2010/10/7

夜のやさしい手 【泡沫ED・孟花】  孟徳×花

泡沫EDのカタルシスには鼻息荒くなりまんた!

おおお。愛あるBADは美味しいね!(*´∇`*)

しかし、泡沫ED後の孟徳さんを書いたら、想像以上の泣き虫になってしまって、我ながら驚いたのぜ(・∀・)





【夜のやさしい手】



「彼女は自分の国へ帰ったんだよ」



血にまみれた少女の顔を愛おしげに見つめて孟徳は囁いた。

―――まるで、夢見るような遠い声で。

青白い頬。血の気のない唇。

蝋で固めたように静謐な亡骸を、名実ともに魏国の頂点に最も近い男が飽きることなく見つめて優しく頬笑みかける。

壊れたからくり仕掛けのような危うい風情に、騒ぎを聞き部屋へ駆けつけた元譲は息を飲んで振り返らない男の背中を見つめた。


「…孟徳、花は―――もう、」

「…ん?…ああ、元譲か。ずいぶん遅いじゃないか。
花ちゃんは、もう自分の居場所に帰ってしまったよ」

歌うような男の声に元譲は声を失った。


「―――ちゃんと、帰れたかな。君の国なら、もうこんな怖い目に遭うこともないんだろうな。閉じ込めたりせずに、もっと早くに帰してやればよかったね」

ごめんね。花ちゃん。

呟く声に応える存在はもはやいない。

力なく垂れた腕。

床に広がる血だまり。
鼻腔に広がる、錆のにおい。


なにもかもが手遅れだったことを、知らしめるには十分だった。

息絶えた少女の頬を何度も撫でては、閉ざされた唇に己の唇を押しつける。
少女の乱れた髪に口づけては、堪えかねるように頬ずりをする。

まるで幼い子供が一心に母を慕うに似たいとけなさ。

見てはいけないものを見ている気がして、元譲は歯を噛みしめて顔をそらした。


―――孟徳がこれほどに心を失している様を見たことがない。

それだけ、この少女が孟徳にとってかけがえのない存在だったということか。

痛ましさに元譲が瞑目したときだった。

外から警護の兵らが走りこんできたのは。

逃げた賊をひとり捕らえたという報がもたらされると、孟徳の肩が大きく震え―――――それからゆっくりとこちらを振り向いた。

「…よくやった。いま、行く」

覗いた孟徳の目を見た元譲は、たったいま、大きな歯車がとりかえしのつかないほどにずれてしまったことを悟った。
昏い、深淵のような光のない眼差し。
いつか、家族を失った時よりも、もっと狂おしい絶望に彩られたそれに、元譲はもはやかける言葉をもたなかった。

立ちあがった孟徳の腕には、少女の身体が力なくもたれかかっている。

腕の中で目を閉じたままの少女を見下ろす男の表情は柔らかい。


「ごめんね。花ちゃん。俺はいまから仕事だから、ちょっと待っててね。
―――すぐに戻るから」

丁寧に小柄な体を寝台へ横たえ、愛おしげに少女の髪を撫でつけて。

「行くぞ」

支配者然とした張りのある声音が元譲の足を動かす。


「―――ああ」


応えて元譲は孟徳のあとに続いた。


―――行くぞ。

―――どこへ?

それはもはや、とりかえしのつかない業火に侵された道ではないのか?

少女が導こうとした戦いのない世界とは真逆の世界ではないのか?


「―――道は、もはや閉ざされた、か」


元譲の独白は、暗い回廊に吸い込まれて誰ひとり聞くものはいなかった。




☆☆☆



―――中原は再び戦火に包まれた。


九錫を賜らんとする曹孟徳を暗殺する計画もあったが、その場にいた娘がひとり死んだだけで頓挫した後、これまでになく苛烈を極める粛清の嵐が許都を襲った。

計画にわずかでも関わったものは全て膾にして家畜の餌とされ、六道に戻ることができぬように処刑された。

一族郎党もれなく丞相の命により惨憺たる刑に処され、一時、許都に吹く風は血の匂いをしていたとされる。

反対派を全て屠ったのち、いっそ清々しいほどぬけぬけと九錫と爵位を得た孟徳は、そのまま献帝から皇帝の位を“譲位”され、一躍簒奪者の汚名を被ることとなった。
誰はばかることなく玉璽を手にした魏王・曹孟徳は、その勢いのまま天下に号令をかけた。

曰く、皇帝の威光に従わぬ不心得ものを征伐せよ、と。


楊州・涼州・益州・荊州―――全てを平らげ大陸を制覇するのが天命であり、地の理である。


熱に浮かされるように魏の国は戦への昂奮に巻き込まれ、否応もなく他国へ進軍する。


―――いさめる者もいないではなかったが、それらは孟徳の表情ひとつ変えることすらできず、ただ処刑場へと消えていった。


「昏主!この国を壊すおつもりか!」


血を噴くような忠臣の叫びも、もはや孟徳の心をそよとも撫でることすらできない。
そんな言葉で揺らぐような心は、とうの昔にひび割れて消えてしまった。



―――だというのに。今日も今日とて、長く仕えた武将がひとり、決死の形相で後を追いすがってくる。

月の美しい夜だというのに無粋なことだ、と、孟徳は不機嫌そうに眉を寄せた。


「お待ちください!この戦に理などありませぬ!どうかご一考を…!」

「うるさいぞ。先の軍議で決まったことに異を唱えるな」

わずらわしげに孟徳は吐き捨てた。
かつて共に鐙を並べたこともある古参の武将だというのに、回廊を渡る歩みすら止めない。


「出陣は止めない。明日には進軍を始める。もう夜も遅い。下がれ」

「いいえ、下がりませぬ。この戦、我らが負けまするぞ!
いったい何をお考えなのです。今、無理に攻めいっても敵方に気取られるは必定」

「―――わかった」

ふぅ、と孟徳は重いため息をついた。
振り向いた孟徳の表情を見た武将は、己の声が主に届いていないことを悟り愕然とした。

「戦が終わるまで蟄居を命じる。兜と外套は置いてゆけ」

「…わが君…」

兜と外套は身分を示す大事な証だ。自分はいま身分の全てを取り上げられたのだ。
どこまでも冷たい表情で、己を切り捨てた主へ武将は喘ぐように問いただした。

「…っなにゆえ、そのようにお変りになられた。あなたはそのような無体を行う方ではなかったはず」

「―――」

ほんの一瞬、孟徳の目が陰った。
だが、それもつかの間のこと。
武将が疑問に思うより先に孟徳は踵を返していた。


「…下がれ」


今度こそ有無を言わせぬ冷然とした声に、武将はそれ以上言葉を重ねることの無意味を知り、遠ざかる魏王の背中が闇の中に紛れるまで見送った。



☆☆☆



部屋に入ると、孟徳はしばらく周囲の気配を伺うように動きを止めた。


―――ややして緊張を解くと、孟徳は大きく息をついた。
緩慢な動作で椅子でと腰を下ろし、顔を両手でおおう。

頭が痛い。
体のそこかしこが鉛でもつけられたように重く、動くことすらままならない。

疲労が澱のようにのしかかってくるのを感じて、漢王朝の皇帝は自嘲した。


「―――いつまで続くんだろうな。こんなことが」


言いながらも答えはわかっていた。

全てが終わる日まで、だ。
その日までこの歩みを止めることはない。



彼女がいなくなったあの日から、己がなにをするべきかがわからなくなってしまった。
わからなかったから、いつか彼女から聞いた「戦のない世界」を作ろうと思っただけだ。

全てを漢の名のもとに統一して、不穏分子を一掃してしまえば、この国から戦はなくなる。

なにをしても不満を唱える者は必ず出るだろうから、それらは片端から消してしまえばいい。

「…ほら、なんて簡単だろうね、花ちゃん」

ふふ、と孟徳はわらってみせた。虚ろな、自身ですら信じていない顔で。


「もうすぐだよ。もうすぐ、君が見たがっていた戦いのない世界ができるからね」


―――そうしたら、彼が行けない遠い世界にいる彼女は笑ってくれるだろうか。
あの、陽だまりのような笑顔で。


“すごいです。孟徳さん”


跳ねるように駆け寄ってきて彼の手をとり褒めてくれるだろうか。


「……花ちゃん」

柔らかく笑んだ男は夢見るように目を閉じた。


近頃の彼はほとんど女を近づけることもない。
ただひとりで部屋に戻って泥のように眠りを貪り、目が覚めると覇道を歩む。
その繰り返しだった。

そしていま、疲れ果てて椅子の背に身を預ける孟徳からは常の覇気が失せていた。
何かを失いながら進む道は相応の消耗を求めるのだろう。

だがそれでも、孟徳にはこれ以外の道などもはや思いつかなかった。




いつの間にか燈明の油は切れ、部屋の中を照らすのは格子窓から射す月の光だけがよすがとなっている。
―――月光がわだかまる広い部屋の中では、全てが夢の中のような、そんな落ち着かない気分にさせる。

それでもいい。夢でかまわない。
音ひとつない静かな部屋の中で、孟徳は息をこらしひたすらに待っていた。


―――さら、とわずかな衣擦れの気配を感じ、孟徳の鼓動は喜びに跳ね上がった。


空間が軋むような気配。
吐息のような空気の流れ。
―――柔らかく香る覚えのある香。


さら、さら、と近づいてくる気配はやがて孟徳の傍で立ち止まった。

人の気配ほどに強くはなく、存在するというほど確かではない。

あやふやなその気配が、そっとまるで花びらをそよがすように揺れた。

「―――…」

さら、と柔らかな気配が孟徳の髪に触れる。

そよ風に触れられるような微かさだが、確かに「撫でられた」と孟徳は感じた。

優しく、慈しむように、宥めるように。

見えざる手は孟徳の髪を撫ぜてゆく。


“なかないでください”


まるでそう言われているようで、孟徳はきつく目を閉じた。


―――そんなの無理だよ。君がいないのに。


口には出さない。目も開けない。

そんなことをすれば、この優しい手は、あ、と思う間もなく霧散することを知っている。

だから、ただじっとして優しく触れてくる手と指の甘さに溺れるだけだ。


この気配は、月の射す静かな夜にしか現れない。
眠る孟徳の傍らで、飽かず髪を撫でてゆくだけの存在。


―――冷んやりとしたなめらかで柔らかな手のひらが、そっと孟徳の額に触れる。

記憶にある感触よりも冷たいその手は、それでも触れるだけで、深く凝る頭痛を和らげてくれた。

心地よさに思わず息を吐くと、ふ、と手の動きが止まった。

けれども、少しすると手のひらはゆっくりと孟徳の頬を撫でてゆく。


―――ああ、涙が出ていたのか。

己の頬を伝う涙に今更気づいた孟徳は心のうちで苦笑した。
一体、自分はどれだけ彼女を恋しく思っているのだろう。


恋しい、恋しい。
いつだってそれだけだった。
もう一度だけ、会いたい。会って抱きしめたい。

そうしたら、もう二度とけして間違わないと天地神明に向かって誓えるのに。

証にこの胸を裂いて見せよというのなら、ためらいもせずに心の臓を差し出すことさえできるのに。

何よりも叶えたい願いは、もう二度と叶うことがないと知っている。それが悲しい。


さら―――、

孟徳の想いに共鳴するように気配が揺らいだ。


“もう とく さん”


悲しげな、少女の細い声を聞いた気がして、孟徳は不意に喉を詰まらせた。


「―――花、ちゃん…っ」


肩が揺れる。
いついかなる時も傲然と聳やかされている覇者の肩が、失ったものの大きさに耐えられずに慟哭に震えていた。


「花ちゃん、花ちゃん……っ」


思わず伸ばした腕はむなしく宙をかくだけで、求めていた柔らかな身体はどこにもなかった。


大きく息を吐いて孟徳はゆっくりと目を開いた。

―――月の光に沈む部屋がそこにあるだけで、そこには誰もいない。わかっていたことだ。

「……」

ゆらり、と伸ばした両手を眼前にかざす。

愛しいものをつかみそこねた己の手をぼんやりと眺めながら、孟徳は微笑した。


「どうして、いつも君だけが、俺のものになってくれないんだろう―――」


他のものはなんだって手に入れることができるのに。


「ひどいなぁ、花ちゃん」


悲しげな笑みのまま孟徳は再び目を閉じた。


―――懐かしい、慕わしい、あの甘く清涼な香りが、ひと際強く部屋にたちこめるのを感じながら、孟徳はつかの間の忘却の眠りへと落ちていった。






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