2015/7/31

毎日歌壇 ラリックの硝子  毎日歌壇他

暑い暑いと言い続けた七月後半を終えて、やっと八月に入ることが出来ました。母も誕生日をむかえ91歳になりました。近年の長寿化で91はまだまだなんぞと言って下さる方もありますが、誰も分らなくなっている母をみていると、人間長生きだけが良いわけではないと思ってしまいます。それでも「夏のあついお葬式だけは嫌だ」と家族で言い合って、何とか無事にくらしているのだから、この夏もきっと乗り越えられると思います。

7月27日付の「毎日歌壇」で米川千嘉子選で入選しました。それもまた【特選】でびっくりしました。先月の伊藤一彦選の時から一か月、米川さんにはとって頂けないなあ、と思っていましたので、はじめての入選が【特選】というのはびっくり箱のような物です。歌は

ラリックのうす青色の香水瓶 ひと息ひと息夏の日は過ぐ  河野多香子

(評)ルネ・ラリックの香水瓶を見つつ、香りを日々まとった女性たちの憧れや倦怠や官能を思う。作者自身の日々をも。

私自身は香水をつかわないのですが、ガラス細工を見るのは好きで好きな物の歌を採って貰えてとても嬉しいです。米川さまありがとうございました。

ルネ・ラリックはフランスのアールデコ(20世紀初頭)美術のガラス工房で美しいガラス器をつくった作家。香水瓶はコティから香水を詰めて売り出されたと言う。ガレよりも透明、半透明の乳白色や水色の色合いが美しいと思います。今は箱根に美術館があるみたいですが、私が初めて見たのは庭園美術館の旧浅香宮邸のガラス。そして諏訪湖畔の北沢美術館を訪れた時も、たまたま特別展をやっていて魅せられたものでした。
3

2015/7/26

家の猫G  家の猫

六月の小太郎は、丁度よい気候で事務所にこもってお昼寝が多くなっていた。ある日、私達が居間の方にいると「ポポポ、ポー」と事務所から例の音がして、ああ小太郎がファクスを押したんだと行ってみると、大急ぎで逃げて行った。
よく見ると机の上の棚に置いてある「神だな」のお水が随分減っている。この神棚は、お菓子の桐の箱で制作した簡単な物で、その前に小さなグラスにお水を上げているのだ。
猫には神棚は意味が解らないけれど、上手く飲んだ後叱られると察知したのだろう、逃げ出して知らん顔をしようという魂胆らしかった。

それから毎日、時には日に二度もファックスを登って、その隣の棚を登りお水を飲んでいるので、「ポポポ」という音がしたらそっと見に行くようにした。すると気が付かずにグラスの水をペロペロと飲んでいるのが見られた。私達に気付くと振り返って「みたなー」という顔をして、おりてしまったが、二三回見つかった後で叱られないと分ったのか逃げずに飲み続けるようになった。私達も可愛いので「ポポホ」といったら息子までそっとみにいったりして、とうとう写真も取ることが出来た。(ぼけて写っているので、載せられないのです)

そのファックスというのは、電話の光回線を繋ぐときNTTがおまけに付けてくれた感熱式の単独機だったから、時代遅れでコピーも巻紙に取ったものが時間が経つと消えてしまうと言う代物だった。隣の弟が古いけれどまだ生きている複合機をくれるというので、取りつけもやってもらって七月半ばに取り替えることが出来た。それは上が平らな機械なので、猫が歩いてもファックスを押さずに済むと言うことも考えたからだった。
私達は前の印刷だけのプリンターも捨てて、コピーも印刷もファックスもできるので満足だし、猫も歩きやすくなって喜ぶと思ったのに、その日から小太郎は神棚のお水を飲みに登らなくなってしまった。

台風を猫は知らない寝そべって熟睡(うまい)しているしっぽ ぱたぱた   多香子
3

2015/7/21

秀歌(52)森山良太十首詠から  秀歌読みましょう

今回の森山良太さんは2005年の角川短歌賞を「闘牛の島」で受賞された、鹿児島県の学校の先生(現在の在籍は私には不明)。歌会「華」の代表。
私は角川短歌賞の受賞作品集で「闘牛の島」を読んでみて、さわやかな島の先生と言う印象であったが、現在は県内に在住で、十年経てばもう40代か。中央ではあまり名前を聞かないが、たまたまネット歌友の鹿児島市の方が、一時「良太塾」と言うような歌会に参加して教えを受けたと言うので興味がわいて注目していた。角川「短歌」26年9月号に十首詠を見つけたので、五首を引いてみる。

「夏の朝」
むらさきのブーゲンビリア咲く朝を「痩せましたか」と生徒に問はる

神在りとわれは思はずもし在らばこの不条理をゆるしたまはじ

集団的自衛権より教育に介入をせる首相あやぶむ

経済のゆゑ、子のためにともにゐむ女の肩のエアコンの冷え

ぐつしよりと汗をかきつつ眠る子を抱きあげにけりその身のおもさ

「闘牛の島」では徳之島に赴任しての起き臥しと、離れて暮らす彼女が会いに来るエピソードがからまって、素朴な幸せと若さが描かれていたが、このお歌には年月が経て、人生のかげりとそれゆえの確かな日常が出てくる。
この所の政治的右傾化、去年はまだと思うのに教師故に不安に思う所がつよいのだろう。二首目の理屈のみのような歌にも「うむ」と頷いてしまう。四首目、結婚したのがあの彼女であったかどうかは知らないが、はつらつとした恋の結果このような歌になる時の経過という物を「まあ」と驚くような思いを抱いた。でも、五首目の日常としての子を歌う姿には鬱屈したところは見られないように思う。
5



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ