戦国大名の合戦とは  

戦国時代における合戦には、示威行動や小競り合いといった、
低強度の武力闘争から、戦国時代に含めるか否かは別として、

少なくとも戦国時代の延長線上にはある関ヶ原の戦いのように、
国内を二分しての会戦・決戦といった、後の国家総力戦にある程度擬し得る戦争形態、
さらには、外征戦争である文禄・慶長の役まで、多様な戦争形態が見られる。


武力紛争の総数から見れば、その大部分は、隣接する非友好的な勢力が互いに、
領地、あるいは、影響を及ぼし得る勢力圏の境境付近において繰り広げる
小競り合い・抗争レベルの応酬であった。

この中には、敵兵力に対して実力を行使するだけでなく、
隣接勢力に対する嫌がらせの意味も含め、日常的な焼討ちや、
食料を断つ“刈り働き”(あるいは“青田刈り”)も含まれており、
結果として、そのエスカレーションが、大規模な軍事行動を誘引する面もあった。

ただ、合戦の矢面に立つのは足軽、つまりは農民なので、
責める側も守る側もほとんど戦死者は出なかった。

足軽に戦死者が多く出ると、年貢をとれないばかりか、
一揆や村ごと敵方につくことも多く、
大名たちはいかに人心を掌握するかが大きな仕事になった。


戦国時代
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