2012/7/30 | 投稿者: でん

を。そうして民衆の品物たることにはいかに健
すこやか
さが多いかを。
 進んではこうも云えます、民藝の中にこそ工藝の美が、より安定に保証されているのだと。したがって「民藝品たること」と「美しい作たること」とには堅い結縁
けちえん
があるのです。これに反し貴族的な品が美しい作となるのは極めて困難なのです。今日まで蔑まれてきた民器にこそ、かえって高い美が約束されているのです。美への見方の驚くべき一顛倒ではありませんか。あえて民藝について語る積極的理由を、私は隠匿することができないのです。
 なぜ特別な品物よりかえって普通の品物にかくも豊かな美が現れてくるか。それは一つに作る折の心の状態の差違によると云わねばなりません。前者の有想よりも後者の無想が、より清い境地にあるからです。意識よりも無心が、さらに深いものを含むからです。主我の念よりも忘我の方が、より深い基礎となるからです。在銘よりも無銘の方が、より安らかな境地にあるからです。作為よりも必然が、一層厚く美を保証するからです。個性よりも伝統が、より大きなgaijin 出会い系根底と云えるからです。人知は賢くとも、より賢い叡智
えいち
が自然に潜
ひそ
むからです。人知に守られる富貴な品より、自然に守られる民藝品の方に、より確かさがあることに何の不思議もないわけです。華美よりも質素が、さらに慕わしい徳なのです。身を
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2012/7/30 | 投稿者: でん

在銘の作に耽溺します。ですが技巧の歴史直ちに美の歴史ではありません。また個人の歴史すなわち美の歴史ではありません。人々は器を見ずに、名を見、技巧を見ているのです。もし銘をけずり取ったら、いかに多くのものが彼等の讃辞から離れるでしょう。人々の見方には充分な直観の基礎がないのです。いかにそれ等の人々は箱書
はこがき
に頼っているでしょう。民衆の器物が、受くべき価値以下に忘れられているのに対し、富貴な品は、受くべき価値以上に認められているのです。これは修正されねばならぬというのが、私の主張なのです。
(三)以上はなぜ私が特に民藝を語るかの消極的理由です。もとより直観の前には上下の差別はありません。それが何物であろうとも、美しい物は美しく醜い物は醜いのです。今直観の鏡の前にすべてのものを素裸にして示す時、私はいかに貴族的なものに美しいものが少く、かえって民器に美しいものが多いかを見誤ることができません。焼物にせよ、織物にせよ、木工品にせよ、真に美しいほとんどすべての作は無銘品なのです。在銘のものでそれ等のものに比べ得るものは真に稀有だと云っていいのです。このことは私に次の明確な事実を教えてくれます。富貴の品物たることにはいかに病いが多いか
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