2012/12/16 | 投稿者: 高橋章子

  第 三 章

 そのころ信夫は、F町からさほど遠くないところの海辺で、ぼんやりともの思いにふけっていた。海から吹きつける冷たく凍ったような風は、信夫の頬を刺した。彼の頬は真紅になっている。

 信夫は今朝の出来事や、心身障害児施設“希望の家”の事を考えていた。
 「“希望の家“ではボクが来ないので心配しているだろうなあ・・・」
と思うと、信夫は心が痛んだ。園長先生の心配した顔、保母さんや指導員の顔、園生たちの顔が、代わる代わる浮かんでは消えた。

 信夫には海から吹いてくる冷たく凍った風が、自分の魂をゆさぶる叫び声を運んできたように思えた。それは障害児や親たちの苦しい心の底からの叫び声だった。
 「“希望の家“にはさまざまな障害を持った園生たちが、社会のゆがんだ風に耐えながら生きている。彼らは誰にも負けない純真な心を持っている」
 「社会は、人間として認めてくれない」
 「親が死んだらこの子を誰が世話してくれるのでしょうか」
 「子供たちにも生きることの大切さや、働く喜びの感じられる社会や施設を作って欲しい」
 「この子が成人を迎えても引き続き受け入れてもらえる施設を作って欲しい」
 「仕事に就ける子供たちが安心して通勤できる施設が欲しい」
 「町の中にグループで暮せる施設が欲しい」

 高校を卒業後、耳が聞こえず社会との交わりに嫌気を感じていた信夫に、心身障害児施設での仕事を勧めてくれたのは母親だった。

 信仰深い母親は、ある神父や篤志家が私財をなげうって、F町の半島の小高い頂に心身障害児のための施設を起こしたという古い新聞記事を思い出して、ハローワークと相談したり、希望の家に手紙を出したりして、園長に信夫の職業実習を実現させたのだった。

 信夫は心身障害児施設の置かれた実情などは、母親や園長から手紙で学んでいたつもりだったが、自分の耳が聞こえないことと、人との交わりを嫌って引きこもっていたことが、今さらのように悔やまれるのだった。

 「落ち込んではおれない・・・」
 海から吹きつける冷たい風が運んでくれた、障害児や親たちの叫びは信夫の魂をくすぐった。

 「そうだとも、みんな誰もが幸せに生きる権利があるのだ。それは誰にも侵されないものだ。人間を創ってくださった神々への義務だと言ってもいい。辛いことも悲しいこともあるだろう、だけど、それに負けたらだめなんだ。乗り越えて進まなきゃ。」

 信夫は、そう思うと今朝の怒りも消えて、清々しい気持ちになった。あの侮辱もあの悲しみももはや信夫の心になかった。海から吹きつける冷たい風と、信夫の魂との語らいが、信夫を一段とたくましくした。

 「よし、頑張るぞ。ボク以上に重い障害を背負いながら、ボクと比べることの出来ないような、純真できれいな心を持っている君たちのために、ボクはボクの持っている全てをぶっつけるぞ。やるぞ!」

 信夫は大きな声で誓った。その誓いはきっと、天まで届くことだろう。

 信夫は、涙を流しながら来た道を、「希望の家」に向かって、明るい笑顔で走って行った。


  第 四 章

 信夫が走ってくるのを、涙を流しながら喜んでいる一人の女性がいた。彼女の瞳はキラキラと輝いている。これは涙の輝きではなかった。喜びの輝きだった。彼女は玲子だった。

 玲子は信夫の叫びを聞いたとき、信夫の未来を想像した。

 「きっと立派な先生になるわ・・・」

 玲子は一年後、二年後の信夫を夢見た。信夫の周りで楽しそうにはしゃぎまわる園児の姿も、鮮やかに浮かびあがった。
 
 大きな体を折り曲げて、いたずらをした園児のお尻をポン!と、やさしくそして厳しくたたく信夫。遠くにいる母親を恋しがって泣き叫ぶ園児に添い寝して、園児の悲しみを少しでも和らげようとしている信夫を想像した。
ほのぼのとした暖かいものを感じた。

 信夫が玲子の傍を走り去った。両手の旅行カバンが宙を舞っている。玲子はしばらく信夫の姿を追っていた。

 「乗せてあげよう・・・」

 玲子はそう思うと、アクセルを緩めた。信夫は走り疲れて、立ち止まって大きく深呼吸をしている。玲子は車を停めて信夫に話かけた。

 「カバンが重たそうですね。どこまで行かれるのですか?」

 信夫はキョトンとしていた。彼には声は通じなかった。信夫は耳が聞こえないことを、身振りで示した。玲子はうなずき、手帳を取り出した。

 「カバンが重たそうですね。どこまで行かれるのですか? よかったら乗せてあげましょう」と、書いて信夫に示した。信夫は身をかがめてそれを読み取り、身振りを加えて断った。

 「結構です。F町の“希望の家”までですから。」

 玲子には信夫の言葉は崩れて判りにくかったが、身振りが加わっていたので理解できた。玲子は再び書いて示した。

 「私も“希望の家“に行くところです。だから遠慮しないで乗りなさい。それに”希望の家“がどこにあるのか知っていますか?」

 信夫は驚きと喜びの混ざった表情で、一字一句を読んでいった。彼は読み終えると返事を書いた。

 「実は、“希望の家”がどこにあるのか知らないのです。今朝来たのですが、分らないからくさっていたところです。僕、高橋信夫という者です。園の方なら知っておられると思います。よかったら、連れてって下さい。お願いします。」

 信夫の瞳は生き生きと輝いていた。今朝の出来事があったことから、まさか親切にしてくれる人がいようとは思えなかったのだ。

 玲子は信夫から返された手帳と信夫の顔を見比べて微笑み、乗るように手招きした。信夫は喜んで乗り込んできた。玲子は、体を折り曲げ乗り込んでくる信夫を見つめながら思っていた。

 「自分の身分を打ち明けようかしら・・・、そして今朝の出来事を尋ねるべか・・・。」

 信夫は乗ったのに一向にスタートさせようとしない玲子を、いぶかしそうに見つめていた。玲子は決断した。手帳を取り出すと、信夫が見やすいように、気を配りながら書き出した。

 「信夫クン、私が誰か分りますか? 小野玲子という者です。もう分ったでしょう。あなたは知っているはずです。園長があなたに出した手紙に、私のことが書いてあるはずですから・・・」

 信夫は”小野玲子”という名前が目に入ったとき、ギクッとした。まさかこの人が園長からの手紙に書かれている、信夫の世話をすることになっている、”小野玲子“その人だとは思えなかったのだ。玲子は信夫の驚きの表情に微笑みで応え、続けた。

 「・・・分ったでしょう。保母で主任指導員の小野玲子です。どうかよろしく。私がこうしてよその車に乗っているのは、あなたを捜すためだったのです。あなたが来るはずの時間になってもいっこうに来ないので、心配で園から捜しに降りてきたのです。そんなに、バツの悪そうな顔をしなくてもいいですよ。」

 信夫は首をすくめて、頭をかいていたのたった。今朝のあの出来事が信夫の頭を駆け巡った。しかし、もう悔しくも悲しくもなかった。強い確信が、大きな目的が信夫に芽生えていた。海辺での園児や親たちの叫びが、信夫をたくましくしたのだった。玲子は信夫のしっかりした様子に安心して、再び書き続けた。

 「・・・そうしたら、あなたがタバコ屋で揉めごとになって、市の方に歩いて行った、というじゃあありませんか。それを聞いた私の驚き、心配が分るでしょう。私は本当にビックリしました。警察にも電話しょうかと思ったほどです。決心をして“希望の家”に来ることになったあなたですから、帰ってしまうことはないと、信じていましたが、帰られたら私以上に園長が困るところでした・・・。

 こんなこと、言わなくてもあなたには分るはずです。普通ならあのようなことにはならなかったはずです。

 いえ、私はあなたを責めているのではありません。私は、私なりにあなたの気持ちを理解しているつもりです。少なくとも、あのときのあなたの気持は、分りすぎるほど分っているつもりです。私だってあなたの立場だったら、あなたと同じように怒鳴っていたかもしれません。

 私が言いたいことは、あの出来事は忘れてほしいということです。あなたは既に忘れることを誓い、反省しているはずです。私はそう信じています。

 私はあなたを捜しにここまで来たのです。そしてあなたをそこの海辺で見つけました。なぜあなたか、分ったのは写真であなたを知っていたし、こんなに寒い日に海辺にいる人といえば、あなたくらいだと思ったからです。

 私はあなたが立ち直るのを信じていました。だから私は、あなたを黙って見つめていたのです。あなたが気持ちの整理をして、一段とたくましくなって立ち上がってくれるのを、信じて待っていたのです。

 あなたは立ち上がってくれました。私の信じていたように、一段とたくましくなって。そしてあなたは叫びました。その叫びは私にも聞こえました。それはあなたの崩れた言葉ではありませんでした。あなたの魂からでた言葉でした。私の心を震え上がらせるほど鋭く、そして素晴らしい誓いの叫びでした。

 私はそのとき涙を流したのです。なんと言えばいいのかしら・・・。それは美しい涙でした。あなたならきっと分ってくれるでしょう。私はあなたの叫びを聞いて、あなたの未来を想像したのです。ええ、それは素晴らしい未来でした。

 あなたの耳は今のままです。言葉も同じです。しかしあなたは、私たちをリードして、園児たちのために一生懸命に努力しているではありませんか。園児たちは一段と明るくなり、あなたを友として兄として、時には母親、父親のように慕っているのです。頼っているのです。

 信夫クン、頑張りましょうね。私の想像したあなたの未来・・・これはあなたの叫びの上に成り立っているのです。あなた自身の未来なのです・・・が、実現するように頑張りましょうね。いえ、きっとそうなるでしょう。

 私の言うことはこれだけです。長くなりましたが、理解してもらえたでしょか・・・」

 玲子は書き終えると信夫を見つめた。信夫も見つめ返した。二人の頬には涙が流れていた。彼らは流れる涙を拭おうとしなかった。互いに美しく輝く瞳を見つめ続けていた。ここには、人間の性を超えた美しい心のふれあいがあった。それは誰しも否定できない素晴らしいものだった。

 玲子はアクセルを踏んだ。車は静かに動きだした。行く手には”希望の家“の白壁がまばゆいばかりに、キラキラと輝いていた。。


  
  第 五 章(追 章)

 それから三十数年の歳月が流れた。F町のバス停に停まったバスから、初老の紳士が降りてきた。信夫だった。ガッチリした体格はあのときの面影を残していたが、容姿は自信に溢れ堂々としていた。短く刈られた頭髪の白髪が年代に相応しくみえる。額のシワも経験を重ねた証のようで、信夫の人生を物語っていた。

 信夫は”希望の家“で職場実習を重ね、指導員として正式に働きながら、通信制大学で学び、社会福祉士や介護福祉士の資格を取得した。その後十数年間、”希望の家“で働いていたが、親が倒れ家業の農業を継ぐために、親元にUターンしたのだった。

 信夫はしばらく家業に専念していたが、家業の椎茸栽培のかたわら、近所の知的障害者のための農作業を中心とした、小規模作業所”夢の園“を親達の熱意で立ち上げたのだった。

 幸い無償で借りれる休耕農地があった。耕作が困難になった高齢農家の人たちの休遊ハウスで椎茸の栽培を中心とした、ハウス栽培からスターとした。

 また農産物の販売をする物産市場が近くに設立されることになり、企画の段階から信夫や親たちも関わることができた。そのための信夫は園生一人ひとりが利益を享受できる仕組みを作り上げることが出来た。

 世間の一般の小規模作業所やNPO法人格の福祉作業所が、行政の助成を当然のように受けて、園生の労賃も職員と大きな差が当たり前のように考えられているなかで、助成を辞退して、かつ園生の労賃も職員と同じ賃金体系として、格差を排除したのだった。 

 その後で園生の親たちの更なる熱意で、グループホームも立ち上げて、親亡き後の園生の暮しの心配をなくし、遠方からの園生の受け入れも出来るようにした。そうしたことから信夫や親たちの設立した農業法人格も持つ福祉法人”夢の園“は注目の的だった。

 信夫が久し振りに”希望の家“を訪れたのは、そうした信夫の活躍について、”希望の家“の職員や家族に話してほしいと、前園長のあとを引き継いで、新しく園長になった、かっての保母小野玲子の招きがあったからだった。

 信夫はバスから降りると、待ち合わせの場所まで歩いて行った。付近の景色は田園が住宅に変わりにぎやかになっていたが、タバコ屋はそのままだった。玲子が車を借りた八百屋は、スーパーになって賑わっていた。

 待ち合わせの場所に着くと、“希望の家”の車があった。信夫は車の後部席に人影を認めた。車のドアをノックする信夫。振り向く老婆。微笑みあふれんばかりの嬉しそうな笑顔。園長になった玲子だった。声にならない抱擁。二人の瞳はかってのように、涙が溢れ出てとまらなかった。 

 車が動きだした。坂道を登っていくと“希望の家”の白壁が見えた。信夫はキラキラと輝いていたあの日の光景が鮮やかに思い浮かんだ。玲子も同じだった。二人は微笑みそして固く握手した。窓の外はさわやかな風が流れ、二人の想いを祝福しているようだった。

       --完--                                                  




  (更新が遅れて、著者の徳安さんや読者の皆さんをお待たせして
   しまいました。すいませんでした --管理人)

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2012/11/25 | 投稿者: 高橋章子

青 年 の 詩
 
                    徳安利之



  第 一 章

 冷たい風の吹く寒い冬の朝、F町のバス停に停まった乗り合いバスから、一人の男が降りてきた。歳は二十幾つだろうか、がっちりした体格は、いかにも健康そうだった。

 彼はF町の地理に不案内らしく、あたりをキョロキョロ見回していた。両手には、大きな旅行鞄が重たそうに握られている。

 彼は少しの間思案していたが、何か思うことがあったのか、“タバコ”の看板を掲げた店に近付いて行った。そして尋ねた。

 「すみませんが“希望の家“にはどちらに行けばいいのですか?」
「えっ?何ですか・・・?」

 対応した店の若い女は、顔をゆがめて聞き返した。彼女には彼の言葉が通じなかったのだ。

 彼は同じ言葉を繰り返した。けれどもやはり通じなかった。彼の周りには、人だかりができてきた。彼には、彼の眼には、それらの人たちの眼が、嘲りに似た白いものに見えた。

 熱い血が、体を駆け巡り、口から、耳から、眼から、鼻から、ほとばしるのではないかという錯覚を覚えた。彼はそれほどの侮辱を感じたのだった。

 彼はカッとなって、同じ言葉を怒鳴った。店の若い女は、恐怖におののき、彼を取り巻いている周りの人たちに助けの眼をやった。

 一瞬の出来事だった。彼は、周り者に殴りかかりたいような、衝動を感じた。しかし、彼は理性でそれを抑えた。彼は、周りの者を睨みつけると、スタスタと歩み去っていった。その後姿には、なにか悲痛な陰がはしっていた。

 彼は悲しかった。悔しかった。自分の惨めな姿が、あまりにも悲しかった。そして、自分の置かれた立場を、いまさらのように、思い知らされるのだった。

 彼、高橋信夫は、耳が聞こえないのだった。幼児のころ、風邪をこじらせて打ってもらったストマイの副作用で、高度難聴になってしまったのだ。だからもう、耳は全く聞こえないうえに、言葉も崩れて、思うように話せないのだった。

 高橋信夫は、バスで来た道を、重い足取りで引き返していた。彼の心の中には何もなかった。夢遊病者のそれだった。彼には、何処を歩いているのかさえ、わからなかった。わかろうとしなかった。来た道を引き返せば、辛い試練から逃れることができるという、甘い気持だけが、足を動かしているのだった。彼の頬を、冷たい涙が流れてきた。それは、あくまでも冷たい涙だった。

「ボクは駄目な人間だ・・・」

 彼は、そうそう思っては、また激しく嗚咽するのだった。もし、彼の姿を見る者いれば、きっと涙を誘うだろう。今の彼には、あのバス停の彼ではなかった。あるのは、苦しみに打ちのめされた、惨めな姿だけだった。

  第 二 章

 ここ心身障害児施設“希望の家”では、来る事になっていた高橋信夫が、約束の時刻が過ぎても来ないので、心配していた。信夫はここで職場実習をすることになっていたのだった。

 園長から信夫を任されることになっていた、保母、小野玲子は責任を感じて、町に下りてみるのが最善だと思い、園長に話してみた。

 「園長、私、信夫クンを探しに町に下りてみようと思っていますが、よろしいでしょうか?」

 園長は、柱時計を見ながら答えた。

 「そうですね。もう、とっくに着いている時分ですね。信夫クンはF町が初めてだから、ここが分らないのでしょう。行ってくれますか?それでは頼みますよ。」
 「では、行かせてもらいます。たぶん、園長のおっしゃる通りだと思いますけど、虫の知らせ、とでも言うか、何かざわめきを感じますから・・・」

 玲子は、コートを引っ掛けて園を出た。時刻はもうお昼近くになるが、まだ寒かった。玲子はマフラーを持ってこなかったことを悔んだが、じきに暖かくなるのをあてにして、急ぎ足で、山を下りていった。

 玲子はもすぐ十年になる、ベテラン保母である。短大の障害児保育科を卒業するとすぐ、“希望の家“に来たのだった。二、三年で辞めていく保母の多い、重度心身障害児施設のなかでは、抜群の勤労年数である。特に“希望の家”のように、人里から離れた社会から隔離されたような施設では。
「重労働だ」
「結婚に差し支える」
「流行に遅れる」
「子供が好きで保母になったが、心身障害児のために、という自覚はない」
「資格を得るために、仕方なく来ている」
というように、若い女性が十年も勤めるということは、よほどの情熱がないと困難だ。そのようなことから、玲子は園長に信頼されていた。

 信夫の職場実習が決まったことも、他の保母たちは、消極的意見が多かったが、玲子だけは積極的に支持したのだ。そういう、成り行きのあったことから、信夫が予定の時刻になっても来ないことは、心配だった。

 「どうしたのかしら・・・」
F町に近付くにつれて、玲子の不安が膨らんでいった。

 F町は静かだった。何も変わったことはないようだった。玲子はバス停に行ってみた。けれども信夫はそこにはいなかった。あたりを捜してみたが、信夫らしい姿はどこにも見当たらなかった。

 「着いていないのかしら・・・」

 玲子は念のため、バス停の前の八百屋の主人に、尋ねてみた。
 「オジサマ、こんにちは!」
 「やあ、“希望の家“さんじゃあないですか。何かデッカイ買い物でもしてくれるのかいな?」
 「オアイニクサマ!違うんです。ちょっと尋ねたいことがあって。今朝の八時ごろ、市の方から来たバスから、二十二、三歳の男の人が降りてこなかったでしょうか?」
 「八時ごろ?二十二、三才?オッ!希望さん、恋人でも来たのかいな?それは・・・しもうたなあ。その時分は飯を食べていたんでねえ・・・、ワシは見なんだよ。かあちゃんなら知っとるかもしれんで。かあちゃん!ちょっと来てくれぇやあ。」

 玲子は主人の言葉に苦笑いしながら、おかみの出て来るのを待っていた。

 「やあ、こんにちは。山の子供達は元気にやっとるかね?」

 おかみは出て来るなり、そう言った。これは、おかみの口癖だった。

 「はい、おかげさまで・・・」

 終わりまで話さないうちに、主人が話しだした。

 「かあちゃん、希望さんの恋人が来たんだとさ。市の方から八時ごろに。二十二、三才で、でっかいカバンを持った人だとさ。待ちきれなくて下りて来たんだよ。この希望さん。」

 「おじさん、違うんです。その人は山で働いてもらう人なんですよ。私の恋人は山の子供たちなんですから。おばさん、見かけませんでしたか?その人は耳が聞こえないんです。なかなか来ないので、心配で下りて来たのですけど・・・」

 玲子はおかみの表情の変化を素早く読み取った。と、同時におかみの口元を見つめた。おかみは話しだした。

 「まさか、あの人が・・・」

 おかみは信じられないという風に、首を振った。玲子はせきたてた。おかみは続けた。

 「今朝、タバコ屋の前で一騒ぎがあったんよ。うちは行かんかったけえ、よく分らんが、なんでも、よそから来た男がタバコ屋で訳のわからん事を言ったんだって。あそこの店番に慣れてない娘さんが、対応になれてなくて、話が通じないもんだから、最後に怒鳴り声をあげて、市の方に歩いて行ったそうだよ。」

 玲子は話の終わりまで聞いていなかった。信夫であることが分ったいま、一刻でも早く信夫を捜すことが大事だと思った。玲子はおかみにお礼を言って、電話ボックスに走った。そして園長を呼び出した。

 「園長、大変です。信夫クン、F町から出て行ってしまったようです。市の方に歩いて行ったと八百屋で聞きました。なんでも、タバコ屋で騒ぎになったそうです。私はこれから八百屋の車を借りて、捜しに行きます!」

 玲子は受話器の向こうで園長が叫ぶ声を聞いたが、それには応えず受話器をおき、車を借りて走りだした。

 「困った事になったわ・・・」
玲子は心配でたまらなかった。

 「きっと無事だろうけど・・・」
玲子はそうつぶやきながら車を走らせた。     (続く)

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2012/11/25 | 投稿者: 高橋章子

このところ疲労がたまったのか 
すこし体調が思わしくなく
更新が滞り すいませんでした

とりわけ 小説のお原稿をいただいて
いた 徳安さんには 長くお待たせして
すいません 

小説の掲載を楽しみにしていらっしゃった
徳安さんをはじめとする皆さんにお詫び申し上げます

元気になりましたので 連載にして掲載いたします
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2012/9/15 | 投稿者: 高橋章子



  雑詠         山吹たかとし

   秋

大空に鰯雲湧く能登の国

夕紅葉そのひと色を愛すなり

秋七草活くるそばより乱れゆく

月こうこう神杉の幹眠られず

秋夜長余生わずかと言ひ聞かせ

さなきだに黄昏寂し帰り花

ぬかご飯一言ぽつり老夫婦

留めがねを忘れしとぼそ星月夜

かなかなは生きよ生きよと鳴き続く

身の丈の幸せかみて大根飯


   
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2012/9/8 | 投稿者: 高橋章子

  10 おばあちゃんの死

 田舎のおじさんのお母さんがとうとう八十八歳で天命を全うして、天国に召されて逝った。晩年は車椅子で行動に不自由な生活だったようだけど、おじさんやおじさんのお姉さん達に看取られて安らかに眠りについたそうだ。

 おばあちゃんは長い間老人ホーム暮らしだったけれど、絵を描いたり習字の習い事をしたりして、おじさんが週末に尋ねて来るのを心待ちにして静かに暮していたそうだ。

 ボクも時々連れてってもらい、おばあちゃんに会った事があるけど、ボクは人見知りがひどくて吠えていたから、おばちゃんは怖がってボクの傍に近寄れなくて。今思うと吠えなければよかったと、残念で申し訳なく思う。ボクが天国に召されたときは吠えたりしないで仲良くしてもらおうと思う。

 おばちゃんが若くて元気なときには、柴犬を飼っていたり、田舎のおじさんがもらって来たビーグルやコリーの老犬の世話を、勤めで時間のないおじさんに代わってしたりしていたそうで、本当は犬が大好きだったそうだ。

 おばあちゃんは亡くなった病院から葬祭場に運ばれる前に、おじさん達を育てた古家のあるところや、倒れる前に住んでいたおじさんの家のある団地、おばあちゃんが倒れてからお世話をしてもらっていた老人ホームなどをおじさん達家族と一緒に回ったそうだ。お通夜や葬儀は家族や親戚だけの密葬だったけど、孫やひ孫に囲まれて、生前のおばあちゃんの家族の団欒と同じように賑やかだったそうだ。

 葬儀やその後の法要を済ませた後おばあちゃんは、生まれ故郷の田舎にある、おばあちゃんの夫のおじいさんの眠るお墓で夫婦一緒に眠っている。久しぶりに夫婦で眠りについたおばあちゃん。永久に安らかな眠りが続くことをボクは願っている。

 ∞ エピローグ

 カズ君が結婚して若奥さんのユウコさんも一緒に暮らすようになった。二人の居間は三階の広い部屋。ボクはおしっこやウンチをこっそりするから、今まで入らせてもらえなかった部屋だ。これからは、カズ君やユウコさんについて一緒に入ることが出来るのが嬉しい。だけど腰を痛めてしまってからは自由に階段の上り下りが出来なくなってしまい、それだけは残念だ。でも上がりたい時や下りたい時はドアのそばに移動すれば気付いて抱えて連れてってくれる。

 カズ君の仕事は朝が早い。 外がまだ薄暗い時間には起きだして出勤する。ユウコさんも今までどうりの仕事を続けるから、平日の朝は忙しくてあまりかまってもらえない。だから朝の散歩や食事の世話をしてくれるのはもっぱら七十歳を過ぎた飼い主さんの主人だ。 

 人間は働かないと生活ができない世の中のようで、飼い主さんの主人もボクの世話をすますと自転車に飛び乗って近くの仕事場に出かけていく。飼い主さんも掃除や洗濯を済ませるとヘルパーの仕事に出かけていく。

 仕事が休みのとき、時々ボクを連れて買い物に行くこともあるけど、今日はボクは留守番みたいだ。ボクを抱え上げて、窓際のケージの上に作った外が見わたせる柵の中に入れると , 思いっきり抱擁して出かけて行った。柵の中には飲み水と、ボクの大好きなボール、そして寒くないようにと、暖かい毛布も置かれていて飼い主さんの心使いが感じられて嬉しい。   

 しばらく外の行き交う車の流れを眺めて、飼い主さんの帰りを今か今かと待ちながら、外の物音や人の気配に神経を尖らせて待っているが、やがてウトウトしだして眠りにつく。

 夢見るのは今夜の食事、週末のドライブに田舎さんのおじさんとのボール遊び。そしてヘレンケラーとボクの次元を超えた信・・・。

 ボクはエス家の家族に迎えられて幸せな半生だったと思う。これからも老いて天に還るまで、飼い主さんの変わらぬ愛情に感謝しながら生たいと思う。

 聞き覚えのある車のブレーキ音。ドアの閉まる音。階段を駆け上がる足音・・・。カズ君だ。ボクは眠りから目覚めると喜び溢れんばかりに三度吠えた。 (完)


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            ご愛読ありがとうございました 
            またどこかでお目にかかるのを
               楽しみにしています
                    著者
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2012/9/2 | 投稿者: 高橋章子

雑詠                      山吹たかとし



気配りのなき人と知る五月闇

逢ひし日も別れし時も楠若葉

人の世に遅れて暮らす冷奴

向日葵や童心いまだ衰へず

滴れる山ふところに抱かれて

短夜や眠れぬ人の息づかい

追伸に一句を添へて茄子の花

坪庭の闇に吸はるる黒揚羽

公園のはずれに匂ふ楠若葉
             
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2012/9/1 | 投稿者: 高橋章子

   8 コウノトリ先生

 田舎のおじさんの家から少し離れた「布」って言うところに、おじさんのお母さんの生家がある。広島市の真ん中を流れている大田川の中流に位置した、のどかな川岸の村。もう少し上って行くと名勝「三段峡」のある峡谷の村。そこにはおじさんのお母さんの古家があって、おじさんは週末になると決まって出かけていく。ボクも田舎に遊びに来ているときは、連れてってもらえる。農具や草刈機を車に積み込み、いざ出発。

 百年以上は過ぎたとっても古い家で、おじさんも少年のころ過ごしていたそうだ。その家は、今から十数年前に、付近を襲った豪雨で、裏山の沢からの土石流で床上まで土石が入りこんだ。その古家を、おじさんが友達の助けを借りて、土石を撤去し、その後丸二年近く週末大工を続けて、立派な別荘風の家に再生した。おじさんにとって愛着のある古家だ。

 その古家の周りは畑で囲まれていて、おじさんが家庭菜園にしている。レタスやサラダ菜、キュウリなどを作っているが、ボクが見ると上手とはとても言えない。畑はとても広くて草刈も大変そうだけど、ボクは思いっきりかけっこが出来て楽しい。

 その畑の一画に親戚の畑に違いないけど、持ち主の判らない畑があって、おじさんはちゃんとしておきたいと、農業委員会など、農地を管理しているところに問い合わせたりしたけど、教えてもらえない。 

 それでも諦めずに司法書士の先生と一緒に、おじさんのお母さんの過去をさかのぼって調べて、判ったのがコウノトリ先生だ。先生はおじさんのお母さんの母親のお兄さんの子供さんで、関西の方の医科大学の医学博士で遺伝学を教えている教授だ。

 司法書士の先生から、持ち主がわかったよ、と連絡をもらったおじさんは、大学の先生だと聞いて、どんな専攻を教えておられるのでしょうか?と、問い合わせたのだって。コウノトリ先生から、医科大学で遺伝学を教えていますよ、と返事があったそうだ。ビックリしてインターネットで調べてみたら、遺伝子を研究している教授でコウノトリの権威だと載っていて二度びっくりしたのだって。

 おじさんに代わって司法書士の先生が、おじさんの希望や事情を話して、コウノトリ先生や兄弟の方が、おじさんの希望を快く承諾してくださり、晴れておじさんが耕作できるようになったそうだ。

 おじさんはこの畑を大事にまもって、野菜作りが上手になったら、コウノトリ先生にお裾分けしたいと作業に励んでいる。

 田舎のおじさんとコウノトリ先生のように、人と人の「縁」って、不思議。おじさんにとって、全く知らなかった人が、縁を手繰っていくと、細くても立派な人と繋がっていると元気が沸いてくる。おじさんの生き別れた子供達も、きっとどこかでコウノトリ先生みたいに活躍していたら嬉しいと、ボクは思う。同時に、ボクの生き別れた兄弟も、どこかの家庭で幸せに暮していてほしいな。

   9 飼い主は飼い犬に似る?

 ボクもトシをとり動きが怠慢になった。飼い主さんの主人も、もうすぐ七十歳を迎える。日課の毎日の散歩の相手は決まって主人。ずっと散歩や世話をしてくれる様子を見続けて来たけど、歩く姿勢、動作全てがスローモーションビデオを見ている感じだ。

 ボクが椎間板ヘルニアを患ってから、散歩の主導権は主人がにぎっている。なぜかというと、廊下から玄関の土間の段差、玄関から歩道に下りる階段の段差の全てがハードルみたいで、脚がすくんで動けなくなるのだ。主人が抱えあげてくれるのを待つしか術のないボク。以前ならさっと抱えあげて疾風のように駆け下りてくれるのだけど、今頃は待つ時間がとても長く感じられるのだ。 

 ボクが腰を痛めて散歩が億劫になったように、主人も足腰の衰えが感じられてわびしい。
ボクが八年足らずで老いを感じるように、人間も七十年も生きれば、ある時期が来ると自然に還るときが来るのだ。そう思うと、僕も主人もそのときそのときを大切に生きなければならないと思う。

 家の前の川岸の草原で、いつもウンチをするのが、ボクの夕方の日課。殆ど決まった時間に決まった場所で、縄張りを侵す仲間の匂いを消しながら、ゆっくりした足取りで、主人について行く。散歩が終わると、抱えあげてもらって家に上がる。

 家に上がると、まず玄関で、濡れティッシュで両脚を拭いてもらう。次にする事は何だと思う? トイレの前に移動して主人が来るのを待つ。そうすると主人がやって来てトイレのドアを開けてくれる。ボクは喜んでトイレに入り尻尾を主人に差し出す。主人が尻尾をつかみ、お尻をきれいに拭いてくれる。それだけ? 違うよ次があるんだ。ほんのちょっとのトイレットペーパーなのだけど、主人が便器に捨てて水を流さない限り、ぼくはトイレから出ない。人間の幼子が水洗便器の水の流れの音に、関心をもつように、ボクの下の世話は便器の水洗の音を聞いて完了するのだ。

 人は「飼い犬は飼い主に似る」と言うけれど、黙って従ってくれる優しい主人をみていると、逆に思えるのだ。     (続く)
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2012/8/24 | 投稿者: 高橋章子

  6  ヘレン・ケラーの仲間たち

 ヘレン・ケラーは誰でも知ってる偉人だよね。犬族のボクがヘレン・ケラーの話をするのはなぜだと思う? それはボクの飼い主さんが、ヘレン・ケラーのように目が見えず耳も聞こえない「盲ろう者」のお世話をする資格や、病気などで体の不自由な人たちのお世話をする「ヘルパー」の資格を持っていて、そんな人たちの買い物や外出のガイドをしたり、掃除や食事を作ったりしてるからなのだ。

 世の中には田舎のおじさんのおばあさんみたいに体の不自由なお年寄りや、ヘレン・ケラーのように目が見えないのに耳も聞こえないとか、あるいは耳が聞こえないのに肢体も不自由とか、いろんな重い障害を重ねて持っている「重度重複障害者」の人たちが介助通訳者やヘルパーさんたちに介助してもらいながら、暮らしているのだって。

 田舎のおじさんも若いときに「盲ろう者友の会」を広島で立ち上げるときに、仲間の人たちと一緒に活動していたんだって。

 人間は耳が聞こえなくても目が見えなくても、残された触角などの感覚と、言葉や文字を点字や指点字、触読手話、さらには文字を手のひらや背中などの皮膚の感覚を使って意思を伝え合うことが出来るのだって。

 田舎のおじさんの話では、アメリカにはヘレン・ケラー・ナショナルセンターっていう「盲ろう者」になった人の自立訓練をする施設があるし、三十人近い盲ろう者が大学で学んでいるんだって。障害を理由で入学を断られそうになった経験のあるおじさんは、もう少し若ければ行ったかもしれないと、話していたよ。

 ボクは犬族なのだけど、ボクも田舎のおじさんや飼い主さんの耳が聞こえない事を理解しているのだと思う。何故かというと、おじさんにボール遊びをせがむとき、ボールを直接おじさんの手か体にタッチさせないとおじさんは気が付かないことをボクは知っているし、散歩に行きたいときはドアのそばに移して座る。そうすれば飼い主さんやおじさんが気付いてくれることを、ぼくは知っている。
      

  7  カズ君の結婚式   

 ボクをエス家に導いてくれたカズ君とユウコさんが、長い交際の末ようやく結婚する事になった。

 二月の吉日、広島港のすぐ近くにある、ヒロシマ・シーサイド・プリンセスホテルで、神前結婚式があった。ボクもエス家の家族の一員として、二人の前途を祝う人間の儀式に神妙にして参列した。

 新郎のカズ君は紋付袴。新婦のユウコさんは角隠しに打ち掛け。いつもはカジュアルな服装だけど、とても煌びやかな装いだ。

 神主さんや巫女さん、そして参列したボクたちが見守るなかで、カズ君とユウコさんが、三々九度の盃を交わし永遠の契りを結ぶ。ボクたち犬族にはない、人間だけの神秘的な儀式。ボクの両親が若くしてボクを産んだことを思うと、何故か人間と犬族の間に精神的な大きなギャップを感じる。

 カズ君の両親、ユウコさんの両親、参列者の紹介など、一通りの挨拶の後、最後にボクが紹介された。ボクは思わずうつむいて恥ずかしい気持ちに耐えた。

 披露宴が始まった。カズ君はタキシード、ユウコさんは純白のウエディング・ドレス。結婚式の和装と違い、いかにも若々しい装いで。カズ君やユウコさんの仲間たちの歓声がこだましてボクの耳に焼きついた。

 披露宴には田舎のおじさんや隣のおばさんなど、ボクのよく知った人達もいたけど、ボクの知らない人達がたくさんいたので、ボクは気遅れして飼い主さんの傍で小さく伏せてるばかりだった。

 プログラムが捲られ、最後にカズ君とユウコさんの両親への挨拶と花束贈呈。この時ばかりは飼い主さん夫婦は感無量だったと思う。だって耳の聞こえない二人が、誰にも恥じることなく息子をここまで育てあげ、その息子が今、可愛い妻を娶り新しい家庭を築いていく。今までの様々な思い出が幸せに転換する、その瞬間にいるのだもの。若き二人の幸せが永遠(とわ)に続くことをボクも願っている。

 披露宴もつつがなく終わり、カズ君達は仲間達に見送られてクルージング・ハネムーンに出発した。ボクや飼い主さん、田舎のおじさん達はそれぞれの家路についた。  (続く)
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2012/8/9 | 投稿者: 高橋章子

梅の木通信       7・8月号 no.92
発行日 2012年8月1日
         発行所    府中梅の木会
         府中市住吉町2−14−18
         中河原ストア202号
         電話042−368−5337 
                             仮名
ボランティアに参加して
憩いの部屋に参加して最初に感じたのはメンバーの方々が予想外に明るく話し合っている光景でした。何故こんなに明るく振舞っているのか初めのうち理解できず、しばらく考えてみました。
 そして得た私なりの結論は、もともとの先入観が間違っていたのだということでした。実際はひとろひとりが背負っている厳しい現実をそれぞれが理解し、自分らしく前向きに生きてゆこうと考えている。このことが皆さんの気持ちを明るくしているのだと気づかされました。
 人間は極めて弱い生き物、誰もが自分の悩みや、不幸をつい社会や自分の周りの人々のせいにして自分を正当化しようとする、ずるい存在です。
 しかし、今私がお会いしている皆さんの内にはそのような後ろ向きの人はいない。
 人はけして一人では生きてゆかれません。人に頼り、頼られ、お互い助け合ってこその人生だと思っています。
 最近私は今日までいこいの部屋に参加してきて、少しでもメンバーの方々の手助けができたのだろうかと自問自答しています。〜しかし悩んでばかりいても何も前に進まない〜。
〜もっと多くの人々が参加し、共に悩み、共に前向きな話し合いを続けながら、一人一人が成長していける、〜みんなの力を借りて。
                         仮名
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2012/8/5 | 投稿者: 高橋章子

いますぐ原発の廃止を 福島第一原発事故という災害を前に

 東日本大震災によって引き起こされた福島第一原発の事故により、海や大地が放射能に汚染され多くの人々の生活が奪われた。現在も福島第一原発近隣の地域から10万人近くの住民が避難し、多くの人々が不安に怯えた生活を余儀なくされている。
 原子力の是非について、希望と夢の家出版 代表、高橋章子は、原発絶対反対、廃絶を述べる。
 核エネルギーの開発は人類にこれまでにないエネルギーを提供したが、広島や長崎に投下された原子爆弾やチェルノブイリの事故、東海村の臨界事故に見られるように、多くの人々の命を危険にさらし、生活を脅かし、後世の人々にも重い課題、被害を与えた。それゆえ、代表、高橋章子は核エネルギー、原発廃絶を断固支持する。
 今すぐ原発を廃止することに対してエネルギー不足を心配する声がある。
二酸化炭素削減の課題もある。私たちは命、自然を守り、子孫に安全で安心できる環境を残すために利益や効率を優先する経済至上主義ではなく、尊い命、美しい自然を守るために原発の廃止を今すぐ決断する。
 新たな地震や津波による災害が予測される状況で、日本国内に54基ある全ての原発が今回のような甚大な事故を起こす危険をはらむ。自然災害に伴う人災を最小限にくい止めるためには原発の廃止は必死だ。
 原発はこれまで「平和利用」の名のもとにエネルギーを社会に供給してきたが、同時にプルトニウムをはじめとする放射性廃棄物を多量に排出してきた。我々はこれらの、危険な廃棄物の保管責任を後の世代に半永久的に背負わせた。これを、倫理的な課題として思想的課題として考えなければならない。
 これまで、日本の国策として原発が推進された結果、自然エネルギーの開発、普及が遅れた。二酸化炭素削減のためにも、自然エネルギーの開発と推進を最優先する国策への転換が迫られている。また、原発には廃炉にするまで、長い年月と、多くの労働が必要になる。廃炉と放射性廃棄物の処理には細心の注意が必要だ。
 確かに現代の生活に電気エネルギーは欠かせない。しかし、大事なことは電気エネルギーに過度に依存した生活を改め、我々の生活全般のあり方を転換するという課題にある。
 日本には古くから自然と共生してきた、文化と知恵もある。
 今その伝統を再認識すべき時がきたと言えないだろうか。

              希望と夢の家出版  代表  高橋章子
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2012/8/5 | 投稿者: 高橋章子

緊迫するシリア情勢             


調停失敗 アナン特使が辞任へ       
  毎日新聞8月3日(金)1時20分配信
 (ジュネーブ伊藤智永、ニューヨーク草野和彦)

 シリア停戦を仲介してきたアナン国連・アラブ連盟合同特使は2日ジュネーブの国連欧州本部で記者会見し、任期末の8月31日付で特使を辞任すると表明した。
シリア北部アレッポを中心に政府軍と反体制派の戦闘が激化し調停失敗は確実となったためと考えられる。  潘基文国連事務総長は、辞表を受理し後任の人選に着手した。国際社会による、仲介のシンボルだったアナン氏の辞任により内戦状態のシリア情勢は重大な局面を迎え混迷が懸念される。
 アナン氏は安保理に「団結し持続的な圧力」をアサド政権にかけるよう要請してきた。しかし、安保理の対シリア制裁決議案は、中国、ロシアの拒否権行使により、3度廃案になり、アナン氏は事態打開を断念したと考えられる.潘事務総長は声明で中露の対応を「安保理内の分裂が仲介を困難にした」と、強く非難した。
 アナン氏は記者会見で「シリアの民衆は停戦に向けた国際社会の行動を待っているが、シリア政府と反体制派に和平プロセスを強制することは、不可能な状況だ」と述べた。

              転載 高橋章子


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2012/8/5 | 投稿者: 高橋章子

  4  田舎の家

 ボクの家から北に三十キロ位離れた広島市の北の端に安佐町って名前の町がある。昔は広島市ではなくて安佐郡のひとつの町だった。

 町の殆どが山地で、谷間を大田川の清流や支流が流れている。農林業が中心の町で、棚田や花木作りの集落が点在していて、住民は棚田や畑を耕作しながら、広島市内や隣の可部町の鋳物工場などに勤めて生活していた、のどかな近郊の農村。

 時代が代わり広島市と合併して広島市のベットタウン化して、住宅団地が小高い山の中腹まである近郊の町。緑豊かでオゾンがいっぱいで美味しい空気。高速道路のインターチェンジがすぐ近くにあり、車があれば市内中心部に行くのも三十分もかからない便利な団地に飼い主の友だちが住んでいる。ボクも週末になるといつも連れてってもらえる。

 そこに住んでいるのは一人暮らしのおじさん。ボクがエス家で暮らすようになった頃からボクを可愛がって遊んでくれる。おじさんはちょっとおっかない顔をしているけれど、とっても優しい。ボクにボール遊びを教えてくれたのもおじさんだ。ラグビーボールのかたちををした、ソフトボール位の小さなボールが、ボクとおじさんとの遊び道具。

 ボクがおじさん宅に着いて真っ先に探すのは決まってそのボール。置き場も覚えているから、すぐに見つけ出す。それからボールを銜えて音色や匂いに感触を確かめる。いつもと同じボールだ。ホッとするボク。

 次にするのはボールを銜えたまま、おじさんの傍に小躍りして走って行く。するとおじさんはボールにタッチして素早く投げる。 その瞬間、ボールを追っかけるボク。まるでラグビーをしているようで楽しい。おじさんは時々ボールを天井に向けて高く投げ上げる。 
ボクはイチロー選手みたいに格好良くバック しながら上手に口でキャッチする。ナイスキャッチ!喝采と歓声が聞こえてきそうだ。

 ボクとおじさんにはもうひとつ楽しいボール遊びがある。それはおじさんがお風呂に入るとき、なぜかボクはボールを銜えて一緒に脱衣場について行くのだ。おじさんが体を洗い始めると、ボクはちょっと開けてくれている引き戸の隙間から、おじさんをめがけてボールを転がす。口から離れたボールは勾配に沿っておじさんの方にころがっていく。おじさんがボールに気付き、ボクの頭越しに脱衣場の向こうに投げる。追っかけるボク。おじさんは、お風呂から上がるまで何回も繰り返して遊んでくれる。ボクはそんなおじさんが大好きだ。

  5 もうひとりのおじさん

 おじさんは普段は陽気で優しいのだけど、ふとすると、ぼんやり遠くをみつめて悲しそうな表情をする時がある。どうしたんだろうかと思っていたら、おじさんが独り言のよう呟いて教えてくれた。

 おじさんは若いとき歯科技工士をしていて、岡山の歯科医院で働いていたころ、奥さんがいて小学生一年生のお兄ちゃんと幼稚園生の妹を残して離別した悲しい思い出があって、二人の誕生日には、ごめんよ、ごめんよと、呟いて生きてきたのだそうだ。離別して二十五年過ぎた今でも、誕生日ごとに申し訳なく心に痛みを感じながら生きてきたそうだ。

 風の便りっていうのかな、元勤め先の先生や、仲良くしていた友だちなどから、二人の子供が大学に入学したとか、大型二輪で高速道路を遠く名古屋から帰って来たとか、瀬戸大橋を通って香川の大学に通ってるなど、節目ごとに伝えてもらっていたそうだ。最近では二人とも結婚して独立して世帯を構え、兄ちゃんに二人、妹に一人、合わせて三人の孫がいる事を聞いてとても嬉しかったそうだ。元気で生きているうちに一度は孫を抱きたいなと思ってるそうだ。

 立派に育ってくれた子供や、育ててくれた元奥さんやその両親に感謝してるけど、男親だから、会いたい気持ちは心に納めて生きているそうだ。

 おじさんには八十八才になるおばあちゃんが、家の近くにある老人ホームで暮らしている。おばあちゃんが元気だったころは一緒に暮らしていて、歯科技工所を一人でやっているおじさんが、朝早くから夜中まで仕事をするのを傍で支えて食事の世話などしていたんだって。

 ところがある日、バスで買い物に行って、そのバスに座ったまま脳梗塞で倒れてしまって。幸いバスの運転手さんが異常に気付いて、救急車を呼んでくれたそうで、処置が早かったので一命を引きとめ障害も軽くすんだそうだ。手足の半身に麻痺が残ってしまったけど、元気になって退院してまた一緒に暮らしていたけど、家に一人でいる時にまた倒れてしまって。

 それからは常時介助してもらえる老人ホームのお世話になっているのだって。家で介助しながら一緒に暮らせたらどんなにいいかと思いつつも、それが出来ない現実に心を痛めながら、再々面会に行ってやせ細った手をさすり、頬ずりして励ます事しかできなくて心を痛めているようだ。

 おじさんがこんな様子で心を痛めている時は、ボクもボール遊びをせがむのに気が引けて、おじさんが立ち直るまで、おじさんの傍に伏して待っている。するとおじさんは「よし」と声をあげて、ボクの傍に転がっているボールをつかんで、ボクをめがけて投げる。ボクもおじさんの元気復活に安堵してボールを追っかける。ボクとおじさんとの楽しい遊びの復活だ。(続く)

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                残暑お見舞申し上げます
                     著者近影    
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2012/7/31 | 投稿者: 高橋章子

社会福祉法人あけぼの福祉会「ビワの葉湯」

 府中作業所「は〜もにぃ」で購入しました。お風呂に入れて使います。説明書きが入っていました。

「自然の力が 活力を与える
 ビワの樹は、昔から各種の薬木の中でも最も効果が大きい『王樹』といわれています。
 ビワの葉には、アミグダリンという成分が豊富に含まれており、これが皮膚から体内に深く浸透して血液をアルカリ性にします。
 細胞に活力を与えて血液を浄化し、自然治癒力を高めるビワの葉湯をお試し下さい。

たんぽぽの家
〒183−0005 東京都府中市若松町3−40−1 ハイム河内
電話 042−333−7682 fax 042−333−7689 」

どうぞみなさんも機会がありましたら試してみてください。

  希望と夢の家出版   代表   高橋章子               
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2012/7/27 | 投稿者: 高橋章子

  2  ろう者の夫婦

 ボクがエス家で暮らすようになってしばらくしてからから知ったのだけど、ボクの飼い主夫婦は耳が不自由で、手指や腕を巧に動かして話しをする「手話」や、口唇を言葉どうりに動かして、その口の動き読み取って話しをする「読唇」を使ってコミュニケーションをするのだ。

 ボクは初めのうちは訳がわからずキョトンとして眺めていたけれど、だんだん耳が不自由で耳が聞こえない夫婦なんだと分かってきたのだ。だって、吠えて注目してもらおうと思って吠えるのだけど、吠えても吠えても、無視したように振り向いてくれないのだ。それで、耳の聞こえない夫婦だと判ったのだ。

 息子のカズ君はもちろん健聴者だけど、手話を巧に操って両親と自由にコミュ二ケーションしているよ。セールスマンなど知らない来客があると、ボクはキャンキャン吠えるだけなのだけど。

 後で知ったことだけど、耳の聞こえない家族のいる家庭では、家族みんなが耳代わりになって助けあって暮らしているのだって。

 カズ君のいないときは、ボクがまず人の気配を嗅覚や音で感じとって、知らない人なら、すぐ玄関に走り寄って吠えまくるのだよ。そうすれば耳の聞こえない飼い主夫婦も、来客者だとわかるんだ。

 世の中には「聴導犬」っていわれる賢い犬族もいるけど、キャンキャン吠えるだけのボクだけど、少しはエス家に役立っているようで、嬉しい気分を味わえるんだ。

 ではボクがどうやって手話の命令を理解して、応えられるようになったのかを語るよ。
  
 耳が聞こえて声も出せる人は、例えば「お手」なら「お手」と、同じ言葉を口酸っぱく言い聞かせて、言葉と動作を反復させて躾けるように、ボクは「お手」なら「お手」の手話を目の前で何回も反復して見せられながら、ボクの前脚にタッチして前に引っ張りだして、手話と動作を関連付けて、しっかりと覚えさせられたのだ。

言葉で書けばなんだ簡単だなって思う犬族仲間や人間もいるかもしれないけれど、飼い主とボクとの根比べだよ。実はね「待て」や「伏せ」の躾けを教えてもらうとき、目の前に好物の焼き豚をちらつかされて、美味しい匂いに食い気満々に。そんな中で思わず唸り声とともに飼い主の手にガブリと咬みついたことが何度かあったのだよ。ボクは体は小さいけれど、祖先は猟犬でお肉が大好物なんだよ。

 指を血で染めながらも、それでも諦めずに躾けてくれたのだ。飼い主の根気には感服だ。
 
  3  ドライブ好き

 ボクは週末になると、車に乗せられて郊外に向かう。走ること小一時。周りの景色は並みから緑豊かなのどかな田園風景に変わってゆく。

 車の後ろのトランクルームの上に作られボクの指定席。窓と同じ高さまでかさ上げされたベンチの上に気持ちよいフワフワのクッションが敷かれている。ここにも飼い主さんのボクへの愛情が感じられて嬉しい。

 ボクはここにデンと構えて伏して流れ行く外を眺めるのが好きだ。後ろを走る車からボクを指差して何か助手席の若い女性と微笑みあっている運転手。恋人同士なのだろうか。きっとそうだよ。ボクはそんなカップルをみつけると、いつもそうやって勝手に想像しお幸せに、と思いながら眺めている。

 でも、人間みんな犬好きばかりではなさそうで。時々ボクをみながら意地悪そうに牙をむく真似をする人もいる。そんな時ボクは本気で吠える。びっくりする運転手。首をすくめるボク。そうやってボクは指定席のベンチから後や周りの景色を眺めていると、車の快いンジンの響きでウトウトし、やがて眠りにつく。

 しばらくすると潮風の匂いで目が覚める。車窓の外は見覚えのある景色。赤いアーチの橋を渡ると海岸沿いに走る。やがて浜辺に。

 車が停まり小踊りするボク。ドアに向かって移動する。尻尾をちぎれんばかりに振りっぱなし。そう、ボクは海辺の砂浜を思いっきり走るのが大好きなのだ。街と違いここは自由。ドアが開いた。その瞬間、ボクは真っ先に車から飛び降りて、波打ち際に向かって思いっきり駆けって行った。  (続く)
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2012/7/21 | 投稿者: 高橋章子

エス家の人達           
     徳安利之

   0  プロローグ

 ボクはミニチュアダックスフンド。毛色はクリーム。性別はオス。齢はもうすぐ八歳になる。人間の年齢に換算すると壮年期くらいだろうか。

 犬族のボクがボクの半生を人間の難しい言葉で伝える気持ちになったのは、ボクの飼い主になった人が、普通の愛犬家と違い「手話」で話しをする「ろうあ者家族」で、ボクが他の犬族とは違う育て方で育てられたからだ。普通の愛犬家はボクたち犬族を躾けるとき、声をかけて「言葉」で教えるし、叱るときも「言葉」だけど、ボクは「言葉」の代わりに「手話」で教えてもらって、ちゃんと応えられるのだ。他にも「待て」や「伏せ」なども出来るのだ。自慢になるけどすごいだろう。

 ただ、恥ずかしい話だけど、トイレの躾けだけは甘やかされて育てられて、今でもこっそり居間から和室に抜け出してウンチを畳の上でしてしまうのだ。ボクにとって畳の香りは「草」のようで快い気持ちになるんだ。見つかったらこっぴどく叱られるけど、首をすぼめて怒りの収まりを待てば、また平安に。

 そういったボクの経験を知ってもらいたかったし、八歳になってめっきり体力の衰えを感じる出来事があったのだ。それはいつものようにベンチから飛び降りる時に、腰に激痛が走り後ろ脚が動かせなくなってしまったのだ。かかりつけの動物病院に連れて行かれ、「椎間板ヘルニアです。最悪なら手術が必要。しかし元どうりに歩ける保証はない」って診断がでたのだ。

 幸いレザー治療を続けてヨチヨチ歩きが出来るまで回復したので、手術はしなくてすんだけど、飼い主の慌てようったら、気の毒なくらいだった。それほどボクは可愛いがられていたって事かな。それではボクの半生を語るとしょう。

    1  生いたち

 ボクに添付されている「ジャパンケンネル」ってところの、曽祖父の代から記録されている血統証明書を見ると、ボクの誕生日は二千四年八月二日生まれで、枚方市のブリーダーの家で生まれた三つ子兄弟の一匹だって。幼いうちから離ればなれなんだけど、ボクの兄弟がどこかで生きていると思うと、胸に響く。

 血統証明書にはボクの両親の誕生日も書かれているけど、ボクとは二歳しか離れてなくて、ずいぶん若いんだ。人間が二十年かかって、やっと大人になって結婚したり赤ちゃんを産んだりすることが社会から認められる事を思うと、犬族の時計はずいぶん早く回っているようで、こそばゆいと言うか、気恥ずかしい。

 さて、ボクが産まれて二ヶ月になったばかりで、ペットショップのゲージの中で小さな体で愛嬌を振りまいているとき、飼い主の息子のカズ君とその恋人のユウコさんに見初められて、買われてエス家の家族の一員として迎えられたのだ。

 それは生後二ヶ月が過ぎた初秋のころだった。体重が五百グラムに満たない、人間の両手にスッポリ収まる小さな体だったのを、鮮明に覚えている。踏みつけられたらひとたまりもないのに、部屋中を走り回ってはおしっこして、「ボクの縄張りだぞ」と、自己主張していたようだ。今もトイレの我慢が出来ないのも甘やかされて育ったせいかな。
 ボクの新居になったエス家は、マツダスタジアムの近くにあって、三方を高いマンションに囲まれているけど、南が猿候川の川岸に面している、マッチ箱みたいな小さな三階建の家。

 夜、見晴らしのいい二階の居間の窓際に置かれたベンチに伏して、外を眺めるのがボクは好きだ。黄金山や比冶山のテレビ搭が見わたせ、平和橋や川岸の向こう側のオレンジ色の街路灯の灯りがとても綺麗なんだ。

 夏になると宇品港の港祭りで高く打ち上げられる花火も見える。だけど最近は川岸の向こうは再開発が進み、ノッポのビルが建ち並んでいるから、そろそろ見納めかな。

 腰を痛めた今も、飼い主にベンチに抱えてもらって、じっと伏して眺めるのが好きな日課になっている。  (続く)


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