2015/3/31

交野の桜狩『伊勢物語』八十二段  古典(伊勢、源氏など)

『伊勢物語』から、春らしい歌の段を。この交野の桜狩りの話は次の83段の惟喬親王出家小野へ隠遁の悲運の前段階として、全巻の中では後ろの方に位置して、回顧談となっている。この段では惟喬親王と業平、紀有常主従が水無瀬という現在の大阪から山崎の方へ行ったところの離宮に狩をしに出かけ、交野の渚の院のさくらを愛でて狩もしないで酒宴になり歌に興じた楽しい思い出が描かれている。

そこで業平が詠んだ歌が

世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし

この歌は「古今集」にも業平作と出ていて、春になると多くの人が慌ただしい心情を嘆いて引く歌となっている。「ば、まし」によって係り結びの反語となるので、その説明に轢かれることも多い。
この歌に付けた「よみびと知らず」の歌は

ちればこそいとど桜はめでたけれ憂き世になにか久しかるべし

こちらも説明はいらない、当時の現世=憂き世を表した宴席の歌である。
さて、そこを引き払ってまた新たに貰ったお酒を飲む場所を求めていくと、日暮れに「天の河」という所に着いたので、親王に御酒をすすめる。親王の求めに応じて業平が

狩りくらしたなばたつめに宿からむ天の河原にわれは来にけり

(天の川と言う名の所に来たのだから、七夕姫に宿を借りましょう。一日狩りをして日が暮れてしまった)と詠むと、親王に代って紀有常が

ひととせにひとたび来ます君まてば宿かす人もあらじとぞ思ふ

(一年に一度の逢瀬を待っているのだから、たなばたつめは宿を貸したりしないでしょう)と返した。

この主従の麗しく楽しい宴の事は、それほど年を経ていない「土佐日記」にも引かれ、あの「枕草子」にも「川は」たなばたつめに宿からむと業平が詠んだのが「をかし」とでてくるそうだ。私はどちらも読んだはずなのに記憶がないのは健忘が進んでいるのだろう。でも交野というと「伊勢」の中のあの場面あの歌ということは、すぐに浮かんで来るのが「おかしい」。
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2015/3/26

秀歌(46)吉井勇の京都の恋歌  秀歌読みましょう

前に吉井勇の「寂しければ」連作と高知逼塞の話は書いたのだが、その後吉井勇本来の詩情深い耽美的な歌は取り上げないままになっていた。今頃になってというか、春になったのでというべきか、勇の京都の恋歌を紹介することにした。勇の若い時代の鎌倉の歌は「酒ほがひ」にしても真実味があって、半ば本当の恋であったろうと思わせるが、それは夏に書くことにして、朧にかすむような京の祇園での放蕩の歌を並べてみることにする。

『祇園歌集』(大正四年、新潮社刊)

かにかくに祇園は恋し寝(ぬ)るときも枕の下を水のながるる

鳥辺野に夜半に往かむと云ふは誰ささやきかはす舞姫のなか

秋江(しゅうこう)が閨の怨みを書くときを秋といふらむ京の仇し寝

しめやかに時雨の過ぐる音聞こゆ嵯峨はもさびし君とゆけども

月よよし寝じなと云ひし人のため宇治の一夜は忘れがたかり

『祇園草子』(大正六年、新潮社刊)

もろともに葵祭を見にゆかむ薄約束の君なりしかな

宵の口ただひとときの逢瀬だにうれしきものか京に来ぬれば

小夜ふけて角の芝居の果太鼓かなしく水にひびき来るとき

吉井勇は維新以後の伯爵家で薩摩系でも文化的な家柄であったから、早くから歌を詠み明星風な耽美的な抒情歌で一世を風靡していた。この頃の京都での放蕩は、文学的な批判はあびても社会的には普通に男の世界の遊びであった。
これらの歌にモデルはいるにしても、小説の登場人物のように花街の群像として浮かんで来る。そして明星風と言っても晶子の色彩感に比べ墨絵のような濃淡だけの風景が浮かぶのは、勇が男性だからだろうか。三首目の秋江は近松秋江、『黒髪』などで、いわゆる情痴文学作家。
このように書いていても、私は吉井勇が好きで、「伊勢」はともかく「荷風」だ「勇」だという女性は少ないのだろうかと首をかしげている。
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2015/3/21

惜別の歌  短歌

近頃の学生さんはどんなところで宴会をするのだろうか。40年位前には小は寿司屋の二階、蕎麦屋の二階で大型居酒屋はまだ無かったから、旅館の広間などは大人数の宴会に利用されていた。今の若い人の生態は良く知らないので、合コンの様子などテレビで見ると綺麗な物だなーと思う。

むかしは二月三月に「追い出しコンパ」といって卒業生を送る会がどこのサークルでもゼミでも行われていた。もう「バンカラ」という時代ではなかったが、安いお酒をしこたま飲んで大騒ぎをするので、家では父が二時間たつとお開きにするように催促する係だった。会の締めに詠う歌はどの大学でも「惜別の歌」と決まっていて、それが出るまでは終わらないから父は「早くたえかねろ」と言っていたものだ。その歌詞を以下に載せるので「たえかねろ」の意味をどうぞ。

「惜別の歌」

@遠き別れに耐えかねて この高殿に登るかな
かなしむなかれわが友よ 旅の衣をととのえよ

A別れと言えば昔より この人の世の常なるを
流るる水をながむれば ゆめはずかしき涙かな

B君がさやけき目の色も 君くれないの唇も
君が緑の黒髪もまたいつかみん この別れ

実はこの詩は島崎藤村の「若菜集」中に「高楼」として載せられている詩の一部なのである。作中では嫁ぐ姉を送って高楼に別れを惜しむ妹とのやり取りなのだが、学生は「友よ」と旅立つ友を送る歌にしている。元の詩は旧仮名書きで少し違うので、当時を思い起こして私が漢字交じりに歌の文句で書いた。

いま試に「惜別の歌」で検索をしたら曲もユーチューブで聞くことが出来ると分かった。作曲は中央大学の学徒であった藤江英輔という人で昭和二十年ごろらしく、始めは中央大学の学生歌であったものが、私が知るころはどこの大学にも広まっていた。
この高殿とは小諸の懐古園の三の門で、上に上がることができる。流るる水は千曲川で、その景を学生や私たちは思う事も無かったが、哀切な曲に載せた美しい歌詞はみんなの心をつかんだのだ。聞いたことのない方は検索してユーチューブで聞いてほしい。

かの頃は神田川のほとりにもゆめはずかしき別れありけり                        多香子
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