2017/11/24

菊祭りと「毎日歌壇」掲載  毎日歌壇他

千代田区と文京区の境は御茶ノ水の神田川なのだけど、神田明神は千代田区が飛び出したようになっています。そして文京区になる「湯島天神」の境内で毎年11月に「菊まつり」が開催されます。以前には月の初め二週間ぐらいだったのを「七五三」のお参りが土日ごとに行われるので、このごろは最終日曜までやるようになりました。

もともと湯島天神は境内が狭く受験生で混む初詣などは大混雑になるほど、受験の絵馬やご祈祷を戦後いち早く行って有名になるなど商売上手な神社なのです。(狭いので結婚式場を持たないのが難点かもしれない)菊は二本松の傘作りなどを取り寄せ、周辺の企業の協賛で企業名ブースをつくり、それで開催しているので無料の割に中々見どころがあります。
菊人形は一ブースで、いつも大河ドラマの一場面(今年は「直虎」の三体の人形)を出していました。二本松の菊人形は料金も高く、その分お城の中に素晴らしい舞台が構成されているので比べるのは無理なのだけれど、近くて無料の「湯島の菊まつり」はなかなかなものです。

11月20付「毎日歌壇」米川千嘉子選で菊の歌一首掲載されました。

湯島では神社谷中は寺内(てらうち)で菊祭りみる秋日和なり   河野多香子

この「谷中の菊祭り」と言うのは、漱石の「三四郎」の中にも出てくる有名な物だったのが、すっかり廃れていたのを30年くらい前に復活したもので、根津神社の方かと思ったら、「大円寺」(鈴木晴信「笠森おせん」の碑がある)境内と言う事でした。それで神社でもお寺でもやるんだなあと思った歌でした。米川さまありがとうございました。
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2017/11/17

秀歌(73)正古誠子「角川短歌」10月号より  秀歌読みましょう

正古(しょうぶる)さんとは去年「不識書院」から第二、第三歌集を続けて出された時、師匠の事務所でお会いしてお茶をのんだことがある。もともと岡野弘彦の「人」から、俳句のかたと二人誌「言葉」をはじめて、後ひとりで「言葉」の代表。岡部桂一郎のサロンにいて、その後思いついて来嶋靖男氏のカルチャー教室に通い続けているという。難病を持っているため、師匠もいつも心配しているけれど、それゆえの気丈さを持っている方にみえた。「角川」10月号にお見かけしたので、12首詠から六首を引く。

「雑木々もみぢ」

翡翠は水面に信ぶる細枝に瞬時に飛び来る日差しあつめて

子規 節(たかし) 黄泉継ぎおほよそ五十年しみに思ほゆ彼らの享年

餌皿に背を立つる猫に言ひ聞かすをさなき我が言はれしやうに

宰相の言葉浮遊す 聴く人の深き嘆きにすべなく距たる

欧州に二度の敗戦経て残るドイツはコールをメルケルを育てし

雑木々のもみぢを抽きて立つ槻の黄朽葉色の枝のひろがり

五首目は先年ケストナーの跡をしのんでのドイツ旅行(歌集「卯月の庭」に詳しい)以来のドイツ良しの想いがあるように読める。(私もかなりなケストナー好き)六首目も来嶋氏の「槻の木」との関連を思わせる。第二歌集「のこるおもひを」では昔をしのんで柔らかい恋の歌が良かったのだけど、その後地味に落ち着いた歌が多くなったようだ。
私が興味を持つのは「短歌界」のなかで独自の路線を歩きながら「カルチャー」という(一般にはおけいこ事のようにおもわれる)場で師に近い人に出会い、続けていくという道である。それは今私が歩きつつある道でもあるから。
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2017/11/10

「ライトアップ」  短歌

若いころ「夜景」などというと高い所から遠く下界の街の明かりがまたたくのを眺めるだけで「夜のデート」をしている感じにとてもロマンチックな気分になったものだ。今はと言うと街中に灯りは満ち満ちて、東京では高層マンションから、スカイツリー、橋という橋がライトアップされて光り輝いているような気がする。

あの、3,11の後の原発事故で、電気が足りなくなる、(原発が全停止していた時期だったので)自然再生可能なんたらと騒ぎまくっていた。あれから六年の間にも(その直後でさえ、電気は使えたし製造業は海外移転が進んでいたからか、悲劇的な話は別のところにあったように思う)政権の思惑、電気事業者の思惑などがじわりじわりとあぶりだされながら、結局私たちは「何も言えずに」騙された振りを続けなくてはならなくなっている。今の政権は不都合を作り出した元なのに、考えを改めることなく突然の「総選挙」その結果を「承認委託」されたと言い張るだろう。

ライトアップと言うのは塔だとか樹木を照らすことで幻想的な時間を持つことができるのだけど、亡母は昔から「樹がかわいそう」と嫌っていた。たしかに生物に必要以上の光と熱を与えるのは、感心することではないだろう。そこへLEDライトというものが出来て、「樹は可愛そうじゃない」ことになった。理系でない私はそれでも多少のエネルギーは使われているのにとか思うのだけど。年を取ったせいなのか、夜は遊び歩かなくてもどうということはない。でも、家に居れば見ないテレビをつけ、インターネットも繋ぎ、スマホの充電もする。なにもあんなにライトアップをしなくてもと思いながら、気が付くと(原発が止まっていても、代替エネルギーが確立されなくても)電気は日々使えるし、生活で来ているではないか。
どうか原発も零になり、日本の野山が太陽光発電で覆われませんように(ここ重要)と祈っている。

樹の伸びる音聞きたいと樹の幹に寄ればささやく死者の木霊が     多香子
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