(無題)  

黙つて宿を移さうかと思つた。P研究所といふ勤め先を知られてゐるので、なにもならない。もう二度と会はぬ決心をしたから、待つてゐてもむだだといふ電報を打つた。
 すると、間もなく速達で――
「待つなといふお前の気持は察せられなくはない。しかし、同じパリにゐて、いつまでもお前に会へないとは、どうしても信じられない。いつかといふ希望をまつたく失はせるやうな事実が、眼の前に現れない限り、自分はお前を待たないわけにいかない。さういふ事実を、お前が作るか、自分が作るか、どちらかだ。お前にもしそれができなければ、自分の方で作らうと思ふ。しかし、どんな方法を選べばいいか。自分は今、アフリカへ行つてしまふこと(チュニスに友達がゐて、来いといつてゐるから)と、もうひとつは、これは愚かなことだけれども、永久に眼をつぶることと、この二つを考へてゐる。
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こころの情報について  

形式としての空間を利用して、内容としての何物かを付加しつつ、空間以外の或る問題はかくして解かれるであろう。併し空間そのものは使用されただけであって問題とされずに終っている。形式と内容とは実は始めから分つことの出来ないものであると云うかも知れない、即ちどこからが形式であり何処からが内容であるかは決定出来ないと云うかも知れない。併しそれならば空間が形式であるということがすでに云えなくなって了う。形式・内容に於てどこからが制約でありどこからが制約されるものであるかが明らかでないならば、即ちどこからが空間でありどこからが空間でないものであるかが明らかでないならば、空間は捉え難いものとなるであろう。空間が形式であると云うからには、たとえ一般に形式・内容の絶対的区別が不可能であろうとも、少くとも空間に就いては空間ならぬものとの区別が与えられるという着想がなければならぬであろう。この時すでに形式・内容の一種の絶対的区別――一つの Atomismus――が主張されている。それにも拘わらずこの絶対的区別の不可能をば形式・内容なる抽象概念を超えて――抽象概念としては形式・内容の絶対的区別は不可能である――具体的な概念である空間にまで徹底させるとすれば、それは一つの云い抜けに過ぎない。何となれば凡そ抽象的な対立概念で絶対的区別が不可能でないようなものは一つもあり得ない。独り形式・内容、制約・被制約ばかりには限らないのである。併しそれであるからと云ってこの抽象的対立概念を用いた為めに具体的対立までが相対化するので あるならば、そのような対立概念は使用に耐えないほど危険であるであろう。
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