アルミニウム・軽合金スクラップ回収の情報について

2012/12/2 
その結果、彼の「レトリック」は所謂人間学 の出発点となったと云われているのである。それはとに角、これを見ても、哲学がどれ程言葉 や話 と必然的な連関のある日常的なものかということが判ろう。――弁証法が会話に基く意味をももっていたことは、云うまでもない。
 第二は広く言語哲学と呼ばれている処の哲学部門がこの際の参考になるだろう。言語哲学は強いて云えばギリシアの昔からあるのであって、プラトンの諸対話篇の内にいくつかその研究が見られるが、併しこれを定式化したのは十九世紀のW・フンボルトと云われている。処がフンボルトによれば、この言語哲学的諸研究は、決して哲学の偶然な一問題ではないのだし、又特に偶然彼が最も重大視した哲学部門なのでもなくて、之が彼の哲学全体に対して中心的な位置を占めることになっているということは、注目に値いする。彼の哲学は解釈学乃至文献学(それについては最後に云うべき事柄がある)としての特色を持っているのだが、この哲学からすれば当然言語が哲学全般の問題の解決の鍵を提供する中心問題とならねばならぬ。なぜなら文献学的解釈の本来の形態は、古い記録や古典を、言葉を通じて理解することであって、言語の哲学的な機能が掴めていなくては、この種の哲学の方法が確立しないからである。
 言葉乃至文章に省察を加えることを、哲学の自己省察のよすがとした第三の場合は、哲学的普遍文字(国際語)論であり、そこから系統を引く近代論理学(modern logic)である。今も云ったように哲学は言葉の制約を受けることが甚しいのであったが、言葉と云えば特別の例外を除いては、いつでも国語のことに他ならない。
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(無題)

2012/11/27 
全くその通りで、弁証法的論理学という立場は、形式論理学という立場を許すことは出来ない。だがそうだからと云って、同一律や矛盾律が誤謬だということにはならぬ。之は弁証法的論理――矛盾の論理――の一断面、一契機を云い表わす限り、真理なのである。ただこの形式主義的論理法則が、一つの形式主義という立場の支柱に数えられる時、その法則の運用が誤謬となるのである。
 最後に問題になるのは、哲学と論理学との関係である。エンゲルスは今後哲学は形式論理学と弁証法だけになるだろうと云っているが、この弁証法(夫は形式論理学の法則を止揚し保持している筈だった)なるものが今まで述べたように、内容の極めて豊富なものなのである。豊富な哲学の根本原則は、凡てこの弁証法的論理学の内容として初めて生命を与えられ得るだろう。つまり論理学は最も厳密な意味に於ける――科学性を有った――哲学と、哲学的世界観の科学的立脚点に他ならない。――さてそこで、人が如何なる哲学を採用するかは、或る観念論者の有名な言葉のように、人々の性格による、のではない。それは何より先に彼が如何なる社会階級と如何なる階級文化とにぞくしているかに依るのである。
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