2013/7/2 | 投稿者: kazuki4648

歌唱法

独特の歌唱法は、日本人からは高校時代より大ファンだった前川清から来ており、洋楽ではボブ・ディラン等の影響を受け、学生時代は声質をより近付けるため、ウォッカで喉をうがいし、自宅の部屋にこもって枕に顔を押し付けて大声を出し続ける等などの荒行も行っていたという。
その結果、1982年頃までの楽曲にしゃがれ声が際立っている作品が多い。
しかし、声帯への悪影響も強く、声が出なくなって出血することもあった。
その後は、声帯を酷使する極端な歌唱を控えるようになり、しゃがれ声が際立った曲は一部に留まっている。
作品の発表時期によって歌声が異なって聴こえるのはこのためである。

また、サザンオールスターズは、テレビの音楽番組における歌詞の字幕スーパー(テロップ)が流される端緒を作ったとされる。
これは、桑田の早口の歌い方に視聴者が「歌詞が判らない」と苦情を寄せたため、テレビ局が桑田の歌い方に対応するために歌番組でのテロップ表示を行ったとのことである。
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2013/5/10 | 投稿者: さすらいUK

高校は、鎌倉学園高等学校に通う。在学中は英語のみ成績が良く、明治学院大学と青山学院大学に合格し、青山学院大学を選択する。大学の音楽サークル“Better Days”(ベター・デイズ)に所属し、本格的にバンド活動を開始。「温泉あんまももひきバンド」「脳卒中」「ピストン桑田とシリンダーズ」「青学ドミノス」など、頻繁にバンド名の変更やメンバーチェンジを繰り返していたが、1976年頃から自身のバンドに“サザンオールスターズ”の名を使用。これが定着し、メンバーも固定されるようになる。1978年6月25日、ビクター音楽産業より、サザンオールスターズとして『勝手にシンドバッド』でメジャーデビュー。ちなみに、大学は一度留年した後に、学費滞納により4年在学した後、1978年に除籍になったとのこと(サザンのメンバーで青学に在学していた桑田と大森・関口・原のうち、卒業出来たのは関口と原の2人だけである)。
20代であるにもかかわらず、合宿先などでステテコ・ももひき・サングラスといういでたちであったために、サークル仲間に30代だと言われていた。最も初期に付けられていたバンド名「温泉あんまももひきバンド」は、この時の桑田の風貌から来ている。
サザンのメンバーで、後に妻となる原由子とは「Better Days」で知り合う。当初、桑田は原の友達の女の子が目当てで原に近づいていたため、原のことは容姿を嘆いたり散々な軽口を叩いていたが、エリック・クラプトンなどの洋楽の好みで気が付けば意気投合、デビューまでの間に完全に付き合っており、サザンのメンバーやサークル仲間の間でも公認の仲であったという。詳細は、原の著書『娘心にブルースを』で語られている。
デビュー当時はコミックバンド扱いされていたこともあり、当初桑田も芸名を「桑田K助」にする話もあった。本意では無いものの、芸人的な立ち振る舞いで、特に長門裕之に顔が似ていることを売りにしていた。また、三遊亭圓生や稲川淳二、大橋巨泉などの物真似も披露しており、現在でも度々ネタにしている。
デビュー当時サザンは、本人達にとっては強制的な形で『8時だョ!全員集合』や『スターどっきりマル秘報告』などのバラエティ番組にも度々出演し、コントやモノマネなどの芸をしていた。ちょうどその頃、ザ・ドリフターズのリーダーいかりや長介が、ドリフ脱退を希望していた高木ブーに代わる新しい人材を探していたところで、TBSプロデューサー居作昌果を通して、桑田にドリフ加入を打診していたという。桑田は、いかりやとは会うだけ会ったが、具体的なやり取りについては明かされていない。


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