2014/10/29

童謡「砂山」  短歌

大抵の人は(若い子でも)「砂山」の歌は知っているに違いない。そして曲が二つあると言うことはあまり知られていないかもしれない。ある程度の歳の人は中学や高校の音楽の時間に長調の弾むような曲と短調の物悲しい曲を習っただろう。
作詞は北原白秋。いずれ私は白秋のうたや詩について書いていくだろうと思うので、思い出深い童謡を選んでみたのだ。白秋は大正11年新潟を訪れ、新潟師範の講堂で講演したときに音楽を演奏した子供らに約束して、この歌詞を作ったと言う。その年に中山晋平が作曲して(長調)9月新潟に送られたと長田暁二氏の「美しき日本の歌」解説にある。短調の山田耕作の作曲は翌12年だそうだ。
まず、白秋の詩を

(1)海は荒海 向こうは佐渡よ
  すずめ啼け啼け もう日は暮れた
  みんな呼べ呼べ お星さま出たぞ

(2)暮れりゃ砂山、汐なりばかり
  すずめちりぢり、また風荒れる
  みんなちりぢり、もう誰も見えぬ

(3)かえろみえろよ、茱萸原(ぐみわら)わけて
  すずめさよなら、さよならあした
  海よさよなら、さよならあした

三番の歌詞の「ぐみわら」を私は例によって「麦わら」だと思っていた。茱萸の原っぱを掻き分けてと言う意味にとれなかったのは教科書に三番まで載っていなかったのだろうか。今白秋の詩だと思って読んでも子供にも分かるような優しい言葉と風景描写の(日本海の荒海の)適切さが心地よい。しかしこの歌は曲がついてよりよくなった例であり、二つの作曲がともに良いと言うのも珍しい。
多分小学校か中学で長調の中山作曲を習い、高校ぐらいで短調の山田作曲を習ったと思う。山田耕作は「からたち」などで転調という歌いにくい、しかし西洋と日本の融合のような曲を作ったが、この「砂山」は裏日本の暗さ、日本の哀切を出して俗に落ちていない所がとても好きだった。若い間は山田耕作の「砂山」が何倍も好きと思っていたが、大人になって年を経るとどちらの曲も秀作であり、同じくらいに歌詞を生かしていると思うようになった。

どこまでもつづく砂山日は暮れて二人につらきさすらいの星  多香子
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2014/10/24

「NHK短歌」11月号  NHK短歌

遅い台風の後、急速に秋が始まり、時間も飛ぶように過ぎています。
ここ数か月N短はさっぱりだめで、「うたの日」とか折本とか若い人に交じっているのが、もしかして良くないのかしらなどと嘆いたりあきらめたりしていたら、11月号で二首佳作にとってもらえました。「胸キュン」以外ではほぼ一年振り位かしら、自分ではNHKには少し大人ぶって詠むようにしていたのに、今回の佳作はどちらも今風の詠み方だなーと複雑な思いもしました。
二年位前には写生を前に据えた堅い詠みをしていたのに、と振り返って気付くことでもあります。何にしてもとても嬉しくて「選者さまさま」になってしまいます。素直にありがとうございます。

小島ゆかり選佳作「開く」

マグノリア白き両手を開く夏むねのつかえがとれて涼やか 

永田和宏選佳作 「持つ」

金の斧と銀の斧持つ女神きて夢の中だから大丈夫と言う  

マグノリアの歌は七月のこのブログでも泰山木と詠ったころの投稿で、マグノリアでも何首か詠んでいました。白い大きな泰山木の花が両手を合わせた形に開いていくことから詠んだのだと思い出します。
斧を持つ女神は例の正直者の樵の話から、夢の中にしたのでとうてい採られるとは思っていなかったけれど、すんなり出来て好きな歌だったからこれも嬉しいです。

そして、四月から筆名を苗字+多香子にして投稿していたのですがそれから初めての佳作なので、テキストに筆名デビューしたような気持になって「やった」と思っています。(これまでは本名で出していて「胸キュン」は多香子で出しているのですが)ネット上ではやっぱり多香子のままなんでしょうけれど、筆名で歌集を出すのが目標なのでやがては○○多香子です、といえるように頑張りたいです。
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2014/10/19

仙石原(箱根)の芒  短歌

秋も深まってくると、高原に行きたい気持ちも納まってくるのは、都会の中でも風が涼しくなり、クーラーや扇風機がなくても気持ちの良い時を過ごせるようになるからだろうか。でも一叢のすすきなら公園にもあるだろうがすすき野原となるとやはり都心ではお目にかかれない。このごろは大きな河川敷に芒やコスモスを植えて、人目を楽しませようとしている所もあるようだが、私の所からはだいぶ離れている。お月見には芒を買ってきて縁側などに飾ったと言うが、縁側のある家が無くなって「お月見さん」もやらなくなった。

すすき野原といえば、東京から一番近いのは箱根の仙石原ではないか。秋になれば色々な広告に登場する有名な場所だが、実は私は仙石原の芒は行ったことがない。箱根と言えば日帰り温泉、と思ってしまう私は(出かけられたころだが)家からは便利な小田急のロマンスカーに乗って、一路湯本に到着。湯本にも立ち寄り湯は数々あったし、登山電車で強羅までの間にも、綺麗な施設から、地元の人用の銭湯温泉まで数多くあって結構楽しんだので、仙石原まで行く暇がなかったのだ。
箱根と言う所は、乗り物の路線が小田急と西武鉄道で別々のルートになっていて、それぞれの一日乗車券が互換性がなかった。いまはスイカやパスモが両方使えるように便利になったのだろうか。以前は仙石原へは、小田急の高速バスが新宿の他とは別の乗り場から出ていて、一回だけそのバスで湿性花園に行ったことがあった。湿性花園は「水芭蕉」が有名でそれは尾瀬と違って四月に咲くため、他の花とは掛けられないが強羅へ降りる時山の枝垂桜を見ることが出来る。紅葉も箱根連山は一色の赤ではなく、だんだらの裾模様のように広がるので、一番きれいな11月にいくようなことになる。そして仙石原の芒は10月だろうから意外とよそに行ってしまう事になるのだ。

母は「芒なんてどこにでもあるから」とあちこち旅行のついでにそれほどの感激も無く見てきたが、とうとうどこへもいけなくなってしまったし、私はそのお蔭でとうとう仙石原の芒野原をさまよう事もなく終わってしまいそうな気がする。仕方がないので、映像を眼裏に呼び起こして歌を詠むことにしている。

帰る家はどこかと心さがしても芒野原にきつね呼ぶのみ  多香子
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