2017/8/25

「伊勢物語 2段」と文法  古典(伊勢、源氏など)

短歌を始めた方で「文語は文法がわからなくて」と言う方が居る。私達「国文」系だったり、古典大好きだとかだと、忘れた分だけ調べれば済むけれど、そうでないと(年をとっても)勉強の仕方が分らないと言う声も聞く。「伊勢物語」二段の一部を原文と訳で少し載せてみようと思う。
二段は、西ノ京に住む女のところに男が出かけて行った。世間一般の女より優れた人だった。以下原文を付けて、訳を並べてみよう。

かたちよりは心なむまさりたりける。ひとりのみもあらざりけらし。それをかのまめ男、うち物語らひて、かへりきて、いかが思ひけむ、時はやよひのついたち、雨そぼふるにやりける。

(容貌も美しいが、心の優れた人だった。一人身の人ではないらしかった(つまり人妻であった)のに通って行って情を交わし、帰ってきて、女の元へ何を思ったのか文を送った。三月の一日で雨のそぼ降る時だった)

おきもせずねもせで夜をあかしては春のものとてながめくらしつ

(起きているとも眠ってしまう事もない状態で、あなたと夜を過ごしたので、帰ってきてから長雨を眺めながら、ぼうっと春のもの想いにふけっています)

私の原典は「伊勢物語精講」池田亀鑑著(学燈社)で昭和37年七版のものだから今では手に入らないだろうが、大学受験参考書と大学の授業用だったのではと思う。今でも有名な古文の受験参考書は作品ごとに出ているだろうと思う。「伊勢」を例に取れば原文の抜粋に、上段か下段に現代語訳。原文の後ろに語句の文法と解釈、そして時代背景などの注釈がついている。
上の二段では「やりける」は文を遣わすことだとか、「ながめ」の掛詞、暮らしつの「つ」は完了の助動詞「つ」の終止形、動詞の連用形に付くなどと書いてある。

歌を始めた人が「文語」を覚えたいので、先人の文語の歌を読んだり書き取ったりすると言うが、私は平の文ごと習った方がずっと身に付くと思う。「源氏」は長くて難解であるが「伊勢」は短くて歌物語だからとてもいいテキストになると人にも勧めている。
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2016/11/18

伊勢物語24段  古典(伊勢、源氏など)

わたしは古典の物語が好きで、特に「伊勢」が好きだけれど、ブログに紹介した回はすこし読者率が落ちるような気はしている。でも、めげずに書いてしまうのは歌をやる人には「古典」も大事という事より私が「好き」だからだろう。
「伊勢」も大分有名な段を書いてしまったが、24段はこれも有名な「あずさ弓」の歌の話である。「むかし男」とはじまるのは伊勢のお約束だが、物語は哀れな女の話である。

男と女は片田舎にくらしていたが、男は都へ勤めに行ってしまう。女は必死に帰りを待っていたが三年が経ってしまった。別の男が結婚しようと何度も問いかけて来ていたのを、ようやく決心して「今夜逢いましょう」と返事をして待っていたところに、前の男が帰って来た。戸を叩く男に女は歌を差し出して

あらたまの年の三年(みとせ)をまちわびてただ今宵こそ新枕すれ 
(今晩新しい男と結婚するのです)

と告げると、帰って来た男は
梓弓ま弓つき弓年を経てわがせしがごとうるはしみせよ
(長い年月を置いてしまった。私との様に今度も仲良く暮らしなさい)

と詠んで、去って行こうとした。女は急に昔を思い出して

あずさ弓ひけどひかねど昔より心は君によりにしものを
(あなたがどう思っていたかはともかく、私はずっと好きだったのに)

と呼びかけたけれど男は行ってしまった。女は悲しくなって追いかけて行ったが、追いつかずに泉の所に倒れて岩に指の血で
あひおもわはで離れぬるひとをとどめかねわが身は今ぞきえはてぬめる

と書いて死んでしまった。この話に最後の歌は却ってわざとらしい感じがするが「伊勢」の持つ素朴さから言うとはじめから一連の歌なのだろう。私はこの女が好きとも言えないが、梓弓の相聞歌はやさしく真摯で胸を打たれる。平安宮廷の遊び歌ではないところだ。
しかし現代では電話もメールも映像もあるので、行ったきり三年も音信不通だったら思いは続かないようにも思うが、私のの好きなドラマ「白線流し」の終わりも思いは断ち切れないと言う所にラブストーリーの「胸キュン」があるので昔も今もと言う所か。

あずさ弓引っ越してから十年で二匹目の猫年老い初めぬ 多香子
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2016/9/16

野分と「源氏物語」  古典(伊勢、源氏など)

この夏は後半台風が九州や関西でなく、直接関東に直撃と言う事が続いて、不安定な日々の過ごし方をした。我が家は少しだけ坂の上のビルなので、水害と言う物に遭ったことはないが、風と言うのも怖い物で、ビル風の吹くあたりでは何が飛んで来るか分かったものではない。
古典文学や歌の世界では台風は「野分」(のわき)でどうも大雨より強い風を指したようだ。「野分」ときくと私は「源氏物語」の巻28の「野分」の場面を思い出す。私の持っている絵図を中心とした学研「実用シリーズ・源氏物語」(昭和63年版)には、この嵐の翌朝、源氏36歳、紫上28歳、夕霧15歳、となっている。夕霧はこの三年後に雲居の雁と遅い結婚をするので、このころの15歳は結婚適齢期であったろう。源氏は12歳で葵上と結婚している。

近頃のコミックなどでは、平安時代の貴族の娘でも平気で庭を歩いたり、男性と顔を合わせて話をしたりして居るが、「源氏」などを読んでいると高貴な女性はむやみに姿を見せず、異性とは几帳を隔てたり御簾の奥から対面したりしていたので「噂」で「美しい」と聞いていても中々顔などは見たこともなかったのだ。また不倫は文化(!)だったので、男性は自分の妻たちを他の男から見えないように囲い込んでいた面もあるらしい。
夕霧は生まれてじきに母葵上が亡くなったので、祖母大宮と「花散里」に育てられていて、六条院の女性たちを見たことはなかった。

嵐が激しく通り抜けた翌朝、源氏について六条院のお見舞いに行った夕霧は、(源氏は注意をして夕霧に見せないようにしたのだが)はじめて紫の上を垣間見る。その美しさにびっくりして、まじまじと覗く夕霧に気付いたかどうか、やってきた源氏は「なんという風か、中が丸見えだ」と注意をする。夕霧はこんなに美しい人なので、父君は私に(小さい時でも)紫の上を見せなかったのだなと思ったりした。
その後六条院の他の方々と紫の上の比較がほのめかされながら、(娘と言って引き取った)玉蔓と源氏の様子が怪しいと思う夕霧の男性的な目覚めが描かれている。「花散里」のもとを見舞った時にはもう母親を見る目になっているので、花散る里の容貌がどんなであるかは分らないが、実務に秀でた、地味な人だったのではないかと想像される。

一時私は紫の上を見た後、夕霧が養母(花散里)をなんで源氏の愛人だったのかと思わなかったかしらとも考えたけれど、今は「源氏物語」という多くのタイプの女性を登場させる一大小説の中の一つのエピソードなのだと思っている。

美しい花を倒して吹き抜ける野分よ何を覗いていった  多香子
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