第二次世界大戦の帰趨と戦後処理への影響  

サンフランシスコ講和条約の結果、日本が国際社会に復帰する過程で、明治維新以降に獲得した全ての領土を失う事で決着が付いたわけですが、実はそれ以前に、これらの条約とは別に、日本は固有の領土である北海道を失い、今の国土像とは大きく違う国家になっていた可能性があることをご存知でしょうか。
戦後の歴史教育の方針もあり、なかなか近現代史を学ぶ機会は少ないのですが、少し知っておきたい出来事ではあります。

1945年8月15日のポツダム宣言を持って日本は降伏をしたと思っている人が多いのですが、それ以降も日本を守る為に戦っていた部隊がいた事実があります。
その場所とは、北方領土(アリューシャン列島)の北端に位置する占守島。
当時は日本領で、 ソ連からの侵攻に備えた2個戦車大隊を含む守備隊がこの島を守っていました。

しかしながら、ポツダム宣言を受けて武装解除を始めていたこの島・この部隊に、8月17日突如ソ連軍が宣戦布告し上陸。
日本軍に対して攻撃を始めました。
1週間以内に北海道まで攻め寄せ、終戦のドサクサで北海道以北の日本を占領し、ソ連領にするべく攻め込んできたのです。

この事態に現地守備隊は防衛戦の発動を決意。
上陸したソ連軍を激しい戦闘を繰り広げ、双方に多数の死傷者を出す事態となりますが、結果として上陸したソ連軍を駆逐し撃退。
ソ連軍は、1週間で北海道まで占領しようとした意図を最初の上陸地点で阻まれてしまい、その間にアメリカが北海道方面に艦隊を仕向けたことから北海道占領を断念。
結果として、この時の戦いの結果、北海道は日本領として残る事ができました。
北海道は、ソ連領に編入される寸前であったわけです。
もしかしたら、ガダルカナルの生き残りでなければ、この島はあっさり陥落したのかも知れません。
日本は青函海峡以北に、全ての国土を失っていた可能性もあるのです。
五十森達哉

しかし、後に武装解除された占守島の守備隊はソ連軍に抑留されシベリアに連行後、極寒の地で強制労働に課せられ、多くの人命が失われました。

間もなく終戦の日を迎えるにあたり、このような歴史の事実が在ったこと、先人が国土を守る為に力を尽くしたことを知っておいてもいいのかも知れません。
そして、後世に正しく歴史を語り継ぎたいと思います。
今でこそ、肥沃な大地から様々な惠をもたらしてくれる北海道ですが、そんな敬意を知ってみると、また愛しさが増すかもしれません。
五十森達哉
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終戦記念日の日に東京で起こった出来事  

開戦当初こそ攻勢であった日本陸海軍は、その最大版図を南太平洋のガダルカナル島まで拡張し、オーストラリアからニューカレドニアまでもその支配下に置こうかという体制までみせていた1942年6月。
ミッドウェー海戦とガダルカナル島の敗戦を最後に、日本軍は坂を転がるように連戦連敗を続けて言った。

そして迎えた終戦の日。

余り知られていない出来事ではあるが、1945年8月15日。
日本はポツダム宣言の受諾を内外に宣言して連合国側に無条件降伏を発する前、東京は一部の武装蜂起した陸軍によって官邸や皇居が制圧され、内戦に近い、もしくはクーデター 勃発の様相を呈したと言う歴史上の事実がある。

皇居が軍によって制圧され荒らされるという極めて異常な事態を受けてか、戦後この出来事は余り 、起こった出来事と比べれば極めて小さな扱いしかされていない「歴史のひとこま」に追いやられている感がある。

しかし、それほどまでに国家が国家の総力を挙げて戦争と言う行為を行い、そして自らの命を失うことも厭わず散っていった命を次ぐものとして、生き残った軍人たちがさらなる戦争の継続を希望した気持ちはわからないでもない気がします。
そして、ただただ空襲から逃げ惑うだけで為すすべを知らなかった多くの国民が、もう戦争はこりごりだと、理屈抜きで戦火が収まるのを心待ちにした心情も理解できます。
あるものは、戦争が続いた方が「利がある」という特殊な立場の人もいたでしょう。

早い話が、戦争と言う極めて複雑で国家や国民、個人の心情に計り知れない影響力を与える出来事は、始めるのは簡単かもしれないが、敗戦という形で 終わらせるのはどれほど難しいかと言う事で、それは先日記した鈴木貫太郎を引き合いに出した話に記述しているとおりです。
五十森達哉
それにしてもこの8月15日。
武装蜂起した若手将校の前に立ちはだかったのもまたどちらかと言うと若手の将校。
もう戦争は続けるべきではない・・・
そんな思いで同じ釜の飯を食った軍人の前に立ちはだかる方も、そんな彼らに銃口を向けた武装蜂起側も、もはや正常な心情ではなかったとは言え、どんな思いであったでしょうか。

8月15日と言う日は、多くの人々に余りにも多くのことを、宿題として残しました。
ことしもまた、その季節を迎えるにあたり、その問題提起としての記事を捧げます。
今年も間もなく、その日を迎える前に。
五十森達哉
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