2013/10/11

新ブログへ移行しました。  極私的映画案内

新ブログ『射手男のイテオロジー』へ移行しました。
今後は、↓こちらへ、どうぞ。

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2013/10/7

よろず見聞録[六]  よろず見聞録

〈イタリアン印象派〉マッキアイオーリが、ずらりっ!
――「トスカーナと近代絵画」展


 チラシの惹句に「フィレンツェ ピッティ宮近代美術館コレクション」とある。「行きませんか」と誘われたとき、私は内心小躍りしていた。2002年のイタリア・ギリシャ弥次喜多旅行の際、案内役の中村君が「私の宝物をお見せします」と言って案内してくれたのがピッティ宮パラティーナ美術館。無数の絵が壁を埋め尽くし、一人の観客もいない異様な館内を、言葉もなく歩き回ったのだった。当然禁止されているだろうと写真は撮らなかった。せめてラファエロだけでもカメラに収めればよかったと、後日おおいに悔やんだが、この愚痴はもう書いた。あの宝の山から70点が初来日したのだ。行かざぁなるめぇ。

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(ジュニア版解説書表紙。ジョヴァンニ・フットーリ『従姉妹アルシア』)

 〈マッキアイオーリ〉とは点描法のことだが、見た限り、点描点描した作品はいくらも来ていないようだった。やはり制作方法ではなく、イタリアでの〈印象派〉、という位置づけが大切なのだろう。印象派とくれば、光。モデルに当たる光ばかりではなく、キャンバスそのものから発する光線を捉えたシニョーリや、ラファエッロ・セルネージ、偉大なるバンティ、etc. 絵の前を去りがたい展示が続く。おや、フォンタネージがある。『サンタ・トリニタ橋付近のアルノー川』。はっとさせられる空の輝き。残光ただよう川面。こまやかな波の様子が見事だ。

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(これは絵はがきで、実物はもっと濃密。)

 観たかった一人、クリスティアーノ・バンティは、大作『夕焼け』。立ち話がふと途切れたのか、木立の中で3人の女性が佇んでいる。

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 ここには、奇跡的に〈黄金色の時間〉が描かれている。

 前日に不愉快な出来事があって、灰色もいいところだった胸のうちがいっぺんに晴れたのは、でっかいロッシーニの顔に出会ったときだった。ヴィート・ダンコーナ作『ジョアッキーノ・ロッシーニの肖像』。いかにも福福しいほっぺ、おどけた眼差し、けっして凹まない鼻柱。赤ん坊も泣きやむ迫力の、明快な一作。どうしてこれが売店の絵葉書になっていないのだろう。図録を買うんだった。

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 ほどよい数の観客、ほどよい数の出品、気分もラクになってきて、印象派の癒し効果をありありと味わった。音声ガイドの解説もわかりやすい。展示は近代から現代へと近づく。そう、イタリア未来派の台頭だ。となれば、どうしたってキリコ。のっぺらぼうの、デ・キリコ。異常に脚の小さい人物が二人、これも縮小したかのようなソファに腰掛けて、一人はギターを奏で、口がないのでわからないが、デュエットで歌っているところ。(『南イタリアの歌』)
 
 と、不思議な絵が見えてまいりました。これも写真をお目にかけられないのがアレだが、ラグビーの選手のようなイケメンが雄たけびを挙げている。肩先に寄り添う美女はファンだろうか。二人とも上半身だけだが、躍動している。大きな絵だ。タイトルは?
 なに、『オルフェウスとエウリュディケ』だって?
ジャン・コクトオもビックリだろう、なんという若々しさ、爽やかさ。むしろ、イラストレーションと見た方が納得できる。オルフェが着ているのはTシャツのようでもある。胸に躍っているのは、まぎれもない〈竪琴〉だ。作者はアルベルト・サヴィニオ、1951年制作。知らなかったなあ、この人がキリコの弟だったなんて。

 すっかり元気を取り戻して外へ出た。損保ジャパン東郷青児美術館は、高層ビルの42階にある。ピッティ宮から来た絵たちは、ゴッホの『ひまわり』と同席しているわけである。

 (11月10日まで。明年1〜3月・群馬県立近代美術館、4〜5月・鳥取県立博物館へ巡回)

 追伸 「ピッティ宮」を検索すると、美術館の内部の画像が見つかります。
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2013/10/5

極私的世界映画………………第14部(3)  極私的映画案内

(133)50回目のファースト・キス 50 First Dates/2004年/アメリカ

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★あ、記憶喪失者の話か、とやりすごしていたのをテレビで観て、しまった、録画するんだったとホゾを噛みました。たしかに幻想SFにありがちのテーマですが、工夫が一杯。アダム・サンドラーとドリュー・バリモアの組み合わせも、ぴったしカンカンです。

監督 ピーター・シーガル
脚本 ジョージ・ウィング
音楽 テディ・カステルッチ
挿入曲 ビーチボーイズ「素敵じゃないか」、ポール・マッカートニー「アナザー・デイ」、ほか多数

★常夏の島ハワイにも、交通事故はあります。島一番の美人娘ルーシー(バリモア)は、去年おとっつぁんの誕生日に、同乗していたピックアップが大木に衝突、脳がショックを受けて、ワン・デイ・リセット型記憶喪失人間になってしまいました。一日愉快に過ごしても、一晩寝るとすっかり忘れてしまう。つまり毎日が父親の誕生日なワケですね、ルーシーにとっては。なので、サプライズ・プレゼントとして父親の仕事場の壁に絵を描くのが〈毎日〉の仕事(?)になってしまっている。本人はそうとは知りません。ドタバタしているのは親父さん(と、弟)の方で、毎晩ルーシーが寝ている間に壁の絵を消しておかねばなりません。そんな日が、もう1年も続いているのでした……。

★映画の順番でいうと、以上の前に、まずヘンリー・ロス(サンドラー)が紹介されます。水族館で獣医として働いていますが、いずれはアラスカの海に乗り出してセイウチの生態を研究するのが夢。観光客限定のプレイボーイぶりも発揮しますが、根はマジメ人間。ヘンリーをいかにコミカルに見せるか、シーガル監督はアノ手コノ手オクノ手を総動員。周囲にトンデモ人種を配し、ペンギンやジャッコ(セイウチ)の芸のサービスもあります。

★ヘンリーが朝食を食べにカフェに入ると、ヒナマレな乙女が、注文したワッフルを食べるにあらず、ブロック状に切っては積み重ね、ミニチュアの家をこしらえている。が、ドア開閉がうまくいかないらしい。へンリー、「楊枝を使えば?」と助太刀に乗り出します。「あたまイイのねー!」ルーシーは感嘆。二人は簡単に恋に落ちます。舞い上がっているヘンリーが、翌朝もいそいそとカフェを覗くと、同じ美人がまたもやお菓子の家を建築中。「それではドアが開かないよ。ここをこうして……」と頼まれもしないアドヴァイスを提供するのですが、「あんた、誰? ヒトの食べ物に触らないでよ」と美女おかんむり。昨日はあんなにあつあつだったのに……。ヘンリー、ワケがわからず、〈今日は他人〉の気を引こうと、アノ手コノ手でアタックしたあげく、ファースト・キスにたどりつく。次の日も、また次の日も、なりゆきは同じ。10回が20回になっても、ルーシーにとってはファースト・キスなのです。

★見かねたカフェのママ(ハワイ的プックリ体型のエイミー・ヒル)がヘンリーにわけを話して聞かせ、「あの子の死んだ母親とは親友なの。あの子に手を出したら承知しないよ。」後ろで刺青顔のマスターが、バッシーン、コンビーフの缶を包丁で一刀両断。

★はたして世の中はどんどん動いているのでした。ルーシーの車が車検切れになる。そんなバカなとふんがいして、売店の新聞を見ると日付が変だ。今朝、自宅で見た新聞は、たしかに〈10月13日付〉だったのに? いよいよルーシーも真実に直面か? と期待させますが、やっぱりこれも堂々巡りの輪の中の出来事、一夜明ければ真っ白なルーシーです。

★ルーシーは、パパのために、もう一つ贈りものを用意していました。映画『シックス・センス』のビデオテープです。これを3人で見るわけです。毎日毎日同じ映画を見させられる男どもの、うんざり顔。判りますねえ。しかもルーシーは、無邪気というか、「ね、ね、ブルース・ウィリスが○○だったって、知ってた?」とネタ大バラシ。ワハハ。

★事態の打開には、ビデオテープが特効薬かも。毎日の記録が積み重なって新しい日が昇ることを、ヘンリーは必死で伝えようとします。これに応えてルーシーも日記を付け始める、一日で消える恋の記憶をとどめるために。しかし、思いがけなくドアの向こうから聞こえてきた父親たちの会話から、ヘンリーが自分の夢を捨ててまで自分に尽くそうとしていることを漏れ聞いてしまうわけです。ルーシーは、堂々巡りの人生にピリオドを打つ決心をします。ヘンリーの面前で日記を燃やし、障害者のための病院に自分の意思で入院してしまう。あわやシリアス映画になりかけるわけですが、なーに、日記を処分したところでヘンリーが消えるはずもありません。

★傷心のヘンリーは、長らく出番を待っていた「海蛇号」を整備してアラスカへ向かおうとします。ルーシーのパパは「娘の愛唱歌だよ」と、一枚のCDをプレゼントします。ビーチボーイ! 思い出の曲!! ヘンリーは舵を戻して、まっしぐらに病院へ駆けつけると、ルーシーの部屋にはヘンリーの肖像画が張りめぐらされているのでした。毎晩の夢に出てくる男の顔だという……

★ある朝目を覚ましたルーシーは、自分が船に乗っていることに気付きます。デッキからは「ママ、早く起きて。おじいちゃんが待っているよ」と、女の子の声が。出てみると、あたりは身も凍る極地の海辺。〈見も知らない〉男性が寄ってきて、ラスト・キス・シーン。チャン、チャン。

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2013/10/5

極私的世界映画………………第14部(2)  極私的映画案内

(132)クレイマー、クレイマー Kramer vs. Kramer/1979年/アメリカ
監督・脚本 ロバート・ベントン
原作 エイヴェリー・コーマン
撮影 ネストール・アルメンドロス
音楽 パーセル、ヴィヴァルディ
出演 ダスティン・ホフマン、メリル・ストロープ、ジャスティン・ヘンリー、ジェーン・アレキサンダー

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★記録によると、1980年4月13日に観ています。ということは、アカデミー賞発表の直前で、あまり熱心な観客でなかった私は、本作がどうしてモテるのか、不審に思ったものです。《極私的》を書き始めてからも、あまり思い出すこともありませんでした。ところが『新しい人生のはじめかた』を書き始めると、にわかにまた観たくなったので、レンタル・ショップへと走りました。思い出せるのは、ダスティン・ホフマンが子どもを抱えて通りをツッパシるシーンぐらいでしたが。つまり、細部の神が見えていなかった……。

★スクリーンでとは違ってDVDでの再会には、〈メイキング〉というオマケが伴う場合があります。監督や俳優が撮影中の思い出を語ったり、NGシーンをピックアップしたり。本作品でもプロデューサーのスタンリー・ジャッフェを交えて、「じつは」話がどっさり。夫婦別れの話なのに、ダスティン・ホフマンは実生活でも離婚騒ぎの渦中にあったとか、メリルが脚本に飽きたらず、証人席でのスピーチを自ら書き直したとか、裁判所の速記者は本職が出演したとか。ね、興味深いでしょ?

★ワーカホリックなテッドと別れることに決めたジョアンナは、7歳のビリーを夫に任せて姿を消す。朝食の支度、登下校の付き添い、買い物、ベッドタイム・リーディング、etc. 降って湧いた重荷に押しつぶされそうなテッド。かんしゃくを抑えるのも難しい。その一方、どれほど腕の立つイラストレーターでも、家庭の事情で顧客を待たせるわけにはいきません。人生のジレンマにさいなまれる男をものの見事に造形したホフマン。改めて見直すと、成果の大部分は、セリフ回しに拠っているようです。それと、アドリブ。

★しかーし、本作のベストはビリー役、ジャスティン・ヘンリーでしょう。オーディションで選ばれた、役と同じ7歳ですが、ダスティンのアドリブにアドリブで返すという異才ぶり。DVDのオマケには、20年後のビリーの写真もあって、ずーっと俳優を続けているらしい。(DVDが2001年製作なので、以降の情報はネットでごらんください。)ママがいなくなって混乱しているのに、フレンチ・トースト(食パンを卵と牛乳に浸し、フライパンで焼いたもの)らしきものが食べられるようになるまで、キッチン・ファイト中の、自分以上に惑乱しているパパを観察してしまうビリー。

★愉快なことに、さしもの家事地獄もやがてルーチン化しますよとばかり、サイレント映画『パパとビリーの朝の情景』とでも呼びたい一幕が挿入されます。トイレ・洗顔を済ませ、新聞を取り込み、フレンチ・トーストならぬチョコドーナツにかぶりつきつつ、父は新聞、子はマンガに専念する。この間ひとことの会話もありません。ママが家出して8ヶ月になろうとする頃です。

★事件がおきました。ビリーがジャングルジムから落下、ほっぺが血だらけ。テッドは30キロの息子を抱えて、救護所めざして爆走します。(「重たかった」と述懐。)幾針か縫いましたが、幸い軽傷。安堵する間もなく、サイアクのタイミングで家出ママ登場。ビリーを引取るというわけです。やっさもっさ、よーし、裁判だ。映画後半は法廷が舞台に。

★最々悪のタイミングで、テッドは会社を辞めさせられます。弁護士曰く、「これで勝ち目はなくなった。」さあ、テッドの猛烈就活が始まります。Xマス前の慰労パーティに沸くオフィスを訪ね、粘りに粘って職を勝ち取ります。ホッとしたテッドは、新しい仕事場にビリーを案内します。エレベーターに乗り、パパの指図どおり「一番上のボタンにジャンプ」したり、高所から見る大都市の景観にはしゃぐビリーですが、それから数日後、ジョアンナから「ビリーを貸して欲しい」と言ってきました。断れません。ビリーは、自転車の稽古をしていた並木道で、迎えに来たママに向かって突進します。キャメラの動きが何か絵に描いたようですが、つまり、テッドがビリーを抱いて走った姿にぴったりシンクロしているのですね。ここいらがアルメンドロスの腕の冴えでしょう。

★結末は書きませんが、エレベーターのドアの向こうに消えるジョアンナの表情がエンド・マークを兼ねています。控えめな音楽が印象的。ママの腕にビリーが飛び込むと、ヘンリー・パーセルの「トランペットと弦楽のためのソナタ」が高鳴ります。映画冒頭にはヴィヴァルディ「マンドリン協奏曲」が流れ、憂わしげなジョアンナの顔が現れます。首尾一貫したつくりなのです。なにしろ、監督ベントンといえば『ボニーとクライド/俺たちに明日はない』(’67)ですもんね。

★ここでもう一人、テッドとジョアンナ共通の友人マーガレット(ジェーン・アレキサンダー)を思い出しましょう。彼女が妻の家出をそそのかした、とテッドは疑っているのですが、身辺では最も頼りになる存在。怪我したビリーを気遣って、台所を手伝ってくれるマーガレットに、テッドは「ぼくに何かあったら、ビリーを頼む」と言ってしまうのです。マーガレット自身、夫に逃げられているのですが。「信頼できるのは君だけだ。洗い物はヘタクソだけど。」――さあ、果たしてジョアンナはテッドの元に帰ってくるのでしょうか。

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2013/10/5

極私的世界映画………………第14部(1)  極私的映画案内

(131)新しい人生のはじめかた Last Chance Harvey/2008/アメリカ
監督・脚本 ジョエル・ホプキンス
音楽 ディコン・ハインクリフェ
出演 ダスティン・ホフマン、エマ・トンプソン ほか

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★『卒業』から41年、『クレーマー、クレーマー』からでも29年、二重の意味で<キレル男>ダスティンも、髪の毛が白い。かつては鋭くとんがった演技派でしたから、私などは幾分引け腰で見ていたものでしたが、久々に見る表情はずいぶん穏やかでした。あの、ニンマリしたときのU字型の唇、健在でした。

★ポロリン、ポロリン、ピアノが鳴っています。ダスティン、いやハーヴェイ・シャインが作曲中。これが、いきなりの伏線で、後になってイイトコロでピアノがポロン、ポロロン、奏でますので、お楽しみに。ハーヴェイはCM用の音楽を作って食べているのですが、このところクライアントの受けがイマイチなのは、ただのスランプか、もしかして時代のニーズに合わなくなっているのか? なににせよ明日は、ここニューヨークからロンドンへ飛ばなくちゃならない。娘が結婚するのです。それまでに1曲仕上げねば……。

★ハーヴェイが仕事に振り回されている様子にダブって、一人の女性が、母親らしい初老の婦人と出勤前の気ぜわしい会話をしている様子が挿入されます。私は、この人がハーヴェイの娘かと思いましたが、もちろん違いました。娘スーザンは、離婚した妻のジーン、その再婚相手ブライアンと、ロンドンで平和に暮らしていますが、まだ登場しません。ハーヴェイが飛行機から降り立ち、カートを引っぱって出口へ向かいます。先ほどの女性が出口アンケートをしかけますが、にべもなく断って。

★娘スーザン(リアーヌ・パラバン)がとってくれたホテルは、ひっそりとして、結婚式の客など一人も見えません。そのうえ、バージンロードは義理の父親ブライアン(ジェームズ・ブローリン)と歩くという。おまけに仕事の電話が鳴り通し。なんと、やっと間に合わせた曲が拒否されて、ハーヴェイお払い箱の巻ときたもんだ! まだランチタイムだというのに、ホテルのバーでジョニ黒を呷るハーヴェイ。と、声あり、「やけ酒はよくないわ」。なあんと、空港にいた彼女じゃないか。ここではじめてお互い名乗りあって、ドラマが動き出します。女性の名はケイト・ウォーカー。のっぽのエマ・トンプソンが好演します。

★ドラマといっても、要するに元家族の幸福なありさまを向こうに回して、人生にアブれかけているハーヴェイとケイトが新しい生活を始めようという。それが成功するか失敗するかは、この映画では判りません。テムズ川のほとりで「ちょっと散歩しましょ」と言いつつ、ケイトがヒールの靴を脱ぎ、ハーヴェイに肩を並べて歩き出すところでEND。

★おっと、巻き戻しますね。ケイトは作家志望。サークルに参加して習作を自分で読み上げたりしています。月に何回か、実作批評の集まりがあり、たまたま今日がその日。アパートに帰る途中、パディントンに寄ると言います。さしあたりヒマなハーヴェイ、ノコノコついていく。もちろんサークル会場には入らず、小一時間、表で日向ぼっこ。歩き出す二人。ここでケイトが暗誦します――「ここは何と壮麗な街だ。」ハニーチャーチ。間髪を入れずハーヴェイが「眺めのいい部屋」と応じます。パチパチパチ。二人は、青空古本市のテントを潜り抜けて歩いていきます。いいシーンだなあ。

★自分がここにいるわけを話し、ひとりぼっちの〈父親〉をエスコートしてほしいとケイトに頼み込む。「こんな格好で?」「ドレスなら買うよ、ただし200ポンド以内。」たちまち楽しい試着ショー。すでに始まっている結婚式会場へ駆けつけ、歓迎されます。ここで、脚本も書いた監督は、ハーヴェイをけっして一人にさせない決心を固めたのでしょう、関係者すべてがハーヴェイにやさしく接するのです。スピーチしかかったブライアンはハーヴェイの横車をあっさり交わして、スピーチを譲る。これに答えてハーヴェイも一世一代の名演説を披露します。

★ここまで書いてきて気付きました、私、結婚式と披露パーティとを一緒くたにしていました! ハーヴェイは、仕事と自分の身の行くたてが気になり、披露宴には出ないことにして、ヒースロー空港へ向かいますが、トンデモな渋滞でニューヨーク行きの飛行機に間に合わず、またホテルへ舞い戻るのでした。そして、ハニムーンに向かう二人を見送った後、ハーヴェイとケイトは再会を約束します。ところが、翌日正午、葡萄の袋を抱えたケイトの前に、ついにハーヴェイは現れませんでした。

★ここからハッピーエンドまでのドタバタは、あえて伏せておくことにします。小ぢんまりとした映画ですが、やわらかくなったダスティン・ホフマンや、背が高いのを恐縮しているかのようなエマ・トンプソンが、おとぎ話の中のキャラクターに似て、好ましい。音楽もステキです。ストリート・ミュージシャンが歌っているのは何という曲なのでしょう?

★ただし、邦題がチョット。原題直訳で『どたんばハーヴェイ』というのはいかが?

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2013/9/27

2013ドイツの旅から  増田泰子「ドイツの旅から」

ゲスト投稿、力投中!(射手男)

2013ドイツの旅から(増田泰子)――C天国の響き


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<写真@ ヴァイセンフェルス城の中庭>

 アルテンブルグ城内教会の迫り来る豪華さ。それに匹敵するのが、ヴァイセンフェルス城内礼拝堂でした。こちらはザクセン=ヴァイセンフェルス公アウグスト( 1614〜1680 ) が建造した城です。(註 ヴァイセンフェルスは、ライプツィヒとヴァイマルを結ぶ線上にある城市)
 アラン・ドロンとジェラール・フィリップどっちが好き? と聞かれて困ってしまう、そんな感じです。ジェラール・フィリップ、いえ、ヴァイセンフェルス城内礼拝堂は、丹精で優美。全体の写真をお見せできなくて残念です。高い天井から四方の壁まで天使や植物のモチーフの浮き彫りが施され、色彩はシックなばら色・モスグリーン・ホワイトの三色のみ。三階建ての一番上、天井にくっ付くようにしてオルガンがあります。<写真A>音が上から落ちてくるので、天国の響きに聞こえます。

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 記録にはありませんが、きっとバッハも、この礼拝堂のオルガンを弾いたことでしょう。1729年には、このお城を築いたアウグスト公の孫クリスティアン公 ( 1682〜1736 ) から、ザクセン=ヴァイセンフェルス公宮廷楽長の称号を授けられています。バッハとクリスティアン公の親交のきっかけは、1713年に遡ります。バッハは当時の君主、ヴァイマル領主ヴイルヘルム・エルンスト公の命で、カンタータを作曲しています。この曲「狩のカンタータ」はエルンスト公から、狩好きのクリスティアン公へ、31歳の誕生日の贈り物でした。上演されたのはヴァイセンフェルス郊外、「狩の館」です。そしてオルガンだけでなく、この「狩の館」も同じ場所に今もあるのです。現在はホテルになっており、今では誰でも、ここで食事ができます。

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<写真BC 「狩の館」とその内部>

 城内礼拝堂のオルガンは、7歳のヘンデル( 1685〜1795 ) も弾いています。クリスティアン公の父ヨーハン・アドルフ公 ( 1649〜1697 ) の前で。ヘンデルの父はこの宮廷に医者として仕えていました。音楽家は、どんなに優れていても、医者や法律家より身分が低かったので、ヘンデルの父は息子が音楽の道に進むのは反対でした。しかしヘンデルのオルガンを聴いて驚いたアドルフ公が、こんなに才能があるなら!と、音楽の勉強を勧め、これがきっかけとなって、ヘンデルは音楽の道に進みます。

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<写真D シュッツの風貌>

 ヘンデルはバッハと同じ歳ですが、バッハより丁度100歳上の、ハインリヒ・シュッツ ( 1585〜1672 ) もヴァイセンフェルスで少年時代を過ごしています。シュッツもヘンデルと同じようにもともと裕福な家庭に生まれ、自分が築いた人生も成功します。シュッツの父はヴァイセンフェルスの市長でしたし、シュッツの娘はライプツィヒ市長の妻となります。本人はライプツィヒ大学で法律を学び、1609年にはヴェネチアのサンマルコ寺院にオルガンの勉強をしに留学しています。後にドレスデンの宮廷楽長となり、デンマーク王子の婚礼には指揮までしました。

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<写真E シュッツ博物館と筆者>

 そんなシュッツの実家は、博物館となってヴァイセンフェルスに今もあります。6月にバッハ真筆の筆写譜発見! と新聞に載ったのは、まさにこのシュッツ博物館で見つかった譜面なのです。譜面は、イタリア・ベネチアの作曲家フランチェスコ・ガスパリーニ ( 1668〜1727 ) の「ミサ・カノニカ」。写譜したのは 1740年頃で、バッハ50代半ばと言われています。この、発見ほやほやの真筆は発見されたシュッツ博物館で、7月半ばまで公開されていました。この旅と丁度重なっていたので、私達は6月20日に思いがけなく、直接見る事ができました。監視員も誰もいない、貸切状態の中で、じっくりと! 私は、譜面の中身はよく分からないのですが、音符の一つ一つがコロンコロンとしていて、バッハが喜んでいるというか、希望に溢れているというか、“若々しい”印象を受けました。保存状態が良かったのか、紙やインクも300年以上経っているものとは思えませんでした。

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<写真F J・S・バッハによる筆写譜>

 ヴァイセンフェルスには、忘れてならない人がもう一人。バッハの2番目の妻、アンナ・マグダレーナです。一歳年上だった最初の妻とは死別です。当時は子供だけでなく、大人でもあっけなく亡くなることが不思議でなかった時代でした。
 アンナ・マグダレーナは音楽一家に育ち、ヴァイセンフェルスで宮廷歌手となる教育を受けていました。ケーテンの宮廷に歌手として雇われ、そこでバッハと出会います。バッハ36歳の時、新妻はまさかの20歳! うらやましい。でも新妻の方は大変です。結婚した時すでに先妻の子が4人。自分とそれほど年の差がない先妻の子らの面倒をみながら、13人の子を産みます。当時は子供の死亡率が高いので、それを見込んで沢山生むのが普通だったと思われますが、それにしてもアンナ・マグダレーナ、偉い! 彼女は生涯働き尽くめで、苦労の多い人生だったろうと思います。こちらのお話しもまた聞いてくださいね。
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2013/9/19

極私的世界映画………………第13部(10)  極私的映画案内

(130)魂萌え! 2007年/シネ・カノン
原作 桐野夏生
監督・脚本 阪本順治
音楽 ヤドランカ、coba
音響効果 伊藤進一
出演 風吹ジュン、三田佳子、加藤治子、豊川悦司、ほか

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★さあさ、お盆映画だよ、寄ってらっしゃい見てらっしゃい。夫に先立たれた女が一人、間なく味わう〈生き〉地獄の数々、とくとごろうじろ。

★地獄の入り口は桜が満開です。井の頭公園あたりでしょうか、広がる水面に景色が映り込んで、上下どちらがこの世か判りません。パッと変わって住宅街。一軒のドアが開いて、男が一人現れました。オヤ、寺尾聰じゃないか。桜を仰ぎながらのご出勤。また変わって、フライパンを磨く手。夫を送り出した後の主婦の開放感。目のくりっとした、丸顔の、この女優、なんて人だっけ。おっと、タイトルが出た。けど、キャストが出ない。えーと、ジュンだよ、ふぶきジュン。思い出したとたんに、歌が聞こえてきました。女声ですが、ジュンが歌っているのではありません。ソードドー、ソーレレー、ソーミミファミーレー……、極シンプルなメロディにホレボレしていると、映画は早くも夜になり、寺尾が花束抱えてご帰還だ。だれかの誕生日ででもあるのか、食卓には皿が並び、なにやら飾り物が天井から吊り下げてあります。寺尾が紐を引くと、ポン! 薬玉でした。どうやらこのうちでは、ご主人が明日から「毎日が日曜日」になるのを祝っているらしい。

★ジュンが洗い物をしていると、ソファで寝ていた寺尾が赤い顔でフラフラ現れ、無言でジュンと握手して、寝室に消えた。ポカンとしたジュンのアップ。それがあっと言う間に和装の喪服姿に変わります。ようやくドラマが始まりました。夫の遺したケータイが鳴る。「関口ですが」と出ると、知らない女の声。モチロン、関口隆之(寺尾)の浮気相手です。関口敏子(ジュン)は、対決を決意。以下、蒲田の小料理店〈阿武隈〉をきりもりする伊藤昭子(三田佳子)とのゴタゴタ地獄が展開する一方、商社マンの息子・彰之(田中哲司)がアメリカから引き上げてくると言い出し、親父の遺言だから家をよこせなどと言う。ドメスチック・インヘルノだあ!

★すっかり疲れた敏子は、新宿あたりのカプセルホテルに逃避行。そこで〈身の上話を売る女〉宮里しげ子(加藤治子)に遭遇、ふしぎな慰めを得る。夫が情事の口実にしていたらしいソバ打ち講習会、その常連の集まりにも出てみる。のみならず、メンバーの一人とホテルにしけこんだりしちゃう。これは慰安地獄か。他にも、クラスメートの仲良し四人組(藤田弓子、由紀さおり、今陽子、ジュン)のおせっかい地獄やら、いろいろ押し寄せてくるのですが、その中に、敏子サンが自立する物語としてはいささか強引なネタが、仕込んであるのでした。それは、映画。それも『ニュー・シネマ・パラダイス』の少年トトのように、映写技師になりたい敏子サンがいたのであります。

★どなたもご存知、戦地から帰還しない夫を尋ねてさまよう妻の話、そうです、名作『ひまわり』。ゴッ、トンと列車が動き出し、それぞれの世界へと別れていく男と女。ヘンリー・マンシーニの音楽がたまりませんね。念願かなった敏子技師が、映写室の窓からスクリーンを見つめます。まるでソフィア・ローレンに扮したような気分で。かくして敏子サンはみごと自立を勝ち取り、住まいは息子に貸し付け、自分はアパートで一人暮らしを開始するところで、幕。

★けれん味たっぷりの人物像やエピソードもおもしろいのですが、特筆すべきは音楽。アコーディオンのcobaが担当です。納骨の日、敏子サンと息子、娘は「あきる野霊園」へ向かいます。これ、実在の地名ですよね。マイクロバスの腹にでかでかと書いてあるのですが、リアルとファンタジーが一瞬入れ替わるような妙な効果があります。そしてバスに揺られて眠気が差してきたころ、敏子サンは窓の外に男女の二人連れを見てしまう。男はどう見ても関口隆之ですが、女の方がイマイチはっきりしません。いえ、伊藤昭子にちがいないのですが、関口敏子のようでもある。何だろ、この絵? と、私たちも思ったところに出てくる音楽、これがすごい。

★タイトルとともに聞こえていた歌は、メロディはきれいだけれど、何語だかさっぱりわからず、『魂萌え!』が意味不明なのと妙にシンクロしているなと感心したのでしたが、白昼の亡霊のための鎮魂歌(?)は、たしかに日本語なのに、それでも何を言っているのか聞き取れないのです。というのも、録音テープの再生速度を遅くして聞いているような、へんてこブキミな節回しが延々続き、途中からお墓の前で供養している坊さんの声と重なり、読経が終わると歌も途切れて、ハイ、ソレマデヨ、みたいな空気になるのです。窓の外の二人の会話が聞き取れないように、地獄のコーラスはナマナマしいくせに、耳では捕まえられないものなのでしょうか。

★映画中で〈地獄のコーラス〉は、もう一度、鳴り響きます。どこで鳴るかは書きませんので、ビクビクしながらその時をお待ちください。映画を観た後すぐに手に入れたヤドランカのCD『音色』(おといろ、と読ませている)には、ソードドーのタイトルソングが収録されていて、歌詞もついています。「昼となく夜となく、心が波立っている。…… 遠くへ旅立つ日が来たようだ。」といった内容で、どうやらバルカン半島サラエボ地方の言葉らしい。映画を観ている最中は意味は判らないので、音楽だけで「これは地獄めぐりの伴奏ではないか」などと想像するわけです。音楽というより〈音響効果〉に近いものです。そうそう、叔母に死なれた豊川悦司の号泣も、音響効果絶大なり。

(以上、お盆に間に合わせようとして書きましたが、掲載が遅れました。まあ、秋のお彼岸もありますし、地獄の釜の蓋は常時開いていることだし、面白けりゃいいってもんですよ。)


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2013/9/13

よろず見聞録[五]  よろず見聞録

2台ピアノの魔力、疾駆する「熱情」
――「小川典子と仲間たちが贈る、ワンデー・スペシャル・イベント」を聴く

(2013・9・7、ミューザ川崎シンフォニーホール)

@9:30 モーニング・マスタークラス、A13:00 ランチタイム・コンサート、B16:00アフタヌーン・リサイタル、C18:30 イブニング・ラブソング。この4ステージを一日でこなそうという破格の企画。聴く側も覚悟が要る。猛暑が去り、前夜よく眠れたので助かった。上記のうちABCを制覇するつもりで出かけた。

 まず、「ローナン・オホラと小川典子による2台ピアノ」。私は連弾というヤツが大好き人間だ。二人掛りで黒光りする怪獣をなだめようとしているようでもあり、ピアニストの組み合わせにも興味が湧く。二人の腕などが絡まりあって、サーカスチックなショウ演奏になることもある。しかし今回はピアノ2台をはさんで上手に小川、下手がローナン、向かい合う形だが、両者の間隔はうんと離れている。私の席は3列目27番で、小川さんを真横から見る好位置だ。

 Ronan O’Hora ? 知らない名前。1964年、マンチェスター生まれ、英国ギルドホール音楽院ピアノ科主任教授とある。そういえば小川さんもこの学校で教えているのだった。午前中のマスタークラスで講師を務めたらしい。恰幅のいい紳士である。
 曲目。ベートーヴェン:交響曲第7番/イ長調/作品92。おほほーっ、こりゃすごい。もう1曲、ラヴェル:ラ・ヴァルスがある。これまたタノシミーっ。

 「のだめ」出現以後、7番シンフォニーを知らない人はいないと思う。くっきりとした快活なリズムに、耳に残りやすい旋律がいたるところに現れる、親しみやすい名曲だ。それを、指揮者のいない2台ピアノで聴けるのだ。目で合図するや、すぐにスタート。40分がたちまち過ぎた。快演、快演。小川典子の2台ピアノを聴くのは初めてではない。キャサリン・ストットと組んだ「サーキット」はCDで繰り返し聴いたし、テレビ放映のあった田部京子とのデュオ・コンサートでは「ラ・ヴァルス」が聴けた。しかし、交響曲の2台ピアノ版は初めてかもしれない。誰が編曲したのだろう。ベートーヴェン自身か? そもそも連弾とか4手の曲が今にたくさん残っているのは、巨匠たちの身すぎ世すぎの結果ではあるまいか。ほら、生徒や弟子にピアノを教える際に使われたものにちがいない。

 ピアノという楽器は、1台が2台になると、まったく別の楽器に変身する。ただでさえ巨大な図体が倍に膨らんで、のへのへーっと舞台中央を占領し、遠く離れたペア演奏者をアゴでこき使うかのよう。小川さんが弾いている方は、蓋をそっくり取り外してある。ローナン器は通常の姿だが、それだけに反射板(蓋)が、2台分の仕事をしようと焦っているみたいだ。

 てきぱきとプログラムは進んで、次、ラヴェル。ウィンナワルツの栄光と衰退がテーマだそうだ。分厚い和音がテーマを抱き込むように散りばめられる。これもオーケストラ用に作曲されたが、ラヴェル自らが2台ピアノ用に編曲したもの。もはやワルツも宮廷を出て、誰もが共有できるものにならないと生き延びることは難しい――これがラヴェルの主張だろう。新しいワルツには、かなりの猥雑さも混じっている。キイを押さえた指がもう一方の手で引きずられ、輝かしい花火と開く小川さん力一杯のグリッサンド。ああ、ライヴはいいなあ!

 アンコール! 曲名告知なしで始まったのは、サン=サーンス:動物の謝肉祭から「水族館」だった。高音部のチリチリ鳴る音が涼しげだ。これまた名演。こういう曲も、CDじゃ聞けないもんな。

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 たっぷりすぎるインターバルの後は、小川さんの独奏会。(その前に、かたせ梨乃とのトークショウがあったが、割愛する。)今度はピアノが1台で、小川さんの姿ははるか下手に遠ざかってしまった。指もまったく見えない。曲目は、ドビュッシー「沈める寺」、ラヴェル「亡き王女のためのパヴァーヌ」「哀しい鳥たち」「高雅で感傷的なワルツ」、しんがりが
ベートーヴェンの「熱情」。
 もちろん、アパショナータが目玉である。ピアノ・ソナタ第23番、ヘ短調、作品57。いつも思うのだが、熱情と情熱はどう違うのだろう。後者が「ふつふつと滾るもの」とすれば、熱情は「火山の爆発」か。岡本太郎の至言に照らせば、火山も芸術らしい???

 始まった。アレグロ・アッサイ、ピアニッシモ。ラ、ド、ミの3音のみを用いた旋律が、関係和音を呼び込みながら静かに走り出し、18小節目でフォルティシモに高揚する。――とかなんとか判ったようなことを書いているが、私にアナリーゼはできない。つぎつぎに表情を変えるナマ演奏の不思議さに、気がつけば吾を忘れて聞き入っているだけだ。ピアニストは作曲者をステージに呼び出そうとしている。肖像画やデスマスクで見たことのあるルートヴィヒの顔が、チラチラ揺らめいては消える。この曲は自画像なのか。あっ、もう第1楽章が終わる。

 アンダンテ・コン・モートの第2楽章は、ピアニストにとっては箸休めのようなひと時ではあるまいか。こちらも、すぐ後に続くアレグロ、マ・ノン・トロッポの終楽章を思い描きながら、少し深い息をついてみたりする。ファンファーレが聞こえたぞ。いよいよ、ホームストレッチ、賽は投げられた。ピアノが鳴っているのか、それともわれわれの心臓が時めいているのか、晴れやかな音のラインが無限に繰り出される。あらかじめ楽譜を見ておいたから知っているのだが、4分の2拍子の名高い主旋律(ブン、チャチャ、ブン、チャチャ、ブン、チャチャ、チャカリコ)は、小節の頭からでなく、2個目の四分音符から始まっているのだ。流れの渦に巻かれて、とまどいつつ押されていく木の葉舟のような効果が生まれている。コーダはプレスト。われらの足は空を踏んでいる。息を詰めていると、轟音3個で、ジ・エンド。「ブラボオオオ!」と叫んだはずだが、夢かもしれない。

 ヘトヘトになってしまったので、ステージCは、中途退場。ソプラノ鮫島有美子、ピアノ小川典子で、ハイドン、シューベルト、シューマン、武満、サティ、ガーシュウインなどが予定されていたのだが。なお、リサイタルのアンコールは、エルガー「愛の挨拶」だった。小川さん、次にはどうかライヴ録音のCDを出してください。
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