一般に歴史ときくと、まず昔のこと、と思う。
歴史的といえば、昔より今までの間に起ったことで、
社会的に人間的に一つの峰をなすような過去の事件という風に思う。
歴史はいつもすぎたこととして感じとられ、
今日という今の刻々が歴史そのものであり、
しかも今の刻々には、過去のどの時代ともちがった条件で、
人間の主動的な善意、熱意による変革を加えることのできる
おどろくべき可能がひらかれているという事実が、
割合実感されていないことは残念だと思う。
http://kaitekiorigotou.blog.fc2.com/
0
私がまだ六つか七つの時分でした。
ある日、近所の天神さまにお祭があるので、
私は乳母をせびって、一緒にそこへ連れて行ってもらいました。
天神様の境内はたいそうな人出でした。飴屋が出ています。
つぼ焼屋が出ています。切傷のすぐなおる膏薬を売っている店があります。
見世物には猿芝居、やまがらの曲芸、ろくろ首、
山男、地獄極楽のからくりなどという、
もうこの頃ではたんと見られないものが軒を列べて出ていました。
私は乳母に手を引かれて、あっちこっちと見て歩く内に、
ふと社の裏手の明き地に大勢人が集まっているのを見つけました。
側へ寄って見ると、そこにはこやがけもしなければ、
日除もしてないで、ただ野天の平地に
親子らしいお爺さんと男の子が立っていて、
それが大勢の見物に取り巻かれているのです。
http://repairfoundation.digi2.jp/
0
東京の浅草、大阪の千日前、京都の新京極、
それに匹敵するのが名古屋の大須である。
そこには金竜山浅草寺ならぬ北野山真福寺があって、
俗にこれを梅ぼしの観音という。
梅ぼしとは、『おお酸!』といふ駄洒落だが、
実は先年まで、観音堂の裏手に『大酸』ならぬ『大あま』旭遊廓があつて、
大須の繁盛したのは、半ばそのためであった。
旭遊廓は今の中村に移転したのだが、
その当座、遊郭を飯の種として居た人たちは、
この先どうなることかと蒼くなったけど、
観音様の御利益は、『刀刃段々壊(とうしんだんだんかい)』で、
だんだんよくなったなどというのは罰当たりな駄洒落かも知れない。
http://xn--lt0a737c.meblog.biz/
0
名古屋を西から東へ横断する、いわば銀座通りである。
名古屋駅を下りてから柳橋、納屋橋を越すまでは、銀座どころか、
銅座か鉛座ぐらいの感じしかないが、一たび納屋橋に立つて、
静かに東を向いて眼を放つならば、さすがに、近代都市の面影を認めざるを得ない。
十数年前までは、視野のまん中に、はるかむこうに日清戦争記念碑が、」
生殖器崇拝論者を喜ばせそうな形をして突立ち、
なくもがなの感じを起させたものだが、今は、覚王山のほとりに移されて、
視野に入るものは、第一銀行支店、三井銀行支店、住友ビル、
名古屋銀行、明治銀行など考えて見れば、拝金宗の寺院ばかりであるが
両側にいはゆるりんかんの美を争つて居る。
尤も、都市のおおたてもので、拝金宗の権化ならざるものはすくなく、
ニユーヨークのウールウオース・ビルヂングの案内書に、
商業寺院 Church of Commerce として紹介されてあるのは、
さすがにヤンキーだけあって、言うことが徹底的である。
http://xn--48j1ar8k.blog.so-net.ne.jp/
0
誰が言いだしたか、金の鯱鉾に、先祖代々うらみを持った人でもあるまいに、
まんざら捨てたものでもない名古屋の方言から、
『おきやあせ、すかたらん』を選んで、その代表的のものとするなど、
まことにすかたらん御仁と申すべきである。
だが、どうも、その方言の響がミユージカルでないことは、
いくら慾目でも、認めざるを得ないところであると同時に、
市街全体が、金の鯱鉾に光を奪はれたのか、
何となく暗い感じのするのも争はれない真実であらう。
『と同時に』を今一つ、名古屋人の心が、
薄情で、我利々々だということも、
口惜しいけれど是認しなければならぬと思う。
おや、こんな悪口は書くつもりではなかったのに、つい筆がすべって……。
尤も、われとわが身を悪くいう癖も、
名古屋人間の無くて七癖の一つかも知れぬ。
筆者は典型的の名古屋人なのである。
http://xn--e8yy6hnvd.digi2.jp/
0