2015/12/28

#8『電波の不思議と子供たちの笑顔』  

◆【Midnight PetitNoise -真夜中のひとり戯言-】
#8『電波の不思議と子供たちの笑顔』2015年12月27日

■12月が来ると毎年サンタになりたいと思う。それは、プレゼントしたいと言う大それた高飛車なことでなく、一緒に笑顔になりたい幸せになりたいとの想いからだ。毎年その想いは強く大きくなる。今年は、12月20日に素晴らしい機会を頂いた。NPO法人目黒ユネスコ協会主催の理数教室「電波の不思議? 電池がなくても光るLEDと聞こえるラジオ」への協力である。検討した内容から、アマチュア無線のトランシーバーによるLED点灯と中波受信用ループアンテナ(CCLoop)を使ったトランジスターラジオの音が大きくなる不思議実験を行った。また、光の速度はという質問に、1秒間に地球を7周半と即答した少女にも驚き頼もしくも感じた。そして、12名の仲間と、電池の要らないゲルマニウムダイオードラジオの製作である。小学1年から6年までの定員オーバー25名参加となり、全員が完成した。ハンダ付けを経験している子供は少数で、しかも祖父から教わったとのことである。もちろん、準備は大変である。部品の調達、ケースとパネルの加工、ビニール線と端子の予備ハンダなど、8名の仲間と3時間以上に及んだ作業があった。それらを理解した参加者は少ないだろう。しかし、それでいいと思う。飛び入りで協力いただいた杉本氏からは、ハンダ付けをしたことがない子供たち全員が完成した要因は、その周到な準備にあるとご指摘いただいた。一人の少女が「聞こえなかったのはイヤホンの不良だった。」と笑顔で報告してくれた。その満面の笑みと報告してくれたことに感謝したい。そして、出来る限りの準備に協力してくれた仲間に感謝したいと思う。
クリックすると元のサイズで表示します
■ところで、横浜みどりクラブの活動で続けている「アンテナ製作プロジェクト」も12月26日で32回となった。3年間も続き、8月のハムフェアを除き毎月の開催である。神奈川県だけでなく全国に広がり、素晴らしい仲間だと思う。また、よくお付き合いいただけているとも思う。さらに、その仲間が活き活きとしている姿を見ると勇気をもらえる。忘年会の席で、多くの方から仲間同士の刺激を受けて、前向きに活動したいとのご意見を頂戴した。継続して良かったのだと感じる。
■世界も日本も身近でも、モチベーションが下がることばかりで混沌としている。喜びや幸せとは、何なんだろうと考えさせられる。そして、色々なところで改ざんや出来レース的なことが多くあり、私利私欲を満たせばいいのかと思える。しかし、子供たちの笑顔を見ると、そんなことはどうでもいい小さなことだと感じる。子供たちの笑顔に、刺激を受けさらに前向きに歩んで活きたいと思う。また、その子供たちに何を残せ伝えられるのかを痛切に感じ、切ない想いとともに責任があるのだと改めて思う。

◆明日との狭間に、大きめのグラスに注いだ赤ワインを楽しむ至福のとき、飲み乾すと「Midnight PetitNoise」がまた一つ発生する。
----------(Beard UCHIDA)
0

2014/10/25

#7『内田ラジオアマチュアショールーム』  

◆【Midnight PetitNoise -真夜中のひとり戯言-】
#7『内田ラジオアマチュアショールーム』2014年10月25日

■秋葉原ラジオセンター2階、内田ラジオアマチュアショールーム店主内田 久子さんが、2014年3月末で引退された。店舗は、水曜日と日曜日を担当していた方に引き継がれ、池之谷ラジオ商会となっている。「三極鉱石」増幅回路、横型マジックアイ6R-E13、超常現象研究、イオンクラフト、オーラメーターで有名な、工学博士であるご主人故・内田 秀男氏が始めた店である。秋葉原のお袋さんも今年で米寿を迎える。ご子息と学年は異なるが、大学も学部学科も同じであり、次男である晴久氏は一学年後輩になる。すでに店は無いが、行きつけの喫茶店「じゆうにん」で会話したのが最初だったかと思う。しかし、久子氏にお会いしている時間のほうが長い気がする。現在は、お二人ともドイツから戻り、東海大学の教授である。
■また、FacebookとJARLかながわの集いでお会いした瀬戸 利一さんは、久子さんの兄が患者であり、もう一人の兄が瀬戸さん父親の予科練時代後輩で、ご近所とのことである。確か、1977年9月28日に日本赤軍が起こした、ダッカ日航機ハイジャック事件のパイロットだったと聞いている。しかし、世の中は広いようで狭いものである。
クリックすると元のサイズで表示します
■さらに、アンテナ製作プロジェクトでご一緒している小暮 裕明さんの父親が、東海大学の前身である国防理工学園で学び、松前 重義氏の講義も受講した。その時の講義ノートが20冊ほどあるとのことで、3月8日に学園史資料センター高橋氏と晴久氏にお会いした。話が弾み2時間以上が過ぎ、ボーリング場を改造した資料倉庫も拝見することができた。昼食は小暮さんと「ひげかつ」で定食を食べる。この店は、30年ぶりかもしれない。昔と変わらず「おかえりなさい」と迎えてくれる。仕送りやバイト代が入ると食べに来られた、贅沢な店の思い出がある。
■ところで、内田 秀男氏のオーラメーターは、根日屋 英之さんの人体通信と共通点がある。むしろ、そのままといってもいいかもしれない。晴久氏には、無理を言って12月27日に、オーラメーターの講演をお願いした。秀男氏の助手としてデモンストレーション行脚をしていたと聞く。苦労話が聞けることだろう。おそらく、当時は眉唾ものとか云われていたのだと思う。1月25日に行われた根日屋さんのデモンストレーションでさえ、世間が見たら新興宗教などいかがわしく感じるのだろう。いつの時代でも先進過ぎるものは、世間は受け入れにくいが、時代を超えて受け入れられるものだと感じる。
■人体通信に始まり、オーラメーターで終わるとは、因果とは不可思議なものだと思う。昭和の灯火は一つひとつ次の世代につながり、また繋げていかないといけない。いや、必然として繋がってゆくものだと信じたい。

◆明日との狭間に、大きめのグラスに注いだ赤ワインを楽しむ至福のとき、飲み乾すと「Midnight PetitNoise」がまた一つ発生する。

【参考文献】
[*1]内田 久子『秋葉原、内田ラジオでございます。』廣済堂出版、2012年
----------(Beard UCHIDA)
3



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ