政治、経済、経営、国防、人間関係ーーおよそあらゆる人類の営みのなかで、最も難しく、最も尊い行いは、美しく負けることです。 相手の立場を慮り、さりげなく少しだけ負けること。 圧倒的な勝利を手にすることよりも遥かに難しく、究極の叡智と実力と品性を備えねば達成不能な、我々が目指すべき究極の到達点です。 このブログでは、美しく負けることにこそ至上の価値規範を置く、まったく新しい思想哲学を語ります。
  | 投稿者: 管理人

私は20代の頃から、50代、60代の部局長らと議論を交わすことが多い職場におりました。組織として、望ましい結論のありようが明確なとき、私は私が到達したい討論の終局点さえ見失わねば、そこに至る道筋には拘りませんでした。すなわち、私が導き出したい答えを、敢えて相手の口から語らせ、私は議論に負けるのです。なんとまどろっこしい手法だと、唾棄される読者もいらっしゃるかも知れません。完璧な理論武装をして、相手を木っ端微塵に論破すれば、こちらは清々しく効率的にディベートに勝ち、組織にとっても有益であろうと思われるかも知れません。しかしながら、我々の価値体系の枠組みでは、そのような論戦は美しくないのです。
力あるものこそ、負けるためにその力を発揮すべきなのです。いや、力は発揮されるべきものですらありません。力あることを相手に悟られることさえ許されぬ、圧倒的なパワーが必要なのです。
力の差が歴然とある格下の相手に、オセロゲームですべてのコマを黒一色に染め上げることは容易く、そして美しくありません。むしろ31対32の一手差で勝敗を自在に操る芸術的な力こそが美しいのです。力がその領域まで及ばぬうちは、手加減ができずつい一刀両断してしまうのです。これは相手への教育的配慮を欠いた、粗野で暴力的な力の使い方で、望ましくありません。
0

  | 投稿者: 管理人

私は、私の中にある茫漠とした価値体系を、敢えて文字におこすことによって精鋭化しようと試み、その鍛錬の場が、このブログであることを白状します。そしてここから生み出されるまったく新しい価値体系は、その最上の価値規範を、「美しく負けること」に置いています。さながら子供相手に負け相撲を取ることで、彼らの健全な心身を滋養し、健やかな成長を導くかのごとく、これを、あらゆる日常生活、事業運営で実践しようというものです。
こうした思想に一部でも共鳴できるのは、世界広しといえども、「桜は散り際が美しい」との美的感覚を有する、清廉な日本国民くらいなものではないでしょうか。このささやかな共感を、恐らく日本人以外の世界中の人々は理解できないことでしょう。私は、その事実だけをもってしても、日本人の感性や品性の卓越性に優越感を抱き、日本人であることに誇りを持てるのです。
0




AutoPage最新お知らせ