2017/4/28

五月人形と「毎日歌壇」掲載  毎日歌壇他

五月の節句「子供の日」は祝日だけど、お雛様に比べて五月人形はすこしいかめしく華やかさが足りない。昔は長男が生まれると、大騒ぎで鯉のぼりに兜や金太郎、鍾馗さんなどの人形を買ったり贈られたりしたものだけど、いまは男女どちらも飾る場所が無くて、売る方も鎧兜の良い物に力を入れているようだ。
家は弟の誕生の時でもまだ物は出回らず、初節句に親は古物屋さんに行って何かあるかと相談した時「これはさる御大家の坊ちゃまが立派に成人遊ばしたので、戦火にも焼けずこのような時代なので手放されたものです」と言う品を勧められて買ったのだ。それは中ぐらいの兜と、子供の遊びが出来るくらいの小刀、弓矢のセットに、背景として小さな陣幕が周りを取り囲む(その陣幕にも毛槍が立っていた)古びて立派な物だった。親も私達子供も「さる(猿)の五月人形」と呼んで喜んでいた。

4月3日付「毎日歌壇」米川千嘉子選で一首とって頂きました。

「ああ母が好きな野蒜」と封じたる記憶戻り来る朝の食卓   河野多香子

母のことを詠まなかった訳ではないけれど、これまでなぜか採られたのは一二首でした。私も作者=主体とは考えない人なので、むしろ本当の事を詠っても実感が薄い歌なのかとか思っていました。一度年齢をここにも書いて、「短歌講座」に顔出ししてから、すこし歌が年を取ったと言うか(自分ではそれが望ましい事ではないのだけれど)母の歌が初めて米川さんに採られて嬉しいです。
私の投稿は「野蒜」だけの括弧でしたが、手が入って初句から二句への心の中の会話文となっています。

4月24日付「毎日歌壇」でも米川さんに一首とって頂きました。

家電たち古びてくれば喋ってる事も本当なのかと怪しむ   河野多香子

一番最後の掲載でしたが、これも本当に家の冷蔵庫やお風呂は喋るし、洗濯機はピーピーいうしで、洗濯機の中身を測る機能が壊れて、目分量で洗剤を入れたり水の量を手動で変えたりしなければならなくなって、ついに買い替えるようになります。「本当なのかを」としていたのを「なのかと」と直していただきました。以前掲載時の添削の是非がネットでも話題に成っていましたが、さりげなく良い状態になっているのは良い事と思われます。ありがとうございました。
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2017/4/21

吉川みほ『行き先の思い出せないバス』  歌集

今回ご紹介する『行き先の思い出せないバス』(フラスコ書房)は「うたの日」などでご一緒した吉川みほさんの歌集である。その出版形態が「電子書籍」+「オンデマンド出版」という、いま始まりつつある、私にはよく分らないが興味ある形なのだ。電子書籍はかなり広まったとはいえ中々出版界に定着しないようだし、「本の手ざわり」を求める人には「オンデマンド」で安価なものを手に出来るのはいいことなのだろう。「流通経済」の面となると中々ややしこしい事だろうけれど。

吉川さんの来歴はよく存じ上げないのだが、兵庫在住のネット古書店をやっていられる方。短歌はまだ二年ほどの「短歌クラスタ」で「うたの日」400日連続出詠を記念してこの本を作られたと言う。(結社10年で第一歌集が普通)私はびっくりして大丈夫かなあと恐る恐る読みはじめたが、危惧は裏切られ、一定以上のレベルを保つ歌で彩られていた。まず9首を引く

『行き先の思い出せないバス』

行き先の思い出せないバスに乗りほらまたひとり迷子になった

カーテンは脹らむ朝の風を受け動き始める今日という船

海と空のすべての青を閉じ込めてボトルシップが永遠をいく

蜂蜜の流れる速度で進む船 夕陽とともに海に溶けゆく

白昼の点景が陽に揺らめいて本当にバスは来るのだろうか

ああそうだクジラだったと思い出す バスは大きくカーブしていく

遊星の一つに降り立つ心地する私と駅員だけのホームで

噴水が花に埋もれて目を閉じるどこにも行けない舟の姿で

天の水ただ受け止めて一年の船底に満ちる紫陽花のはな

題名にもなった一首目は記念すべき「ドンマイ」の歌だそうで、私も歌は置く場所によって表情を変えると思っているのでこれは「成功」だろう。これによって「乗り物」「流れるもの」「運んでいく物」というテーマが構成された。私もこの9首を「船」を中心に選んでみた。現代の揺蕩いを詠うのは、今主流だけど言葉の使い方の優しい人と思った。
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2017/4/14

木蓮の思い出(「狸御殿」と共に)  短歌

このごろは街路樹にピンクの木蓮が植えられたところもあって、三月末から四月にはピンク色の風が吹いているような街があるけれど、昔は木蓮は白と紫で、奥山はともかく街ではお屋敷の庭かお寺の庭などに見られるぐらいだった。私の父は世田谷の下北沢の出で、いま若者の集う街になっているが戦前は農村の中に小田急がひけて急に住宅が出来たところだった。忠臣蔵の敵役「吉良」の知行地で代官以下「田中」姓、ほかに飯田、月村などが居て、八幡様と旦那寺が今でもある。
そのお寺の由来は後記にして、その境内に大きな木蓮の樹があった。咲いていた記憶はないのだけれど父がよく「狸御殿のようだ」と言っていた。父は渋谷へ行く坂の途中でたぬきの化けた満月を見たことがあるとも言っていた。私はそのお寺の鬱蒼とした杜が怖くて、なかなか行かなかったけれどいつごろか火事になってその木蓮も焼けてしまい、本堂なども建て直したら随分あかるくなった。

小学生の頃何で見たのか「狸御殿」の映画の一部がとても記憶に残っていたのは、そのオペレッタのような映画の舞台装置の真ん中に大きな木蓮の木が据えられていたからだと思う。思うと言うのはかなり小さくてあらすじも何も分らず、父親に「あれは何」と尋ねたら「木蓮だよ」と教えられた記憶があるだけだからだ。父は「狸御殿」が大好きで、よく話題にしたものだった。今調べてみるとウィキなどでもあらすじはなくて、上映時期と配役を考えると、戦前製作の「歌う狸御殿」か昭和29年の「七変化狸御殿」ではなかったかと思う。
戦後の一時期は戦前製作のものが上映されることは多かっただろう。配役と言うのはタヌキの若殿様が宮城千賀子だったと記憶があるからだ。
それ以来木蓮の写真や絵を好ましく眺めながら、お寺の木蓮も無くなり身近には無い物と思って暮らしていた。大人になった時「北鎌倉」の駅に降りて目の前の家の庭に白と紫の木蓮を見つけて、声が出るほどうれしかった。

去年テレビで舞台の「狸御殿」を中継したので、やっと筋書きが分かったけれど、今のカラーのきれいな舞台は幻想とは違って、面白かったが私の記憶を裏付けてはくれなかった。

街路樹のピンクの木蓮花咲けばリボンでくるんだようなわが町  多香子
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