2014/5/29

洋人参と日本人参  短歌

ブログ開始から一年がたち、年一回の検査も無事通過しました。母はどんどん壊れつつ、私も他の病気は小康を保っていますので、一年目の感慨は書かずに皆様にお礼を申しあげます。これからもよろしくお願いいたします。

あまり、歌とか抒情と関係ないのだか、ふと人参の事を考えた。それというのも此の頃テレビCMでピーターラビットが両手に持った人参をかじる場面で、その人参が長いことに気が付いたからだ。確かに家にあったピーターラビットのシリーズ本でもそんな挿絵になっていたように思うが、あの本はどこにいったか息子の小さい時だったから分らなくなっている。
私たちが子供の頃は「日本人参」が長くて臭く、子供は人参が嫌いだった。今のような短い臭みの少ないものも戦後7,8年経つと出てきてそれで少し食べられるようになったが、時期が短く、とう立ちの頃にはまた臭い人参を食べなければならなかった。洋人参にしても泥付のような皮の硬いもので、今のようにきれいで甘くはなかったように思う。

では、その洋人参はいつごろどうなって来たのか調べようと、まずネットをあさったら「薬用の洋人参」というものばかりでウィキの「にんじん」という項ぐらいしかでてこないのだ。まあ人参の由来など調べる人もあまりいないかもしれない。そこでウィキをざっと読んだところ、「人参」はアフガニスタンあたりが原産でそこから東西に分かれ、西はイギリスまでゆき東は中国経由で日本に来たとある。ところがウィキでは江戸時代以前日本に来た人参は京で改良され「京人参」となって紅くて甘い人参となり、それを「日本人参」と呼んだと書いてある。そして江戸時代にオランダから江戸へ入った洋人参が関東の臭い人参なのだと言う。その洋人参を改良して、今の美味しい洋人参になったと書いてあるが、私の頭には?が三つもついてしまいそうになった。それでは私たちが東京で「日本人参」とよんでいたのは何だったの?京人参なんて昔は東京にはなかったのに。まあウィキの事だから、本当の所はわからないのだろう。
わたしたち姉弟は、野菜と言ったら「人参、たまねぎ、じゃがいも」が主だったので、洋人参の臭くないのが出たらとても喜んだが、積極的に食べるようになったのは中学で女学校に行ったため、家庭科で栄養学も学び(今は小学校でも充分学ぶのだろうが)人参は一日3pが望ましいと教わってからであった。
今日の話が<なにこれ>であるのに、なお蛇足として子供の頃の思い出を書けば、冒頭のピーターラビットの話を初めて読んだのは上野の幼稚園時代、幼稚園から購読する「キンダーブック」の裏表紙にあの挿絵で連載されていたことだ。当時は流行りもしないで、自分の息子の時に流行り始めたのにはびっくりしたり懐かしかったりしたものだ。

おいたして熱を出したるピーターに母兎(はは)はカミツレひと匙飲ます                       多香子
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2014/5/25

秀歌(31)『一葉日記』高木絢子  秀歌読みましょう

去年頂いた歌集を、今頃になってご紹介するのは作者に失礼かもしれないが、そんな歌集が何冊かあって、知られているものもあまり知られていないものも、歌集に編まれているとそれぞれに味わいのあるものである。
この『一葉日記』(不識書院刊)の作者高木絢子さんは高名な歌人ではないけれど「翔ける」と言う結社に入って16年、それ以前の歌歴は分からないが第一歌集はその前に出されたのか、これが16年目の第二歌集とある。はっきりとわからないがそれなりのお年の方ではないかと思われる。文京区小石川の生まれで古典文学にも明るく文学少女であったのだろうと言う感じが歌のなかにたちのぼっている。現在は静岡県にお住まいで、わが家には静岡の血が流れているので奇遇な気がする。
出版される歌集のすべてが素晴らしいわけでもなく、すごく上手でも自分の感性に働きかけてこない歌集もあるけれど、それは読者の好みで私が好きな物だけ取り上げることにしているので、カラスの勝手でしょ的なところはあるだろう。この歌集に魅かれたのは小石川の生まれ育ちで環境に似通ったところがあるからだろうと思う。400首の中から十首を上げる。

風若葉「庭に一本棗の木」すらすらうたふ夫の唱歌

白鼻心隣家に続くほそみちを物知り顔に通り抜けたり

首都高速道そらを蔽ひて神田川掘割ふかく鯉魚を養ふ

夏の夜はまだ宵ながら名古屋城ひかりを放つビルのあはひに

どつかりとシルバーシートに腰おろしやをら舟こぐわれかおそろし

雪の日の九段坂駈ける樋口奈津 東京メトロの迷路をいそぐ

「藤むら」の桜もち買ふ一葉の心ときめき弥生のそらは

多摩川を二つに分けてゆく水のかの子の絶唱『老妓抄』よむ

しんしんとシリウスは吼ゆ読み返す病床日記訣れのうたを

ジェラシーを捨ててしまへば軽からう何処へ向ふもおもたきかばん

なんといっても品の良さ、しかし古くもなくちぢこまってもいない、歌のセンスの良さを持っている方なのだろう。集題の『一葉日記』は、高木さんが『一葉全集』昭和16年刊新世社版全五冊のうち四冊を手に入れられ、それを読みつつ一葉への思慕また時に一体感から歌を紡いだ心を歌日記として題したものと言う。
この歌集を読んで、遠い昔の一葉の恋にわが身をなぞらえたころのことは浮かばないが、現在の自分が作者高木さんに親しい気持ちを抱いたことを(密かに)書いておく。
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2014/5/21

家の猫C  家の猫

暖かくなってきたと言うより、日によっては暑いぐらいなので窓や掃出しのガラス戸をあけるようになって来た。家の小太郎は家に来てから一年間は外(と言ってもベランダだが)に出さないようにしてきたが、この頃は慣れてきてドアを開けるとたんにベランダに出ることを覚えてしまった。外に出るとすぐにひっくりかえってゴロゴロと背中をこすりほこりだらけになって、あげくに葉や草を噛んでまわる。

悪いことには我が家はビルの四階なのでベランダから飛び出したら怪我では済まないと言う心配がある。前に18歳で死んだ猫も高い所から車の走るのや人が通るのを見るのが好きだったが、建て替えた今のビルはセットバックで出来たベランダだから簡単に下は見られない。小太郎も年寄り猫だからそれほど外が気になるまいと思っていたが、猫が好奇心の強い動物だという事をうっかり忘れていた。
隣のビルとは1m半ほどしか離れていないので、そちらのビルの非常階段と家のベランダの間に柵を設けたり防犯には気を使ってあるが猫にとっては柵などくぐれるし、階段に飛び降りればそのまま下まで降りて行かれる。小太郎はベランダの端の一番となりと近いエアコンの室外機にのって外を見ようとするから、私は「落ちたら死ぬよ」と大声で言って息子が「降りても死なないで歩いていくと思うが」と現実的な事をいっても大騒ぎをする。それは死なないけれど、下の道まで階段を下りて行ったらこのあたりの事は知らない猫なので、迷子になって路頭に迷ってしまうという事である。今の所、よばれるとだいぶ経ってガラス戸の向こうから入れてくれと言う顔をしているからまだいいのだが。

そこで私は小太郎を膝に乗せ、話をして聞かせる。「昔、イギリスでは生まれたばかりの子は妖精の部分が残っていて、空を飛んでどこへでも行けるのだけれど、少し大きくなるとその記憶はなくなって飛べなくなってしまうと思われていたのよ。ピーターパンは生まれてじきに夜窓から抜け出してケンジントン公園で遊んだり、妖精たちと楽しく暮らしているうちに、おうちへ帰りたくなって一度は覗いてみたんだけど、また遊びに行ってしまったの。あとでやっぱり帰ろうともう一度覗きこんだら、お母さんは新しい赤ちゃんを抱いていてピーターパンは締め出された子供のままネバーランドで暮らさなければならなくなったの。こたもいつまでもベランダで遊んでいたり、下へ墜ちたりすると帰ってきて窓から覗いてもママは新しい子猫を可愛がっているかもしれないわよ。だから・・・」お利口な小太郎はそう言う時だけ、私は知りませんと言う顔をしてすましている。

ピーターはうさぎでなくてジャムパンとでたらめな話猫に教える                          多香子
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