2014/1/9

今日は何の日、九月三日〜。  

どうも、こんにちは。
今日は、この日が何の日かについてのブログを書いて見ます。

今日は何の日、九月三日〜。

9月3日
アウシュビッツで大虐殺。
1941年の今日、ナチス・ドイツがポーランドのアウシュビッツに作った収容所で、第一回目の毒ガスによるユダヤ人の大量虐殺がおこなわれました。
ヒトラーひきいるナチスはユダヤ人をドイツ人の敵とみなし、ユダヤ人全滅を本気で考えていました。やがて、各地の収容所で毒ガスによる大虐殺がはじまり、全部で600万人、アウシュビッツだけで400万人以上の罪もないユダヤ人が、命を奪われた。

9月4日
シュバイツァーなくなる。
1965年のこの日、「アフリカの聖者」と呼ばれたドイツ人のアルベルト・シュバイツァーが、90歳の生涯をとじた。
フランスのアルザス地方に生まれた彼は、神学と哲学・音楽を学び、牧師として活躍していた。しかし、アフリカの人々が病気で苦しんでいることを知ると、大学に入り直して医師の資格をとり、ガボンのジャングルにおもむいた。
そして、そこに病院をつくり、医療活動とキリスト教伝道に生涯をささげた。

9月6日
妹の日。

ドイツ名物。

キングタイガー、ヤクトパンツァー、レオパルト2、フランクフルト。ビール。
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2013/12/19

総理の決め手、英語力。  

どうも、こんにちは。
今日は、日本の歴史についてのブログを書いて見ます。

総理の決め手、英語力。

伊藤博文が初代総理大臣に選ばれる決め手の一つとなったのは、英語力でした。総理大臣の選考会議で、伊藤の盟友でもあった井上馨が、「これからの総理は外国からの電報が読めなくてはダメだ」といったことから、英語が得意だった伊藤が選ばれたという。
もちろん、幕末から維新にかけて活躍した実力者の一人であったことも理由だろう。若い時のイギリス留学の経験が、伊藤の英語力に役立ったことは間違いない。
攘夷思想に燃えた伊藤は、井上馨ら長州の若者4人とイギリスに密航した。当時は幕府の許可がなくては外国へ渡る事が許されぬ時代で、見つかれば死罪であったが、まずは相手を見なければ、攘夷はできないと考えた末の行動でした。
しかし、イギリスに渡った伊藤らは、進んだ西洋文化を目にして、攘夷は無謀だと考えを改めた。彼らはイギリスの新聞にも取り上げられ、「ChoshuFive(長州の5人)と呼ばれた。
このような若い時の経験などを自分の糧として、もともと農民の子が総理大臣にまでなった出世ぶりは、戦国時代、足軽から天下人にまでのぼりつめた太閤・豊臣秀吉の出世ぶりに例えられ、伊藤は「今太閤」とも呼ばれたという。
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