2016/12/30

今年の述懐  

とうとう今年も終わりになります。この文を載せて一週間の間に年は変り、新年になっているでしょう。
例年の通り一年の述懐を書いてみますが、今年は本当に大変な年でした。年の前半は、思っても見なかったN短の入選が続いたこと、それも「一席」まで頂けたこと。新聞歌壇で小池さんに採って頂いたこと、介護の大変さを労ってくれるのかという嬉しい出来事でした。その振幅なのか八月の母の死、その後の色々な後始末、でもどこかでほっと気の抜ける時間の出来たこと。人間には「いいこと一つ、悪いこと一つ」の繰り返しだと思ってきましたが、今年はそれの「疾風怒濤偏」だったような気がします。
習作歌集「猫と暮らせば」を作ったことも(忘れてしまったのだけど)多くの方に読んでいただき、嬉しい交流が増えたことは忘れられません。

長い一年か短い一年かもよく分からずに年末を迎えました。せっかく時間が出来たのだからと、「毎日文化センター」の坂井・米川両先生の「短歌講座」に申し込み、この27日に中途参加の初回がありました。このことはまたの週に書かせて頂きますが、米川さんの回で、半分以上歌会形式(投票なし、先生の講評あり)だったので、ネット歌会とはさほど違いはないという感じもしました。久し振りにリアル会合だったので、すごく疲れましたけど。
師匠の中静氏も、母を看取ったことを奇特として、かわいがってくださるので今私は来年が怖いくらい良い日々です。

「12月の歌」でも書きました、「うたの日」1000日記念の電子書籍は「パブー」で「うたの日々」と言う名前でご覧に成れます⇒こちらhttp://p.booklog.jp/book/109854ツイッターをやらずに「うたの日」に参加してきたものとして、まるでお礼の言葉も書きませんでしたが、ネット短歌の「場」として凄い物になったなと言う思いと、これからも続いてほしいと言う願いをここに書きとめておきます。

新年は喪中に付きお祝いの言葉は申し上げませんが、今年中のご厚情を(本心から)感謝し、新しい年の皆様のご多幸をお祈りいたします。このブログは金曜更新を原則に(自分に縛りをかけて)しておりますので、新年は六日になります。
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2016/12/23

「NHK短歌テキスト」1月号  NHK短歌

さすがに師走と言うのは師でなくても走ると言うのは本当で、心だけが走り回りそうになります。失敗が無い様に「どう、どう」とたずなを締めても気持ちだけは逸るし、足は遅いし頭まで鈍るのでやることを指で数えて確かめても何かしら忘れてしまいます。それでも時は過ぎて、多分毎年言っているように、お掃除しなくても、何かなくても新年はやって来るのでしょう。

雑誌の発行月が先取りになったのは何時から何だろう。こどものころからそうだから、もっと昔からの習慣なのでしょう。理由は検索したら出てきたが、何時からという事はわかりませんでした。子供の頃は何時発売かを覚えてないと何月号だか分らなくて不安な物でした。(子供の頃は弟たちと一緒に「少年」月刊誌でした。)

その12月中に出るN短「テキスト1月号」胸キュンで栗木京子さんに「もう少しde入選de賞」に採って頂きました。歌は「はさみ」

髪を切る銀のはさみの冷たくて首筋うつす鏡を見つむ  河野多香子

これを出した後、テキストの解説で栗木さんも美容院の鋏のお歌を載せていらしたので、多分駄目だなあ、とおもっていたら採って頂いて嬉しいことです。ありがとうございました。
N短にはネットで知り合った方たちがどんどん載って、顔は見たことないのにネット「歌会」でご一緒したり、勝手に仲間意識を持ってしまいます。時には何首も採られる方に嫉妬したり、自分が取られない時は落ち込んだりするけれど、長い短歌生活の中の彩なのだと思っています。NHK短歌はEテレだから、講座のように4月切り替えなので選者も3月までですが、交代は残念と言いながら色々な選者に出会うのもわくわくする物です。(初めの頃は訳が分からなかったけれど、5年位たったから言える)
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2016/12/16

秀歌(67)俵万智「サラダ記念日から30年」  秀歌読みましょう

今年の「角川短歌」7月号が「30年目のサラダ記念日」を特集していたので、あれからもう30年なのかという感慨を抱いた人も多かっただろう。20代の人達には伝説とか、そもそも知らないと言う人も居るかもしれない。また70代以上の男性の中には「あんなものは認めない」と言う人達もいまだに居るようだ。(今年は〇〇大賞の事で名前が出てきているが、今はそれには触れない)
私はその頃歌は長いお休みの最中、歌集も買わなかったが、話題として取り上げられるいくつかの歌に定型口語短歌の難しさをみて「俵万智」は只者ではないと思った。口語短歌論は別にして、いまや「読売歌壇」選者として若者担当になっている歌人の30年後の「角川新作50首」から8首を引く。あとで書くが、石垣島から宮崎に移動した当座の連作である。

「未来のサイズ」

朝ごとに来る朝刊のみずみずし島ではなかったことの一つに

制服は未来のサイズ入学のどの子もどの子も未来着ている

この町に店構えよきハンコ屋のいくつかありて四月過ぎゆく

仙台の友よ互いに流れたる五年の上流はつながっている

レシピ通りの関係なんてつまらないぐつぐつ煮えるエビのアヒージョ

茜空とうしようもなく「ミキティ!」のようにおまえを呼びたき夕べ

あす会えるあした会えると思う時子を産む前の夜思い出す

ルイ、ルカという姉妹いてプルメリアのように咲いる島を思えり

俵万智は20年位、短歌をやらない人達からは忘れられていたと思う。シングルマザーで産んだ男子と仙台で暮らしていて、あの大震災と原発事故から「子を連れて西へ西へ」逃げて行った時、マスコミにも取り上げられ非難をも蹴飛ばして石垣島に居を求めた。子供が中学生になるのだろう伊藤一彦さんのすすめで宮崎に転居したのだ。連作では子供は寮にはいり彼女は一人暮らしをする。未来への期待と心細さのないまぜになった、でも現代的な母であり、女性である。俵万智はやっぱり不滅だなあと思った。
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