2009/8/2

以下過去談・二人目出産にて  

特に印象的な出来事。
二人目の出産を控え、私は実家へ帰っていた。一人目の時と同じように。
妊娠時期はとても幸せだった。
なぜって、彼を信じる事が出来るような気がし始めたし、彼もその様にみせてくれていたからだと思う。
産道が短くなっていて危険と言われた時期もあった。
海外からの里帰りはそれなりに大変だった。上の子の事もあった。
母が我儘な人なので、とても気を使う毎日。それでも、一人目の時のような理不尽な対応はなかった。
或る日、ガスレンジを買いに行く母について行った。正規産の時期に入っていたし大丈夫だろうと手伝った。それが良くなかったのだろうか。
23時頃寝ようと布団に横たわると、駐在生活で散々な意地悪と悪意で私を苦しめた、マナミ女史の悪辣ぶりが目に浮かんできた。
思い出したくもない場面、彼女が放った酷い一言、周りの反応・・悔しい事、苦しい事、これでもかって辱めを受けたと思う事件、それそれが走馬灯の様に私の脳裏に浮かんでは消えた。
苦しいなと思ったその時、ポンと下腹の辺りで何かがはぜた。そしてザーと水が出始めたのだった。私は思わず「待って待って」と泣きそうになったが、瞬時に諦め、これは破水で正規産期であるのだから問題ないのだと気持ちを落ち着けた。
となりのリビングにいる母に「破水したから病院に行かないと」と声をかけ、タオルを股に挟んだ。そうしないと薄い赤い水がとめどもなく流れ出て来て、車にも乗れない状態だったのだ。病院へ電話し、父の車へ乗せてもらった。母は同行しようか迷って平静を失い、父に怒鳴られたので、逆上して車中は喧嘩。
病院へ着きすぐに入院。でも、心配なかった。普通の事だった。
でも、破水の為に陣痛が普通より強力に来てしまい、私は大騒ぎをしてしまう。今思い出しても恥ずかしい。
大騒ぎの後、出産。医師に怒鳴られながら自分なりに頑張って、やっと生まれてきた我が子を抱いてホッとして微笑むと、「そんな資格ない」と冷たく言い放たれる。看護師さんも大きく頷いた。「赤ちゃんはとても頑張り屋さんでしたよ」と言われ、切ないし子供に申し訳なく情けなかった。
生まれた時写真を撮られるのだが、激怒している医師が怖くてレンズを見るのもやっとだった。一人目と違って蒙古ハンだらけで生まれてきた二人目を見て、すぐに不安になった。お尻や腰はもちろんのこと、手の甲や肩口、頬の耳よりの所に薄く左右対称にあったのだった。一人目は一つとしてなかったのに。
それで、まだカンガルー療法中だったけれど、私は看護師さんに聞いた。
「こんな風に蒙古ハンだらけになるって事は、私の生み方が悪かったのでしょうか?
それと、生まれる時に3秒くらい泣かなくて、管で粘液みたいなのを吸い出してもらってましたけど、それも私の生み方が良くなかったからですか?」
看護師さんは「それも関係あるかもしれませんね」と言いました。
後に人に聞くと、吸い出していた粘液は羊水で、そういった呼吸の為の手伝いは普通に行われているそうだ。

そんなこんなでやっと出産を終え、私は精神的に苛まされていた。
自分の未熟さがいけないのだけど、赤ちゃんが不憫で申し訳なくて居たたまれなかった。2週間早く生まれてしまったので、体重が少なかった。完全母乳制の病院だったので、一日25回から30回は授乳した。でも、なかなか吸いつけず、順調ではなかった。
二人目なので体はたくさん母乳を作るが出せない状態。出産後すぐ、私は微熱持ちのまま退院した。
出産に立ち会った母は私に立ち会うのが大変苦労でいらっしゃったらしく、それをいつまでも愚痴った。生まれたばかりの二人目を見て、「・・え〜・・」という冷たい反応。そう、二人目は、父方の祖母(母の姑)にそっくりだったのだ。少し見て、すぐに目をそらした。そして「ああ〜この子に決まってしまったんだね?もう?」と私に確認してきた。
1日目、上の娘を連れてやって来た時も、冷たく一瞥し、退院する時の赤ちゃんの服についても全く関心がないらしかった。私が用意していた上の子のお古を持って来てと頼むと、不承不承だった。体重が軽いのも、飲みが悪くて心配なのを話しても、他人ごとの様に腹立たしそうに無視していた。上の子の時は大喜びで、「神々しかった」と今でも嬉しそうにノタマウ母だが、二人目の時は対応が全く冷酷で、抱っこさえしなかった。初めて抱っこしたのは、生まれて3日後、客がやってきた日だ。毎日来ていた癖に。
私はこのことで、益々二人目を不憫に思い、この子を守れるのは私しかいないと心から思った。
出産3日後、ナツオとその親がやってきた。精神的に落ちていて、不安と早く生んでしまった事への自責の念、夜もロクに寝ていないのでハッキリ言って参ってた。
2日後の午後には日本へ来たそうだが、東京の実家には「早く行きたいから」と電話で言って立ち寄らず、そのまま私の実家へと足を運んだそうだ。
「それは荷物が重いからだった」と後ではっきり言っているが、自分の実家には、さも私と赤ちゃんに早く会いたいから行くのだと言ったようだったと後日姑は言っていた。
だから、3日後に私に会いにきたのが「初めて」と知り、「え?」と驚いていた。
これは彼が無意識によくやる≪偽善≫だ。こんな事は大したことじゃない。
病室に入って来た姑は室外に設けられている、見舞客はしなければならない消毒液の塗布を分かっていてしてこない。ナツオが促すと、「いいよ別に」と怒った様にソッポを向く。ナツオは私が嫌がると分かっているのでしてくれた。それは嬉しかった。
私の出産がどれだけ恥ずかしいものだったかを、母が姑に話し始めた。
私は今、誉められ祝福され労われる立場ではないのか?私は呆然として、反論も出来ず、ただその場に耐え忍ぶしかなかった。
「もう、本当に大変だったんですよ〜、私が。
これこれこんな風にまでなってしまいましてね〜、それを私がこういう風にしてあげたりして。もう〜看護師さんも病室へ来なくなりましてね〜。
本当に私、大変でした〜」
私は途中で自分の立場をどうするか考え、間抜けなお人よしを演じる事に決めた。
私は怒ってよかったのに。母の云う事に笑いながら頷き、一緒に自分のヘマ話を告白しているかのように面白がっているように見せた。
姑は聞き辛そうに聞いていたが、「・・出産の時はみんなそうよ。気にしなくていいのよ。フユコちゃん」と言い難そうに細い声で言ってくれた。
姑が帰った後、母は「あちらのお母さんったら、私が大変だったって言っているのに、「お疲れ様」とか「大変だったんですねえ」の一言も私にないんだから」と納得出来ない様子で私に愚痴った。それで、私は我慢出来なくなった。愚かな親だ。
「それは、あの場で「それは大変でしたねえ」なんて言ったら、私に恥をかかせることになるからじゃない??」と落ち着いて答えた。母はハッとして、それから二度とこの件について自分の苦労を自慢する事はなかった。
さて、馬鹿な余談が長くなった。
ナツオは見舞いのとき、鼻声だった。もしや風邪?と私は心配になった。と言うのも、昨日あった出産後の勉強会で1か月までに風邪にかかると重篤化し易く、余り知られていないが、髄膜炎や脳炎、後遺症の心配があり、とにかく予防だと強く聞かされていたからだ。
明日もナツオは見舞いに来る予定だ。私は皆の帰宅後、実家へ電話した。まず母が出た。母は3日目に来る予定だったナツオが、荷物の為に突然2日目に来た事を不都合だったと私に愚痴った。その話を切り上げてもらい、ナツオにかわってもらった。それで、風邪だと確認した後、明日見舞いに来るときはマスクを薬局で買ってして来てくれと言った。上記の様な精神状態だったこともあり、また非常に不安で、私は怒り口調で頼んだ。ナツオは確実に怒った声でこう言い放った。
「いいよ別に。東京(ナツオの実家)へ帰るから」
3日目、見舞いにきた時、自分の親に紛れて来て、私にお祝いの言葉を言ったのはだれだった?舅だけだった。「ああ、フユコさん、お疲れさんだったなあ」
ナツオは父親の癖に、意地を張ったような素直でない態度のまま帰った。嬉しそうにするでもなく、私に個人的に話しかける事も全くなく、帰って行った。驚く事に一言も。
私がその時言って欲しかった言葉。「おめでとう」「大変だったね」何でもいいや。
後日、なぜ労いの一言もなかったのかという私に、ナツオはこういった。
「フユコが話したくなさそうだったから」
ナツオは他者のせいにするのが好きだ。お得意の≪責任転嫁≫だ。
私が話したくない事でも、粘って恥ずかしげもなく私の口から盗み出す癖に。
ねぎらいじゃなくてもいい。一言声掛けてもいいだろう。
それで、私は母にこの「実家へ帰る」宣言を話した。母も「風邪だったら薬を買ってきて早く治さないと」とナツオに言ったそうだ。すると、
「いいですよ心配してくれなくても。僕、実家へ帰りますから」と言ったそうだ。
そして、退院後、ナツオが風邪なので二階で生活する私をよそに、上の娘を連れて本当に東京へ帰ってしまった。
私は泣いた。
トイレは一階にしかない。母乳を出す為に水分をたくさん摂り、トイレも近くなる。
二階からの上り下りは本当にきつかった。いつもなら何でもない10段程なのに、やはり産後は普通の体でないのだろう、息は切れるし、一度では上れなかった。途中ハアハアと息を切らして座り込んだ。
母乳は思うように出ないし、熱は徐々に上がっていた。母乳製造のせいか多くの産婦がなるように私も又酷い便秘だった。夜は眠れないし、二階の部屋はクーラーもなかった。9月の始めで、体が本当に辛かった。
そんな中、ナツオは私が止めるのも構わず帰ってしまった。新幹線でかなりの距離だ。
しかも上の娘も連れて行ってしまった。それが又さらわれたようで辛かった。
一階に下りていくと、又泣いた。いつもは冷たい父が「良かったじゃないか。これで一階に居られる。ゆっくり出来るし」と言ってくれた。
その夕方から、ぐんぐんと熱が上がった。乳腺炎だったのか今となってはよく分からない。
熱は42度になった。
ナツオは気楽に電話してきて「今、◎子と公園帰り〜◎子、楽しいってはしゃいでるよ」と言っていた。
私は赤ちゃんのこと、自分の体のこと、嫁が出産間もないというのに実家へ突然帰らされた息子と孫の面倒を見なきゃならなくなった姑のこと・・誤解があるに決まっているし・・を思い、心配と不安でキリキリ舞いしそうだった。
でも、常識ある大人としては、孫の面倒も押しつける形で頼んでいるわけだし(無論私は反対したのだけど、事前に了解も得ぬままナツオの馬鹿が行ってしまったわけだし)私は一言姑に電話で謝罪とお願いをするのが筋だと考えたのだった。
電話をかけると、案の定、ナツオは例の「偽善」としたようだった。
姑に「急にお願いする事になって、すみません。よろしくお願いします」と頼むと、やはり怒っている様子だった。
「まあ、今日はお父さんが早く帰ってくれたからいいようなもののねえ。私ひとりじゃ無理だわよ。それに、あの子、熱があるっていうじゃない?海外で働いて大変で、そのうえ日本へ飛行機で帰ってきたりして・・疲れが出たんでしょう。
可哀想に!」と言い、私の容体について、赤ちゃんの体重の心配については何も頭にない様子だった。
熱ったって、7度1分なのに。どうせ、JALの映画観る為に、いつもの如く徹夜してきたから喉が乾燥しちゃっただけでしょう。。
私は産後で高熱だ。この人も、愚かな人だ。
私は愕然としつつも「そうですね」と和やかに話し、切った。
心の中は悲しさと怒りで一杯だった。
それからも熱は上がり続け、ついに42度となった。ナツオは数日いて実家でも居場所がなくなった為であろう、しつこく電話してくるようになった。
私は苦しくて横になっているのがやっとだったので、電話で一方的で勝手なナツオの与太話に付き合っている余裕も無くなっていた。それで、電話は母に出てもらい、私は布団の中で唸っているか、涙をポタポタ垂らしながら孤独にヒタスラ授乳していた。
ナツオがどうしようが姑がどう思おうが、その時はただ痛みと苦しみに耐え、あかちゃんを育てる事しか出来なかった。
二日が過ぎた。
ナツオは母に何か話し、ついにこちらへ帰って来ることになった。帰って来たナツオを許すしかなかった。弱り切った私は、手伝ってもらうしかなかったのだ。
他にどうしようもないではないか・・
ナツオは心身ともに弱った私に、不用意な言葉を投げかける。
「何度も電話しても、フユコは出てくれないし、熱が高いって言うだけだろう?こっちのお母さん。ちっとも要領を得なくてさあ。
東京のお母さん(姑)が言っていたよ。「本当に熱があるのか、お前が行って実際見てみなきゃ分からない」ってね。」
私は新たに荷を負うのだった。ナツオは恥もなく、私の実家でものうのうと新聞を読んだり私の親に無視したり、好きなようにしていた。
私と赤ちゃん以外の事は全く手伝わなかった。当然のように不遜な態度で、食べ、飲み、テレビを観ていた。父が配ぜんを手伝っても、自分はテレビに釘付け。いつだってそうだけれど。
そのストレス。母からのナツオの愚痴も増え。
出産後、姑と対峙するのも心が重かった。
海外へ戻る日、いつもは送ってくれる姑が今回は来なかった。舅だけ来てくれた。
そして、ナツオが居ない時にそっと白い封筒を差し出してくれた。
「これで口紅か何か買いなさい。ナツオの少ない給料じゃ・・」中に10万円が入っていた。
「◎子も下の子の分も、頂いたお祝いとかはちゃんとそれぞれの貯金通帳に入れてあるんです。そこに入れておきます。」
「いや、それはフユコさんが自分で使いなさい」
ナツオのお給料は少なくない。お義父さんも知っているだろうに。
申し訳なく、又、心に沁みた。














0

2009/8/2

過去談を書くにあたり  

思いつくままに、順不同だが書き連ねて行こうと思う。
私が過去談を書こうと思い立ったのは数年前だ。
なぜというと、私が経験した膨大な資料は、いずれ何かの役に立つかもしれないと思ったから。それから、忘れそうになる事柄一つ一つを記憶しておく必要を強く感じたからである。
こんなに強烈な出来事も、時が立てば忘れてしまう。
忘却は、あった出来事も無に帰す。
それでは余りにも理不尽であると思ったので、思いつくままに書き足して行こうと思った。
過去の自分、未来の自分へのせめてもの詫び状である。
0

2009/8/2

(無題)  

ナツオとの結婚生活は、10月で10年目を迎える。
私は彼の生態を知る度に、ナツオの心の底にある底知れない悪魔を見る。
この生活を不幸と呼ぶか否かは受け取る側の取り方によるのかもしれない。
私、フユコは、彼と出会って16年にもなるのに、彼を自然に受け入れる事が出来ず、足掻いている。
私が死ぬか、過去に戻るか。
0

2009/8/2

ナツオの生態  

世にも珍しいナツオの生態を明らかにしていく為、このブログを書くことに決めた。

ナツオと出会ったのは運命だったのだろう。
こんな人間が存在するとは思わなかった。
清廉潔白で正義のみを信じていた愚かな私は、痛烈な試練を一生背負う選択をしてしまった。
私に欠けていた何かを補うために、おそらく運命が私に与えた伴侶だったとしか言えまい。
0

2009/8/2

teacup.ブログ START!  

ブログが完成しました

ケータイからも、閲覧、投稿が可能なので、どこからでもブログの更新が行えます!

teacup.ブログはひとりで複数作成可能なので、ブログの内容によってブログを使い分けることもできます。
ブログ追加新規作成

また、投稿の仕方、管理画面の使い方につきましては、ヘルプ一覧ページに詳しく記載されています。
ヘルプ一覧

*この記事は管理画面から「投稿の管理」→「削除と編集」より、削除または編集していただいて構いません。
0



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ