思えば、安もんや。
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2015/4/27

九州の旅 15 新門司港⇒大阪  旅・レジャー・アウトドア

5/26(日)、新門司港 19:00発のフェリーに乗る予定で
頑張って走って来たが、19:50発に変っていた。

待合室で写真の整理などしながら時間をつぶし
1時間前から乗船開始。甲板から見る黄昏の空。
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2005年の4月に大阪南港⇔新門司港のフェリーを使って
九州の旅(福岡・佐賀)をしてから、ちょうど10年。

今回の部屋はビジネスホテルの部屋と同じくらい。ゆっくりできる。
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     7階の船室入口もきれい。
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出港までまだ時間があるので、船内を見歩いて、
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        万一の事態も考えて
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       一応、避難方法も確認
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        きれいな黄昏の空も

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         徐々に暗くなり
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部屋に帰って、コンビニで買って来た食べ物で夕食。
そうこうしているうちに出港。

8時からロビーでコンサートがあるとのアナウンス。
いったん夜景をカメラに収めてから、ロビーへ。
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我々より少し若い男性が、ギターを弾きながら、
自分で作った歌(たぶん)を歌っていた。
まじめに聞いていたのは彼と同じくらいの夫婦1組だけ。

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1曲歌うと歌手と夫婦は話をしていたので、ぼんやり聞いていた。

すると、その夫婦は、九州⇔大阪南港⇔京都・奈良を
毎月1回、往復フェリーを利用して、観光しているとのこと。

我々は奈良や京都にいるのに「観光していないなぁ〜」と反省。

残った人生の時間はどんどん減っていくし、
いつまで二人とも元気でいられるかわからないしなぁ〜。

上のポスターを見ながら、我々は船酔いもしないので、
フェリーでゆっくり、あちこち旅をしたくなった。

2曲ほど聞いてから、部屋に帰り爆睡。
夜中にトイレに起きると、窓から橋の光が見える。

窓ガラス越しに撮影。時刻は3時36分。瀬戸大橋や。
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          四国側の夜景
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6時過ぎに起床。しばらくすると明石大橋が見えてきたので外へ。
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            寒い〜っ!

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   でも、橋の真下から撮りたくて、我慢、ガマン

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            撮れた〜!

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     通り過ぎた。  淡路島側↑   明石側↓

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だんだんと遠ざかっていく淡路島を見ながら、いったん部屋へ。

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部屋で過ごしていると、大阪南港が見えてきた。ガラス越しに撮影。

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           南港に入った。
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宮崎行きのフェリー↑ や ↓鹿児島行きのフェリーがたくさん停泊

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運河のようになているところに入り込んで行き、そろそろ降りる準備。

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    ロビーに出ると、乗客が集まってきている

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夫はここで朝食を摂ったが、私は利用することがなかったレストラン。

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これから新門司港に向かう、我々と同じ外観の船。
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海水は恐ろしく汚くなり、茶色の泡がいっぱい浮いている。
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これじゃ魚なんかいるはずないやろな〜と思いつつ
70年代は琵琶湖の水もこんな色で、
幼児だった長男はそれ見て「醤油が入ってるん?」と私に尋ねた。

なのに、琵琶湖の水は、その後きれいになった。
大阪南港の水もきれいになったらええのにね。

    伊都国・元寇・鎖国の時代から、
 高層ビルが立ち並ぶ現代に帰って来た気分。

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高速道路をぶっ飛ばし、東大阪の社屋へと急いだ。
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2015/4/27

九州の旅14 伊都国博物館  史跡

2014( 平成26)年6月4日(水)にNHK総合テレビで放映された
歴史秘話ヒストリア

ここでも少し書いたように、
“気分的邪馬台国畿内説賛同者”の私は、
うんうんと頷きながら、嬉しくこの番組を見ていた。

この放送はネット上で大きな反響を呼んだ。

・・・・・・・・・・
Yahoo 知恵袋でも
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ベストアンサーに選ばれた人は、
「…というわけで『さぐり』を入れて反応を見ているのかもしれません」
と、締めている。

私も、NHKはこの番組を放送をして
「どんな反応が出て来るのかな?」と、
探っている気がする。

小松格氏はブログ『日本史の謎』に迫るで、

「古代史に詳しい知識のない一般の人は、
3世紀の邪馬台国は大和の纏向で、卑弥呼の墓は箸墓古墳、
そうして、その国家の源流は北九州の2世紀の平原遺跡
であると思い込まされる筋書きのようであった」と。

古賀達也氏もブログ 洛中洛外日記 で
「放送倫理上問題」だと批判している。

一方、こんなブログもある
伊都国発邪馬台国東遷説を強く裏付ける展開となった。
それがしにとっては、東遷説に合理性を抱いていたが、
卑弥呼の国が伊都国というのには、眠気も覚める思いがした。

・・・・・・・・・・

こんな話題沸騰の平原(ひらばる)王墓の
すぐ近くまで来ているのだから、立ち寄らない理由はない。

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平原王墓から発掘された遺跡や品々は、
ごっそり、糸島市の伊都国博物館で展示されている。

展示室に入ると、すぐに目に入ったのが銅鐸。

青色に錆びたレプリカしか見たことがなかったので
お寺の鐘のように吊るされ、
ぴかぴか光った銅鐸に目を見張った。
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            当時の支配階級の女性の衣装も絢爛豪華

「歴史秘話ヒストリア」で卑弥呼の母のものとされた
平原王墓から運ばれた墳墓。こちらが足側
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こちらが頭側で、首辺りには首飾りや耳飾りなどの装飾品。

当時の男性は耳飾りをしなかったので、
被葬者は女性と考えられた。

卑弥呼の前の王は男性とされていたが、
どうも違ったようである。

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解説の男性も「歴史秘話ヒストリア」の放映から
10カ月ほどしか経っていないためもあるのだろう…、

「あれが放映されたことは遺憾」との気持ちが
にじみ出ていて、語り口も重い。

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上にも書かれ、ヒストリアでも放映していた割れた銅鏡
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これはレプリカだが、この写真は発見された時の割れた鏡
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これは想像図。

ヒストリアでは、この上に建物が立っていて、
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日の出とともに建物内に差し込んだ日光を、
巫女たちが鏡で受け、母の霊を隣に寝ている卑弥呼に移す
儀式を行ってから、鏡が割られた。こちらに詳しく書かれています。

解説の男性は
「これらの鏡は、叩きつけて割れるようなものではない」と
憤懣やるせない様子だった。

邪馬台国九州説は機内説よりずっと支持者が多かったが、
箸墓古墳の研究や、このヒストリアで、
「逆転しているのでは?」と私には思える。

特に奈良県の人たちは大喜びだろう。
反対に、九州の人達は、怒りと落胆が入り混じっているだろう。

平原王墓以外の古墳のレプリカなども展示されていて、
これは、前原市の釜塚古墳のレプリカ
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    その解説の中に、船形埴輪の写真があり、
      これは三重県! 見に行きたい。
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他の展示室に行ってみると、

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私が幼児〜小学校の低学年の頃は、私も近所の人達も
日常的に使っていた道具が展示されていて、ガックリ。
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  草鞋(わらじ)   足半(あしなか)  藁草履(わらぞうり)
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私は子どもの頃には、藁草履は履いたことがある。
草鞋は見たことがあるが、足半は見たこともなかった。

我々より10歳下の人達は、
既に、どの品も見たことがないだろう。

「歴史資料館で展示すべきものなんだ」と思うと、
ものすごく歳をとった気分になった。

入館料も半額だったし。。。

ここを最後の見学地とし、
高速道路を飛ばして、新門司港に向かった。
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タグ: 卑弥呼

2015/4/26

九州の旅13 元寇の島 鷹島  史跡

4/26は元寇の島、鷹島を目指して出発。
途中、松浦市の「海のふるさと館」で休憩と買い物。
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果物・野菜・雑貨品など、なんでも安い!
何かとたくさん購入し、再出発。

美しい海を眺めながら走り、鷹島に到着。
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元寇船がどこに沈んでいるのか…? 長年の謎だったが、
ついに数年前に、この近くの海底で発見された。
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復元された元の船の模型。
美しかったことは分かったが、大きさは想像できない。
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解説によると船の幅は8m! 碇(いかり)も巨大。数個つなげていた。
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  青く塗られているのは碇石。
     引き揚げられたり、復元された品々も大きいが、

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床に実物大の碇が描かれていて、その大きさに、さらにビックリ。
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         碇石も大きい
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上の絵に描かれている青い長方形の一つ一つが、こんなに大きい!

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     引き揚げられた船体の大小の破片などが
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      たくさん展示されている。
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   戦艦を中心に船団を組んで来襲したことが分かる。
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薄い金属網のような衣類を着て体を守り、
毒矢・鉄砲などの兵器を使って戦った元軍兵と
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       平安末期から変わらぬ鎧兜の日本兵とでは、
  どちらが有利か? 一目瞭然だが、台風(神風)で元軍は全滅。            

海底からは水・食料を入れていたと思えるカメや、
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         無事の帰還を祈った仏像なども引き上げられた

元軍と言っても、多くは元に土地を奪われた高麗や南宋の兵。
14万2千人もの兵士のほとんとが、一晩にして亡くなった。

            庭には元寇記念碑
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    元寇の島である鷹島町は
    モンゴル人民共和国との
    文化親善交流を記念し
    21世紀に夢を託し
    後世に今を伝えるため
    元寇カプセルを埋設する  と書かれている。

  というわけで、鷹島は“勝利の島”
  戦勝祈願・お礼参りの島となった。
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鷹はホークス。ダイエーホークスが戦勝祈願をし、
勝利のお礼に訪れ、ファンがたくさん来るらしい。

ホークスが2011年の日本シリーズで優勝した記念碑
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王貞治会長の手形            秋山幸二監督の手形

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モンゴル村は閉じられていて残念。
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タグ: 元寇 松浦 鷹島

2015/4/26

九州の旅12 ホテル蘭風の食事  グルメ(外食・中食)

2日目の夕食はホテルの中のイタリア料理店に案内された。
     これは美味しくいただけた。
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しかし、次はもうパスタ料理。私は少しだけ食べたが、
炭水化物制限食を頑張っている夫は決して食べない。
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        魚と貝の料理も
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        肉料理も美味しく食べたが
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一緒に出されたパンはもちろん食べない。
その後、さらにスパゲッティの料理が出るとのこと。

それは「いらない」とホール係に告げたところ
料理長さんらしき人がテーブルまでやって来た。

「どうさせてもらいましょうか?」と言うが、
「これ以上食べられないから何もいらない」と告げた。

デザートのショコラケーキは私だけ食べたが
夫は物足りなさそう。
でも、油脂が多い食事なので、空腹感はないようだ。

さっさと食事を切り上げ、中国雑技団の観劇に、
大ホールへと向かった。

   朝は大ホールでバイキング
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 どこのホテルとも同じようなバイキングだが、
   食べたいものだけ選べるのがいい。
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昨日の乗馬体験が悠々だったなら、浜辺を小走りで走るくらいまで
挑戦できたであろう浜辺が、朝食席の窓から見える。
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こんな浜辺を馬で走れたら、気持ちいいやろなぁ〜。
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2015/4/25

九州の旅11 ホテル蘭風のディナーショー 中国雑技団  観劇・ライブ・映画など

4/24(金)、ホテル蘭風のデイナーショーは、
中国雑技団のショーがメインイベント

松浦太鼓の後、男子5人の帽子の演技から始まった。
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続いて女子二人によるコマ回し。二つが宙を飛んでいるコマ。
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足で太鼓を回す芸   宙づりの輪でブランコのように揺れながらの演技
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            命綱をつけているとはいえ、まさにサーカス
            11歳くらいに見える小柄な少女

        二人の中高校生くらいの女子によるフラフープ

  数十本を同時に    上の子は3本を、下の子は1本を回しながら
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1本のバトンもフラフープも回せない助産師などが多いというのに。。。

        足でボールをお手玉のように操る
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   桶の中につり輪を演じていた一番小さい女子が入った
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    さすがに転落予防に、男子が周りで見守っている

ここまでは1日目に、2階の中央近くの席から撮れた。
しかし、早変わり仮面技は、遠くからは良く見えなかった。

それで、「2日目はもっと近くで見たい!」と思っていたのに、
夕食は、ディナーショーの会場ではなく
イタリアンレストランだった。連泊者への気遣いみたい。

でも、中国雑技団のショーだけはもう一回見たくて、早々と食べて、
会場へと向かったら、ステージ前の席に入れてもらえた。

幸い、一番前の真ん中の席が二つ空いている!
「しめた!」とばかり、厚かましくも、そこに夫婦で座った。

太鼓回し以後の演技は、2回見られることになった。

近くだと、一人一人のつま先や目の動き、
胴体の微妙な動きも良く見える。

1日目は二人で演じていると、二人とも上手に見えたが、
近くだと、とても上手い子と、そうでもない子との違いが
はっきりとわかった。

        本命の、早変わり仮面技が始まった。

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どんな仕掛けで仮面が次々に変るのか、不思議。
胴体や腕を俊敏に動かした時に、仮面が変ることだけは分かったが…。

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驚異の柔軟さ、ピタリとポーズが決まる。怖い仮面に変った思った直後
正面の階段を降りて、私に近づいてきた。キャ〜、怖〜っ\(◎o◎)/!
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カメラを取り上げられるのかと思ったが   男性的な迫力ある動きだが      
隣の夫と握手していた。あ〜助かった〜   リーダー的存在の女子

男子による大縄跳び。回っている縄の中で2人が3人の背中に乗り、
5人が一塊りになって跳んだり、縄の中でバック転をしたり。
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        11人全員でフィナーレ
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どう見ても11歳〜18歳くらい? どの子も素晴らしい身体能力。
まさに、修行を兼ねて日本に出稼ぎに来ている様子。

フロントの人に聞いたら、半年間もこのホテルでショーを続けるのだと。

当然、学校に通えない。
両親とも離れて日本に来ているのだろうか?

団の中の大人から芸だけでなく、
読み書きなども学んでいるのだろうか?

上手になって正式な団員になれるよう、
必死になって頑張っているのだろう。

まだまだあどけない子ども達の、ひたむきな姿、
「こんな子ども達が、日本にもたくさんいたら、いいのにな〜」と思った。
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2015/4/25

九州の旅10 初めての乗馬  スポーツ・武術

ホテル蘭風のすぐ近くに、乗馬ができるところがあり、
ホテルに帰ってから電話をすると、
「すぐに乗れる」とのこと。

歩いてもすぐのところなのだが車で走り、
同じ経営者の喫茶店でしばらく待つと、馬の準備ができた。

教会で亀の模様の帽子を忘れてきてしまった私は、
強烈な日差しを避けるため、ハンカチや綿マフラーを巻き付けた。
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鞍は思ったより柔らかくフワフワ。最初の乗り方が悪く、
馬の背骨の両側に、私の坐骨結節を均等に乗せられないまま出発。

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途中でお尻を移動させようとすると、
馬は嫌がって横に揺れるので、怖くてそれ以上動けない。

でも、手を振るくらいの余裕はあった。

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結局そのまま、馬場を一周してしまった。

「きっと楽に乗れるよ〜」と予想していたが、結構怖かった。
「楽勝なら次のステップを」と考えていたのに、挫折(c_c)

夫には「最初に馬の背骨の両側に、坐骨結節を均等に乗せるように!」
と、アドバイスをしたせいか、私よりバランス感覚の悪い夫なのに、

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余裕の表情で馬にまだがっていて、乗馬姿勢もなかなかきれい。

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真っ青でな美しい空と海をバックに、なかなか余裕に見える。

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無事帰って来た。

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でも、夫も怖かったそうで、これ以上乗りたいとは言わず、
二人とも馬場一周でおしまいとなった。

もう少し若かったら、砂浜を走れるくらいまで
挑戦できたかもしれないが…。

この歳になって落馬して骨折なんてしたら
それこそ仕事も出来なくってしまう。

でも「一度だけでいいから、馬に乗ってみたい」
との願いが叶えられ、満足、満足。
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タグ: スポーツ 武術 運動

2015/4/25

九州の旅9 隠れキリシタンの島生月島⇒鄭成功記念館  史跡

母々亭から殉教と隠れキリシタンの島生月島に渡り、
山田カトリック教会へ。
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ここで脱帽し、玄関に置いた裏が亀で表が青い愛用の帽子
そのまま忘れてしまった。残念。

ガスパル西と二男のトマス西など
キリスト教の布教を行ったことで処刑された人達は
「聖トマス西と15殉教者」として聖人に列せられ、その記念碑
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だんじく様と呼ばれている断崖。
ここに隠れていた親子三人が殉教した所だといわれる。
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平戸市生月町博物館「島の館」へ。
1階では、昔のクジラ漁の様子が動く大きな模型で見られる。

2階は、隠れキリシタンの資料館となっている。

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200年以上もの間、どのようにして上手く隠れながら
信仰を続けられたのかが疑問だったが、ここを訪れて少し理解できた。

仏壇や神棚を捨てることなく、仏教・神道などと併存しつつ、
聖歌を原曲に、信仰の歴史や神の教えを「オラショ」と呼ばれる唄にして
集落の一座で唱えながら、信仰を守ったことなどが詳しく紹介されている。

           山田集落のオラショ一座
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生月島からまたトラスト橋を渡って、ホテルに戻るちょっと手前に
鄭成功記念館があるので、そちらに入ることに。

「鄭成功ってどんな人やったっけ?」というのが私の実態。
国姓爺合戦って?「聞いたことあるけど…なんやったっけ?」。全く思いだせない。

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明時代の中国の軍人 鄭芝竜と、平戸の女性 田川マツの間に生まれた
鄭成功はこの地で生まれ、7歳までこの地で育った。 

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台湾でオランダ軍と戦った映画「国姓爺合戦」で
実際に使われた鎧兜や武器などが陳列されている。
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こんな歴史があったことは、全く知らないまま、
この年になってしまったが、
いろんな所を訪れることにより、知識の幅が広がり
考えさせられることも、感動させられることも多い。
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タグ: 生月 鄭成功 国姓爺

2015/4/25

九州の旅8 川内峠⇒生月に渡る手前、「母々の手」  グルメ(外食・中食)

平戸観光の中心地を後にして
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何度も道を間違えながら、夫がどうしてもとこだわった
川内峠にやっとたどり着いたが、夫が期待した対馬は見えなかった。

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九州はずーっとpn2.5で視界が悪く、
そのうえ今日は霞んでいるのに、見えるわけがないやん(`ヘ´)

でも、心地よい草原を上まで歩き、幼稚園児も走って上がり、
降りて来て、お菓子をもらっている姿を見て、
二人の機嫌も少しずつ上向いた。

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川内峠から隠れキリシタンの島、生月島に向かう頃はお昼となった。

生月大橋を目指して走っていると「漁師料理の店」
という看板が私の目に入った。

運転している夫には見えなかったようだが、
見えた記憶を頼りに、そちらに向かってもらうと…、あった!

漁師料理の店「母々の手」。「漁師だけが知る味」と書かれている。
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店の前でには網が干してあり、修繕している漁師の姿。
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店の前にはメニューの立て看板、入るとこの看板
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大漁旗だけでなく船まで飾ってあり、気分高揚の大道具はバッチり。
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「パインキング二人」と注文し、すぐに、
いっぱい並んだおかずを皿に盛り付け、テーブルに着くと、

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「お刺身二人前」と、運ばれて来た。えっ、これが二人前?!
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ご飯と味噌汁も運ばれて来て、サラダはバイキングで。
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早いわ、美味しいわ、豊富だわ。
なんていい店の看板が目に入ったことよと悦に入って

おかみさんではないそうだが、働いているオバチャンに尋ねると
「毎日はやっていない」とのこと。

観光バスの予約が入った日や、日祝日などは開けるのだと。
なんてラッキー!

実はこの日記は8/23に書いているのだが、6月頃だったかテレビで
団体外国人観光客が漁師体験と食事ができる店として
人気があるのだと、この店が紹介されていた。テレビを見て驚いた。


食事を終えて、生月(いきつき)大橋を渡った。

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瀬戸大橋など大きな橋は、たいていは吊り橋なのに、
この橋はトラス橋。

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開通時中央の最大径間400mは、3径間連続トラス橋としては、
世界最大規模であったそうで、有名な橋だとのこと。
詳しくは⇒こちら
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2015/4/25

九州の旅7 松浦史料博物館・ザビエル記念教会  史跡

オランダ商館⇒魚屋さん⇒松浦史料博物館へと歩くと
道端にザビエル像。その横を進み、階段を上ると着いた。
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平戸藩主松浦(まつら)家の史料が展示されている。
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予想外に女性の使っていた美しい工芸品が多い。女性用の籠。
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    鬢台(びんだい=化粧道具と収納箱のセット)
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      女性を描いた金屏風
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   美しい絵が描かれた貝合わせ遊びの貝と収納箱

平戸にゆかりの深い人々の肖像画(社会の教科書に載っていた絵や〜)
  フランシスコ ザビエル         吉田松陰
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   男性的な絵が描かれた掛け軸   や    鎧兜
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                     これは本物だが
これは試着用。「自由に着用してください」
と書かれているので、私も試みることに。
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なぜなら、「着けたら、いつまでも着ていたいほど気持ちよく、
体が軽々と動くようになる」と読んだことがあるから。

鎧も兜も、持つとズッシリと重い。
鎧を着ずに兜をかぶると重い。。。

鎧は側腹部の紐が切れていて、結べなかったが、
重いのに、不思議と体がシャンとする。

それから兜をかぶると、ちっとも重く感じない。
こんなに重いのに、これらを身に着けて戦えることが分かって満足。

写真を撮ってほしかったのに、夫は先に先にと行ってしまい、
カメラを置くところもなく、セルフでも撮れず、残念。

田付流(たつけ龍)百目砲。
幕末、黒船に対する備えとして、平戸藩が作った大砲。
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   射程距離は2,500mもあったそうな。すごいね〜。

多種多様な、膨大な数の展示品があり、見ごたえがあった。
写真もいっぱい撮ったが、とても載せきれない

外に出て再び歩くと、六角井戸。中国の様式の井戸のようだ。
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     巨大なソテツ。幹の周りは3メートル!
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道端にバナナの木があり、小さな実がなっている。初めて見た!
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   たくさんの団体旅行の人たちが、ガイドさんに率いられて歩いている。

   付いていけば、「絶対にザビエル記念教会に着く」
   と思いながら、坂道を歩いていくと、案の定、着いた。
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     人が多くてゆっくりしていられず、
  解説を読んでも良くわからないが、とにかく美しい。

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   教会の裏の道を通って、海の方に戻る途中、寺院があり
   前を通り過ぎると、寺院と教会が一体になって見える。
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  異文化が溶け合う平戸を象徴する風景。きれいに撮れた。
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タグ: 長崎 平戸

2015/4/25

九州の旅6 オランダ商館・英国商館跡  史跡

4/25(土)、ホテルを出発して、夫は「川内峠に行く」と
車を走らせるが、全く道がわからず、
結局オランダ商館をまずは見学することになった。
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1639年、こんな立派な商館が完成したにもかかわらず、
徳川幕府の言いがかりにより
使われることなく、破壊された。

その言いがかりの原因となったのはこれ
キリスト生誕にちなむ西暦が記されていたことだと。
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当時は、キリスト教は禁止されていたためだというが、
竣工年を、西暦で書いたというだけでねぇ。
他に本当の理由があったのだろう。

そして、1641年5月には、オランダとの通商の場は
長崎の出島へと移された。

この建物は、明治以後に復元された。中には、いろんな絵や

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    オランダ人の暮らしぶりや

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     漂着したリーフデ号のミニチュアや

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当時のオランダ船に積載されていていた大砲などが陳列

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見終わって外を歩いていると、オランダ商館との境界の塀が残っていた。
そして、驚いたことには、これを見られるのは魚屋さんの店の中から!
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干物などを買って、家に送ってもらうようにして、
再び外に出て歩きはじめると、オランダ坂・石垣が。
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松浦史料博物館と聖フランシスコ ザビエル記念聖堂
     訪れた後、この橋(オランダ橋)を渡ると、
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英国商館跡で、今は市役所となっている。
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         その前にオランダ船の錨(いかり)が展示されていた。

海岸に沿って駐車場の方に歩いて行くと、じゃがたら娘の像
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オランダやイギリスの男性と結婚し、子どもを産んだ日本人女性など
32名が、子どももろとも、幕府の命により、1639年
オランダ船に乗せられて、バタビア(今のジャカルタ)に追放され、
二度と日本に帰れなかったという。
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タグ: 長崎 平戸 オランダ

2015/4/24

九州の旅5 ホテル蘭風のデイナーショー 松浦太鼓  観劇・ライブ・映画など

4/24から、平戸千里ヶ浜温泉のホテル蘭風で2泊。

ステージ付きの階段状のレストランで、
夕食はデナーショーと、なかなか粋。大漁旗が飾ってある。
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     食事は一般的でまあまあ。
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食べ始めてしばらくすると、ブリの活き作りの実演が始まった。
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        瞬く間に姿作りになっていく
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   食事をしている間に、完成したようで、
   既にお客さんに、できたての刺身が配られていた。

   私も小さい3切れをいただいた。

次に登場したのが勇壮な松浦太鼓。
松浦水軍(=松浦党=まつらとう)の士気高揚のための太鼓。

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この子はまだ12歳だと。でも、上手い〜っ! キレのあるバチさばきと音。
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         大人3人はホテルの従業員

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その次に登場した中国雑技団を見ている最中に、
すまし汁とデザートが一緒運ばれて来た。

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「なんちゅうこっちゃ」と食べながら、しかも、
中国雑技団を夢中で見ていたら、デザートは半分に(@@;

デザートより後にすまし汁なんて、滅多にない経験をしてしまった。
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2015/4/24

九州の旅4 平戸城と陶磁器  博物館・美術館・建築など

4/24(土)16:45頃、田平教会を出発。

激しい潮の流れが見られる「平戸瀬戸」と呼ばれる
海峡にかかる平戸大橋を渡った。
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ホテルのチェックインにはまだ早いので、
小高い山の上に見えるお城に向かった。

この門のすぐ左の「北虎口書院」の
石碑が立っている所でお金を払い、こちらの階段を上っていく。
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     門の木材は太く古く、趣がある
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順路に従って進むと天守閣。鉄筋コンクリートで再建されている。
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鎧兜などの展示品を見て、街の景色を眺めて…は
たいていどこのお城も同じ。

天守閣の裏に建つ櫓に入ってみると、そこには
目をみはるばかりの、美しい陶磁器が展示されていた。
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                             ↑
               「中野焼 団龍文皿」との解説がある。         

この二つはどう見ても朝鮮の品。朝鮮で作られたものなのか?
それとも、朝鮮から連れて来られた陶工が作った(作らされた)ものか?
         
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そう思ったのは、この本を読んで
私はかなりのショックを受けたから。
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                       ↑
                   246p〜247pには、
   「日本人の茶数寄は韓国人には大変な不幸を
   もたらしたものでした。
   それは、豊臣秀吉が朝鮮を攻略した文禄・慶長の役を
   一名、陶磁器戦争と呼んでいるのをみればわかります。

   …中略…

   韓国では田舎の農夫らがメシや汁を盛った器が、
   わび茶を学んだ大名らには一国一城と換える
   貴重な宝物であったために、
   朝鮮に侵入した彼らには、この器と陶工を略奪してくる目的が
   もっとも大きな比重を占めていたのです。

   …以下略…

   そんなことを考えながら回っていたら、
    その通りのことが書かれていた。
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「連れ帰った」は、実際は「拉致」だったんでしょうね?

秀吉が何であんな無謀な朝鮮出兵を強行したのか?
いくら秀吉の命令とはいえ、大名たちはこぞって朝鮮に行ったのか?
その理由の一つが陶磁器にあったとは、驚きだった。

でも、これらの素晴らしい陶磁器を見て、少しわかった気がした。

    平戸城は石垣も美しく保存されている。
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南に海が見えるホテル蘭風に17時ちょうどにチェックイン
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2階のエレベータ前のホールからレストランに続く廊下には
素晴らしい陶磁器が陳列されている。
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写真ではこれらの美しさは伝わらないが、
せめて思い出にと、撮影してきた。

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茶の湯を楽しみ、自らの力を誇示するために、
貿易で富を得、藩財政を立て直すために、

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大名たちは咽から手が出るほど、
陶工を連れて来たかったんでしょうね。

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今回の旅で、そんなことがやっと分かった。65歳にして。
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タグ: 平戸 青磁 中野焼



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