2012/12/21

(無題)  

あなたにはそれがまだわかっていない、と言っては失礼かも知れないが、どうもそんな気がするのです。
 何事によらず、当節は、偽物と代用品が多い。ところが、それはそれなりに職業として成立っているところに、誘惑もあり危険もあるのですが、あなたの場合は、まさか、そんなことで甘んじるつもりはないでしょう。それでもいいなら、僕はなにも言う必要はありません。一旦易きにつくことを覚えたものは、決して、困難な道を歩もうとはしないからです。

 さて、そもそも俳優とは何者でしょうか?
 この答えは、実はまだ決っていないのです。俳優というものがまだ職業とならず、誰でも気が向けば公衆の面前で芝居がかりの役を演じた古い時代はさておき、次第にそれがある人々の趣味というよりも糊口の手段となるにつれて、芝居の内容ももちろん変って来たが、その舞台に立つ演技者の心構えにひとつの型といえるようなものができて来ました。芝居そのものの社会的評価が一定の角度から厳しく狭められると同時に、俳優という職業、及びその職業にある人間に対する甚だ無慈悲な偏見が生じたことは、先刻ご承知のとおりです。
 これは日本ばかりではない。
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2012/12/10

(無題)  

その上、我々の生活の上に、進んだ型と、普通の様式とを示さねば、意義がない。短詩形が、人生に与ることの少いことは言うたが、社会的には、そう言うても確かな様である。併しその影響が深く個性に沁み入って、変った内生活を拓くことはある。芭蕉の為事の大きいのは、正風に触れると触れぬとの論なく、ほうっとした笑いと、人から離れて人を懐しむゆとりとを、凡人生活の上に寄与したことにある。
私は、歌壇の批評が、実はあまりに原始の状態に止って居るのを恥じる。もっと人間としての博さと、祈りと、そうして美しい好しみがあってよいと思うのである。

   歌人の生活態度から来る歌の塞り

短歌の前途を絶望と思わせる第二の理由は、歌人が人間として苦しみをして居な過ぎることである。謂わば 、懐子或は上田秋成の用語例に従えば、「ふところおやじ」である人さえ多すぎる為である。もっと言い換えるのもよいかも知れぬ。生みの苦しみをわりあいに平気で過している人が多いと。
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