2009/11/26

◆釈迦は文字を残さなかった  

* 釈迦、イエス、ソクラテスは書かなかった *

釈迦は自らの教えを、自ら文字として残すことはしなかった。つまり、いかなる「仏教経典」も釈迦自身の手によって書かれたものではなく、後世の弟子達の手によって書かれたものである。

これは、イエスについても同様であり、イエス自身は、自らの教えを何一つ文字としては残さなかった。「聖書」とは後の弟子達によって書かれたものであり、イエス自身は何一つ書いていない。

そしてまた、このことは孔子についても同様であり、「論語」とは後の弟子達の手によるものである。

釈迦、イエス、孔子の三人は、自ら書くことをしなかった。世界的に広がりをみせた思想の始祖と呼ばれる者たち皆が、三人が三人ともに書かなかった。
これは不思議なことではないだろうか?(ちなみに、ソクラテスもまた書かなかったようである)

このことは不思議に思われて然るべきだと思うのだが、それは、これらの時代には、文字を記す「紙」というものが単に存在しなかったためではないかと考えて、三人が書かなかったことに特別な意味を見いだそうとする人は意外にも多くはない。
また、たとえそれに特別な意味を見いだそうとしていても、その意味付けに成功しているものを、自分はほとんど知らない。

しかし、このことについて批評家の柄谷行人は、興味深く次のように書いている。

《 しかも、彼ら(ブッダと孔子)はソクラテスやイエスと同様に書かなかった。書かないということは、音声的なコミュニケーションの直接性を優位に置くからではない。書くことは、われわれを一般的他者との関係に、「事象の根拠」を問う弁証法に向かわせてしまう。だが、彼らは、そのような弁証法=哲学体系を拒否するために、他者との一対一の対話にのみ終始したのである。 》 (『探求T』 柄谷行人)

これは、なぜ彼ら三人は書かなかったのかという疑問に、ある一つの明確な方向性を与える、非常に示唆的な文章ではないだろうか?

ここでは、柄谷行人が言うところの、「一般的他者との関係」、また「事象の根拠を問う弁証法」とは、いったい何を指すのかを明確にせねばならないが、とりあえず、しばらくは柄谷行人の文章を読み進めて貰いたい。

《 いうまでもないが、東洋のブッダも孔子も、そのような独我論をイロニカルに否定することによって、あるいは主客未分の純粋経験といった神秘主義をイロニカルに拒否することによって、人を【他者】に向かい合わせようとした。単純にいえば、彼らは「他者を愛せ」といったのだ。真理を愛することは、結局、それを可能にしている共同体(コミュニティ)を愛することである。ところが【他者】は、そのようなコミュニティに属さない者、言語ゲームを共有しない者のことである。そのような他者との対関係だけが、彼らの関心事であった。 》

ここでは、また、柄谷行人の言う「独我論」、「他者を愛せ」という言葉に注意が必要だが、それもまたひとまず措きながら、さらに、読み進んで貰いたい。

《 たとえば、伊藤仁斎は『論語』における孔子の言葉が常に「対話」においてしか存在していないことを重視した。 》

《 最初の言葉も最後の言葉もない。対話のコンテクストには果てがない。それは無限の過去と無限の未来へと広がっている。どんなに遠い過去の対話から生まれた意味も、最終的・決定的に捉えることはできない。なぜならそれはその後の対話の中でたえず更新されてゆくからである。対話のどの瞬間をとってみても、そこには忘れられた意味の膨大な集積があるが、それはその後の対話のどこかの時点で思い出され、新しい生命をあたえらる。なぜなら、絶対的な死というものはありえない。どんな意味にもいつの日かかならずや帰還の祝祭がある。 》 (『ミハイール・バフチ―ンの世界』カテリーナ・クラーク+マイケル・ホルクイスト著)

引用ばかりとなってしまったが、自分なりの解釈では、柄谷行人の言う、「一般的他者との関係」、「事象の根拠を問う弁証法」、「独我論」、「対話」、これらを避けるために釈迦は書かなかった。

これらのキーワードの意味するものは、バフチーンが言うところの「最後の言葉」、つまり、コンテクストの意味を、「最終的・決定的に捉えること」を求めることである。
しかし釈迦は、このことを避けるために書くことをしなかった。

そして、それらを求めるのではなく、「他者を愛す」ことをせよと釈迦は言ったのであり、それだけが釈迦の関心事であった。

「他者を愛す」こととは、自らの属する共同体(コミュニティ)と、その共同体が持つルールを疑えということであり、事物の最終的・決定的な意味を求めることをするなということである。
(共同体を疑い、共同体の存在を脅かしたからこそ、イエスやソクラテスは共同体により処刑された)

そして、それを可能ならしめるのは、ただ、個々の「対話」によってのみであり、だからこそ釈迦は、一人一人に自らの教えを語りかけたのである。
だから、そこには釈迦の教えの最終的・決定的な意味というようなものを示すような「対話」というものは存在しないし、必要とされてもいない。(イエス、孔子、ソクラテスの思想を、究極的に表すような対話、言葉というものは存在しない)

一つ一つの「対話」のどれもが、みな釈迦の教えであり、どれもがみな、常に新たな意味を与えられ続けていく。
この過程、この運動の中にこそ釈迦の教えはあるのであり、それは「対話」を離れてはあり得ない。

しかし、書くということは、事物の最終的・決定的な対話と意味とを確定してしまうことである。

そう、自分は解釈する。

現に、自分達は、釈迦の最終的・決定的な言葉と意味、釈迦の真の教えは何かということを確定しようとしている。そこに、そのようなものは本来必要ではないのにも関わらず。

このような状況を、竹田青嗣は次のように書いている。

《 したがって、「革命」であれあるいは「救済」であれ、思想が【社会】から受けとる課題の核心は、それを原理的につきつめれば、つねにひとびとの相対的感情をどう解放するかという問題に集約されることになる。(中略)
そのことを直感しているからこそどんな宗教や理念も、例外なく、なんらかのモデルを与えてひとびとの相対感情を「絶対」への希求へ向けかえるような方法を取るのである。 》(『世界という背理』竹田青嗣) 

仏教経典に見られる矛盾とは、本来文字として残すことを想定していかなったものを、敢えて文字として残してしまったことによる矛盾であるのかもしれない。

他の思想家と同じように、釈迦もまた、人びとの相対的感情を解放し、それを「絶対」への希求へと向けかえるために、ある「モデル」を語ったのである。
しかし、自分達はその「モデル」にこそ絶対があると思い込み、釈迦がそのモデルによって意図したものを見失っている。

「他者を愛す」とは、「絶対」への希求である。しかし、それは神や空が絶対だという意味ではない。
神や空を求める人間のその有り様、神や空と人間との関係が絶対だということである。
そのことを見なければ、釈迦の言葉もイエスの言葉も、矛盾に満ちたものに映るのかもしれない。

与えられたモデルの文字化。そこに注意すべきなのかもしれない。

* 初期仏教と大乗仏教との間にある矛盾 *

自分は、釈迦の教えというものを考えときに、初期仏教と大乗仏教とでは、その説かれる内容がまるで真逆であるようなケースがあることを、それぞれの仏教の担い手による違いにその原因があると考えてきた。
そして、そのどちらが釈迦の真意に沿ったものなのだろうかと、疑問に思っていた。

しかし、担い手の違いということ以前に、釈迦の教えの文字化ということに、その原因があるのではないか?と、今では考えるようになっている。
初期仏教と大乗仏教とをそれぞれに見たときに、初期仏教だけでは何かが足りず、大乗仏教だけでもやはり何かが足りないのではないかと感じるようになってきている。

自分からすれば、初期仏教とは一つのエゴイズムであり、人間と他との関わりを軽視したかのようなその世界観は、縁起というものの不徹底の形態である。
そして一方の大乗仏教は、初期仏教が軽視したものの過剰なる強調であり、釈迦が語った言葉以外のものまでを含んでしまっているかのように見える。
しかし、これもやはり、釈迦の教えの文字化に起因することなのではないだろうか。
いや、文字化以前に、釈迦が拒否した「事象の根拠」を問う弁証法=哲学体系によって、釈迦の教えは整理されてしまったということのかもしれない。

思うに、大乗仏教が釈迦の言葉の拡大解釈であると言えるならば、、程度の差こそあれ、初期仏教にもそれがあったとは言えないのだろうか?
なぜなら、釈迦の言葉を文字にした途端、それは弁証法に覆われる危険が高まり、また、経典編纂という作業は、何らかの意図のもとにおいて行われなければ不可能であるからだ。
つまり、初期仏教とは、釈迦の教えが、ある一つ思惑のもとに成立したのであって、決して釈迦の言葉に忠実であり得た訳ではない。
だからこそ、同じ一つの初期経典の中においてすら、その言説に矛盾があるのだろう。

そもそも「言葉の意味」とは、その場その場の文脈的な状況とは、決して切り離して決めることができない。
しかし、文字によってのみでは、その場の文脈的な状況を伝えることは難しい。そのことは釈迦の言葉と言えども例外ではないことを、自分達は忘れがちではあるようだ。

釈迦も含めて、イエスや孔子やソクラテスなどが、他者に一方的に語るという形ではなく、「対話」というものに終始しているのは、その場の文脈的な状況こそを最も重要視したからに違いない。
「待機説法」とはこのことも意味するのだろう。

ところで自分は、仏教経典の抱える矛盾の中で、一つだけ信じたいことがある。
それは、「無我」と「輪廻」との矛盾についてであるが、仏教では輪廻を説くが、その輪廻の主体としての「我」についてはこれを説かない。
このことをもって、輪廻とは方便(モデル)であって、現実には存在しないのではないかということが言われている。

確かに、我であろうがアートマンであろうが霊魂であろうが、仏教では輪廻の主体を説かない。
しかし、説かないことをもって主体となるものがないとするのは、何か釈然としない。なぜなら、主体が存在しないとは、仏教では明言されていないから。

しかし、主体については説かずとも、「業」については、これが死を超えて引き継がれることを、明確に説いている。
果たして、これが方便(モデル)なのかどうか?

しかし、輪廻が方便ならば、人間は死んでしまえばそれっきりで、生きている時のみが全てということになってしまう。
果たして、仏教の認識とはそういうものなのだろうか?

自分は、
「我が上なる星空と、我が内なる道徳法則、我はこの二つに畏敬の念を抱いてやまない。」と、その墓碑に刻んだカントのように、この宇宙をあらしめているものと、人間の内にある道徳をあらしめているものに、畏敬の念を抱かずにはいられない。
そして、この宇宙と人間をあらしめているものを、人によっては神やブラフマンとそれを呼ぶのだが、自分はそれを「法」と呼びたい。

そして、この「法」を説いたのが釈迦であり、それは、死んでしまえばそれで終わりというようなものではない。
そう、自分は信じたい。

だがこのような考え方は、釈迦が拒否したバラモン教的なアメニズムに過ぎないのであろうか?
だが、釈迦は全てのアメニズムを否定したのだろうか?

人が釈迦の教えを求める。それはその人の意志のみによって求めるのだろうか?
求めさせる「何か」の存在、それを自分は感じている。
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2009/11/26

今、宗教に何が期待できるのか?  

現在の日本において、「宗教」という言葉を聞いて良いイメージを抱く人というのが、いったいどれくらいの割合で存在するのかを、自分は知りたいと思う。
おそらく、宗教に肯定的なイメージを抱く人よりも、否定的なイメージを抱く人の方が多いのではないかと思う。

ましてや、「宗教」というものに、婚儀や葬儀などの儀式としての役割以上の何かを期待する人というのは、現在の日本ではあまりいないのではないかと思う。

しかし、近代以前、宗教は科学であり、政治であり、哲学であり、道徳であり、社会全体との有機的な繋がりを持っていた。
しかし、科学の発達によって、その繋がり一つ一つが分断され、分断することこそが理性的であるとされて、現在にまで至っている。

《 宗教は絶対依存の感情であって、神、すなわち、無限に対するあこがれである 》(シュライエルマッハーの定義)

自分は、シュライエルマッハーを読んだこともなければ、どういった人なのかも知らないし、また、キリスト教の素養さえも自分にはまるで無い。
しかしこれは、絶対的依存とは何か?という問題は措くとして、宗教というものの定義としては、自分の感覚に一番なじむものではある。

だがシュライエルマッハーのこの定義は、科学の発達した現代という時代には、もはや有効ではないようだ。
近代以来発達を遂げ続ける科学によって、人間は無限に対するあこがれを、宗教にではなく科学に対して求めるようになった。、
そして、とりわけ伝統的な宗教は、人間の無限に対するあこがれに対しては、資するところのものが少なくなってしまい、以前に占めていた地位をすっかり失ってしまった。

もはや、そこには絶対的依存やあこがれはなく、シュライエルマッハーの定義からすれば、伝統的な宗教は、宗教ではなくなってしまった。
とりわけ、日本においてはこのことは顕著であり、人々は伝統的な宗教にあまり多くを期待していない。

だが、宗教に取って代わったかに見えた科学も、現代の科学技術文明があらゆる局面で行き詰まりを見せ始め、その限界が明らかになってきている。
そのために、科学にすら多くを期待できなくなった人々は、無限に対するあこがれを、何に求めるべきなのかを戸惑っているかのように、自分には思える。

そこで、この現代文明の行き詰まりと人々の戸惑いとを、宗教の叡智によって打破し、今一度、人間の無限に対するあこがれを導くものとして、宗教を見直そうということが、ここ100年来言われ続けている。

とりわけ、現代文明の発達を支える西洋合理主義的な二元論の思考を超えるものとして、東洋的な思考、仏教の叡智に期待が高まっているようである。
だが、果たしてこの期待は正しいものなのだろうか?

確かに、例えばキリスト教は、西洋科学技術の精神的な土台ともなったし、自由や人権という人類の普遍的価値を生み出す母体ともなり、資本主義社会出現の契機ともなった。
また、あらゆる芸術の源泉ともなり、キリスト教を抜きにしてはいわゆる西洋文明というものは語れぬほど、その精神的な支柱となってきた。

また、例えば仏教は、武力によらずに広がった唯一の宗教として、その国々の文化や政治に大きな影響を与えて、その精神的風土形成に大きく資してきた。

しかし、それらはいわば結果であって、決して初めから設定された目的ではなかった。
しかし、今の宗教への人々の期待、つまり現代文明を導くものとしての宗教というのは、初めから宗教に目的を設定することである。果たして、それは可能であろうか?

また、そもそも現代文明の行き詰まりとは、それらキリスト教や仏教自体に起因するものなのではないか?
そのためがゆえに、宗教による悲劇を人類は経験してきたのではなかったか?
それなのに、何を今さらキリスト教や仏教に期待するというのか?

だが、もはや科学のみでは限界であることは、はっきりとしている。
この時、宗教に何が期待できるのだろうか?
いや、具体的に宗教は何をすべきなのだろうか?
とりわけ、信仰を持つ人々には何が期待され、また何をすべきなのだろうか?

宗教を見直せと言う。宗教の負の遺産を反省しつつも、正の遺産に着目しその可能性を探れと言う。
では、具体的には何をどう見直せと言うのか?

その見直しによって、社会との有機的な繋がりを再び持つことが、宗教には可能であろうか?
シュライエルマッハーの定義が如くの絶対的依存と、無限に対するあこがれは、現代人にとって可能であろうか?

人は無限に対するあこがれを持たざるを得ない。伝統的な宗教が意味を失い、科学にも希望が持てぬ時、もはや宗教と呼ぶには躊躇われるものに、希望を見つけようとする。

これらを含め、宗教というものについて、信仰を持つ方から持たない方、いろいろな立場の方の意見を、問いたいところではある。
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2009/11/8

現時点で思うこと  

< 1 改めて初期仏教と大乗仏教との違いについて >

ここしばらく、仏教における初期と大乗の違いについて自分なりに拘ってきたが、その中で、いくつかのことを、自分なりに明確にすることができたと思う。

それは結論から言えば、初期仏教と大乗仏教とを、同じ仏教として一つにまとめて括って考える事には、やはりかなりの注意が必要であるということだ。

初期と大乗とでは明らかな認識の違いがあり、とりわけ、煩悩をどう捉えるのかということにおいては非常に大きな違いがあり、この違いによって、その成仏観や釈尊観、また人間観もが大きく違っているということだ。

そして、煩悩をどう捉えるのかということにおける両者の違いがなぜ生じるのかと言えば、この世界を、そして人間を、釈迦が肯定的に捉えているとするのか、否定的に捉えるいるとするのかという違いによって生じるのだと、自分は感じている。

この世界は苦に満ちている。だから、この苦を取り除くためには、最終的には自己の消滅をもってその理想とするのが釈迦の立場であるとするのが初期経典であり、それはいわば、この世界の否定であり人間の否定であり、「生」への否定であるように自分は思う。
仮に、それを否定ではなく肯定であるとしても、それは後ろ向きの肯定、消極的な肯定だと言うべきであると思う。

それに対して、この世界は苦に満ちてはいるが、この世界から離れることはできず、この苦と共に生きることにおいてしか悟りは無いとするのが釈迦の立場だと捉えるのが、大乗仏教の経典の一つの法華経であり、それはいわば、この世界の肯定、人間の肯定、「生」への肯定であると、自分は思う。
煩悩の肯定、人間の肯定、それは人間への信頼であり、積極的な「生」への肯定であると言えるのだと思う。

では、釈迦はこの世界を否定的に捉えたのか肯定的に捉えたのか、いったいそのどちらが本当なのだろうか?
おそらく、今までに考えてきた初期と大乗の様々な違いというのは、この一点に全てが集約されるのであり、この一点における違いが、その他の全ての違いになっているのだと、自分は思っている。

< 2 直接的には語られなくとも、そこで語られているもの >

一般的に、仏教は一種のニヒリズムであると言われることが多く、確かに初期経典などを読む限りにおいては、この世界に積極的な意味を与えているような直接的な言葉は、そこには少ないように思える。
ましてや、煩悩の肯定、この世界の肯定、そして人間の肯定などを直接的かつ積極的に示すような言葉は、そこに見つけることはできないし、「生」への肯定などという姿勢を見いだすことはできない。

だからこのことをもって、法華経の説く、煩悩の肯定などというような「生」への肯定は、後世の創作や拡大解釈であって、釈迦の直説ではないとするのもまた一般的には良く言われることなのだが、これは確かに一つの事実ではあると思う。

思うに、初期仏教への批判とは、それがエゴイズムなのではないかといったことに尽きるのではないだろうか。
そして、大乗仏教への批判とは、それが釈迦の言った教えではないのではないかということに尽きるのではないだろうか。

しかし、それが釈迦の言った教えではないとする見方は、釈迦の言葉の表面だけを見、初期経典の言葉の字面だけを見、その奥にある釈迦の言葉の真意を見ていない人にとって、妥当する事実ではないだろうかとも思う。

確かに釈迦は、煩悩を肯定はしなかったし、この世界に積極的な意味を与えなかったし、「生」への肯定、人間への信頼などということを直接的かつ積極的には語らなかった。

しかし、ではなぜ、何のために釈迦は自らの悟りについて語ったのか?
釈迦は、人々のより良き「生」を願って自らの教えを説いたのであって、決して人々に、この世界からの消滅を促したのではないはずである。

そこには明確に、「生きよ!」という釈迦のメッセージが見て取れないだろうか。
この世界は無常であり、この世界には何の意味もない。しかし、人はこの世界で生きねばならず、生きる以上、この世界を意味あらしめるように生きよ。それが人間にはできるはずである。
それだからこそ、釈迦は人々にその教えを説いたのであり、その釈迦のメッセージに従ったからこそ、釈迦の十代弟子たちもまた、釈迦の教えを積極的広めていったのであろう。

釈迦の教えを聞いた者が、積極的にこれを広めようという、または後世に伝えようという意志を持たなければ、どこかで途絶えてしまっていたはずである。
だからこそ、テーラワーダの人たちも、わざわざ日本にやって来て、その教えを説くのではないだろうか。

無常の世界に生きることを促す。それは「生」を無意味なものではなく、意味あるものと捉えることであろう。
それが、釈迦が直接的には語らずとも、暗黙に、だが明確に語っていることであり、これを感じるか感じないかが、大きな分岐点となる。

「生」への肯定。しかも、徹頭徹尾の肯定。これが釈迦が直接的かつ積極的には語らなかったことであり、尚且つ釈迦の発した一番のメッセージである。
これは、創作でもなければ拡大解釈でもない。自分はそのように思う。
これを感じるならば、煩悩を肯定もできるし、釈迦は人々のために積極的に教えを説いたと見えるのだと思う。

< 3 エゴイズムについて >

端的に言って、初期経典で言われる「悟り」とは、自己の悟りのみに拘る一つのエゴイズムであると自分は思う。
これは初期経典への批判としては良く言われることだが、では、「利他」を説く法華経などで言われる「悟り」はエゴイズムではないのかと言えば、これもまた一つのエゴイズムであることに違いはない。
何のための「利他」かと言えば、それは結局自分のためであり、徹頭徹尾、自分以外の他を利することを目的とするというのは難しい。

しかし、より詳しく見れば、初期経典と法華経には、ここに大きな違いがあるのだと言える。
なぜなら、法華経では自己のみの悟りということを考えるよりも、自己以外の悟りがあってこそ自己の悟りが成り立つと考えるのであり、自己の悟りのために努力するのではなく、自己以外の悟りのために努力した時にこそ、真に自己が悟れるとするからである。

これを「大我と小我」といい、自己の悟りという小我から離れ、他の悟りのためという大我に立つことで、はじめて自己の悟りもあるのだとしている。

これは、「縁起」という考え方からも帰結されるものであり、そこには「依正不二」という考え方もあるのだが、この「大我と小我」、「依正不二」というものもまた、初期経典では直接的には語られることがないが、その認識が明確に見て取れるものであり、釈迦の認識を正しく伝えるものであると、自分は思う。

同じエゴイズムではあっても、この点において、初期と法華経では違いがあることに注意したい。
(このことの是非については、後日さらに詳しく説明させて欲しい)

< 4 形而上学的なものについて >

仏教でもキリスト教でも、その初期においては偶像崇拝を明確に禁止していたのにも関わらず、時代が下り、その初期の精神が薄れるにしたがって偶像崇拝が行われるようになってしまったという事実は、確かに人がいかに形而上学的なものを求めてしまうかということの証左であるのには間違いがない。

だが、人が形而上学的なものによって自我を安定させるという話を、自分はあまり信用できない。
それは、自分が、形而上学的なものによって自我を安定させているという人を、自分を含めてまるで知らないと思うからだが、これは単に自分がそのことに気づいていないだけだろうか?

自分は、人が自我の安定のために形而上学的なものを求めてしまうのではなく、そもそも自我が形而上学的なものであり、形而上学的なものによって自我が可能なのだと思う。
だから、求める求めないに関わらず、人は形而上学的な存在なのだと思う。

例えば、西洋哲学の歴史をごく大雑把に振り返ってみると、プラトンに始まる形而上学を、いかに批判しようとしてきたのかが西洋哲学の歴史であって、それは形而上学的なものを拒否しようという運動の歴史であって、その拒否の運動自体がまた一つの形而上学と化してしまい、それがまた批判の対象となってしまうという繰り返しの歴史であったと、自分は思う。

それは、形而上学を否定することによって自我を安定させようとしてきた歴史なのであって、決して形而上学を肯定することによって自我を安定させようとしてきた歴史ではないように見える。
つまり、「自我の安定=形而上学の肯定」なのではなく、「自我の安定=形而上学の否定」が西洋哲学の歴史なのであり、形而上学を拒否しても拒否しても、なおそこに形而上学が残されてしまうのであり、それは人間の意志に反してさえも残されてしまうのであり、決して人間の意志にのみ帰すべき問題ではない。

また、そこに、「死」への恐怖から形而上学的なものを求めるという事態を、あまり見つけることができない。

そして、このことは仏教哲学についても、ある程度当てはまるのではないかと自分は思っている。

だから、自我の安定のために形而上学を求めるというのは確かに半分は当たっているが、半分は外れているし、死への恐怖から形而上学を求めるというのも半分は当たっているが、半分は外れている。そう自分は考えている。

ここには、法華経の正当性を主張したいという気持ちも無くはないだろうが、基本的にはそれとは無関係であると思っている。

< 5 日蓮宗諸派 >

釈迦をその祖とする仏教にも、そこに大きな違いがあるように、日蓮を宗祖とする日蓮宗諸派にも大きな違いがある。
初期仏教や他の大乗仏教の人たちは、自派と他派との違いには割合に淡白な印象があるが、日蓮宗諸派はその教義の性格上、他派との違いには敏感になる。

外部から見れば、それは些細な違いに見えて、それに拘っているのが滑稽に映るかもしれないが、当事者にとってはそうはいかない。
とりわけ、創価学会、顕正会、立正佼成会、法華講といった団体は、それぞれが、「自身のところのみが正しい日蓮の理解をしている」と主張しており、日蓮宗諸派として一括りにされて考えられることを最も嫌い、真面目にやっている人ほどその傾向は強く、時としてはそれを屈辱のように感じる場合もある。

その違いについては、ここでは触れないが、このことだけは知っておいて欲しい。

ところで、日蓮の説く悟りが、釈迦の説く悟りとは違うというのは、どういうことなのだろうか。
「日蓮本仏論」というものを、今まで疑うことなく自分は考えてきたが(日蓮を宗祖とする宗派全てが「日蓮本仏論」なのではないが)、
そのあたりについては、今、自分なりに考えているところではある。
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2009/10/28

◆「大乗」と「初期」の違い 2  

前回、自分は、大乗仏教と初期仏教との違いは、「出家と在家」との違いだと、かなり強引な事を書いた。

初期経典の『スッタ・ニパータ』において、
出家信者には今世における悟りが認められるのに対し、
在家信者には今世における悟りはなく、来世での天界への生のみが認められるという違いがあり、
それが大乗仏教と初期仏教との違いになっていると書いた。

だがこれを、出家信者は今世で悟れるが、在家信者は来世で悟れるのだと理解してはならない。

初期経典の『スッタ・ニパータ』には、

〈 信仰あり在家の生活を営む人に、誠実、真理、堅固、施与というこれら四種の徳があれば、かれは来世に至って憂えることがない。 〉

などとあり、徳のある在家信者は死後に天界に生まれるのであって、死後に悟れるとはされていない。

悟りとは、輪廻から脱する事であり、天界に生まれる事は輪廻から脱する事ではない。
天界とは、在家信者にとって到達しうる最高の至福の境ではあっても、輪廻の一環としての一世界に過ぎず、
この輪廻の一環から脱する事が悟りなのであり、悟りを得たならばもはや天界にすら生まれる事も無い。
つまり悟りとは天界をも超えたものなのである。

だから、在家信者は死後に天界に生まれ得るのみで、それを超える事はできない。
ここに、出家と在家には大きな違いがあるのであり、出家信者は悟れても、在家信者は悟れないという違いを見落としてはならない。

しかし、出家信者でなければ悟れないというのであれば、在家信者にとって釈迦の教えとは何だろうか? 在家信者にとって悟りとは何だろうか?
この事は釈迦在世当時も、当然問題となったはずである。

しかし『スッタ・ニパータ』などでは、在家信者が天に生じるとはあっても、悟るとはどこにも書かれておらず、在家信者の悟りについては不問のままである。
と言うより、在家信者では決して悟れないとなっている。

これは、現代の私たちが持つ仏教のイメージからすれば、かなり奇異な事に映る。
しかし、釈迦在世当時の人々にとっては、在家信者の悟りというのは問題とならなかった。
悟りとはあくまでも出家信者のためのものであり、在家信者にとっての釈迦の教えとは、あくまでも死後に天に生まれるためのものであって、そこに何の矛盾も無いのが当時の一般的な考え方であったようだ。

しかし時代が下るにつれて、この違いが表面化してきたのだか、
それはまず、出家信者の側において、サンガの運営方法や出家者の生活上での決まりをめぐっての違い、
つまり「律」の解釈をめぐっての違いとなって表面化している。

それをここで詳しく説明する余裕はないが、釈迦在世当時の律をそのまま厳格に行う事が、
社会的な変化などによって難しくなってきたという事であり、
出家者の世俗化が避けられなかったという事である。

ここに、律を現実に即して柔軟に解釈し直すべきだとする人々が生まれ、仏教は初めて分派している。
これを根本分派と呼び、上座部と大衆部に仏教は分かれてしまい、この時代の仏教を部派仏教と言う。

この時代にはまだ大乗仏教というものは成立していないようだが、その成立の契機はここにある。

つまり、インドという多種多様な民族の集まりである地域に広がった仏教は、その多種多様な価値観や風習に対応する必要に迫られ、
また、商業が発達して貨幣経済が浸透した社会とは、仏教は無関係ではいられなかった。

そのために律の解釈に幅が必要とされたのである。

そして、悟りのための律の解釈に幅が必要であったということは、悟りのための「戒」、すなわち釈迦の教えに対しての解釈にも幅が必要であったということであり、
その必要に応えようとしたのが、大乗経典編纂の人々であって、
それまでの出家信者に対しての仏教を、在家信者に対して発信しようとしたのがその人々だったのである。

つまり、初期経典は主に出家信者に対してのものであるが、大乗経典は主に在家信者に対してのものであり、そのために初期と大乗とでは大きな違いがあるのである。
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2009/10/17

◆仏教はどれも同じか?  

仏教にも様々があり、釈迦という一人の人間の教えに対して、それぞれが自らの正当性を主張するために、もはや別の宗教ではないかと思える程の違いがそこにはある。

この事について、仏教の目指すものはみな同じであって、その違いはそれぞれが都合の良い勝手な解釈をするからだという事が言われたり
「山の頂上への道は決して一つだけではない」などと例えられ、その方途が違っても結果は同じだなどと言われたりするが、
自分はこのような考え方に、はっきりとは言葉にする事のできないある抵抗感を覚える。

とりわけ、仏教はどれを選ぼうがそれは個人の感性の問題であって、方法は違ってもたどり着くところはみな同じであるというような考えに対しては、
それが妥当な考え方である事を認めながらも、何かが違うのではないかと感じる。

おそらくこの違和感は、自分が育った宗教的な環境からくるものだが、それは自分だけの個人的な問題ではない。

例えば、釈迦もイエスも孔子も結局はみな同じものを目指しているという事が言われるが、
だからと言って、自身の生き方としてどれを選ぼうとも大した違いは無いなどと言えるのは非信仰者だけであろう。

同じく、仏教はみな釈迦の教えなのだから、大乗仏教であろうが初期仏教であろうがどれを選ぼうとも大した違いは無く、
目指すものは同じだなどと言えるのは、自身が選んだもの以外への理解不足のゆえの発言であろう。

なぜなら、仏教とはどれもが「悟り」を目指すが、何をもって悟りとするのかがそれぞれ異なっているのだから
軽々しく、どれも目指すところはみな同じだとは言えないはずである。

ところで日本の仏教を見た場合、その違いは、どの経典を自らの根本的な経典とするかによってその宗派の違いとなる。

『法華経』を根本とするなら天台宗や日蓮宗であり、『般若心経』ならば禅宗、『無量寿経』ならば浄土宗というように、
その宗派がどの経典を自派の根本経典とするかによって、その説かれる内容が大きく異なっている。

そして経典によってその説く内容が違うのは、それぞれの経典の成立した歴史的また地理的条件がさまざまであるからであり、
日本における仏教の違いについて考えるならば、そのそれぞれの宗祖について考えるよりも、経典の違いについて考える事の方が、
より事態が分かりやすいのではないかと自分は思う。

しかし、それぞれの経典の成り立ちについての考察というものは、とても自分の手に負えるものではない。
だからまずは、大乗仏教と初期仏教という大まかな区別に沿って、仏教はどれも同じか?という事を考えてみたい。

自分の理解では、大乗仏教と初期仏教とでは、その取るべき方途はもちろんの事、その目指すべき「悟り」においても違いがある。

釈迦は「苦」の克服を目指したのだが、
初期仏教では、苦の原因はものへの執着にあるとして、ものへの執着を断つ事をもって悟りとするが、
大乗仏教では、ものへの執着を断つ事ではなく、ものへの執着と共に生きる事、
ものへの執着に左右されるのではなく、ものへの執着を上手く利する事をもって悟りとしている。

初期仏教の経典『スッタ・ニパータ』には

< 交わりをしたならば愛情が生じる。愛情にしたがってこの苦しみが起こる。愛情から禍いの生じることを観察して犀の角のようにただ独り歩め。 >

< 妻子も、父母も、財産も穀物も、親類やそのほかあらゆる欲望までも、すべて捨てて、犀の角のようにただ独り歩め。 >

などとあり、執着を捨てることを促している。

しかし大乗仏教の経典の『維摩経』『無量寿経』『法華経』などでは、ものへの執着を煩悩であるとし、
「煩悩即菩提」という法理を明かして、煩悩を断じ尽くす事が必ずしも必要ではないとしている。

これを日本の鎌倉期の日蓮などは、

< 正直に方便を捨て但法華経を信じ、南無妙法蓮華経と唱ふる人は、煩悩・業・苦の三道、法身・般若・三諦即一心に顕われ、其の人の所処は常寂光土なり >

と書き、煩悩を直ちに菩提=悟りと転じることができると説いていて、煩悩(執着)を断じ尽くすことよりも
それを利することを眼目としてこれを悟りとしているが、このようなことは日蓮だけでなく、法然や親鸞なども説いている。

自分は、このような「悟り」についての捉え方の違い一つだけをとってみても、仏教はみな同じだと言うのは迂闊ではないかと思うのだが、
以降しばらくは、大乗仏教と初期仏教との違いについて、特に悟りと苦とについて、更に自分なりに考えたいと思う。
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