2018/1/5

1月の歌 北沢郁子『満月』より  歌集

新しい年の初めの月の歌は改まった品格のお歌がいいと思います。三年前に北沢郁子さんの「道」から新年のお歌を引かせて頂きました。今年も昨年末に出された第22歌集『満月』(不識書院刊)から、新年らしいお歌を並べることにします。
北沢さんも90をいくつか越えて、多くの歌集をお出しになりずっと落ち着いた清冽な歌風であっただけに、師匠もこの歌集には力を注いだ結果とても品の良い仕上がりとなっています。

イタリアの白き花瓶を送りくれしむかしの人の賀状とどきぬ

新年の服ととのへて紋付き鳥挨拶に来しと喜びて言ふ

風に揺るるカーテンの陰のシクラメン幸せといふべき図柄となさむ

暖かき陽差しよろこび笑ひ合う欠けたる前歯それはそれとして

鳥獣戯画の兔の踊る白き皿に盛りたるは菜の花の和へもの

ダヤンといふ猫のキャラクター大き眼を吊り上げこの世の悪を見てゐる

あといくばく残る思ひに付けて見る真珠のネックレス首に重たく

私は若い方の口語歌も好きですし、自分も飛び跳ねたような歌を詠みますが、年を重ねてなお力のある歌人のお歌は本当に手を差し伸べてくれている様な気がして心打たれます。
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2017/4/21

吉川みほ『行き先の思い出せないバス』  歌集

今回ご紹介する『行き先の思い出せないバス』(フラスコ書房)は「うたの日」などでご一緒した吉川みほさんの歌集である。その出版形態が「電子書籍」+「オンデマンド出版」という、いま始まりつつある、私にはよく分らないが興味ある形なのだ。電子書籍はかなり広まったとはいえ中々出版界に定着しないようだし、「本の手ざわり」を求める人には「オンデマンド」で安価なものを手に出来るのはいいことなのだろう。「流通経済」の面となると中々ややしこしい事だろうけれど。

吉川さんの来歴はよく存じ上げないのだが、兵庫在住のネット古書店をやっていられる方。短歌はまだ二年ほどの「短歌クラスタ」で「うたの日」400日連続出詠を記念してこの本を作られたと言う。(結社10年で第一歌集が普通)私はびっくりして大丈夫かなあと恐る恐る読みはじめたが、危惧は裏切られ、一定以上のレベルを保つ歌で彩られていた。まず9首を引く

『行き先の思い出せないバス』

行き先の思い出せないバスに乗りほらまたひとり迷子になった

カーテンは脹らむ朝の風を受け動き始める今日という船

海と空のすべての青を閉じ込めてボトルシップが永遠をいく

蜂蜜の流れる速度で進む船 夕陽とともに海に溶けゆく

白昼の点景が陽に揺らめいて本当にバスは来るのだろうか

ああそうだクジラだったと思い出す バスは大きくカーブしていく

遊星の一つに降り立つ心地する私と駅員だけのホームで

噴水が花に埋もれて目を閉じるどこにも行けない舟の姿で

天の水ただ受け止めて一年の船底に満ちる紫陽花のはな

題名にもなった一首目は記念すべき「ドンマイ」の歌だそうで、私も歌は置く場所によって表情を変えると思っているのでこれは「成功」だろう。これによって「乗り物」「流れるもの」「運んでいく物」というテーマが構成された。私もこの9首を「船」を中心に選んでみた。現代の揺蕩いを詠うのは、今主流だけど言葉の使い方の優しい人と思った。
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2017/3/17

3,11のあと『Midnight Sun』再び  歌集

前に佐藤涼子さんの「Midnight Sun」をご紹介した時、前半部分の「震災詠」は改めてということを書いたが、私にとっては心の中にぐちゃぐちゃに詰め込んで解決のない「原発事故」のことを思うと、手を引っ込めてしまいたい気持ちにもなってくる。沼尻つた子さんの『ウォータープルーフ』米川さんの『吹雪の水族館』とからめて震災詠と言う物を書いてみようと思ったのだけれど、このブログの許容スペースを越えるだろうし伝えられる物でもないのだろうとおもった。

佐藤さんには前半はもう一度書きますと言ったので、『Midnight Sun』について少しだけ書いてみようと思う。震災時の緊迫した歌は何人もの方が取り上げてらっしゃるし、解説の江戸雪さんも「被災していない自分が」と書かれているように一時東北のフクシマの人でなければ詠んではいけないと言う風潮もあった。そして3.11から六年「風化しないように」といいながら「なかったことのように」飼いならされようとしている私達に、ぽつりぽつりと「原発」のニュースが齎される。でもそのニュースに関心を持つ人はどれほどだろう。
(1)より七首を引く

電気復旧「心のケアとか言う前に米と水だよ」テレビにぼやく

数量計の数値は一応見るけれど前へ行くしかない東北道

三月は踏絵のようでやすやすと踏んでしまえば良いのだろうか

五年目の一斉捜索 私の時は五日経ったら忘れて欲しい

「フクシマ」の表記の是非の話には口を出さずにカフェラテを飲む

時が解決すると言う嘘 逆さまのスノードームに雪を降らせる

泥舟をいつ降りようと勝手だが船は揺らすな みんな沈むぞ

これらの歌は、ポツンポツンと離されて、3.11の被災の様子のなかに埋め込まれている。ひねくれたような詠い口は作者の受けた衝撃の表れと読み手はとるだろう。でもそれだけだろうか。

私は原発問題は「フクシマ」の問題ではなく、日本の、地球の未来の問題なのだと大きな声で言いたい。しかし何かが私に警告を発している。大逆事件を見た荷風が「花火」を書いて戯作者宣言をしたように私たちは歌にかすかな思いを沈める方法しか残らなくなるのかとも思う。「炎上」という言葉があって、それは突然燃え上がることがあり、私の指は言葉を選び迷いつづける。
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