2017/1/27

佐藤涼子『Midnight Sun』  歌集

新鋭短歌シリーズ第三期「書肆侃侃房」の佐藤涼子『Midnight Sun』を読んだ。佐藤さんは塔の若手で、入会二年で塔新人賞という精鋭。この新鋭短歌シリーズは、公募になったはずだからその力を認められての歌集発行であろう。私はクローズのネット歌会で何度かご一緒して私の「猫と暮らせば」も読んでいただいた。歌集のかたちは四六という少し小型のもので、ソフトカバーで手によくなじむ、私の好きな大きさだ。

構成が一二部になっていて、前半は3,11の(作者は仙台在住)記憶と記録で、やはり真に迫っている。が、それが前半に来たために後半に、あれという感じは受けてしまう。今回は前半を「震災詠」として後日にゆずり、後半について感想を述べることにする。歌の風合いに自分と似たものを何首か感じてどうしてもそういうもの(恋の歌?)に惹かれた。ここにまず八首ならべる。

身の内に蛍が疼く 手を引かれ一ノ坂川越えて行くとき

ライラック色のペディキュア塗っていて良かった 口に含むだなんて

君の手で私の名前が銀色に書かれた黒いオルゴール鳴る

豆電球の電飾数本 木造のライブハウスにブルースが這う

初夏のトラジャブレンド濃く淹れて土曜の朝の窓明け放つ

ブルースをしゃがれた声で口ずさみ裸足の女は猫を蹴飛ばす

忘れたい記憶は白い モビールの鷗はゆるく回るばかりで

橋の下を過ぎる小船に手を振った君が乗ってるはずもないのに

歌集の後半は生活と恋の歌である。ある部分は音楽が深くかかわって、都会的な重苦しい雰囲気も出てくるが、「どうしようもないのに」と言っているみたいな恋の歌に、現代の女性のそれでも生活は強い足で歩いていくところが感じられる。そしてところどころに強くにおう性愛の描写は同じ恋を詠っても私には出来ない部分で、ああ若い人には等身大なのだなと思わせられた。
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2017/1/20

椿の思い出  短歌

私が小学4年生のころ、父母兄弟とともに伊豆大島に行ったことがあった。父も母も旅行好きで、子供連れの移動は大変であったろうに苦にもせずに出かける家だった。戦後の復興が下の弟が生まれたころから急に進んで(という感じが今振り返るとするのだ)大島との船便も竹芝桟橋からの夜行便と、下田からの昼便があった。都はるみの「あんこ椿は恋の花」が出るずっと前だから、歌と言えば「波浮の港」で父が好きな歌だった。

私は子供の頃、あまり旅行の好きではない子供だったけれど、大島は椿が有名でそれには一月が見ごろだと冬休みに連れて行かれたものらしい。
竹芝からの船便は夜の出発で、沖掛かりして時間調整をし一晩を船で寝て早朝に港に着くのだった。はじめて船に泊まった私は激しい船酔いで眠ることも出来ず、自分が船に弱いという事を知る羽目になった。そのときから島に渡る旅行を避けるようになってしまった。

よくしたもので、早朝港に着くと(岡田港だったと思う)朝休憩の旅館の人が出迎えに来ていて、近くの「為朝館」という旅館で炬燵に入って朝食を取ることが出来た。その味噌汁で船酔いが大分緩和されたような気がした。たしかバスで島の観光をして、三原山にものぼり(そのころから山嫌いな私はとてもつらかったし、火口は自殺名所だと聞かされて怖かったりした)もう一泊して色々な思い出があるはずなのに、書いたようなよくない思い出が強い。
お目当ての「椿」は咲いていたのだろうけど、そのころ大島にタイワンリスが増えて椿の実を食べて困る話を聞いた記憶しかない。確かにどの椿の幹にも斜めに筋が付いていて、これがリスが齧った跡だと教えられ「悪い奴」と思った記憶は今も残っている。

その時は帰りに下田回りで帰って、他の家族はあとからも大島に行ったが、私は二度と行くことはなかった。大島の名誉のために言っておくが、あれから何十年、熱海からのホバークラフトで短時間で着くし、あの噴火、豪雨被害を乗り越えて温暖な気候の夏に楽しい島になっている。先日亡くなった従妹は、一時住んでいた大島が好きで、遺言で大島の海に散骨をするのだという。そういう思い出は哀しいなりに素晴らしい。

うそつきな栗鼠が大事に水をやる夢の中なる大島椿  多香子
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2017/1/13

短歌講座と「毎日歌壇」掲載  毎日歌壇他

昨年暮れ「短歌講座」の初回(私だけで、四月からの講座に皆さんばらばらと参加されたそうです)に行ってきて、疲れましたが刺激的でもありました。法事以外ちゃんとした会合は十何年振りだったので、緊張しておとなしく先生の話を聞くのだと思っていたのですが、歌会形式で(欠席の方もいて九名でした。)二首ずつ割り当ての歌に感想を述べ、作者が歌の趣旨を述べて先生が講評をする、という形式でした。

「入門講座」なので初心の方が半分くらい、若い方はお一人でお年の方が多いです。夜の教室のせいか一時間半なので、時間が足りなくて、先生の講義は10分ぐらいしかとれず(梅内さんの歌集でした)その点が良くないような気がしました。近頃言われる「読み」が出来るようにという事でしょうけど、短い時間では先生の講評だけでいいように思いました。私に喋らせると余計なことに長くなりますから。
終わってお二人の方とお茶をして(別々の結社におられる方でしたが)初回から楽しかったのは、また別の収穫でした。

昨年の12月26日付「毎日歌壇」米川千嘉子選で一首掲載されました。

マルメロの通りを行けば病院の入り口にまたコンビニ出来る  河野多香子

お終いから二番目(毎日は特選一首と入選10首)でしたが、米川さんは半年ぶり位です。この歌は母の最期の入院した病院の「売店」が廃止されて入口にコンビニが出来てびっくりしたことを詠ったものです。家の周りもコンビニだらけですが、病院の売店までコンビニになってどうするのだと思った事でした。米川さま、ありがとうございました。

実は「毎日文化センター」は入会金が70歳以上免除なのです。私は投稿などに年齢必須でなければ書かないし、サバを読んだりしていましたが、五千円も免除になるので「70になりました」と言ってしまいました。そして、ここにカミングアウトすることになりました。まさかそんな婆とは思わなかったそこのあなた、これからもよろしく!
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