その心の淀みは目くそ鼻くそ笑うの戦い〜映画『Made in Japan こらっ!』〜  日記


日大芸術学部が、ワイワイガヤガヤと明日の希望に向けて映画やドキュメンタリーを作っていくならば、京都造形芸術大学の映像学部がプロの作り手と協力して劇場映画を作るという、『北白川派映像芸術運動』の第二作。

祖母(松原智恵子)の死をきっかけに、一家が崩壊していくのだが、表面上はまともな家族が、祖母一人が欠けただけで、『家族の裏の顔が露見する崩壊ぶり』は凄ましい。
ここまでいかなくても『これに似たアンバランスな人』は居るだろう。

『お袋のメシが食いたい』と引きこもりになり、母親の着物まで着だすほどおかしくなったマザコンの父親(山路和弘)ヘルパーの仕事をしている母親の春子(松田美由紀)は、世話をしている先の、娘と同い年の少年健一(関屋和希)に入れ込み、彼の姉がなくなると同時に駆け落ち。

そんな家族を傍観しているのが娘の雛子(大西礼芳)だが、スナックに勤める友人の珠子(伊藤菜月子)に愚痴る。
珠子もグチばかり聞かされてストレスが溜まり、仕事先のスナックではSMの女王様と化してしまう。

誰もかれも危なくなった状態で、ついに父親は離婚届をつきつけ、母親の若い頃とそっくりな女性と不倫し、妻と娘に出て行けとぬかす。

そして娘の雛子はどこからもちだしたのか、チェーンソーで家を壊すのだ。

『北白川派映像芸術運動』の作品はある種現実の中に潜む、皆が見たくないもの、悪意、皮肉、よどみに焦点をあてたものが多い。
三作目の『カミハテ商店』は、人の中に巣食う淀みを昇華させるという手法が、評価を高めたが、今回は、何もかもぶちまけるという結果に終わってるので、評価は真っ二つに分かれるかもしれない。

ゲラ笑いして観ている人の多くは、家庭や職場に問題を抱え、自分自身はこの映画以上に崩壊している人が多かった。

自分自身をぶっ壊したいが、壊す勇気のない自意識過剰な人に支持する人が多いのも確かである。
この映画の主人公も、チェーンソーで家を壊しながら、トイレにこもって鼻水たらして延々とないていたではないか。

そんな迷惑千万な家族だととうの昔にきづいていたなら出て行くのは自分自身なのに、と突き放してみていた私自身は、どうもこうした映画には馴染めないで居る。

祖母が死んだ後マザコンだった父親は、最初は『オフクロのメシがくいたい』ぐらいだったのが、最後には気がおかしくなり着物まで着るようになってしまう。

AV動画まとめ御殿の仕事をしている母親の春子にすっかり入れ込んでいる。
こういうのはフィットネスクラブで若いインストラクターに入れ込む高校生や大学生の息子のいる子持ちママにそっくりだ。
旦那までもが崩壊したと思った途端母親は、若い少年と一緒に駆け落ちしてしまう。

そんな家族を悲観してみているのは娘の雛子だが、出て行くこともせず牛乳配達のバイトをしている。
家族といえども、自分とは違うのだし、変えられないのだから、ここまでおかしくなったら、もうほっといてとっととでていきゃーいいと思うのだが。

とんでもなく身勝手なんである。
スナックで働く友達の珠子(伊藤菜月子)に自分勝手な愚痴を言いたい放題するわけなのだけど、そりゃー珠子も、いわれっぱなしだと『たまる』わけで、お店で客をシバきたおして『女王様』プレイするわけだ。

あっちこっち、人間関係言いたい放題、自分勝手。おげええええ〜,、てか、こういう街から郊外に家が離れていてよかったよ・・・とつくづく思う。

最後の最後は娘の雛子が、チェーンソー(どっから持ってきた?)で家を片っ端から壊すわけなんだが、こいつもこいつで、トイレこもってベソかいて鼻水だらだらたらしてないとるし友人も親戚も日大芸術学部派なアタシとして、京都造形芸術大学の作品、全体的に性にあわんのです。

あ〜住んでるトコより、親やマブタチの住んでるトコの考えに近いんだよね・・・馴染めないわ・・・。

『MADE in Japanコラっ!』みたいに、悪意と皮肉と寂しさの中で家族が崩壊して、それを笑いながらみているというのは『イングロリアス・バスターズ』のしょうもない版みてるみたいで、イヤなんですよ。
アタシに映画の話をしてくるコで、この手の映画が好きそうなコもいますが、やっぱりビミョーな時期に親が離婚してるから、あ〜そういうトコも関係してるのかな〜とか思います

0

四人座りの椅子  日記

青春18切符で旅しているのですが、あの向かい合わせの四人座りの椅子があるではありませんか。
段々とあの椅子のあり方も難しくなってくるものですね。

非常にそのことを思っている人たちは多くいるのではないでしょうか。
しかし、旅するものの立場からもの言えばとてもあれが情緒なのです。
段々地方の駅見ても統一化されていくばかりで、こういう情緒は意識して保存すべきことだと思う次第なのです。

しかし、そんな四人座りなんて四人グループでなくては成立しないという話しではありませんか。
そして、個人個人の話しであれば、何故向かい合って座らなければならないのかと意識すれば尚更緊張さへしてしまう次第なのです。

不思議なことですが、電車の横並びの椅子で向き合っていることだって意識すれば、緊張すらするものですよ。
だってまるでプロポーズ大作戦でもしているようじゃありませんか。

私達は意識しないことにならされてしまっているだけの話しなのです。
大した無意識の領域でもありません。
たやすい場所でそのように理解しているだけの話しです。

四人座りでは二人座る場合はす向かいに座ることがおきまりの形式みたいですね。
私は出来ることなら誰もいない場所で椅子に足を投げ出していたことこそ旅の醍醐味だと思っているのですが。
0




AutoPage最新お知らせ