2017/6/30

「NHK短歌」テキスト七月号  NHK短歌

今年は空梅雨だとか水不足だとか言われているけれど、そういう事は何度もあって、今まで何とか凌いでこれたのだなあと思います。
確かに北の丸の紫陽花もなんだか花付きが悪いような気もしました。梅雨の終わりには必ず豪雨になって、被害も大変なのだけどすぐに忘れてしまって、あのヘリコプターに吊られて救助されたのはいつ何処のことだったろうなどと思うのです。

四月交代のN短は、永田和宏、大松達知、黒瀬可瀾、佐伯裕子(胸キュン)各氏で、もう三ヶ月経ちました。私が投稿始めてからも永田さんが二回目、佐伯さんも何回も胸キュンを担当されているのですが、大松さん、黒瀬さんは初めてです。選者にはご自身の歌風と、選歌の他にその媒体の希望と言う物もあるのかしらと思うのは、N短が全国放送であり、老若男女、津々浦々に浸透したいと言う感じを受けているからも知れません。

テキスト七月号の「胸キュン」佐伯裕子選「深い」で佳作に一首採って頂きました。

木苺の赤より深い馬の目よ 今日一日をきみは元気か   河野多香子

佐伯さんは平成24年に「胸キュン」が始まって初めて佳作に取って頂いて以来、何首か佳作で「風信子」の筆名で載っています。途中梅内さんの時か「多香子」になって、栗木さんから「河野多香子」と苗字付にしました。1〜3週の選者さんには前から苗字付筆名です。

「胸キュン」はネット投稿だけと初めは若い人を想定していたらしいのですが、五年経った今佐伯さんが復帰して(また一年交代かもしれませんが)「若い人だけでなく、年の人の新鮮な歌も」求めていると書かれているのは心強いです。でも「うたの日」の人が々毎月どの欄にもづらりと並んでいるのは、N短自体が若くなりつつあるように思われます。
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2017/6/23

「毎日歌壇」掲載  毎日歌壇他

15日「共謀罪」が強行採決されて、その日の朝刊の黒々とした一面の太字を見た時、70年安保の時の「唐獅子牡丹」の流行、その後の無力感に「アカシアの雨の止む時」が流行った事などをしみじみと思い出した。
懐古ではあるけれど、その頃は何かを思い行動することによって、その後の挫折が有ったのに、今はなにもしないうちに手も足も出せなくなっている。「抒情」というものは折れた翼の上に描かれるのだという事を、もうあの頃を知らない世代に伝えなくていいのか、という思いと、どうせ伝わらない気持ちとが同居している。

ベランダに青紫蘇がさやさやと葉を広げて、「鯵の紫蘇巻フライを食べましょう」とささやいている。私たちは太ったブタとなる。

6月13日付「毎日歌壇」米川千嘉子選で◎特選に取って頂きました。

なにもかも見て来たけれど言えなくて国会前庭に立つ時計塔   河野多香子

【評】「時計塔」は<私>でも<人々>でも<時>そのものでもあるか。昨今の国会や政治に対する憤りと不安が滲む。

私自身も社会詠のつもりでしたし、今まで中々社会詠では取られなかったので、時期がちょうど合ったのだと思いました。評もとてもこちらの気持ちと合うものでした。「国会議事堂前、時計塔」で検索していただくと写真が出てきます。でもウェストミンスターの時計塔などとは違って、あまり知られていないのかもしれません。鬱屈は晴れないけれど、嬉しい事でした。米川さんありがとうございます。
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2017/6/16

唱歌「桜井の決別」  短歌

私は右も左も無く、かなり中道的な人間だと思っているのだが、「歌」の世界となると何でもよくなるところがある。「桜井の決別」というのは楠正成が湊川の戦に行く前、息子正行に南朝の後を託して出て行く話で、戦前は愛国忠臣の話として「修身の教科書」的な所があった。
私は勿論戦後生まれだけど、親たちが歌うし大人になって井上ひさしの「青葉茂れる」などが出ると、つい口ずさんでしまう事が多かった。それでも一番の途中ぐらいまでしか覚えていなかった。「美しい日本の歌」に全歌詞が載っていたので、二番までを引く。

「桜井の決別」作詞 落合直文 作曲 奥山朝恭

@青葉茂れる桜井の 里のわたりの 夕まぐれ
 木の下陰に駒とめて 世の行く末をつくづくと
 忍ぶ鎧(よろい)の袖の上 散るは涙かはた露か

A正成涙を打ち払い 我が子正行(まさつら)呼び寄せて
 父は兵庫に赴かん 彼方の浦にて討ち死にせん
 汝(いまし)はここまで 来つれども
 とくとく帰れ 故郷(ふるさと)へ

明治23年作曲、全15章の内6節に「桜井の決別」という題をつけて、明治36年に文部省唱歌となったものという。落合直文は「浅香社」を興し歌人、国学者として多くの近代歌人を育てた。歌に平易な日本語を用いたとあるが、今の人にはどこが平易?となるだろう。

正行はその後南朝をしょって戦うが、はっきり負け戦と分っても忠義のために死地に赴く。私はそういう無駄な事は好きではないが、正行が後醍醐天皇の御廟の如意輪堂の壁板に書きつけた辞世の歌を読むと名(義と名誉の)を残したい思いに泣ける。

かへらじと かねて思へば 梓弓 なき数にいる 名をぞとどむる 正行
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