2014/4/27

はなみずき  短歌

八重桜が散り始めるころ花水木の花が咲き始める。春は万花の季節で途切れることなく色とりどりの花が咲き、初夏へと続いていく。桜の優しさ、八重桜のあやしい憂鬱、桐の凛とした美しさに対しはなみずきがひたすら明るいのはやはりアメリカから来た花だからか。和名アメリカやまぼうし英名dogwoodは日本の桜をポトマック河畔に贈ったお礼にアメリカから贈られたのがはじめと言う。ピンクがかった赤と白の花があるが、実は萼片であることはよく知られている。

私が初めて花水木の大きな樹を見たのは、30年以上前で四ツ谷駅が建て替わって陸橋の向こうに小さな公園のようなものが出来、そこに満開の赤のはなみずきが数本植えられていた。初めて見たので名前も知らず、なんてきれいな花だろうとうっとりして、家に帰ってから図鑑で「はなみずき」とわかった。その後埼玉とか多摩のほうで街路樹に植えられたり人々に馴染んでいったが、私ははじめの頃の感激は薄れてしまった。しかし北の丸公園の吉田茂の銅像の向かいに紅白の樹が多数植えられ(サンフランシスコ講和の首相が眺めると言う構図かと調べたが分らなかった)はじめはひょろひょろしていたのが十年もたつと素晴らしく大きな林となって短いが花の時期に行けば堪能できるようになった。

今では「はなみずき」というと一青窈の歌が口をついて出るように知られてきたが、それほど流行らないにしても津本陽の小説「椿と花水木」新潮文庫で上下巻は、ジョン万次郎の生涯を描いて大層面白い。小説は小説と言ってしまえばそれまでだが、人々に興味深く読ませ知らせると言う点で評伝よりも優れた媒体だと思う。津本陽は紀州の人で剣豪小説が多かったが、評伝小説も多く文体が固いのがそれに合っているのかもしれない。万次郎が漂流するまでの土佐の漁師生活、アメリカ捕鯨船の歴史など綿密な取材があったと思うが、和歌山の海を見て育った経験が力になったものと思われる。表題は土佐の花としての「椿」に対してアメリカの花「はなみずき」を置いている。作中アメリカで恋人を得て婚約するまでの田舎での生活(これは創作かもしれないが)の描写の美しさ、その婚約者が捕鯨旅のあいだに死んでしまって万次郎に帰国を決心させるまで「花水木」の咲くアメリカが彩りとなっている。風に揺れていっせいにざわつく花水木は桜のようには散らない。万次郎の生涯は面白い。花の事を書くつもりで、ご本の紹介になってしまった。

手をひろげその大きさだけ花みずき空に投げあぐうすべにの花                          多香子

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2014/4/23

日比谷公園  短歌

春と言えば昔の思い出に上野の国立博物館(東博)と日比谷公園がある。どちらも今でも通りかかることが度々なのに、中学時代のその思い出は日比谷公園の方が薄い。私は中学高校と私立の女子校で団塊の世代より上の人数の少ない時代に、新入生五百人以上の大きな学校だった。四月に入学するとまだクラスの人の顔も覚えないうちに、現地集合訓練と言う名目で日比谷公園の散策があった。今で言うフレッシュマンキャンプは、秋に箱根一泊旅行があったから日比谷公園のは遠足のたぐいか、不思議に思い返すことも少なくて、友達から「ほらあの時」などと言われてもえ?と言う感じになる。

確かにその新入生達は都内各所から通ってきたわけだから、別系統の電車にも乗ったり時間に合わせて一人で行動する訓練にもなったのだろう。私は都心暮らしで、学校も徒歩通学圏内だったから、日比谷公園も歩いてはいけないけれどそう遠いものでもなかった。まだ都電が走っていて時間はかかるがとても便利だったので、「なんで日比谷公園」と思ったことと、チューリップが咲いていたことしか記憶にない。お弁当を持って行ったかどうかも分らないが、あの頃は何処に行くにしても何でも買えると言う事はなかったから、食べ物や水筒は必携だった。
集合すれば整列して班長は人数確認、クラス委員に報告、委員が先生に報告と言う体制が出来ていて、その訓練もあったかもしれない。この体制は軍隊式と言えば言えるかもしれないが、身についてしまうと騒々しい女子の集団でも短時間で確認ができてしまう。付け加えれば私の母校では良家の女子をお預かりしている以上、体罰と言うものが一切なかった。お説教はあったが、あまりこわくなかった。

日比谷公園は明治時代に軍の訓練や火薬庫として使われていたものを東京市が払い下げを受けドイツ式公園としてつくられた。第二次大戦後GHQに接収されていたが返還されて今の日比谷公園になったという。西洋式公園と日本庭園があり、日比谷公会堂、音楽堂、松本楼などもあるが、結構広いので行くときの目的の場所にしか行かないため、印象はバラバラな恨みがある。あのときのチューリップは、第一歌壇と言う所だったと思うがほかの花もいろいろあったに違いないのに何も覚えてはいない。今では日比谷花壇が出来、図書館も建て替えられて色々なイベントでテントを張ったりするので、どこだったのかもよく分からないほど変わってしまった。なんだかよく覚えていない話ばかりで恐縮だが、あれが共学では味わえない楽しい女学生時代の幕開けだったのだなと思う。

薄暗き校舎と紺の制服に隠しきれないチューリップの華 多香子
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2014/4/19

つまもこもれり「伊勢物語」  古典(伊勢、源氏など)

私は伊勢物語が大好きで、殊に有名な段は好きなのだけど、歌は知られているのに、背景の物語が知られてない物にもよいものがある。もともと「伊勢」となるまでに「在五の中将」や『大和物語を」へて付け加えたり削ったり、当時は写本が普通だから書き写しながら改作されて大きな物語に完成したところもあったろう。私の底本は、池田亀鑑「伊勢物語精講」昭和三十年初版、学燈社で、古いものだけど平安時代の文学においては池田先生の研究を信奉している。以後の「伊勢」の底本はすべてこの本となると思う。
今回の十二段は、大好きな「芥川」の段ののち「東下り」のあとに出てくる短い文で、歌は

武蔵野はけふはな焼きそ若草のつまもこもれりわれもこもれり

聞いたことのある歌だろうか。「古今集」には春歌(上)に、初句を「春日野は」として「よみびと知らず」の歌で出ている。「伊勢」に限らず昔の物語にはよくこのような事がある。「伊勢」の主人公が業平とみられているのは定説だが業平作と書かれてもいないし、書き加えをしている読者がこの歌に背景をつけて、業平の東下りに関連付けて作った話だろうと池田先生も書いている。その物語と言うのはこうだ。
ある男が、よその家の娘を盗み出して武蔵野まで連れて逃げていくうちに、武蔵の国の役人につかまってしまった。男は女を草むらに隠して逃げたのだがつかまってしまった。人々がこの野に盗人がいる、火をかけようと言っているのに、隠れていた女が「今日は野焼きをしないでください、私も夫も隠れているので」と言う意味の上記の歌を詠ったら、聞きつけた役人たちにつかまってしまった。何とも哀れだが現代で考えると間抜けな感じもする。しかしこの男と女は駆け落ちなので、先行きはないのだ。
「芥川」の段では男(業平)は藤原氏の姫(いずれ参内して中宮にもなろうと言う)をさらって逃げる途中で、取り返されてしまうのだが、この武蔵野の話ではどこの誰ともない男女(だが女の親たちは嫁ぎ先を決めていたのだろう)が、捕まれば離れ離れになる運命を思いながら、火をかけないでと詠ってしまう心の弱さを描いている。
池田先生は「面白みから言えばこの段の方が、ユーモラスなようで数段勝る。一幅の幻想画である。」と評しているが、私はやっぱり現実感と女のあどけなさ、そして

白玉かなんぞと人のとひし時つゆとこたへてきえなましものを (六段)
の歌の詠嘆が、男の哀れを感じさせて好きである。
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