2018/8/3

悪魔が来りて笛を吹く  沖雅也

2018年NHKBSプレミアム版の「悪魔が来りて笛を吹く」を観た。
もちろん、沖さんが出演された1977年版との比較のためだ。

(以下、多少のネタバレがありますのでご注意下さい)

何度もドラマ化、映画化された作品で、そのたびに原作とは違う展開が用意されていたのだが、今回は三島が最後まで自分に出自を知らなかったという設定が意外だった。
吉岡秀隆クン(子役から出ている人はいつまでもクン・ちゃんで呼ばれる宿命)の金田一はここで私が書くまでもないが、古谷一行さんに三千点の私でも違和感なく吉岡版を受け入れられた。
秌子夫人は物語の鍵となる人物なのでキャラクターは大事なのだが、いままで演じられた夫人は、名のある女優さんが演じていたため、異常性より美しさが強調されていたように思う。
沖さん版の草笛光子さんも、頼りない世間知らずでありながら、どこか凛とした佇まいが漂っており、この役に限ってはない方が良い「まともな」女性としての知性が見え隠れしていた。それは原作とは違う夫人の結末のためなのだが、事件のあらましを考えると何かが違うと思わせてしまうところがある。
今回の筒井真理子さんは、そういう意味では一番原作と物語に合ったキャラクターに設定されており、多少のデフォルメはあったが、こういう人なら仕方ないわね〜と思わせるような脚本になっていた。

沖さんが演じた三島東太郎は、今回は中村蒼さんが演じた。


「非常に難しい役どころで常に頭を悩ませながら撮影を行っていますが、今回の吉田組でしか作ることができない作品と三島東太郎を作っていけたらなと思っています。」

というコメントを発表されていたので、ますます比較して観てしまった。
脚本も違うので、まっすぐ比較するのはフェアでないかも知れないし、原作を考えれば全く使用人に見えない沖さんより、ちょっと訛っており最後には言葉遣いも悪くなる東太郎は、物語の中では馴染んでいる。沖さん版があまりにもドラマチックで、「愛」が主題として押し出されていたから比較することは出来ないとも言える。

今回は東太郎に見せ場がないのだ。
フルートも吹かないし、母への愛も見せない。上半身もタンクトップを着たままだ(笑)。
それでも家族への愛を断ち切れない苦悩の代わりに、責める気持ちと暴力を振るう脚本の中では観ている側の者が東太郎に気持ちを寄せるシーンは少ないのだから、これは演者を責めてはいけないのかも知れない。
復員した時に一変した状況だけは、沖さん版にはない細やかさで東太郎の悲劇が描かれており、普通の青年らしい東太郎という意味では、中村さんの方がしっくりと物語にフィットしているのかも知れない。

複雑な家庭環境を持った沖さんから湧き出るものが、この三島東太郎を演じるためには適役だったと今になって気づく。
むしろ、自分の身と近づけないために抑えた演技を続けたようにさえ見える沖さん版の東太郎。
伏し目でも目に力を持たせることが出来る沖さんの演技は、ここで存分に発揮される。
どんな人間であってもある一定の気持ちを注いで労わる気持ちを忘れない古谷一行さんの金田一耕助をはじめ名優揃い踏みの1977年版の中で、沖さんの東太郎は原作を越えたキャラクターとして昇華している。

1977年版では暗闇に佇む椿英輔が窓辺に立っているという恐怖を掻き立てる演出や、やや暗い画面に戦後の混乱の雰囲気があった。今回の放送に先立って横溝作品の短編集では、その怪奇性を前面に出しており、これはこれで見ごたえがあった。というか、かなり怖くて夜トイレに行かれなくなった(笑)。
6

2017/10/9

吉沢京子さん芸能生活50周年記念パーティー  沖雅也

沖雅也研究会では、19歳の等身大の若者としての沖さんの姿を鮮やかに思い浮かべられるような素敵な思い出の数々を、あのはじけるような笑顔で語って下さった吉沢京子さん。
そんな吉沢さんの波乱に満ちた50年をお祝いする場に是非立ち合わせていただきたいと思い、ファン枠に入れていただいて出席した。

まず、吉沢さんの子供の頃から現在までを振り返る写真の数々が、巨大スクリーンに映し出された。
とにかくカワイイ子供時代。
小学校の学芸会で靴の役だった屈辱から児童劇団に応募したことをきっかけに女優の道へ。
「柔道一直線」のヒロイン役で一躍トップアイドルに躍り出て、そして「さぼてんとマシュマロ」の写真の数々が映し出された。
少年ともいえる沖さんと、はちきれんばかりの笑顔の吉沢さんが大きなスクリーンに現れると、もうそれだけで感慨深くて、目が潤む。

当時、斜陽となりつつあった映画の世界から、これからはテレビでやって行くんだという意気込みが感じられる沖さんと、主役に抜擢されて輝く吉沢さんのコンビは、私生活でも仲が良かったことを吉沢さんから教えていただき、本当に息の合ったコンビだったことがわかった。

結婚、出産、離婚、復帰…。離婚して東京に帰ってから途方に暮れ、息子さんを保育園に送った後はあてもなく青山の街を歩き回っていたとおっしゃっていたが、そんな過去もあっけらかんと話してしまうところに吉沢さんの魅力がある。

息子さんのお姿もあり、それも感慨深い。
残念だったのは、いつも家まで送ってくれた沖さんの車の助手席に乗っていたというお母様が、入院中ということでご出席が叶わなかったこと。母一人子一人、二人三脚で歩んでいらしたお母様は、どんなにこの日を楽しみにしていらしただろう。
幸い、現在は退院されているとのこと。良かった。

このおめでたい日、吉沢さんは「さぼてんとマシュマロ」、そして沖さんについてきちんとお話しして下さった。

「沖雅也さんはとっても優しくて、女性より美しい方でした。きっと今頃あのあたりから(上の方を指して)『お前も年取ったな〜』なんて言ってるんじゃないでしょうか。あちらは若いままですからね♪」

本当に沖さんがここで吉沢さんをお祝いしていらっしゃるような気がして、また涙腺が緩む。
主題歌の「恋をするとき」も歌って下さった。
こんな日が来るとは、毎週胸をときめかせて仁くんと真理ちゃんのコンビを観ていた小学生の私は考えもしなかった。(当たり前)

吉沢さんのお人柄は研究会に出席された方々はよくお分かりになっただろうが、屈託なく沖さんのことを語って下さったことは、我々ファンにとって本当にありがたいことだった。
いつまでもマシュマロのような笑顔で、これからも輝いていただきたい。
15

2017/1/18

昭和の景色  沖雅也

「歩いても 歩いても」という映画を観た。
タイトルの意味は後半明らかになるが、
是枝監督らしい、何気ない日常風景がこと細かに描かれている。

しかし、この風景と音楽は「小さな恋のものがたり」で、
既にもっと当たり前の景色として描かれている。
制作年が昭和47年だから、昭和の景色であるのは当然だが、
静かな住宅街を歩く姿、蝉の鳴き声、虫に魂を感じる時、
子を想う親の気持ち…。

「だから大好き!」がコケるだけコケた(岡崎友紀さん談)後、
急遽作られたドラマとは思えない完成度で、
あの頃の景色とともに永遠に光り続けるこのドラマ。

チッチとサリーの両親が静かに心配する姿や
トン子ちゃんや山下君の純粋な友情、
そしてあの町並みの中で、懸命にサリーを想うチッチの気持ちが
今も胸を打つ。

沖雅也といえば「太陽にほえろ!」「必殺シリーズ」そして「俺たちは天使だ!」が
代表作と言われるが、私の中ではやっぱり
「さぼてんとマシュマロ」「ふりむくな鶴吉」そしてこの「小さな恋のものがたり」なのだった。
17

2016/2/25

そこは涅槃ですか  沖雅也

あの男が亡くなったという。
すでに昨年、お墓参りに行った方から、それらしい戒名の卒塔婆があるから、きっと亡くなっていると教えてもらっていたのだが、それが事実としてつきつけられたわけだ。

関係ないよ。
あの混乱はあの男が原因だったんだから。
家族なら、庇うのが本当じゃないか。知られていない事実まで面白おかしく言いふらしてしまった奴じゃないか。

梨本が遺書を読み上げた時、これで終わりですかという質問に、紙を裏返して、「これは俺に向けた言葉です」と、むしろ誇らしげに「おやじ 涅槃で待ってる」の文字を見せた男。
この言葉を遺してもらったというだけで、どんな美しい共演者たちよりも最大のライバルだった。

この男がいなければと憎んだ日もあった。
訃報を知ったって涙なんか流すものか。そう思うのに。

沖雅也を作った男。楠城児を日景城児にした男。
私だって会いたいのに、先に逝ったんだね。
いつか貴方ともあちらで会おう。
同じ時代を生きて同じ男を愛したのだから。
13

2016/2/15

悪い女に癒される  沖雅也

「いねむり先生」というドラマを、思うところあって久々に引っ張り出して観た。
原作は伊集院静氏で、妻を亡くした後に苦しむ男が、いねむり先生こと作家の色川武大氏に救われるまでの自伝的小説。
たびたび幻覚に襲われ、闘病中や亡くなる前後の妻のことを思い出しては苦しむ姿は、正に当時の私だった。
私の場合は、らせん階段を上ろうとするのに足がなかなか上に上がらず、手すりにつかまってようやく上っていると、いきなり足をつかまれ引きずり下ろされ、ぐるぐるとらせん階段を落ちる幻覚だった。それはもちろん、あのホテルを見上げた時に見える非常階段と、沖さんのアルバム「IN DOOR」のラストの階段を降りる足音から来ているのだろうと自覚はしていたが、それでも夢に現に、その幻覚は現れた。
「いねむり先生」では、西田敏行さん演じる先生が幻覚のことに言及し、なぜ苦しむ悲しい姿ばかり思い出すのだ、それでは本人が喜ばない、7年も付き合ったのなら、その間にあった楽しいことを思い出してあげるべきではないのかと藤原竜也さん演じる主人公を諭す。そして正にその幻覚の中で暴れている時に、「大丈夫だ!」と手を伸ばして引き上げる先生の姿は、私にとっては「ふりむくな鶴吉」の最後の撮影を終えて涙を流す沖さんの手をつかみ、肩を抱いた西田敏行さんの姿だった。

沖さんを亡くして彷徨う私を、周囲はどう扱って良いのかわからなかったのだろう。腫れ物に触るようにしていたし、私も苦しみをぶつける相手もみつからないままでいた。
時が解決するというが、確かに幻覚はなくなった。苦しみはあるが、楽しかったことを思い出すことの方が多くなったし、素晴らしい作品が次々再放送される中で、沖さんの笑顔に再会出来た。
そして近年では、沖さんと一緒に仕事をされた方々にお話を伺う機会もあり、生の沖さんを感じることも出来るようになった。
お話を聞いて私の中に浮かび上がる沖さんは、なぜかいつも気弱な一人の青年だった。

先週、そんな風に沖さんを思い出させて下さったお一人、長谷直美さんの舞台「悪い女はよく眠る」を拝見した。
早い展開の中で大きな瞳をくるくると動かして躍動する直美さんは、沖さんと共演した頃のままの憎めないキャラクターなのだが、ある目的から入り込んだ家庭で、末娘に母親が目の前で事故に遭って死んだと告白されてしまう。騙そうとたくらんでいるのに図らずも娘を抱きしめてしまうシーンでは、『ああ、長谷直美さんも母親になったのだ』と時の流れをしみじみと感じる温かい抱擁。沖さんと共演していた頃の直美さんは常に男性たちの妹分的な位置づけで、マミー刑事ですら私にとっては母親というより他の刑事たちの後ろにつく妹分としての印象の方が強かったのだが、この時高校生の娘を抱きしめたシーンでは見事に母性が溢れ出ていたので、内容よりもそのことに感動して涙が出てしまった。

沖さんを失った私は、こうして沖さんゆかりの方々のご活躍を拝見することで手を差し伸べてもらっている。
今も頑張ってますよ。沖さんもいい作品がいっぱいあるじゃないの。あの人頑張ってたよ。楽しいことだって沢山あったじゃないの。
それを教えられるのだ。

沖さんと同じ時代を駆け抜けた方々のご活躍は、いつも私を励ましてくれる。
長谷直美さん、よくぞ日本へ戻り女優に復帰して下さいました。
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