2013/11/28

秀歌(21)道浦母都子  秀歌読みましょう

掲示板で知り合った女子高校生が新聞中国歌壇で道浦母都子さんの選を受けたといっていたので、検索したら名前を知らずに何首か読んだことのある歌人だった。1947年和歌山生まれとあるから、私より少し下現在66歳になったろうか団塊の世代というより全共闘世代と呼ばれる経歴をもっている。早稲田をへて「未来」に入会したのは近藤芳美の選を受けて師として慕ったからだそうだ。今の若い人のブログなどで、現在の歌はいいけれど学生運動の時代の歌は「うざい」と書かれていてびっくりしたが、その時代の人たちにとってはあの時が「われらの青春」であったことは間違いないのだ。
私の学生時代にはベトナム戦争という命題はあったが、60年安保と70年安保の谷間の世代で、デモに行くより「同棲」という言葉に興味津々という学生生活だった。私の行った大学では「短歌」のたの字もなくて詩が全盛であった。私が道浦さんに興味を持ったのは、

神田川流れ流れていまはもうカルチェラタンを恋うこともなき                    『無援の抒情』

という歌であった。早稲田という経歴からこのカルチェラタンは早稲田の学生街かもしれないが、私の中でカルチェラタンと言えば御茶ノ水から靖国通りまでの、明治、中央、日大の学生街の事だと記憶されている。殊に私の家の小さな坂の下の五差路はその中心のように1969年安田講堂が落ちるまで、毎日のように大学から運び出された机や椅子でバリケードが築かれ、投げ込まれた火炎瓶が燃えていた。私はその時もう結婚して子供が出来、大きなお腹を抱えて見物していた。子供が生まれて私の青春も終わったような気がした。この歌もその時代に決別した作者の少し苦い気持ちが出ている。『無援の抒情』は1980年の第一歌集だから運動最中の歌が多いが有名な歌を二首。

調べより疲れ重たく戻る真夜(まよ)怒りのごとく生理はじまる

きみのこと想いて過ぎし独房のひと日をわれの青春とする                      『無援の抒情』

同じくらいの年で東京にいた人は、運動にかかわらなくてもあの時代の空気を思い出すにちがいない。若いものに「うざい」と
言われながら。この後道浦さんは我々と同じように山坂を越え一時体調を崩して詠えなくなったりしながら、年を重ねたらしょってる物を降ろして力を抜いて詠えるようになったと言う。 
4

2013/11/24

NHK短歌12月号  NHK短歌

何だか母のリズムが崩れて、私自身も疲れたなーと思う事もあるけれど、先日病院で来年の予約をして今年の私の病気追跡はおしまいになりました。この秋で十年、始めにお医者さんは「この癌は十年通ってもらいます」と言ったのに、この間きいたら「年一回の検査は続けた方が安心ですよ」と笑っていました。私も「そうですね」と笑ったのですが。御茶ノ水駅の堀沿いは急に色づいてきた木々で少し心癒してくれます。

20日発売のNHK短歌テキストで、永田和宏さんに佳作一首とっていただいていました。そんなに続けて載ることもないと(常連さんと言われるような方は毎号全首とられていたりするけれど)期待する心をいましめていましたが、やはりうれしいものです。
お題「食べる」

秋彼岸さざめきかわし仏壇に預けておいたおはぎを食べる

今はお彼岸でも親戚が集まることもなくなったけれど、昔は叔父叔母がいとこ達をつれてきたり、ご近所とおはぎが行ったり来たりしたものです。うちは世田谷のいとこ達と仲が良く、いつでも寄り合っては楽しい時間を過ごしていました。そんなお彼岸の様子を詠ったものです。  
永田さんは「塔」の主催で、四月から代った選者さんですが、初めてとって頂きました。人によっては全選者制覇という目標を持つ人もいて、私も多少その傾向はあるけれど、本当は歌風が決まれば合うあわないはあるはずで、私達が勉強中だから一つの場としてすべての選者に投稿するのだと自分なりの理解をしています。
私は選者に敬意を表しながら、正直言って「塔」及び永田さんがよく分からないのです。昔は歌を見れば「塔」だとわかると言われていたようですが、この頃は「塔」らしくない歌が多いとも聞きます。その「塔」らしさがよくわからないのです。「そののち歌会」にも「塔」の方は多いようなのですが、よくわかりません。日本で一番大きな結社になったからでしょうか、お教えを乞いたいと思います。
4

2013/11/20

帚木草  短歌

ベランダのほうき草がどんどん紅くなってきた。オレンジ系や黄色もあるらしいが、家のは紅葉らしく赤というより紅色である。これは去年、近所の人が小さな苗を一つくださって、それを大事に育てたらこんもりと形の良い鉢ができた。初めて育てたので物珍しく、「源氏物語」に出てくる帚木(ははきぎ)だと嬉しくて、成長過程を写真にとったりした。去年は普通の秋だったような気がするのだが、すっかり赤くなった後茶色くなって種を取って歌を詠んだ。それはN短のお題が「ライブ」だったので

君が目にとまればいいと帚木草秋のライブはいま盛りなり

という歌で、佐伯裕子さんに佳作にとっていただいた。これは「源氏物語」のころは茎のない帚木草は現れても近づくと消えてしまう不思議な草と思われていて、源氏と歌を交わし一夜を過ごしながらその後するりと逃げてしまった空蝉の話を下敷きにしたものだった。ここで空蝉の事を考証する気はないが「源氏」の中では地味な風なのに、なぜあんなに逃げまくるのだろうとちょっと違和感と興味をもったこともある。

今年の帚草は去年のこぼれ種から、ぞこぞこ生えてきた物を少し間引いて二鉢にして放っておいたものだ。一度うまく行った種類はそんなものだろうと手抜きになってしまいがちで、この夏の暑さにベランダの植物は水をやればいいというだけで、すっかり忘れられていた。涼風が立ってやっとあれこれ手入れをする段になって、あれ帚草が色づきかかっていると気が付いた。大きい方の鉢は十本ぐらい、小さい鉢は五本ぐらいが身を寄せ合っているので、去年の一鉢一本を丸くきれいに仕立てたのと違って一本が細く全体でやっと一叢の帚草という感じだ。
その大きな方が少し色付いてきていたが、小さい方はまだ緑のままだったから隅の方に隠れていたのを陽のあたるところに移してやった。それで大きい方がどんどん紅くなりちょっと盆景の雑木林のような風情になっている。高さ30センチくらいだから大したことはないのだけど、手抜きの上に忘れていたものが美しく育っているというのは、放っておいた女をまた見つけた源氏の好き心もかくやといううれしさである。(なんといういい加減な園芸という声が聞こえる。)

緑から紅(あか)へとかえて帚木(ははきぎ)はわが内外に強く燃え立つ                     多香子
5



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ