(無題)  

そこで自分のことを考えて、自分は前世で罪を犯して地獄の責め苦を被っているから、今またこんなことをしてはならないと思ったので、大声をあげて人を呼んだ。秀才と本妻が起きたので、悪少年はやっと逃げて往った。
 それから間もない時のことである。ある夜秀才は曾を自分の室へ泊めた。二人の話がはずんできたので、曾は自分の身のうえのことを訴えていると、不意に大声がして室の戸を荒あらしく開け、二人の盗賊が刃を持って入ってきて、とうとう秀才の首を斬り、衣服を嚢に入れて取って往った。曾は夜具の中に円くなって隠れ、息を殺していたが、盗賊が往ってしまったので、そこで大声をあげながら本妻の室へ奔って往った。本妻はひどく驚いて、泣きながらいっしょに秀才の室へ往ってしらべた。そして、とうとう妾が奸夫に良人を殺さしたものだという疑いが起ったので、それを訴えた。刑吏は曾を捕えて厳しく訊問した後に、とうとう極刑を以て、処分することになった。それは手足を切りおとし、次に吭を斬って死刑に処するのであった。
0

ワインバーについて思う  

きっと純文学はついこのごろになって初めて始まった文学のことでしかないに相違ない。
 純文学 は知らないが、しかし本当の文学は、それにも拘らず昔からあった。否、昔からあった文学がこのごろ無くなりそうになったと思えばこそ、純粋な 文学が問題になったのではなかったか。
 文学の純粋性という問題がどう解けようとも、それとは別に、純文学と不純文学(?)との区別は、依然として問題なのである。
 純文学の本家である文壇文学は、元来がジャーナリズムの本山であったものが、今ではジャーナリズムに見放され、少なくともジャーナリズムの上では衰亡しようとしている。ジャーナリズムは大衆文学に秋波を送り始めた。そこで人々は諦め顔にこう定義する、「商業主義にもとづくジャーナリズムの掣肘」を「全然うけまいとする文学」が純文学なのだ、と。
 だが文壇という組織は本来が資本主義的ジャーナリズムによって盛り立てられたものだとすれば、嘗て文壇外に孤立していたと考えられる漱石や鴎外に較べて、文壇文学はそれだけ初めから純文学でなかった、ということになるが、それでも好いのであるか。
 元来、文学は科学に較べて、一定の意味でジャーナリスティックなものである。文学とジャーナリズム一般とを機械的に区別して対立させることは、俗悪な文学者か愚劣なジャーナリストかの迷信である。
0




AutoPage最新お知らせ