2011/1/2


「風はその思いのままに吹き、あなたはその音を聞くが、それがどこから来てどこへ行くかを知らない。御霊によって生まれる者もみな、そのとおりです。」ヨハネ3:8

千の風になってと言う歌が流行りました。
風は、聖霊を意味する言葉としても用いられています。何かそのようなところを千の風も意味されているのかもしれません。今年、与えられている聖句は、上記の言葉です。今年は風の思うままにしっかりと任せながら、新しい誕生を体験していきたいものです。
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2010/8/8

それよりも大きなことを  メッセージ

イエスは答えて言われた。
「あなたがいちじくの木の下にいるのを見た、と私が言ったので、あなたは信じるのですか?あなたは、それよりもさらに大きなことを見ることになります。」
ヨハネ1:50

ピリポが声をかけたナタナエルが実際にジーザスに会いに来た時の会話の中でジーザスが語った言葉だ。ジーザスの出身地に疑問を持っていたナタナエル(彼が学んできた中ではナザレ出身者が救い主とはならないのが定説だった。)しかし、彼がジーザスに会いに行く前にしていたことをジーザスが言い当てたことからナタナエルのジーザスに対する信頼が高まった。ここでまず、ジーザスは言い当てたことがあなたを信じさせたのか?と問いかける。私達は弱いもので何か奇跡的なことを見ることで騙されてしまう。逆にそれがないと信じられなかったりもする。ただ、ジーザスは常にそのようなことだけが信じるに価することではない。また、そのようなことを見たから信じる信仰は、本当の信頼とならなかったりすることを語られた。それよりも更に大きな事を見るとさえ言われたのは、人の目に見える大きな奇跡と言うだけではなく、それよりも大きな心の、魂の救いと言う奇跡、つまり目に見えるものではないかもしれないし、社会で注目されるものではないかもしれない。しかし、確実に大きなものとしてひとりひとりに与えられる奇跡。まず、それをしっかりと見つめたいものだ。
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2010/8/1

百聞は一見にしかず  メッセージ

ピリポは言った。
「来て、そして、見なさい。」
ヨハネ1:46

ジーザスについて行ったピリポがナタナエルに言った言葉だ。「百聞は一見にしかず」と言う言葉がある。人は時として自分が今持っている知識や哲学だけを基準に物事を判断してしまう。しかし、自分が知っていることなど世界中で起こっていることからすれば微々たる物であることを忘れてはならない。そうでなければ、大切な真実を見誤ってしまう。自分の目で確かめる。噂や知識や哲学や思想に左右されるのではなく、実際に「動いて、見る」このことはシンプルだがとても大切なことだ。特にインターネットなどで情報がすぐにでも手に入る時代だからこそ、もう一度この言葉を思い出そう。
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2010/7/25

(無題)  メッセージ

ヨハネから聞いて、イエスについて行った二人のうち一人は、シモン・ペテロの兄弟アンデレであった。彼はまず、自分の兄弟シモンを見つけて「私達はメシヤに会った。」と言った。彼はシモンをイエスの元に連れて来た。
ヨハネ1:40-42

 シモン・ペテロは、第一代目のローマ教皇とされている人物だった。彼は兄弟アンデレの知らせによってジーザスと出会った。アンデレはジーザスに出会った後、「まず」シモンを見つけて知らせたのだ。初代教皇と言われる人物も自分で何かを探し、追求して見つけたのではなく、大切に思ってくれた兄弟によって大切なことを知らされ、Good News(福音)を自分のものとした。修行や哲学や思想ではなく、知らせてくれたことを受け入れたことからペテロの生き方は始まったのだ。
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2010/7/18

教えられる為に  メッセージ

また、ヨハネは二人の弟子とともに立っていたが、イエスが歩いて行かれるのを見て「見よ。神の小羊。」と言った。二人の弟子は、彼がそう言うのを聞いて、イエスについて行った。
ヨハネ1:35-37

 弟子になるとか、誰かの元で学ぶとか、会社でも学校でも色々な場面で教えられることに遭遇する。最近は何もかもがマニュアル化されて、個性が失われてしまうことが多いけれど、教えてもらう為に必要な要素がある。

まず、忠実さだ。この二人の弟子達も師匠の言葉を素直に信じた。それを忠実に受け入れた。第二に、他の都合に関係なくすぐに対応可能な準備がされていること。つまり、ここで弟子達はすぐに他の用事なども関係なくジーザスについて行った。そして、三つ目は教えられやすい心の準備ができていることだ。この後、この二人はジーザスから教えを受けるが、それを素直に受け入れる準備ができていた。教えられやすい心を持つことは意外と難しい。なぜなら自我や自分の理屈が邪魔することも多いからだ。

しかし、この三つの要素を持って教えられることに臨むなら、しっかりと教えられたことを自分のものとしていくことができるだろう。
 
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