2017/3/31

「NHK短歌テキスト」四月号と「うたの日」  NHK短歌

今月はNHK短歌の選者の方々は最終回ですが、テキストは二か月遅れの佳作が載りますからあと一回ありますね。私は四月号では佳作一首掲載していただきました。
坂井修一選「苦しむ」佳作

苦しみの「しみ」の部分がまだここに赤い錨のかたちに残る   河野多香子

坂井さんには講座では批判されるような作った歌なのですが、N短には多分すごい数が集まるので、目を引く歌が採られるのかなと思ったりしました。
ネットでも活躍している若い人たちは何年かするとN短を卒業していきますが、私のようにもう年だしなという無所属は新聞とともに楽しい投稿の場と考えています。

「ジセダイタンカ」の頁で天野慶さんが「うたの日」の紹介をしてくださいました。N短テキストにも「入選、佳作」ざっと数えて(本名で出していてわからない人もいますが)20人は「うたの日」に参加した人がいました。「うたの日」も1000日を越えて、大きな板になりました。何だか巨大掲示板とよばれた〇〇が凋落して行ったことにかさねて危惧するようなことも起きたりしました。
ツイッターの出現で(私はやらないけれど)広がった短歌クラスタが初めから長いスパンの流行ではないような思いでいることに(??)と言う気持ちでいたのですが、いまや新しく入って来る人達には「運営」が存在することとか「場を借りている」感覚が無いのかもしれないとあきれて見ています。でもせっかくの「場」なので長く続いてほしいと思っています。ちなみに天野慶さんは村田馨さんの奥さんでウィキをみれば書いてあるのに、ついこの間まで知らなかったと言うクラスタもいて(笑)でした。(短歌界は夫婦歌人の方々は多いですね)
四月号のテキストには「ペインクリニック」で香川ヒサさんが、いろいろ良いことを書いてらっしゃるので、読んでほしいなあと思いました。
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2017/3/24

「毎日歌壇」「読売歌壇」掲載  毎日歌壇他

先日知り合った方が「短歌」を始めようと思ったのは、実家に一人になった母上がずっと地元の短歌会で歌をやっていたことを、改めて考えたからだと話してくれました。自分が同じ趣味を引き継いで行ったら、高齢になった親が喜ぶということだと私は理解しました。
私が新聞投稿を始めたのは「結社」に入るのには年だし、好きな歌人を選んで投稿し読んでもらえたらと言う気持ちでしたが、採用されると嬉しいという事も知って嵌った所もあります。その方も、だんだん力が付いたら実家で取っている新聞の歌壇に投稿し、母上に読んでもらったらとてもいい親孝行ではないかと思います。新聞歌壇にはそういう効用もあるなと思いました。

3月6日付「毎日新聞」歌壇、伊藤一彦選で採って頂きました。伊藤さんは去年夏以来でずいぶん経ちます。一番しっぽで掲載されました。

桃の花笑い続けるその家に新しい人引っ越してくる  河野多香子

春は移動の季節で卒業、入学とあるけれど、桜の季節より少し前の桃の季節に引っ越しはするのかしらと思って。

3月13日付「読売新聞」歌壇、栗木京子選で、三席に採って頂きました。

冬の間の相棒だった手袋を春の香りの洗剤で洗う   河野多香子

評】仕上がったあとに芳香の残る洗剤が増えている。香りの種類も多種多様。季節感をまじえながら詠んだところがみずみずしい。

新聞の栗木さんには先月ぐらいから投稿をはじめて、初めての採用です。もうじきN短の選者が終わるので、淋しいような気がして、じゃあと思って投稿を始めました。「相棒」はもちろんテレビ番組のあのファンです。読売は三席まで選者評が付くのが嬉しいです。伊藤様、栗木さまありがとうございました。
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2017/3/17

3,11のあと『Midnight Sun』再び  歌集

前に佐藤涼子さんの「Midnight Sun」をご紹介した時、前半部分の「震災詠」は改めてということを書いたが、私にとっては心の中にぐちゃぐちゃに詰め込んで解決のない「原発事故」のことを思うと、手を引っ込めてしまいたい気持ちにもなってくる。沼尻つた子さんの『ウォータープルーフ』米川さんの『吹雪の水族館』とからめて震災詠と言う物を書いてみようと思ったのだけれど、このブログの許容スペースを越えるだろうし伝えられる物でもないのだろうとおもった。

佐藤さんには前半はもう一度書きますと言ったので、『Midnight Sun』について少しだけ書いてみようと思う。震災時の緊迫した歌は何人もの方が取り上げてらっしゃるし、解説の江戸雪さんも「被災していない自分が」と書かれているように一時東北のフクシマの人でなければ詠んではいけないと言う風潮もあった。そして3.11から六年「風化しないように」といいながら「なかったことのように」飼いならされようとしている私達に、ぽつりぽつりと「原発」のニュースが齎される。でもそのニュースに関心を持つ人はどれほどだろう。
(1)より七首を引く

電気復旧「心のケアとか言う前に米と水だよ」テレビにぼやく

数量計の数値は一応見るけれど前へ行くしかない東北道

三月は踏絵のようでやすやすと踏んでしまえば良いのだろうか

五年目の一斉捜索 私の時は五日経ったら忘れて欲しい

「フクシマ」の表記の是非の話には口を出さずにカフェラテを飲む

時が解決すると言う嘘 逆さまのスノードームに雪を降らせる

泥舟をいつ降りようと勝手だが船は揺らすな みんな沈むぞ

これらの歌は、ポツンポツンと離されて、3.11の被災の様子のなかに埋め込まれている。ひねくれたような詠い口は作者の受けた衝撃の表れと読み手はとるだろう。でもそれだけだろうか。

私は原発問題は「フクシマ」の問題ではなく、日本の、地球の未来の問題なのだと大きな声で言いたい。しかし何かが私に警告を発している。大逆事件を見た荷風が「花火」を書いて戯作者宣言をしたように私たちは歌にかすかな思いを沈める方法しか残らなくなるのかとも思う。「炎上」という言葉があって、それは突然燃え上がることがあり、私の指は言葉を選び迷いつづける。
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