2014/9/29

「乳鉢」  短歌

母は下の歯が二本残っていて、上は総入れ歯なのだが、その二本の歯で器用に物をかみ砕いていた。ところが夏前に一本の(挿し歯だったらしい)歯が取れてしまい、残る一本は頑固に取れない。歯医者さんなど到底やらせるものでは無いから、仕方なくそのまま物を食べている。食べ物は計らいが利くが、薬を噛みたがって飲み込まないのには困ってしまった。

乳鉢があれば簡単にすりつぶせるのに、引っ越しの間に何処へしまったのかどうしてもみつからない。その乳鉢は白い磁器製の棒も付いたもので、多分父が病床にあった時に買ったのではないか。そもそも乳鉢と言うものが普通に家にあったものなのか、家は飲食業だったが大小のすり鉢はあったが、乳鉢の記憶はない。父の時に様々な医療用品を買ったのが今でも残っていて、使えるものは多いのに「箱」にしまった乳鉢がビルの建て直しの後見当たらなかった。私は屋上に作った物置にしまってあるのではと思っていた。
母の歯が一本になってしまった時、主人に乳鉢を物置から探し出してと頼んだけど、見つからないと言われた。私は小さな箱に入れて、また大きな食器をしまった箱に入れたつもりだったが、食器の函はみな家のフロアーの物入れに入っていると言う。
そもそもは、母が小さい時によく噛みなさいとしつけられて、しつこく噛む癖がついたことだ。噛むには噛むがちっとも飲み込まないから、食事に時間がかかってしまう。小学校でもお昼のお弁当がいつまでも終わらず、給食の居残り状態だったらしいし、大人になっても旅行で盛岡の「わんこそば」の最低記録を作った。

薬の方は種類によっては水で溶けるドライシロップもあるし、このごろは水無しで舌で溶けるタイプもあるが、バセドーの薬は昔からのもので殆ど成人用だから大きく硬い。薬局で乳鉢は小さいものでも取り寄せますよといわれて、じゃあもう一度探してなかったらと主人に言いながら、ふっと振り返ったら食器戸棚の後ろの側にあったのだ!!
その食器戸棚はダイニングのテーブルの後ろに並んでいて毎日眺めていたのに。魔法のようだが、確かに真ん中の段なのに手前の列のお皿も普段使わないもので、後ろ側など気に掛けもしなかった。しかし決定的な原因はその乳鉢が古いビニール袋に包まれていたことだ。私は「箱に」入れたと思い込んでいたので、小さな箱を探していたのだった。まったく年を取ったと言うか、いや若い時でも思い込みと言うのは時々大きな失敗をするものだとおもった。

乳鉢に母の薬をすりつぶす朝は日々(にちにち)涼しくなりて  多香子
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2014/9/24

「木立ベゴニア」  短歌

夏が逝ってしまったので、ほとんど木立ベゴニアの花は落ちてしまったが、葉の裏は夏の日を存分に浴びて真っ赤な色を誇っている。ベゴニアはよく見られる小花のセンパーフローレンスと球根ベゴニア、レックスベゴニア、そして木立性ベゴニアと種類があって、それぞれに形態が違う。いずれも秋海棠の仲間なのだが花付が似ている位な所か。我が家にはどれも一度は来た花たちだが、相性が良くなかったのか残ったのは木立ベゴニアだけだった。

最初は鎌倉へ何処かから贈られたもので、株分けで家に来たものを物は試しと切った小枝を水ざしにしておいたら、素敵に白い根が出て簡単に増やせることがわかった。今から30年くらい前なので、本を見てもあまり載っていなくて、どんな色のものがあるのかも知らなかった。
家のベゴニアは葉の表が緑色に銀の斑点があり、葉の裏は赤である。夏の陽を好んでその赤はより真っ赤になるが、寒さには弱い。花は四季咲きの物もあるらしいが、家のは夏の花で真っ赤な花が6月ごろ花芽がついて7〜8月に咲いて来る。面白いのは一本の花茎に雌雄同体だが、オス花が先に咲いて、メス花は後から咲く。それがうまく受粉すると種の袋がぶら下がって花はその先、房状にこんもりと垂れ下がって揺れているのは、赤い金魚のモビールのようだ。1m位の木に紅い房がいくつも下がると中々に美しいのだが、やはり葉裏の赤と濃い緑の葉をみる観葉植物のような物だと思う。
寒さに弱いので冬に外に置いておくと、大抵霜枯れのように葉が痛んで落ちてしまい、最悪は株も枯れてしまう。しかし大きくなった鉢を家に入れるところも無いので、夏から枝先を20pくらい切って、何本かガラス瓶に挿しておく。葉っぱはそのまま元気に暮らし茎の下の方に小さなつぶつぶが出来るとそこから根が出てくる。丁度ヒヤシンスの水栽培みたいなので、学校の夏の自由研究に良いと思ったのだが、生物嫌いの甥や姪から拒否されてしまった。こうして出来た苗(?)を冬に枯れた鉢と取り換えていくのだ。

いつでも水ざしをしておくと枯らしたからと知り合いが持って行ったりしてあちこちに増えるはずなのだが、なぜか植物にも相性と言うものがあるらしく、根付かないことも多い。家でも他の木立ベゴニアの白花が欲しいなあと思うのだが、中々めぐりあわせがなくて実現はしていない。息子は「一期一会の精神だ」といって、見かけたらすぐ買わなくてはというのだが、園芸店そのものが無くなってしまってはどうしようもない。

秋風に銀の斑点きわだちて木立ベゴニア不安げな赤  多香子
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2014/9/19

秀歌(37)宮柊二G『緑金の森』『白秋胸像』  秀歌読みましょう

これまで宮柊二の歌集を少しずつ紹介してきたが、残る三集を今回は二つ、最後に真ん中の『純黄』を読もうと思ったのは、単に量の問題であるが、三集が柊二死の年の昭和61年567月に、妻の英子の編集によって刊行されているからなのだ。作品は第10歌集『緑金の森』が昭和53年〜55年第12歌集『白秋胸像』が昭和59年〜61年の柊二65歳〜72歳までの最晩年の歌である。
それまでも病を抱えながら頑張ってきた柊二が前集『忘瓦亭の歌』刊行の頃には脳梗塞などで大きなダメージを受けた。歩行、発音などにも不自由を感じ人手に頼ることも多かったろうが、作歌の気持ちは(数は少なくなっても)萎えず、この三集他の作品群を残すことが出来た。生活面での妻英子さんとお嫁さんの献身があり、淡々と解説を書いておられる高野公彦氏の存在もあったのではないかと思われる。

『緑金の森』
頭を垂れて孤独に部屋にひとりゐるあの年寄りは宮柊二なり

春晩く五月のきたる我が郷(くに)や木々緑金(りょくきん)に芽吹きわたれる

パタングウ大姉と名告り夜も寝ねず看取りてくるる妻に感謝す

母のごと妻が恋しも見舞妻去りてひと日のいまだ経たねど

苦しみて歌つくるわれ楽しみて歌つくるわれいづれぞわれは

『白秋胸像』
わがために咲きし桜か見まく欲り車椅子をば妻に押さしむ

城ケ島に白秋先生恋ほしけれめぐれる潮のかくもかがよふ

あつき夏の空となりたり仰ぎつつ若く兵なりし山西省おもふ

ハレー彗星は刻々接近するといふぬばたまの宇宙のまほらの闇を

素足にて土を踏みたし霜荒れの昭和61年の新しき土を

この十首の中にも三首妻英子さんを詠っている。以前当然のように振る舞っていた家長としての柊二が、妻を頼り感謝している姿は私達には好ましいが、妻からすると哀しい姿かもしれない。30年前に私の父が脳出血で全身不随になった時の母の献身的な介護の姿がオーバーラップする。そして東京のビル暮らしで病院生活は嫌だと思う私は、家に帰りたいと思っても土を踏みたいとは思わないだろうが、9階の病室で「土を踏みたし霜荒れの」土を思う柊二は新潟の生まれで、その風土は寒い荒れた土だったのだろう。
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