もやしについて思う  

少しよもやまの話でもいたしましょう。もう名所の御見物はなされましたか。
同行一 まだどこも見ませんので。
同行二 京に着くとすぐここにお参りいたしましたのです。
親鸞 祇園、清水、知恩院、嵐山の紅葉ももう色づきはじめましょう。なんなら案内をさせてあげますよ。
同行一 はいありがとうございます。

この時夕方の鐘が鳴る。


唯円 お師匠様。夕ざれて、涼しくなって参りました。


元カレにメール
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井上順の噂  

「ちやちな」といふ言葉がありますが、これは一方道徳的な意味もあると同時に、寧ろ、科学性の低い、技術的に幼稚、或は粗雑なものを指すので、やはり、利用価値から云つても問題にならぬことを示してゐます。更に、「ちやちな」ものは、美しいといふ点から落第点がつけられませう。物の美しさは、それが一つの用途をもつものであれば、きつと、その精巧さと比例し、使ひよく丈夫で永持ちのするものなら、形と云ひ艶と云ひ、申分のない美しさを発揮してゐるに違ひありません。才能のある職人の心がそこに籠つてゐるからであります。そして、さういふ品物は、どことなく気品があり、重みがあり、凜然としたところがあります。そこに、更に「美しさ」と一致した「道徳的」価値が生れるのであります。
 日本刀のすぐれたところは、たゞ切れ味といふやうなものだけでなく、鉄の鍛へ方の世界無比ともいふべき高度の技術、刀剣としての最上の美的形態、それと刀は武士の魂と云はれるだけの倫理的厳粛さが、あの三尺の白刃の光芒のなかに秘められてゐること、この三要素が渾然として一体となり、欧米人の想像を絶した武器の宝物的典型となつてゐるのであります。「文化」の精髄とはまことにかくの如きものでなければなりません。


 近頃はまた、いろいろな団体または機関の名称に、「何々文化協会」とか、「何々団文化部」とかいふものが著しく目立つて来ました。この傾向は、見方によつては、「文化」といふものに対する世間一般の関心が高まつたことを示すものではありませうが、また一方から考へると、「文化」といふ言葉の濫用によつて、「文化」に対する正当な認識を妨げ、ひいては、「文化」そのものの混乱、頽廃を招く結果になりはせぬかと、ひそかに懼れられるのであります。
「文化」といふ言葉には、広い意味と狭い意味とがあることは、これまでの説明で十分諒解し得ると思ひますが、これを混合して使つたり、また使はれてゐる意味を取違へたりすることによつて、今日のやうな現象が生れてゐるのだと思ひます。
 先づ第一に、今度文部省教化局に文化施設課といふ一課が設けられました。これはお役所のことですから、十分慎重に名称の詮議が行はれたことと思ひます。それにも拘らず、この文化施設課の所管範囲は、演劇、映画、博物館、図書館等に限られてをり、それ以外の文化施設は、他の部局の所管になつてゐます。
 更に、大政翼賛会に文化部があります。これは以前は組織局に属してゐましたが、組織局が実践局と変り、その実践局に、新たに、厚生部が設けられ、従来の文化部の仕事が一部その方に遷されたわけであります。

声詰まる
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