2015/2/10  6:48

超絶面白かったPSYCHO-PASS2期  映画、観劇、マンガ、読書

ノイタミナのPSYCHO-PASS。2期。結論からいうと、2期は1期のifものである。柾陸とカガリが生きて帰還するとしたらという話。これをキャラクターをかえて、ラストまで突っ走った。構築が見事で、終わったころには涙で前が見えないすごい2期だったと個人的に思う。でも評価低いよね、、これ、大変な構成がされてる。2期だけBD買ってしまいそう。うる星やつらでいうビューティフルドリーマー的な作品だったかと。

カムイ。これは「ライ麦畑から出ていきたかった槙島」の逆回し。槙島の名前は聖護。ショーGO。僕を見せてやる僕は出てくぞ。カムイはCOME IN、カムイはライ麦畑という法の世界に入れてほしい男の子。とすると、What Color? は僕を法の中に入れてくれるか?の意味。WC?だけだとすごく面白くて、カムイは誰?カムイの中は誰?常守の部屋に入ったのは誰?とか誰が入っているの?とかそもそも入れるの?とかいろんな風にとれて、1期のキャラクターが差し替えられて進行した2期そのものとも言えるコトになっている。よー考えたですな、これ。

「偽りは、偽りであっても存在に対する無ではない」有名な、自己言及に対するパラドックスを用いてのカムイの自己紹介なんだけど、この2期が1期の救いのあるパロディだということをを詩的に表現していると思う。「2期はなかったこと」「映画を見ると2期はいらない」ふうんそう。「君ならわかってくれると思ってたのに」。名指しにされたお客さんたちにはやっぱりわかんなかったのだ。自分たちもまた、自己言及できないことが。免罪体質だの犯罪係数を語る人たちに、せいぜい言われているのが「2期は設定をだいなしにした」「2期のかんとくは1期を見てないんじゃないか」なのは、やっぱり笑うところ?すまんカムイ。まじすまん。存在自体が偽りで、認められていない子供だったけど、みんなの願いを叶えるから入れて、といって外から来た子。槙島が、グソンが「やりがいこそ全て」とばかりにボコボコにしたみんなを一人で癒していった子。自分を憎む兄の東金親子のことすら救うほどの優しい子。それとも、それすら客は「2期はいらない」として認めないか?とにかく彼は最初から終わりまで、人懐っこくて、ありふれた男の子で、かわいかった。

常守は今回はシビュラのなかみ、東金美沙子と対になっている。どっちも周囲を気にしないで高い能力のまま勝手をして、まわりから顰蹙をかう(笑)。そして裁かれたのが美沙子のほう。それだけだったんではないか・・・

1期でグソンはカガリと接触し、ノナタワー地下で「若いのに執行官なんて可哀想。ここで話をしないか」と持ちかけられる。これをカガリは断るが、カムイに薬物で拉致されたのが酒々井。カガリがのってたら、グソンは同じように彼を人質にしてドミネータを手にしたと思う。酒々井は青柳に連絡をとるが、カガリならきっとコウチャンだろう。

1期でカガリのドミネーターは見せしめのように破棄されるが、2期酒々井のものはずっと生きていて、観察されている。

最終話で酒々井は「終わるのはあなたたちの方だ」と言い、とっつぁん化した宜野座に「もうよせ」となだめられ、「撃てるこうがみ」須郷にパラライザーを撃たれて確保、雛河に「まだ生きてる」と言われる。そして宜野座の「お前の後輩を取り戻したぞ」である。後輩って、それ、こうがみのもあるよ、、、。

1期では、このカガリの失踪をめぐって、宜野座とこうがみが2課と結託して探索を続けようとするが、局長が出てきて阻む。その際に、ドミネータの数値と処置が一致しないことを常守が指摘する。
2期のこの辺りで、このこうがみをやるのが強襲型で処分される青柳である。死の前にすっかりまさおかに似た宜野座をたずね、勇ましいことを言っている。まさおかは、息子に「俺には出来ないと思ってるんだろ」となじられながらこうがみにリボルバーとバイクを与えた。「俺を撃ちたければ撃て」と執行官時代のこうがみにタンカを切り、できなかったこうがみを振り切って藤間に殺される佐々山ともとれるかもしれない。佐々山は「デカであること」に矜持を持ち続けて亡くなった人物だった。
青柳は須郷に顔が見えてさえいれば、撃たれなかっただろう。これは、1期で「こうがみだからダメ」を出された経緯と同じく、アンフェアさの示唆。

セラピー施設で青柳は散るが、ここで常守に「ホログラムをつけている人物を見つけなさい、そいつが犯人よ」と頼まれる雛河は、ホロを操っていろんなことをしてたチェ・グソン的なキャラクター。
雛河はここでカムイを見つけていたのに、「あいつが犯人だ!」と言わないのである。業務に横やりを入れられて嫌そうにしていた霜月にだけこっそり報告し、これを頼んだ常守には結果さえ伝えていなかった。

これは、彼本人が鬱由来の対人恐怖だか醜形恐怖だかで苦しみ、ホロがないと外出できない人物だったせい。そして、ホロを解除したカムイも外に出れない風貌の人物で、とてもじゃないが、そんなトラウマをえぐるようなことを彼が出来なくて当然である。雛河自身がこうやって捕まったのかもしれないのにさ。これ以降、雛河は常守を名前で呼ばず、無理を言うけど、聞かなきゃならない相手として「おねえちゃん」と呼び始める。常守は彼の中でホログラムをかぶったように別の人物になってしまって、最終話までそのまんま。

1期で犯人を分かっていたのに言わなかったのは学生だったころの霜月で、3期で雛河がミョーなところに寝返ったら面白いかもしれない。
1期には藤間、佐々山、グソンと妹に人生をかけた人物が3名出ている。藤間と佐々山は直接殺し合う。これに対照的におかれたのが「おねえちゃん」雛河で、名前はチェ=雀、その雛、となるのでまあそんなんだと思う。

こうしていろんな1期の反復、そのなかに起きる差異のクライマックスとして、監視官権限の戻った常守の色相を親父に似た宜野座が計る。これは1期でもあって、まさおかは同じように「きれいなものだ」と言ってやるのだけど、2期のカメラアングルがぜつみょーで、俯瞰になってるの。神視点なんですよ、ここがいきなり。あわわわわわ。

そしてそして、「かあさん」東金である。ここまでいくと分かるんだけど、1期の宜野座「親父」的な終わり方をする。もうびっくり。

東金は母がつくったAAである。しかし、母にほめられたいばっかりだった息子は母がその名のとおり錬金術的な不老不死とこの世の統治を願い、脳みそだけになることを知って、母親を殺害する。そして、そのことを悔やんで色相が真っ黒けになってしまう。これは、1期で父を死なせてしまった宜野座の裏返し。「槙島を放すな!」=任務を遂行して、俺を見殺しにしろ、そう言ったのにまさおかは宜野座を庇うために父としてふるまい、息子を庇って亡くなってしまう。

東金は生前の母を慕ったが、母の社会への理想と任務を理解できていなかった。宜野座は、任務に奔走し家庭を省みなかった生前の父を疎んだが、父の息子を想う気持ちを理解できていなかった。こんな感じで対になっている。ふたりとも親への自分たちの無理解を後悔し、親を亡くしたあとで数値が悪化、色相を濁らせてしまうんである。

で、それを知ってたかのようにドミネーターで東金の片腕だけを奪っていったのがカムイ。彼は、「誰も彼もの願いを聞き入れてしまう」。そしてそれが彼の考える「本物の神様」なんであった。これが宜野座が死んでたらif。

東金はお母さんの任務を、意思を理解できなかった後悔から、母がシビュラ入りしたあとは、ずっと母のやりたいことを守るだめだけに生きてきた。それなのに、局長美沙子は東金を待たずに常守とカムイの呼びかけに答えてしまい、結果、殺される。自分を身を挺して守るだろう東金が間に合うまで待てばよかったのに、そうしなかったのだ。あの時の局長はなかなかすごい母っぷりだった。

そしてカムイはこれもまとめて報いてやる。ふたりに、まさおかと宜野座にとりついた「任務を遂行しなかった息子想いの父」「親を疎んだ優れた執行官だった息子」の亡霊(過去)を貼付けてやりながら、「息子をかわいがってやらなかった母(息子に庇われない)」「母を理解できず殺した息子(母に殉じて、カムイという犯人を仕留めた優れた執行官として死ぬ)」(行われなかった過去)をきれいさっぱりクリアにしてしまうのだ。自分が、まさおかに確保されたままの槙島になって死ぬことで。最初のころで、くにづかが東金を「優秀な執行官よ」と言ってるその言葉のとおりにの形にしてやるのだ。

とーがねさんはキモかったけど、最終回でめちゃくちゃに泣いた。集合的サイコパスとかどーでも良くて、カムイはこれをやりに来た子なんじゃないかと今でも思うくらい。

カムイは宜野座のセラピストをやっていて、彼を治せなかった。いや、治さなかったのか、お父さんの意思を継ぐつもりだった義手の、眼鏡を捨てた宜野座を見て、東金もろとも救うために治してやらなかったのかもしれない。なぜなら東金美沙子は「こんな変化は認めない」と言い残して死んで行くんである。

東金とカムイは、母の同じ失敗作兄弟みたいなもんである。東金はあんなだったが母には寵愛を受けていて、カムイはシカト。カムイは、東金をみて妬いてたのかもしらん。


で、またこの最終話のシーンは、カムイと酒々井が船で逃げていくシーンをなぞってあった。あのときはカムイは酒々井といて、こうがみに似た東金がカムイを撃とうとするのを「撃っては駄目」「君が撃てないのは知ってる」というやりとりをし、最終話では「お芝居はもう止めにしましょう」として、これをやり直す。このときの対峙は、集合的サイコパスを認めさせたあとだから、ドミネータが使える。槙島はドミネーターが裁けないのでリボルバーを手にしたこうがみも、東金としてドミネーターでカムイを合法に、法の中で裁かれる。ライ麦畑から逃げ出した子はリボルバーで、ライ麦畑に入りたかった子は、こうやって入ってきました。酒々井と船は別のメタファ。

常守が嫌なのは、自分のせいで誰かが死ぬことより、自分のせいで誰かが法の外で殺人者になってしまうこと。こうがみのような人を出すこと。ばーちゃん殺しはやりすぎ演出として非難されてたけど、カムイ側と東金側が結託して、もう殺した後なのが話としては必須。槙島がやったように、殺すところを見せなかったのは、もう東金はこうがみみたいな、法の外の殺人者になっちゃったもんね、お前のせいで、ってするため。これがまた、お芝居をやめたあとで「母さんを侮辱するな!」と槙島みたいなことを言いながら入ってきて、改めてこうがみ化するというロジックのおもくそさというのがまた何とも、、、

だから、東金が常守の祖母を殺したことを告げたとき、かなり動揺したけど、カムイが「もうドミネーター使えるよ」として、こうがみと槙島をやりなおすことで、彼女はクリアになってしまうんですねえ、、、まったく、カムイはネ申めえええ。

面白いのが、こうして見ると東金母がドミネータを作ったような感じがしてくるところ。
自分の息子のようなことに誰かがなってしまわないために、自分たちがその責任をとればいい。という感じでドミネータを作ったんではないか。2期の監督はまさにネ申。


で、カムイは、最初のミイラ、オシリス。酒々井は名のとおりイシスで、オシリスの妻。弟セトとの争いで体をばらばらにされたオシリスを魔術で繋ぎ合わせ、復活させる。彼女の名前、アイリスを示唆する青紫の目、そしてアイリスは虹と蛇、神への伝達者。カムイは彼女の目を偽装して、7人分に別れる。2期で最もロマンチックな設定がふたりにはわりあててある。同じ目が入ってるからほとんど以心伝心ですよ。あのヘンなツナギは、カムイがあんなのを着てたか、ホロを着てる様子を模したか、ヘビだから。名前の水絵ってのもイイよね。ホロは水があると消えるんだ。愛する妻の彼女だけは、カムイをいろんな意味で見てた。イシス神殿の銘は「語るべからざるものを見るべし」。オシリスは神話ではセトとの争いに勝つが、体がもたずに彼女を残して死に、冥界の王となる。この冥界の王というのは、エジプトでの閻魔大王的な存在でもあって、死者の心臓とマアトの羽を天秤にかける手伝いをする。

なので、カムイが船に乗ってどこかへ行くっていうのは、オシリスはあの世で神様になるよ、という表現。酒々井のイシスはギリシャに伝えられて船旅の神様になる。これを一度やって、最終話でもう一度やってみせて、ほんとに「神様になる」んでした。なんで神様が必要かっていうと、生きてる間にわけわかめなものに裁かれなきゃならなくなるからですよ。本当の裁きは死んでからでいいよってのは、神様がいなきゃ言えないことだから。


東金の「黒く染める」はミイラ作りのためのタール。これがないとミイラ=母さんが腐っちゃうので。アヌビスという黒い墓守の犬の神様だったりもする。猟犬じゃねえのよ、2期は。それとオシリスってのは、実は兄の方。なのでほんとは、ばらばらにされなきゃならないのは、神話的にいうと東金。カムイが東金の腕を奪ったのは、その意味もこもってた。もう、盛りすぎワロタとしか。


で、なんでエジプトが採用されてるかというと、エジプトのあの世裁判の天秤は絶対評価だからだろうと思う。あと、細かい。あれやったら減点1みたいなのが。サイマスティックスキャンとゆーのの採用の欠点は、色相とか数値しか拘れるとこがないことで「何をやったらマズイか」がはっきりしないので、そうすればよくね?的なことでエジプト神話なんだと思う。それと、東金=錬金術なので、その先祖。低いものは高いもの、経済学的にいうと合成の誤謬が(以下ry

霜月は三日月=新月の次、なので東金の後がまだけど、三日月はそれでも太陽の灯りをうつし、闇夜ではない。くにづかが最期に部屋に呼び、彼女がゆらいでないことを確かめている。たぶん、大丈夫(笑)。

集合的うんぬん、ってのが出るのは実は当然で、槙島の1期は実存主義的な西洋的自我とか、自我とはどのようなものか的なことをやってた。思想、哲学の歴史をたどると、その反論として後の世に出てくるのが構造主義〜ポスト構造主義。自我とは他者から与えられた虚像にすぎない。誰かが自分のものだと信じて疑わない思想や決定される意思が、どれほど環境的文化的言語的な影響から逃れられず、「自分で決めてることなんて実は何もない」か。カムイはそれを踏まえて、酒々井に「君の意思が欲しい」なんてゆーのですよ。罪なやつよ。歴史的に実存主義を経て、こうなっていくんだけどこの構造主義は、言語と神話の研究から発展する。というわけでサイコパス2期もたっぷりこれを盛る必要があった。代替可能な神話ですよ、まさに。1話を神話の装置として、代替可能であり、反復の中にこそ差異があることを示し、槙島が濁らせたみんなをきれいにして、ライ麦畑の神様になったカムイと東金兄弟のお話。2期、すげえですよ。演出がくだらんとか脚本がクズとか、そこだけ文句いってりゃいいってもんではない。見事だもん、表現されたものが、こちらにこみあげるものが。ろくな考察も、下敷きになってたこともまるで理解できてなかったぽい人たちがブログとかで、しかもクソ真面目に、これだけのことをやった2期をボロクソ言ってると、「君ならわかってくれると思ってたのにぃ」とかゆって壁を殴って泣きたくなるのさ。それでもキャラ萌えできないとダメなのかなあ?

ちなみに1期の藤間はイエス・キリストだった。ユダヤの王の息子=王子様。イスラエル王国の奪還=廃棄地区を壊すな。人権保護団体の主催者はイタリア人=ピラトもイタリア人。3年後=三日後に復活して槙島のとこに来る。槙島は裏切り者のユダ(イエスに金とか出してた。彼がいたので、キリストは神になれたという解釈もできる)に似てたかも。藤間と槙島はすごく面白くて、おたがいのミスでダメになるドジっこ兄弟みたいな感じ。槙島は写真をとられたことを軽く見てたのが致命的で、藤間は「道すがら」ももちろんだけど、小説版で「人の名前を口に出す」といううっかりをやってる。しかも槙島は自分で佐々山と瞳子を殺して写真をとりあげればいいのに、逃げてそれをやんないのだ。ペンはドミネータより強し、ボールペン1本で人を仕留める藤間最強。藤間に「君には僕を理解できないよ」と言われてもしゃーない。この写真がTVアニメの1期でもえんえん響いて、槙島は捕まるんだけど、ゼロを読むと槙島さんはけっこうドジっこです(笑)。で、その写真というのが「人の意図していないものを見られてしまう」=ドミネータに似たものとして差し出されているわけですなあ。ほら、ゼロ小説面白いでしょ、でしょ?えっ、だめ?

藤間は写真とオブジェをやってた人間で、言葉よりイメージでモノを考えられるタイプ(ボールペンで文章を書かない)としてはっきり示唆されているので、シビュラみたいな脳みそつながってる場所はコミュニケートするためには過ごしやすかったはず。その藤間に対してテキスト一辺倒のロゴス(笑=キリストのことだよ)槙島が「悪徳の栄え」をぶんなげるとこは萌え。たまらん藤間の小説ゼロも評判悪いけど、なぜあれがオブジェでなく標本なのか、なんで名前がないか、捕獲された人間の藤間を博物学とからめると3年くらい楽しめる。と思う。

ちなみに、小説ゼロは藤間のマジキチポエムがえんえんつづくが、これとまったく同じものを抱えていたのが毒親育ちの佐々山の兄と妹。逃げ場のない場所での「わたしをけっしてあいさないで」が「わたしをあいして」に変わったとたん、どちらの妹もこの世にいられなくなってしまう。藤間はほんとに面白いんだよ、、、。

と、考えると、免罪体質者ってただの宗教関係者じゃねーのか、ともとれる。これは喩えでもあって、シビュラ社会でない別のものに「人を超越したもの」を信じてる人みたいな感じ?チェ・グソンがシビュラ的にNG出せるのは、共和国生まれだから。外国人を同化=消化のこと。日本人は宗教アレルギー多いから、そういうと怒る人も多かろうけど、槙島が隠れキリシタンで、1期は偽の神であるシビュラを許せなくて、神を超えようとするいろんな人を殺し、その外に出てようやく殉教できた、とも言える話だった気もする。1期槙島はゴルゴタの丘を一人でのぼり、左脇腹をつかれ、死んだら日が沈む。2期カムイと東金はバラバラ死体から蘇るが嫁を残して死に、冥界(夜の海)の王となる。神話、伝承としてはメジャーなとこか。3期はなにかなー。

東金がAAであることが示されて、槙島もこれに似たものだったかもしれないという話も浮いてくるかも。人のことを「家畜」呼ばわりしてたけど、彼がそうだったんじゃないかな、東金のように、どこかで作られてた。ドミネーターで殺せないから刃物か銃器で屠殺されるとこを逃げ出した。そんな風なことも考えた。小説版では若い槙島はグソンをおっかけまわしていて可愛い(怖い)んだけど、チェ・グソンの正体を知ってたとしたら、軍属かなあと。処刑とか暗殺用の人造人間。グソンを拷問にかけた人にちょっと似てる。

小説でグソンと妹のことを「生きるために悪を選び取った人たち」、グソンをだました製薬会社の手先みたいな小役人のことを「与えられた善を持っている人たち」として、悪のほうがましだと言っておるのですが、でもまあ、槙島のことだから「僕は(チェ・グソンを殺さないことで)善を選び取りたい」とすると、グソン暗殺のために訓練を受けたり、作られた子供だったりの設定だとうまいこといくんじゃないかと思ったり。


2期をみながら、どうやったら色相が真っ黒になって犯罪係数があがるかとか、東金だけを見て考えるのは手が悪いというかヤボ。1期で宜野座がそうなった、という公式が示されるのだから、同じことがあったのだとして共通点を探して見るほうがずっと簡単に結論が出る。言ってるだろ「事実を見ろ」。そうやって「仕組み」「構造」で話を見ない限りは、ずっとこういったものを「つまらない」と言い続けるしか出来ないまんまなんだろうか。演出がつまんない、名セリフがない、そりゃ1期をなぞってるんだから露骨なことをできないからですよ。キャラがたってない?カムイみたいなの、東金みたいなの、なかなか無いぞ。イケメンでかっこよくて、わかりやすい正義感をどこかににおわせてないと駄目なのかねえ。

1期ではのうみその集合はグロテスクさ、「人間がやってんのかよ」というくだらなさを象徴してたが、2期では「だからこそこれは神様になれるのかもしれない。でも誰がやるの」なんだわな。そして突出した美沙子と常守。集合的サイコパスは言わば文化的なミームを認めろっちゅうこと。おまいらそういうの大好きだろ、同人誌とかそんなのしかないじゃん。

カムイが見えないのは、当たり前。自分たち自身だもの。たとえば日本人が日本人の文化的、倫理的おろかさを指摘できるかというとほとんど出来ない。他所のことはいくらでも非難して、「日本は、自分たちはマシだ」って出来るみたいに。でも愚かさ、醜さでいうとカムイの実体がグロそのものだったみたいに、ほんとうはどれもそう変わらない。本能的に誰もが自己防衛して自己否定ができない。自己防衛していることにすら、気がつけない。自己言及できない。カムイをシビュラが見えないみたいに、ほとんどのお客さんは1期の「IFもの」「パラレル」だった2期(偽りの存在)をみて、これが「まるで自分たちの作ったよくある同人誌と同じ構造の」ものだってことすらわからないわけで。気がつかないまんま、「2期なんかいらなかった」「映画のあとに2期のほうがましだった」「2期は黒歴史」といい、映画のこうがみを無防備に歓迎してる。2期で、みんなカムイに供養されて、イベントタイトルでカガリのセリフみたいなものをだせるようになっても、まだ気がつかない。ひっそり始まって、すごく怖いことをいいながら全てを癒して、カムイと東金は冥界にいってしまった。そんな2期の監督の着眼はなかなかすごいと思うのよ。


2期は、ほんとに語りたらない。いくらでも語れる気がする。でも、ほんとに理解も評価もされてなくてまじめにつらい。

異論は、受けつけません(笑)。ピクシブで似たようなこと書いた。











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2014/3/1  9:37

眠らない男〜ナポレオン 星組公演  映画、観劇、マンガ、読書

ナポレオンの一代記といえるストーリーで、ヅカ100周年とあってとにかくゴージャス、ドル箱の星組でロミジュリのプレスギュルヴィックに作曲を頼み、気合い充分。あのポスター、どっから絵なんだろう。ぜんぶフォトショ芸なんだろうか。有名すぎる戴冠式のシーンでは10mくらいの毛皮のマントが2枚とかいろいろ宝塚の本気に恐れ入った。あれにのっかってごろごろしたい。ナポれおんてダジャレだよな。関西人てそういう人種だろ常識的に考えて。

ただこれ、話的に柚希さん向けじゃなかった感が満載なのがたいへんおしい。柚希さんのカッコよさはたしかに全面的に満喫できるのだが、ナポレオンという欧州からはみでていった活力にあふれたスーパーな男の話で、スーパーすぎて何考えてんのか周囲からみてあまりわからんよーな、他人と共感しあうようなこともあんまりないよーな人が、自分のように何でも出来ない人がたくさんいることにも気がつかないようなタイプの人が、スーパーすぎてハメられてたことにも気がつきませんでしたテヘ☆的な話なんだけど、そういう超然とした役に柚希さんの持ち味があんまりフィットしてない感じがする。このナポレオンは愚直さがけなげ感を出すってタイプでもないし、北翔さんがやってた役も相当に執念深い役回りのわりに、このふたりの対立軸で話をつくってないので、ナポレオンもとうとう詰んだ!って感じもないのだった。

大空さんとかだったらはまったかなあ。心象表現的に掘り下げないで出来事を箇条書き的に並列にあつかってダーっと話が進むんだけど、nhkの大河ドラマ一挙放送をいっぺんに見ちゃうような面白さが狙いだったんじゃないのかなーという脚本だとオモタ。

これで、宝塚の柚希さんでなくて、若い俳優と渋いベテラン俳優が1幕2幕のダブルキャストなんかで上演すれば超人といえどトシくったわねー的な時間の経過のようなものとか、おっさんなのに若い人級にガツガツして、けっこう負けてるのに引き下がれないナポレオンのすさまじさ(こいう意味のわからないプライドって男性特有のものかも)、若いヨメとっちゃう一種のキモさ、ガツガツしすぎてハメられた悲壮さも出たのだろうが(紅さんがやってた役もダブルキャストで思いっきりショボく老けちゃうとか。紅さんはそれでも終盤に「もう俺もおっさんになったので」感があって、そこらへんはこの舞台の足らない部分をひきうけていて良かったとオモ)、宝塚の場で、若いまんまのメイクで一代もので、柚希さんにそこまでおっさんの男性的な凄みを望むことはさすがに無理がありそう。なんかそういうどうしよーもないとこが惜しい。演出でどうにかするのも絵的にキタナイとかで却下されそうだし、柚希さんは渋さがないのが良さだろうと思っているのもあって、ひょっとしたら星組や彼女が頑張れば頑張るほどこの演目はつまんなくなるのかもしれない。ふつうにおっさんキャストで帝劇あたりでこれやんないかなーとうすーくおもた。

ねねさんはちゃっかりしたジョセフィーヌで相変わらずとてもチャーミング。礼さんは歌だけでもう何もいらないくらいのレベル。ここに北翔さんも入ってるので歌はかなり聴ける。

ギリシャ鼻とゆーのか、鼻筋のとおった柚希さんのメイクはかっこいいが、私はいまだに蘭とむさんが2番手のときにやったナポレオンのそっくりさんぶりを思い出して吹いてたりもする。眉間をつりあげてタレ目になるようにすると笑えるレベルだった。ああ、蘭とむさんも壮さんも卒業ですな。壮さんはもっと見たかった。ベルばらフェルゼンあのキャストでもっかい見ておくべきだった。ともあれおつかれさまでした。




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2013/9/29  14:02

東宝ロミジュリもっかい観たわ  映画、観劇、マンガ、読書

もっかい観てきた。初回とほとんど同じキャストで、マルキューシオが東山君。これが良かった。ちょっとトーンの違う声で、はっちゃけていて存在感があった。歌もうまい。マルキューシオがこれくらい目立ってくれると大変満足。

他キャストのみなさんは引き続き安定。古川君、歌もぐぐっとよくなっている。平方君はかなり余裕あるなあ。ティボルトも。ティボルトの加藤君は久しぶりに観るんだが、TVとかよりじっくり作れる舞台の方がやっぱり向いてるんじゃ。テニミュに城田くんが加わったとき、まわりがあんまりにアレで、キャリア十分の城田君はちょっとたいくつそうに見えた。そこにひたすらな努力型の加藤君が新人で入って迫真の跡部を演じ、みんなをあっと言わせたので、城田君が本気になっんだたよなあ、、てなことをちょっと思い出す。


そして何より宮尾さんが芝居をギッチリとツメてきていた。100年たったらきっと立派なトートになってることだろう、と思えるような「死」に。不吉とか怖いとか退廃とかゆーよりは、冥界の王子とか黒い天使とか、そういう端正で高貴な感じ。熊川さんのところでクラシックを踊るよーな人がこういうので勝負すると誰もかなうまいて。背中のクロスもいいけど、黒い翼の方が似合いそうな死がすっかり出来上がっていた。天井からゆっくりと降りてくるところがほんとうに美しい。

よく観たら、東宝版の死はロミオのことしか眼中になさそうだった。マルキューシオやティボルトのことは、わりとどうでもよさそうな。死はバレエでゆうとこのパドゥドゥがロミオと2つもあるよーな感じだろうし、のってきた宮尾さんの「死」が「こんなくだらない世界すてちまいなYO!」とロミオをお迎えに来たみたいな話になるのも仕方がないのかもしらん。


で、この死がなんなのか、なんでロミオが狙い撃ちなのかというのは全くわからんwまま、初見とおなじくロミオが死ぬのはもう物語が始まる前からなぜか決まっていて、ロミオを助けようとする人も、そーでない人もいろいろ死ぬ、というような解釈になってしまう。とってもフェイタル。そーいう不条理っぽさに、何となく死にたそうな古川君はお似合いで、そこに怖いものがあんまりなさそうなフランクジュリエットと宮尾さんが充分な説得力を与えてるよーな。そんななので、復讐がどうたらとか、舞台が工事現場とか、中世の設定が半端にのこってるとか、あんがい瑣末に思えてくる。いいのかどうかは知らんが、充分面白かったですよ。

ラストのシーンで死があの長い腕をふたりの上にゆったりと広げながら静かに見下ろしているとこ、もっかい観たいなあ。ソフト化する権利のほうだろうけど、なんとかならんですか。

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2013/9/27  9:55

新生セラミュを観た  映画、観劇、マンガ、読書

セラミュ。初めてみる。世代的にセーラームーンは全然知らないが、ドジッ子が主役の古典的な少女マンガで、だんだんと「なぜこのキャラが作中で愛されるのか」といいう理由に「頑張り屋でいい子だから」だけでは客を説得できなくなってきて「家系や前世からの約束」的な、先天的な要因()もくっつけて、とかやってたらファンタジーにするしか無くなったぜ、ってな時代の作品だったっけ。こういう設定は超能力ありのゲームと相性がよろしくて、いわゆる「乙女ゲー」以外にも類型をたくさん生んだし、いわゆる魔法ものはどんなジャンルも今でもわりとこの系統だ。あかりはいい子だから。

新規お披露目で女性だけの舞台になったそうな。客層は不思議な感じ。50代くらいのおくさまたちは宝塚元トップの大和さんのファンクラブの人なのか、チケットもそっちでさばいてたようで揃いのTシャツを着ている一群、あとも2−40代の女性がびっしり。これはセラミュのファンだろうか。それから軽くライヴに来るような装備()で張り切ってる一握りのモノノフたち。全然知らんかったのだがももクロが映像でゲスト出演してる。そういえばももクロはスターダストの人だった。あとよくしらんアイドルから出演してる人とかもいるので、男性客はそっちからの人らだろうか。

ラ・レコンキスタというタイトルどおり、月の住人がかつてあった月の楽園だかを取り返す話。地球が月に攻め込んで月を滅ぼしたのだそうで。地球の人ながら月のプリンセスを愛したタキシード仮面と、そのフィアンセだったはずの地球の女王、プリンセスの母親であるムーンセレニティに地底の神様?などがからまりつつ、乙女ゲーでパワーが吸われるとか、「銀水晶はあなたの中に!」とかそういう厨二な話をふんだんに織り込んで、脚本はスケールがでかいながらちゃんとまとまっていて分かりにくくなく、わりと面白かった。

ももクロはゲーム内キャラクターの役を映像でやっていて、無駄に()無邪気さをふりまくかなこちゃん。赤頭巾をかぶったバカズキンちゃん。いつものとおりな感じで、鼻にかかった声でべちゃべちゃとイランことをwしゃべり、マーキュリーに冷たく電源オフされる様子がおかしかった。

芝居のほうはあまり期待していなかったし、まあまあくらいな感じ。うさぎの人のおバカっぽい、女の子らしい甘えた感じは嫌みでなくて良かったが、マーキュリーとセレニティ以外の人は話のスケールにおされてあまり個性を出すシーンも無かったかも。セレニティの人は歌もけっこう上手い。ダンスがうまそうなのがヴィーナス。細いお嬢さんばかりなのでしょうがないだろうが、アクションがもうれつにぬるいのが残念すぎたので、次は演出でなんとかすればどうか。あとは、主役にキャッチーさがもうちょっと足らないのかも。似たようなキャラ配置だったような記憶があるギャラクシーエンジェルは主役の富田真帆が何でも出来てたのを思い出す。大和さんのタキシードの着こなし、身のこなしはさすがに綺麗だった。歌もうまくなったような、、、

しかし爆笑とまらずだったのが佐橋さんの音楽。テニミュ節すぎるというか、あのお嬢さんたちにつけた曲が勇ましいのなんのw レッチリからDパープルまでパクっちまうのは知ってたが、次はすっごく歌いにくいファンクっぽいのとかソウルっぽいのが来るかねえ。この人の曲の、正面からぶつかってくるような男っぽさやクールさ、カッコ良さのツボみたいのは血が騒いで嫌いじゃないんだが、この舞台のファンタジックさには合ってなかった。

カーテンコールのあとももクロメンバーが登場してビックリした。ムーンライト伝説をビシっと振り付け、衣装つきで披露。おお、偉い。細っこいのが基本の舞台役者さんにかこまれるとむちむちと健康的な彼女達のほうが強そうだったw
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2013/9/27  2:51

東宝版ロミジュリ感想  映画、観劇、マンガ、読書

わー面白かった。現代劇風とかで、ケータイだのフェイスブックだのが出て興ざめだとか、衣装が悪趣味とか、オーブの音響がひどいとか、悪評も聞いてたがリピート客の多さを見て観にいってよかった。

オーブの2階席だけど、セリフはちゃんと聴こえたし、よく見えた。
ケータイとかフェイスブックの設定、旗に動物を配したりして、アホーターで名高いヴェローナのサッカーでも観たのか。その割に文学的にバラを使ってみたり、そういう散漫さも見えつつだけど、宝塚や東宝のドレスいっぱいのチラシを観劇などしない人に見せたときに「こういうのはやっぱり白人じゃないと観る気しないよね」という率直な声を聞いたこともあったりするが、どっちが良かったんだろうなあ。工事現場セットは、渋谷駅がいまだぐっちゃぐちゃなのでみょうなリアリティが。

古川くんのロミオ。この人初見だけど、あまりの色白さに死とかいなくても勝手に思い詰めてしにそう。そう、こういうロミオが観たかったんだよ、、と嬉しくなる。会社の若いオタ男子はパンフの古川君をみるなり「うわ厨二っすね」とぶった切ったw。ヅカであればとにかくトップを目立たせなきゃならず、この演目の看板の城田君やキャリア十分の柿澤君との役代わりでないと、こういう人の登板もなかろうて、トリプルキャストという大人の事情の合間に良い拾い物をした気分。死が人の不幸にかなり直接的に関わってくるフランスのと違う、なんでもかんでも生きてる人の良心とか悪意のせいみたいな、意識高い()小池さんの脚本で主役をやるなら、こういう予期不安に怯えたようなロミオは自分で勝手にやらかしてくれそうで、作りやすさがあるだろう。ちゃらいマルキューシオの「お前は本当に不器用で、俺がいなくなって、お前はどうするんだ?」が沁みた。きっとこれから上手くなったら、こういう面白さも無くなるんだろうなあ。


歌はそれなりで、しっとり温かく、ほどほどに重たさのある声なので気持ちよく聞けた。芝居の方が際立っていて、いくつかある苦悩のシーンは気迫もすさまじく、上手く歌えなくても構うものかというような全力のところも。宮尾さんのやたら美しい死に近く遠くまとわりつかれながら「しぬのがこわいいいい」といってうずくまったり、復讐したことをorzになって後悔するところなどは圧巻。エリザでルドルフをやっただけのことはある。長身を感じないほど身軽なので、小さくならないのも良い。自分の味だとかくだらない技巧に走らないので好意的に観れた。


と、その不幸と親和性が高すぎて、そっちに私が夢中になってしまったのでラブロマンスを観たいんじゃ、って人には古川ロミオはどうだったのか知らない。フランクジュリエットはキビキビして、両親の毒々しい話もさわやかに笑って許してしまいそうなヌケ感のよさw。そしてあのナチュラルすぎるメイクに初夏っぽい白装束が黒い死の人と対比になりつつ、模様だらけの回りと絵的になじんでないので、ロミオを死とジュリエットが取り合ってる風にも見えたりとか。見栄をはりあうヤンキーだらけの浮き世に飽いたような古川ロミオならありというか、面白い味だった。フランクジュリエットは壊れそうな繊細さもべらぼうな可愛さもないけど、歌はしっかり上手い。死ぬとこだけ芝居がもうちょっとなんかないかなーと思ったくらい。


死は宮尾さん回だったが、ゴスメイクでもさすがに洗練されていて高貴で美しい。こんなん迎えに来たらむしろ全てをなげうって死ぬわ。気配を消したかと思うと次の瞬間には冷酷そうな姿をあらわし、オーブの高い天井をつかったフライングもどきでホラー映画よろしく寝室に降りてきたり、なまめかしいかと思ったらピタリと静止してクロスになったりしてなかなか多彩。ロミオの後ろで死の翼が広げられるとギョっとする。日本版でいちばんいいのが死だと言われているのも納得した。手なげえ。こいうのに良さそうな、ベジャールを踊る人の日もあるんだけど、都合が合わなかった。


小池さんの死の解釈は、なぜこんな善良()な若者が不運にみまわれまくって、生け贄のように死ぬのかということに、エロス=生きたいと思う力を食らうかのような、ギリシャ神話の神々っぽい人格のある死を配置して、面白い答えを見せていたフランス版に対し、「汚いオトナが悪い」「世間が悪い」「若者を信じ、みんな仲良しでワルモノを退治」くらいの古い左翼みたいな単純な答えしか出してないのでつまらないと思っているが、「死ぬやつは最初から決まっている」と言わんばかりの宮尾さんは、どこかへ逃げていってしまいそうな、古川君の薄幸っぽさにあっていたとオモ。旧家同士の対立がどうのとか、そこらへんが薄くても気にならなかった。この美しい死のキャストでフランス版の演出をつけたらただのタナトス物語というかそれエリザでんなあ。


加藤君は見た目も声も予想通りのかっこいいティボルト。あの派手な顔でドヤしてもたまらんいい声だし、丁寧にやっていて下品にならない。ガタイの良さとスポーツやってたならではの動きのキレがあって、ケンカも強そう。歌はオリジナルの方ではもっともロックなのがティボルトなので、いいキャスティングだったと思う。ナヨっとした古川君、メンナクみたいな水田君、温厚な平方君とみな身長も同じくらいなのにキャラクターの違いが立ってるだけでわかるのが面白い。マルキューシオが腹かかえて笑い転げるとかの、キ○○じみたとこはあんまないんだけど、まあいいか。
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2013/8/31  23:30

月組 ミュージカル 『ルパン −ARSÈNE LUPIN−』  強震モニタ リンク

東京公演。

む、むずかしくて分からんだった。。これはあの「怪盗ルパン」とどの程度おんなじ人物なんだ?ふつうにミュージカル仕立てで曲はけっこうよかた。

この話だけ見ると、ルパンって慎み深くて頭よくてダンディで、恋愛するのになぜ引け目がという感じがが。ダークで、霧のけぶるロンドンだかパリだかウィーンだかが舞台。これ、ベテランの人がしぶーい感じでやるとええのかもしらんが、、、

北翔さんは花組で2番手扱いだったオーシャンズに続いてすばらしい演技。代打が3番うって3割打率いくみたいな感じ。まあ、専科ならトップ争いみたいな競争もないし、ほーんと悔しいくらいのいい笑顔で、やわらかく伸びる歌声で、肩の力が抜けてて良かった。北翔さんでお正月の公演とか見たらめでたかろうのう。

わたしは龍さんのビジュアルだとか、歌やダンス、何を着てもやたら似合うところ、根っからおしゃれさんなんだろうけど、ふるまいが醸す洒落たところはかなり買ってるんだがあの芝居というかセリフまわしはやっぱりきっつい。クールなダンディズムもいいけど、まわりと一切なじんでねえw セリフごとの抑揚をつけても、ずーっと同じ抑揚なので耳が慣れて、彼女の声は強いので次第にノイジーに感じてしょうがない。この剛球一辺倒な芝居に柔の北翔さんをぶつけたつもりだったのかもしらんが、一緒に出てるわりにお互いがあんまり絡まないんだからどうもなんない。わたしゃヅカはいつまでたっても初心者なので、脇の人の小芝居とかあんま見てないしなあ。異動者が多かったようでまだこなれてないのかしらん。

そして場面ごとの空気感みたいのがないと全体でやはり真っ平らに感じるんで眠くなる。いろいろ国をまたいでるんだがいまいち。これはミステリーにしようとして途中でやめたっぽい脚本と薄暗いまま始まって終わる演出のせいもあるけど。最初は400mポンドをめぐる話だが、これがいつのまにかカーラを取り合う話になる。ああそーだ、フラヴィが良かった。お笑い担当かと思いきや、いざルパンとのやりとりのところで、がっぷり四つな緊張感を出してて上手いなあと。

さおさんがいつのまにか月にきてた。この人が雪のとき上手いなーと思ってみてたんだった。


同行者は20分くらいからほとんど寝てますたハイ。

その分といっちゃなんだがショウは素晴らしかったww モダンで蛍光色。オリーブの首飾り。龍さんはこういうまっとうにしゃれたのほんと似合うわ。
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2013/8/10  1:32

あるダンスパフォーマンスというか舞台の感想  映画、観劇、マンガ、読書

上演前だったかにとりいそぎ他言無用であるとアナウンスがあったのでいろいろ伏せてみる。
だけど、口コミを頼らなくていいとはどっから予算が出てんじゃろなー。内覧会みたいな感じなんすかね。
なんで、一切わたしからもおこたえできることはありませんずら。過疎ブログなのでないと思うけど、まずかったら消しときますんで。
しゅさいはM社。

A社仕切りとはいえ、A社らしいのは振り付け師。他プロダクションからのキャストが主役級をふたり勤め、人気のある劇団からの客演、似た系の大手プロダクションからもメインどころに配役されていて、A社だらけじゃなかった。踊れる子いるのに入れてないのかなんか不思議というかであった。でも踊りだすと「あーあれとかやってる人じゃないッスかね」という既視感もあり、パフォーマンスはかなり堪能した。というか、楽しめたのでそれで腹一杯というか。やー、やれば出来るぜ日本の男子アイドル。寄せ集めユニットには見えなかったよ。


架空のカリスマアイドルグループを巡るお話。ヅカ出身の女優さんがちょっとピークをすぎたポップシンガーを演じていた。このヅカ出の人がスタイル良すぎて、主役のカリスマ役のにーさんが頭デッカチに見えたのが残念だった。せっかくのイケメンなのに。あと、声がちょっと「ホラー」「ミステリアス」には可愛かったかもしらん。

このヅカ出の人は主役のライバル役といっていいわりとカッコイイ役どころなんだけど、もうひとりの客演の女優さんの役どころはちょっと下品が過ぎていて、ほとんど脚本家の恨みのようなものを感じたりとか。カリスマアイドルの魅力を描くのに、そのカリスマに劇中で最も近づいて、運命的に出会い、会話し、自らが酔いしれることでその魅力を伝える役割のキャストが客からみて「絶対こうなりたくない」とか「彼らのお客さんはこんな人らですかそうですかキモいですね」とゆーよーなキャラ設定なのはナゾ。顛末がわるいんでなくて設定のほうが。あれ、ふつうはヒロインポジションだと思うんで、もともとは深窓の令嬢とかにしとけば良かったとオモタ。この女性キャスト2人のからみがないのももったいない。彼らはアイドルでカリスマだけどクールでざんこくなんでしゅ、ってするんならアイドルをかばっておばちゃんの方が死んじゃうとかにしても良かったんジャマイカ。


だってこれ、客に「おまいらにアンチや!」てケンカ売っていきなり勝てるような本でも舞台でもないっしょうw 人のこと言えないけどこれ金払って見た人、どんだけいたのよ。
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