2011/10/2 | 投稿者: 吼える

秩序とは、
個々がそれぞれ望む理想と、全体の維持可能な次第点が高次元で調和された状態を言います。

 ゆえに秩序を定義づけて捉え不動のものとし守ろうとするならば、たちまち秩序は形骸化し、そこから「人間」が消えてしまうわけです。

 皆の周りにもいないだろうか。
「ルールを守れ」「モラルに反する」などと定義を押し付けてくる者を。
そしてそれに対し「何故?」と問うと答えられない者を。

 秩序は常に改良され、変化する。
変化を恐れ形骸化した秩序を守ろうとするならば、彼の守ろうとしているそれは秩序ではなくただの思考停止なのでしょう。

 どのような事に対しても、自らの解釈で理由を説明できなければならない。

 話は変わってこれは子どもの教育においても重要なことです。
「人を傷つけたり悲しませたりしてはいけない」
「〜をしなければならない」
などと、親は子どもの教育過程において教えるものですが、ここでただ頭ごなしにそれに従わせるだけでは、子どもは本当の意味では何も理解しておらず、その内側では何も芽生えてはいない。
そうではなく、それに対して「何故そうなのか」と子ども自身に問わせる事。
「何故人を悲しませてはならないのか」
「何故私は〜をしなければならないのか」と考えさせる事。
 理想の答えを引き出す必要などはなく、あくまでもその子ども自身による恣意的な解釈と理由の説明をさせる事が重要なのです。

そういった抽象的論理思考力の成長こそが教育の最重要役目とすべきであり、今の教育とは暗記型記憶分野の、ただ決まったルールを有無を言わさず守らせ「いい子」を作り出す事にある。
それは支配者側から見た都合のいい状態であり、決して子どものためにはなってはいない。

ルールをただ押し付けるわけでもなく、
啓蒙するわけでもなく、
「彼ら自身の内なる力を彼ら自身によって引き出させる事」。
そういった意味では、我々にできるのはお手伝い程度だけとも言えるんですわ。

頑張って次の世代に秩序を引き継がせましょう。
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2011/10/1 | 投稿者: 吼える

人の汗水流して働いた金を投資ゲームに変える金融屋
金次第でどんな相手にも付く傭兵のような弁護屋
人の不安を煽って対価を得る商売の保険屋

 他にも色々とあるが、よくもまぁこれだけ多くの穢れた商売が世に溢れるようになったものだ。
 更にこれらの職業が人々から忌避されるどころか、選ばれた人だけのエグゼブティブ(笑)なイメージの職業として大手を振って歩いていると。
 んで、何故このようなイメージになったかというと・・・

「高 収 入」

なんですわ(笑)

 更にそれに向けて「お勉強」をしっかりしないとなれないので、
勉強した人間しかなれない+高収入で、特権職のような印象になる。
 しかしその「お勉強」もまた記憶型の、つまり暗記ペーパーテストの延長線上の知識なのでこれがまた官僚的でつまらなく寒い。

 自分自身色々な職業を経験し結局分かったのは、どのような職であれ「金銭」を得る手段としか共通点がないという、小学生でもわかるごく当たり前の事実。
 ならそれに対してどのような付加価値を求めるかということになるが、それは大きく二つに分かれて、

「他者のためになっているか」
「自己実現のためになっているか」

という事なのだろう。
 前者なら清掃員だろうがゴミ処理員だろうが社会のインフラを整えているので素晴らしいし、後者ならそれこそ無限のパターンがあるだろう。
大切なのはそれを誇りに思うことと、社会の一員であると認識すること。
 そして今自分がついている職業で、これに当てはまらないと心当たりがあるのならば、恐らく違う道を模索したほうがいい。
 何故なら仕事ってのは本来、人生において「自分は何者で何をしたいのか」という自己充実の追及のための重要な要素だから。
 しかし「仕事は金銭のための仕事であり、自分のプライベートとは関係ない」と、今はあまりにもそれ(仕事と人生)が分かれすぎてしまっている。

 もちろんそのように仕事と人生を割り切り生きていくのもいいが、
そのような大多数の人間に対しては「生き長らえるために生きてお疲れ様」としか言葉がない。
 まあ割り切ったうえで自己実現するのも可能だが、制約が多すぎて難しい(不可能ではない)

とにかく、需要を作り出すなどと言って人の心に土足で踏み入り、低俗な欲を具現化するだけの今のビジネスというのは、とにかく穢れているのだ。
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2011/10/1 | 投稿者: 吼える

もし自分あるいは自分の大切なものが、その存在が根底からひっくり返るような「脅し」を受けた時、絶対にそれに従ってはならない。

 何故なら、脅しによって優位に立った人間は、相手を時間をかけて徹底的に最大の効力を獲れるようにしゃぶり尽くすからであり、長期的に見れば受ける被害は同じだからである。

それどころか、そうして脅しからなる服従に従い続け支配関係が強固になると相手はエスカレートし次々と要求し、はじめよりも更なる被害を受ける可能性がある。

よって私たちは、脅しを受けた時点で被害や犠牲を払ってでも相手の脅しを突っぱねなければならない。
「脅しをかけてくる時点で相手に優位性がある」と知り、「それに対する唯一の抵抗は、その脅しを最初に突っぱねる事である」と行動すること。
可能ならそのまま相手の首を取ってやればいい。

脅しに耐えるということは抵抗にはならず、むしろその脅しを進んで受け入れる事になる。

例外は「自分以外の人間に関わることであり」、「金銭などのような対価がはっきりとしていることと」「それが済めばこれ以降関係や接触が永久にない」場合に限る。

ではこの脅しの対象が自分の友人、恋人、家族、また国家レベルや民族単位になったときそれを実践できるか。
→に行けばいくほど被害の度合いや犠牲も大きく、また実践も難しい。

なんにせよ一番なのはそのような卑劣な手段を用いないことなのだが。
いつまで経っても人間は爬虫類時代の脳を持ち続けているようで。
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