自己紹介とブログ説明  

 こんにちは、私は紫(ムラサキ)といいます。
このブログは主に私がツイッター上で書ききれなかったことや、詳しく記事のかたちにしてみなさんにも読んでいただきたいことをアップして行きます。
時には日常の個人的に記録しておきたいことについて記事を書くこともあるかもしれませんが、基本は毎回投稿の際にはテーマを決めて書くようにしようと思っています。
記事タイトルを見て、気になるものがあれば読んでみて下さい。
 さて、まずはテスト。

☆自己紹介
 私は現在大学で福祉の勉強をしている学生です(来年卒業予定)。
また視覚に障害があり、片目で光を感じられる程度の視力で生活しています。
普段の勉強は点字で行っています。
そしてこの日記や普段のネットの操作は、読み上げ機能のある携帯電話やパソコンから行っています。
なので提出課題はワープロソフトで作成しての提出です。
歩行に関しては白杖を使用しています(まだまだ練習必要)。
正確はのんびりな感じで、興味を持ったことについて調べたりするのが好きとか、でも会話がちょっとへたくそです。
だいぶ上達してきたのですが…、まだまだ改善したい点がたくさんあります(笑)。
でも自分の思っていることを書くのが好きで、その影響でかなり前から日記やブログを書いており、特に最近はツイッターで情報を得たり発信することを楽しんでいます。
 趣味は読書や音楽。
JPOPはけっこういろいろ聴いてます。
たとえばいきものがかり・中島みゆき・熊木杏里・中村中・HY・BUMP OF CHICKENなどはお気に入りです。
本は小説系を読むことが多いのですが、なるべくいろいろな分野の本を読むようにしています。
大学生になってからは入間人間さんの小説がお気に入りです。
ちょっと真面目な本では、社会心理学関連の物やコミュニケーションに関する内容の本に興味をもっています。
 このような紹介では想像が難しい部分もあるかもしれません。
でも他の記事等から追々わかってくる面もあるかと思います。
ということで、よろしくお願いします。
 またブログについてですが、何らかの問い合わせなどがありましたら、トップページの「掲示板」のリンクからお寄せいただけたらと思います。
お気軽にお寄せ下さい。
コメントいただけると新たな気づきをいただいたりすることもあるので、とても嬉しいです。
 それから最後に、このブログは目で読みやすい文字や色使いを十分にできていない可能性があります。
私だけではなかなか気付くことが難しい面もありますので、お気づきの点についてはご一報いただけるとありがたいです。
できるかぎり読みやすくなるようにしたいと思っていますのでよろしくお願いします。
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2013/7/31  14:02

マンツーマン授業  近況日記

 マンツーマンの授業の良い点ってどんなことが挙げられるでしょう?
たとえば、私の実体験のエピソードをネタに考えてみようと思うのですが…。
 いつかの数学で立体模型aとbそれぞれの指定された箇所の面積をもとめるという問がありました。
なのに私は苦手意識が強い教科であればあるほど、素直に問題文にあることだけ説こうという思考になれない性質を持つ人なので、
「ん?この模型、どっちの方が重いんだろー?重さ比べしてみたいな。気になる!
aもbも材質は木だ。一見するかぎりaが大きくて重そうなんだけど、bの模型、端に磁石が埋まっているみたい。
となると、もしや小さくてもこの模型の方が重かったりしないかな?こりゃ計って見なきゃ微妙だ!」
とか考えてしまって、なかなかそもそも問われている面積の計算に身が入らなかったという経験があります。
 こんな時こそ、マンツーマン授業による学習の良い点の生かし時ー!と、今の私なら思うのです。
しかし当時の私は違っていました。
その当時の私は
「問と違うこときいたら、きっとまじめにやってないって思われるんだろうな!いや、あきれられるか、叱られるかも。そんなのやだ。
本来今は面積のことを考えなきゃいけない時間なんだ。」
という考えしかなかったので、
「この二つの模型、どっちが重いか重さ比べしてみたいです!小さい方の模型に磁石が埋まっているので、こっちの方が重いかどうか気になるんです。」
というような、、率直な思いを伝えることなどできませんでした。
数学の時間にはよく経験していた、問われていることと違うことを考えたり気になったりしてしまう葛藤。
いけない、でも頭に浮かぶものは止められないし…、ならせめて外には出すまい。
こんな感じの私でした。
それで叱られるなんてことはいやだし、ましてや苦手な数学でこれ以上先生をあきれさせることになるようなことはしたくないと考えていたのです。
先生は教えてくれる人なのに、そもそもあきれられるなんて自分が勝手に想像したネガティブストーリーなのに、私にはそういう認識がなかった。
何よりまず自分に向けられるかもしれない「あのねー、今説くのは面積なんだよー」的な反応を恐れていたのです。
そう言われたとしても、その一瞬の恥ずかしさやダメージ?を越えた後にはっきりさせられるかもしれない可能性があるから言おう!とはならなかった。
今の私ならポジティブストーリーも考えることできるけど、当時の私にそれは難しいことでした(理由は省略)。
 そしてゆったり過去を振り返ることができるようになってきた今はこう思うのです。
「気になる重さがはっきりすれば、問本来の面積の計算にも集中できてたかもしれないよね。
なら脱線してでも質問してたら良かったなあ。
しかもその授業はマンツーマン学習だったんだから、つまりはいつでも自分のタイミングで質問しても気づいてもらえる状況だったってことじゃない?
少なくとも、いや確かに、質問することで他の人の迷惑になるとは考えなくて良い環境だ。
先生だって、きっと日頃から数学苦手と言ってた私が意欲的なの感じたら、喜んで比べさせてくれたはず。
私はそんな貴重な時間を、ただ自分の恐れに負けて生かせずじまいにしてしまってたみたいだ」と。
 そんな訳で、改めて今私が思うマンツーマン授業の良い点。
@自分のタイミングで質問しやすい(手を挙げなくても気づいてもらえる)
A先生の声が聞き取れないということが起きない
B回答の間違いの原因を見つけてもらいやすい
C十分に理解してから次に進むことができる(理数系では先生見極め大変だったと思います、ごめんなさい)
D時々だけど先生との世間話になると楽しい
 こんなところかなあ。
 なら良くも悪くもという点についても書いておこうと思います。
でもこれはどちらかというと、授業事態に関してではなく、私自身や周辺の環境のために起きる問題なのかもしれないですが。
@宿題が出されてうまく説けない時に、手っ取り早く相談できる人がいない(見つけられない)
 だいたい私が困る宿題については先輩も苦手だったり、それ以前に先輩自身もやることたくさんで私の勉強を手伝う余裕はなかったりするので相談は基本遠慮してました。
宿題を出した先生に次の授業の時に教えてもらうことになったりすると、先生どんな気持ちだろうっていつも思ってた。
自分なりの答えを書いてみたりはしてたけど、それを説明することさへめちゃめちゃでできなかった。
A同学年のクラスメイトたちとは共有できない内容が多くなる(学習そのものについてじゃなくて、それより先生が言ったおもしろエピソードとか)
 私の場合、学級活動と給食、科目では音楽・体育・美術・家庭科以外一緒じゃなかったのですが、その学習内容の違いで分かれることは仕方がないこと。
ですが、ようは単純に一人じゃ心細いなあと感じることがあったから。
それに授業事態も、全部自分で答えるしかないと、科目によっては苦しかった。
また、クラスメイトならどう答えるんだろうと気になる時に、その答えを聞けないのが残念に思うことがあったので。
 と、これについては以上。
中学生の頃はずっとマンツーマン授業が多かった私が考えた、マンツーマン授業についての思いでした。
それにしてもまとめてたらなんかすっきりしてくるのはなぜ?
と思いながら、ここに記した理由は単純。
ここに残しておきたくなったから。
細かな動機は自分だけの落書きノートに残してあるので十分。
 さあ、本当に今回はここまで。
次回からもこのブログには書きたくなったことをアップして行きます。
マンツーマン授業は、マイペースに学び調べるには最適なのかなあと思いながら筆を置きます。
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2012/8/29  7:00

8月28日 のつぶやき  ツイッター・ネット関連

この日は、
@私と家族の物の手渡しのルールについて
A大学の友人と出かけた海の感想について
 たくさん歩いて、たくさん食べた!
ゆったりと夏を満喫できて楽しい一時でした。

murasaki67754 http://twitter.com/murasaki67754
8月28日 つぶやきまとめ


20:44
熊木杏里・時の列車♪: http://t.co/pZxLuARc @youtubeさんから。今夜に合う1曲。
2012/08/28 Tue 20:44 From Tweet Button

19:17
帰路に切なさを感じれば感じるほど、良い旅をしたんだって思う。たくさん歩いて風に吹かれたら、とてもリフレッシュできたよ。ありがとう??3????
2012/08/28 Tue 19:17 From Keitai Web

18:27
@fuwa1025 指パチンかー!そうだね、練習しなきゃ音でないー????
2012/08/28 Tue 18:27 From Keitai Web fuwa1025宛

00:34
私の家では物を渡す時、必ず何らかの音をさせつつ渡すことにしてる。今日渡したかったのは音があまり出ない薄い布の袋。難易度高かった。
2012/08/28 Tue 00:34 From Keitai Web

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2012/8/15  1:13

おしぼり  

※以前の日記に掲載していた記事を再編集した記事です。
 タオルをしぼっている時にふと思いました。
私は日常会話で1回に伝えようとする言葉の数が極端に多かったり少なかったりするから、相手に伝わりにくいことがあってうまくいかない時があるんだと。
それぞれ人には受け取りやすい適度な量というものがあって、私はそれをもう少し考えてみる必要があるのかもしれないと思ったら、妙に自分の中で納得するものがありました。
確かに私の話には前から説明の不足があることには気づいていたけれど、それを補おうとして、焦ったりして、長くなってしまっている時もあることに気づいたのです。
そんな状態を自分にわかりやすいように教えてくれたのが、タオルをしぼっていた時の感覚でした。
水気の多い、十分にしぼられていないベチャベチャなおしぼりでも、キッチキチにこれでもかというくらいにしぼられたカラカラなおしぼりでも、そりゃ相手も使いにくくて困るよねという思いが浮かんだ時、なぜだか妙にすっきりしたのでした。
ベチャベチャ過ぎたら肝心な伝えたかった事が床にこぼれちゃって相手も私も違和感を感じて戸惑ったりということが起きてしまう。
逆にキッチキチに絞り過ぎたらはてなマークがたくさん浮かんできてそれに気をとられているうちに、話の全体像を掴んだり、何について返答すると良いのかがわからなくなるなどして、首を傾げることになってしまう。
こういうことがあるから、やはりコミュニケーションでは1度の発言量を調整する力が求められるのだと思う。
調整は相手の様子を読みとりながらいろいろ考えて感じ取ってしないとならないもの。
私はまだそこがうまくできないでいるのだと思う。
それでも意識のしどころを掴むきっかけとしてこの気づきは生かせるはずと思っています。
日々の出来事から手がかりを得て、ちょっとずつでも何か試行錯誤をしてみる他ないことってけっこうあるものだって、ここ数年でよく感じるようになりました。
だからこの気づきは大切に記録しておこうと思ったのでした。
 最近はコミュニケーションについて扱っている本をよく読んでいます。
本当にいろんなことが書かれてる。
楽しくてもっと早く読んでいたら良かったのになあなんて思ってしまうほどの時もあったりして。
そう思うことが増えて初めて、高校生の時に「問題意識を持って何かを調べたり読んだりするとすごくいいよ」というアドバイスをくれた先生の言っていたことがちょっとわかったような気がしました。
それでせっかく興味を持ったからと、ゼミ研究のテーマにコミュニケーションを選んで良かったなと思っています。
 相手に伝わりやすいコミュニケーションになっているかを確認すること。
1度に伝える内容の量に注意すること。
工夫する気持ち、もっと大切にしたい。
気づいたんだからできるようになっていく。
今はそんなふうに信じて経験を積んでいこうと思います。
いろんな表現方法も覚えていかなくちゃ。
自分のできなさぶりには何度もため息しそうになるけれど、できるところから始めて行きます。
 「そんなの気づくの遅いよ」という私の心の声への応答メッセージ。
遅いことなんてないのさ。
気づいた時が衝撃的な方が、後々までしっかり意識して取り組んで行くことができたりする場合もあるのだから。
私にとって大切な気づき、十分に価値のあること。
このことを忘れないようにしよう!
このまま何かの仕事に就こうとしている自分には自信がもてない。
だから今模索できる時間は大切。
じつはかなり焦りや苦しい気持ちになることもあるけど。
でもコミュニケーションのためのいろいろは、これからのために必要なことだから取り組み続けます。
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2012/8/13  18:29

ツイッターの使用法  

※以前の日記に掲載していたものを再編集した記事です。
 私は今、ツイッターを始めて約1年半を迎えています。
最初は好きな作家さんや歌手の方の情報収集が使用目的だったけれど、今ではそれだけではなくてとても幅広い使い方をするようになっています。
私にとってツイッターは日常に欠かすことのできない情報ツールで、特に手軽にアクセスできることと、短い時間でも様々な情報を一覧で得ることができる点が便利だなと感じています。
ニュースを知りたい時でも、テレビやラジオだけでは掴みきれない地域ごとの話題や、福祉・医療など、キーワード別でも話題を拾えるようになり、それもとても魅力的なことだと思っています。
また、いろいろな方と出会うことができ、交流が生まれて、私の毎日はツイッターと出会う前にはなかった新たな楽しさで彩られるようになったと思います。
思いの送受信は文字でということがほとんどだけれど、心に一人一人の方からたくさんの気持ちが届いて、また、私も送ろうとして、たくさん考えながら文字を打ってというつながりができ、それはとても嬉しいことだと思っています。
私はこのツイッターの空気感がなんだか好きです。
 あと、今回は何となく自分のツイッターの使い方をまとめておきたいと思ったので、以下に簡単に整理して残しておくことにします。

@ 自分がツイートする内容は、その時のリアルな気持ちや記憶しておきたい事項を中心に投稿するようにする。
 これは今まで日記を書く時はノートに書いていたけど、最近は月1会しか書けなくなったので、その1月の間のことを思い出せる程度の記録を残すためには役立つと思ったから。
それでパソコンにつけるようにしたら続けられると思ったのですがなかなか続けられなかったから、ひとまずこの方法でということになりました。
記録を残すことで、なるべく気持ちの変化や考えたことを忘れないようにしたいと思っています。
A RTはフォロワーのみなさんとも共有したい内容のもの、または多くの方に知ってほしい内容のもの、読み返したい内容のものを優先する。
 RTすれば自分のツイート一覧で何度も読み返すことができるから。
あとその投稿主さんの応援になればと思っていたり。
あと自分の関心事を伝えたりできたり、すごくそういうことがいいたかったんだということを見つけた嬉しさがある時も。
B ★(お気に入り)は自分に向かって伝えたい内容のものを登録する。
 励まされる言葉や、時には胸に突き刺さるような内容のものも、とにかく定期的に眺めて自分に活を入れることができそうな内容を登録しておいています。
時々興味深いサイトなどのURLが記載されている場合や、個人的に覚えておきたいことを教わった場合にメモ機能として使うこともあるけれど、基本は自分に言い聞かせたいことを登録しています。
本音が反映される場合もあります。
C 自分のタイムライン、フォロワーさんのツイートは大切に読む。
 ツイートのすべてを読むことはなかなかできないけれど、発信されている方の今をできるだけ受け取れるようにと思って読んでいます。
タイムラインの流れが早い時のいろんな内容がだーっと流れてくる様子を感じられるのも楽しい!
D 社会福祉士関係とか、とにかく覚えたい分野ことについて繰り返しツイートしてくれるbotをフォローする。
 毎日繰り返し見ていれば、いざ試験で出たりした時に役立つこともあるかもしれないということで、積極的に活用しています。
勉強って体力使うから、楽しくできそうだなと感じられる方法だと思ったらどんどん使おうと思って。
福祉用語botとかないのかな!
最近は作れたら作ろうかなどとも思っていますが、botの知識があまりないので、今のところこの計画は実行には移せません。
E ついまるに読んでもらって楽しむ。
 これは最近はまっているツイッターの使い方の一つ。
みなさんの今の状態がわかりやすい。
あと毎日決まった時間に同じツイートをしてくださる方のおかげで、時計を見られない時でもだいたいの時間がわかるからわりと快適です。
読み上げの声がおもしろいこともあって、楽しさが倍になります!

 ざっと振り返ったらこんな感じでした。
ツイッターは工夫しだいでいろいろな使い方ができると思うので、これからも楽しんで利用して行きたいと思います。
大好きだよー、ツイッター♪!
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2012/8/11  1:13

文字を触って  

※以前の日記に掲載していたものを編集し直したものです(今年の2月28日の文を編集、プラス追記があります)。
 去年の11月頃から、私は本格的にカタカナの勉強を始めました。
きっかけは学校で知り合った友達が聴覚に障害があって、私が手話ができないためにコミュニケーション方法を考える必要があったことが始めでした。
そしてそこから発展して、カタカナを覚えることで、聴覚に障害のある方へは読み書きで、発声の困難がある方へは字を読みとりできるようになることでコミュニケーションをとれるようになれればと思ったのが、勉強に踏み切る理由になりました。
普段は点字を使用している私ですが、できると思ったらやろう、むしろ自分の今後のためにも、今のうちにやっておこうと思うようになり、盲学校の先生に相談したり、インターネットで教材になりそうなものを探したりしました。
そのうちに、これから自分は社会に出たらもっと様々な人や物、出来事と出会うはずだし、その時に自分から働きかけができる何かを持っていたいという考えも出てきて…。
ともかく考えれば考えるほどに、今カタカナを覚えておくということに重要性を感じるようになって始めました。
 そして3ヶ月ほど経った今(2月を刺しています)、カタカナの一つ一つの形は覚えることができて、後は相手にわかってもらえるような字を書けるようになることが目標となっています。
そして本当の本当に到達したい地点は、書けて読みとりもできるようになった状態です。
だから毎日、練習の積み重ねが大事と思い取り組んでいます。
 その練習は、ペンで書くとその部分が浮き上がってくるレーズライター用紙という物を使い行っています。
カタカナの見本は日本ライトハウスさんで出版されている「やさしい文字教室、カタカナ・ひらがな編」を使わせていただいています。
この本は五十音のそれぞれの字が、点字・カタカナ・ひらがなの順で対応して並んでいて、簡単に触って確かめることができるようになっているので、一つ一つ確かめながら覚えていくことができます。
私は点字以外の文字にはほとんど触れたことがないままに育ってきたので、書き順や髷具合?などが掴めていない部分もあるのですが、それでも練習できることは楽しいし嬉しいです。
それに少し前にちゃんと書けているかを見えている方に確認してもらい、丁寧なアドバイスをいただけたことで、意欲がさらに高まりました。
 それからこの本を購入した時、併せて同じ「やさしい文字教室」の「漢字編」という本も購入しました。
こちらは単に私が「漢字も触ってみたい」と興味があったので、良い機会だと購入することにしたものなのですが、実際に届いた物を触ってみたら、やはりそうして良かったと思うような発見がありました。
それは漢字を触って、いくつかの気づくことがあったからです。
 まず、以前から漢字の中には画数が多い字もあって、書くのが難しいものもあると聞いていたのですが、その意味が少しずつわかってきました。
「やさしい文字教室」にある字は触りやすいように、とても大きめに書かれています。
ノートとか、実際普段漢字を使う人がどれほどの大きさで書くのかはわからないけれど、とても細かな手の動きができないと書けないだろうなあという字を何個も見つけました。
(追記)
※【その数ヶ月後に大学の友人に一般的な字の大きさやパソコンのワードの字の大きさを教えてもらったのですが、本当に小さかった。
お米の半分くらいの字から、ワードの字でかなり大きくしても親指の爪先くらいにしかなってない字とか、たしかサイズ40代でもそんな大きさでした】※
 だから改めて、漢字を覚えている人ってすごいなと思いました。
それは字の小ささや複雑さについてだけ知って感じたことではありません。
その他にも漢字の豊富な種類について考えても不思議なほど驚きました。
何個かの字が組み合わさって表されるものもあるから、まったく一つ一つ新しい文字を覚えている訳ではないとしても、それでもその数はかなりのものなはず。
漢字かな混じり文を書く人はそれらの字を瞬時に思い出して、これだと判断しながらすらっとメモする訳で、これは人間の脳のすごさだと思いました。
読むのも線が複雑で難しいなと私は感じるのですが、でもそれは漢字を使う人たちが指先で点字を読める人をすごいと思うのと同じようなものなのでしょうね。
けれどこういうことは、字を触ることができてやっと、実感のこもった心で、私なりの言葉にして表現できることなのです。
私は何よりそれが嬉しいのです。
私がその複雑な字を書けるとか書けないとか、そういう視点ではなくて、文字に触れられたことで、単純に私の周囲にあふれているたくさんの漢字たちのことを、自分の中でより具体的にイメージできるということが大切なのではないかと思いました。
 さらに、私にも好きな漢字ができました。
この本に出会うまでは、自分の名前に使われている字の他にはほとんど形を知っている漢字がなかったけれど、いろいろな字に触れたら、次のような字を好きになりました。
以下その字ですが、すごく私の主観で理由が説明されていますので、実際の字の意味とはまったく異なっていることと思いますので、その辺はご了承下さい。
※(番号、文字、その字を使った単語、好きと思った理由の順)
1. 門
学校にある校門、狭き門など
↑両側に壁があるような形でその間を通り抜けられるなあと思って、自分の想像する門の形に似ていると感じたから。
ちなみに「間(人間の、げんの字)」という字にも似ていることがわかりました。
2. 出
出発、お出かけ、出すなど。
↑1本の棒が、二つの重なった箱から飛び出しているようなイメージを持ったので、何だかおもしろかったから。
棒が箱から飛び出してくる時、どんな音がしただろう?なんて想像にもつながっておもしろかった。
3. 命
寿命、運命、命がけなど。
↑最初触った時、一番上の部分が屋根みたいだと思い、次に左下にある四角が窓みたいだと思いました。
で、家って大切だなあ→人が住んでいるだろうなあ→家族が暮らしているかもしれない→命があるってことだ、という連想が起こり、すてきな字だと思えたから(連想ってすごい)。
4. 必
必要、必須、必ずなど。
↑3個の小さな点?棒?が、必ず中心にある二つの交わっている線の、線と線の間にあって、それが何だかどれもみんな受け止められているような感じがしていいなと思ったから
(伝わりにくいね)。
 以上、すごい説明の仕方をしましたが、私が良いなあと感じた字でした。
普段はパソコンや携帯電話で入力することで漢字を選んで使っている私。
しかしこの本との出会いによって、その画面に並んでいる字の中に、いくつかでも知っている形があると思えるのはちょっと嬉しいです。
この経験から、これまでにも増して、言葉や文字というものに興味が沸き、そして大切に扱って行きたいという思いが深まりました。
(以上が以前の日記の内容プラス補足。以下はその後のこと)↓
 その気づきがあってからも、こつこつと練習を続けてくることができ、レーズライター用紙ではない一般的な紙にも書けるようになってきました。
6月の終わり頃からは読みとりの練習も始め、とてもゆっくりですが読みとれるようになってきました。
本にあるような大きな字でなくても、親指の爪に乗る程度の字ならかろうじてわかるような、そのような状態です。
一般的な紙に書いた字は、跡が裏に出るので、私は字が見える方ではない裏から読みとります。
思えばもう練習始めてから半年過ぎてしまったんですね、ちょっと驚き。
これからも練習を続けて、いろんな人と関わって行ける私になろうと思います。
手話も覚えられるようになりたい。
そのために何をすると良いのかも考え中です。
動作についてのイメージ理解の力を高めたい。
体全体の動きに対する自信のなさをどうにか克服あるいはカバーして会話を楽しめるようになれたら、それが私の考えるベストです。
ただし焦らずに。
嬉しさ感じながら進めて行きます。
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2012/8/9  13:32

広がれ!心の視野!  

※以前の日記に掲載していたものを編集し直したものです。
 いつ頃からか、自分の考えだけで物事を考えることに限界を感じ始めました。
それは今の自分が考えれば当たり前と思うことなのだけれど、おそらく高校2年生くらいまでの自分にはわからなかったことです。
「おそらく」と曖昧なのは、ある時を境にぱっとそのことに気づいたという訳ではないからです。
ある意味で、その頃の私にとっては相談相手は自分だけという状況でした。
家族にも友人にも相談はしていたけれど、その他にもやっぱり考えていたことがあったのです。
 ということで、暴投にあるようなことに気づいてから、私は「視野を広げる」ということを意識し始めました。
ただし物理的な視野ではなく、心(感受性)の視野です。
それが私があらゆることに感心を抱くための扉となりました。
 圧倒的に私に大きな影響を与えたのはネットの世界でした。
情報の量・質が広がったことで、私の思考も変化して行くのを感じるようになりました。
私は高校2年生になるまで、ネットのサイトにアクセスできる手段をほとんど持っていませんでした。
パソコンはあるにはあったけど、使っていたのはワープロソフトくらいで、ネットにはつなげていませんでした。
理由としては知りたいということもあまりなかったから。
 ただまったくネットと無縁という訳でもありませんでした。
携帯電話ではそれなりにサイトの閲覧をしていたのです。
しかし携帯電話を使用してのサイト閲覧では、まだまだ限られたものしか見られませんでした。
その当時はまだ動画を視聴できる機種は使っていなかったので、本当に文字と簡単な画像だけが流れてくるという状態でした。
それでもしばらくは特に不自由を感じていなかったのですが、高校2年生の秋頃から、徐々に状況が変わってきて、唯一ネットとつながることのできる携帯電話の必要性が高まりました。
その理由はブログの閲覧と投稿をするようになったからです。
 私がブログを利用するようになったのにも、いくつかの理由があります。
一つは単純におもしろそうという興味でしたが、それにも優って大切になっていた理由は、大学への進学を考えていたことと関係があります。
というのも、私は3歳からずっと盲学校(今は視覚特別支援学校)で学んできていて、大勢で授業を受けるという経験が少なく、その影響で一般的な学校に通う同世代の人のことがあまりわかっていなかったのです。
だから大学に行くまでに、そのような同世代の人の日常についてや、大学そのものについて、少しでも知っておかなければと考え始めたのです。
そんな時に身近にあったのがネットの中のブログだったという訳です。
もちろんブログだけで的確なイメージが作れるとは考えませんでした。
しかしこのブログとのつながりによって、大学に入る前に準備をできたことはたくさんありました。
巨大な集団の中に身をおくということへの不安は増すことになってしまいましたが、それでもブログはあらゆることについての知識不足を自覚していた私に、いろいろな話題の理解を助ける働きをしてくれたのです。
このような経験でそのことを実感してからは、はっきりとどんどん視野を広げていくことが必要なんだという意識が芽生えたように思います。
 それからもそういうことを思う機会がいろいろとあって、今の私がいます。
パソコンも大学に入った時にネットと繋がって、今はさらに得られる情報は広がっています。
最近はツイッターとの出会いも私にとって大きな重要な出来事だったなあと感じています。
特に短時間でもかなり情報を得やすくなったことはとても嬉しいです。
 そんな訳で今なら高校生の時に「もっといろいろな世界を見なさい」といった趣旨のメッセージを送り続けてくれた先生が言いたかったことがわかるような気がします。
当時の私は「そんなこと言われてもなあ…、何を知ると良いのだろう?」といった状態で、戸惑うばかりでした。
私は何も知らないのだろうかと落ち込んだり、そんなに社会と離れているのかと悲しくもなりました。
でもだからといって特別何かできた訳でもなく…。
宿題と学校行事の準備で余裕がないことも多かったし(笑)。
実際人が少ないと仕事の責任は大きくなるので、そこは仕方のない面もあったと思っています(半分は言い訳ですね、悔しい)。
けれどなんとかネットを通じて大切な気づきや学びができたことを今も本当に良かったと思っています。
でも私は盲学校生活をネガティブに考えている訳ではありません(念のため)。
日常のことを一人でもできるようになれたのはこの学校のおかげだし、一人一人の友人とじっくり関われた思い出は大切なものなのです。
 と、ここまで書いてきましたが今もまだまだ未熟な私だけれど、毎日周囲の方々からいろいろな刺激をもらい、言葉をもらい、成長中です。
これからもみなさんから学び、自分で調べて、会話して、いろいろなことについて考えながら、日々の生活を楽しんで行きたいなと思っています。
 広がれ!心の視野!
自分のことも周りの人のことももっと大切にできるように。
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2012/8/5  23:50

旅人同士  

※以前日記に掲載していたものを編集しなおした記事です。

 私は先天性の視覚障害のある全盲の白杖使用者です。
、家族には弱視の白杖使用者もいます。
そこですこし白杖を使用しての歩行について、思っていることを書いてみたいと思います。
 まず私は歩行中は、困っていてもそうでなくてもいつでも「私も行き交う人たちも旅人なのだ」と思って歩くことにしています。
これは一人での歩行には、声のかけ合いが必要になる場面が多々あるからです。
なぜ旅人に例えて考えるのかというと、旅人の心は割と柔軟で、その土地の文化や習慣について詳しくない場合、知りたいことがあれば、それほど躊躇いもなく行き交う人やお店の人に声を掛けてたずねるのではないか?と思ったので、
そんな感じで周囲の人を見られたら、どんな理由で声を掛けられても、また声を掛ける時にも、何か優しく穏やかに会話できるのではないかと思ったからです。
そして旅には楽しさと同時に、どこか不安もあるものではないかと考えると、お互いにたずね合いたくなる気持ちは持ちやすくなるんじゃないかなと思い、意識的にこのような考えをもっています。
もっとお互いがたずね合いやすい雰囲気がつくれたらいいのにという思いが私の最近大きく感じるようになった気持ちなのです。
 私は声の掛け合いというのは白杖を持っているいないに関わらず、すべての人の間でとても大切なことだと思っています。
なかなかできないと感じることもありますが、もしかしたらそれはまだ知らないことがお互いに多いからなんじゃないかな。
そう感じたりもしたので、この中身は私の感じていることがほとんどだけど、読んで何か「へー」なんて思ってもらえることがあれば…。
少しは意味があるのではと願って書いた物です。
 ではここで具体的に関わりの場面で、お互いがどのようなことを感じているかを私の思いつく範囲で考えてみたいと思います。
声を掛ける、掛けられるという場面では、白杖の人を発見した方はよく声を掛けるべきか否か、どう声掛けすると良いのかと悩む場合があるし、
白杖使用者は自分から声をかける難しさを感じていたり、声を掛けられた場合にどう答えたら良いかということを考えていて、
このようなことでお互いにコミュニケーションの取り方をつかみにくいところがあるのではないでしょうか。
もちろん他にも、声かけたは良いけど、それからどうすればいいの?など、いろいろとあるとは思うのですが、おそらくは上記のようなことを感じている方が多いのではないかと思うのです。
 そのような時、私は最初に書いたように、まずは「旅人」の気分になってみます。
私はいつも、気軽な感じに受け答えしたいと思っているので、声を掛けられた時が緊急性のある場合を除いては、基本的に旅人同士の挨拶の雰囲気になると良いなと思っています。
だから誰かが声をかけて下さった時には、「ああこの方は、旅人の私を見つけてくれたのだ」と感謝の気持ちになります。
だからというのが良いのかは微妙だけど…。
しかしそうはいっても、周りの人から見て、声をかけて良いものか戸惑う状況は様々あると思います。
たとえば私は石のように動かずにじっと立っていることもあって、そういう時迷ってしまうこともあるかもしれません。
私は目的地に到着したとか、もう少し周りを観察してから歩き出した方が良いかもしれないということで立ち止まることが多いのですが、もしどうしても不思議だったらたずねてほしいです。
自分に向けられた言葉だとわかればお返事できますし、時には微妙なずれを直せることがあります(笑)。
実際私の中には、自分の歩行時の行動が周りにどのように見えているものなのか、わからないことがあったりするのです。
なので必ず感謝の気持ちと嬉しいということが伝わるように心がけてお返事しています。
そんな声掛けをしていただくには、私もわかりやすい意思表示をするように工夫しなければと、日々あれこれ考えています。
 また、話しかけようと思う理由も様々だよなあと考えます。
たとえば旅人の事情も様々。
その人も私のような、現地には詳しくないけれど力になりたいと思ってくださった旅人のような人なのかもしれないし、
それともこの辺りに詳しい方(たとえば観光ガイドができそうなほど現地に詳しい方)かもしれない。
どちらにしても私は嬉しいなと思います。
 なお私のいう旅人とは、イメージ的には探検家に近いかもしれません。
つまり私のイメージは白杖を使って歩くというのは「その土地の細かな情報はあまりわからないけれど、事前にあるいはその瞬間に得た情報を元に空間を把握し歩く状態」というもので、それで旅人(探検家)みたいだと思っているということなのです。
私はこのように考えることで自分の日頃の歩行を楽しくとらえることができています。
たとえ緊張してどきどきしていても、私は勇気ある探検家!
困ったら精一杯情報を集めるべく探ることができるのです。
この時に周囲の方の声や手が安心を与えてくれます。
ただまだこれは私色の強すぎる内容ですね。
 しかしもう少し続けますが、さらにそこには私のような人を一瞬視界の端に見つけ、そっと見守って下さっている方々までいるのです。
見守られていると感じられるだけでも、歩行に安心感が出てきます。
それに私の白杖に気づいていない方がいることは、見守って下さっている方が気づいてくれています。
私からは気づけることは少なくてちょっと申し訳ないのだけれど、確かに私はこの周囲の人々に助けられて旅ができていると思っています。
 なのである意味では声かけの判断は、危険な緊急性のある場合を除いては状況によるのだろうと思います。
なので声を必ずかけなきゃいけないとか、声かけられなかったから申し訳ないなど、あまり気にしなくて大丈夫!
ただ見えない・見えにくいということは、危険に気づきにくいことがあるという部分について、それぞれが十分に考えておかなくてはならないだろうと思います。
白杖の探検家の場合は安全を自分で把握できる範囲が、程度の差はありますがかなり限定されてしまいがちなのです。
白杖を使用している人を発見した際はそのことを知っていていただけたら嬉しく思います。
 そしてきっと白杖使用者には毎日行き来している道であっても「慣れている道だから」とは考えない慎重な気持ちが必要。
極々当たり前のことなのですが、周りは少しずつ入れ替わっているのだと思って歩くことは、安全確認の意識を保ち、また良い意味で緊張感や注意力を起こす元になるから大切だと思うのです)。
 ただ白杖使用者の中にはあまり声を掛けてほしくないという方もいます。
それはできること、慣れていることもあるからだと思うのですが。
しかしやはり注意を促してくれたり、何かしらの情報(普段とは様子が違う道や人の動きなど)をいただくことは必要なはず。
だから自然な受け答えができるように考えておく必要があると思うのです。
私には自然な感じの関わりができるようにして行きたいという思いと、お互いが気軽に話しかけることができ、必要以上の遠慮をすることなくいられる関係が増えていったらなという願いがあります。
なぜ声を掛けられたか予測できない時にも、挨拶は嬉しいものです。
そして挨拶だからリラックス♪!
すれ違う誰をも旅人だと思って見れば、声、掛け合いたくなる時もあるよねって、そんなふうにとらえていたいのです。
肩に力が入ってると一方的に大丈夫っていうことばかり伝えちゃうことになって、それは拒絶みたいでいやだから。
しかし実際は感覚を研ぎ澄ませて歩いてたりするので、うまく行かないことも多いんですよね…。
そこをクリアできたらもっと私の歩行も変わるのにと思っています。
 そんな訳で声を掛けていただいた時に、特に困っていないと伝える方法(返事の仕方)についてはずっと考えています。
時々「大丈夫です、ありがとうございます」というだけだと、自分は良いけど相手の方に安心感を持ってもらうことができないことがあるのです。
それほど多くはないけれど、何度か経験する度にどうしたら良いのだろうと考えてきました。
結果的には丁寧に説明するしかないという考えなのですが、まだ難しさを感じる時があります。
 逆に私から声を掛ける時は、旅の困り事の相談相手を探し求めて行く感じになります。
ただ何か伝わらない、怖いと思う時もあります。
けれど様々な方との関わりを通じて、支えあったり教え合ったりできる状況でいたい。
そのように思う理由は、この場所は私は大丈夫でも、次に通りかかる私と似た姿の旅人が挨拶してもらえたり、逆にその旅人側からも、何かに困ったらたずねられるようになるといいなと思っているからです。
そういう願いがあるから、私はもしわかっている道でも行く方向が同じで、時間にも余裕があるなら会話しながらご一緒するというくらいに思っていてもいいのではないかと思っているのですが、こんなことをいうと怒られてしまうのでしょうか。
もちろん本当に大丈夫な時は、そのことを相手にわかってもらえるように伝えます。
心配して下さった方には安心してもらえるように。
何かしたいと思って下さった方には感謝が伝わるように。
伝える必要のあることはしっかり伝えないとならない。
お願いするのも大丈夫と伝えるのも、その方の時間をいただいてしているから、しっかり伝えないとなんか申し訳ない。
といろいろなことを考えますが、やっぱり挨拶の雰囲気を目指すことかなと思うのです。
 ここまで細かく考えるのは、私自身が歩行中に自分から声を出して何かをたずねることが苦手な人だからです。
今はそれほどではありませんが、少し前までは迷惑がられるかもとか戸惑わせてしまうかもしれないと思うと、声が出なくなるような人でした。
なので戸惑う際の心の緊張や不安などについてはひしひしと感じとれる面があります。
けれど最近は一言でも声が出せたら、誰かに伝わるから信じて声を出そうと思っています。
だから先ほども書いたように、声掛けはどうしたらいいかわからなくてできなかったという方にも、私はいつも見守って下さったことに感謝しています。
私のことを発見している方がいなければ、きっと私の安全でスムーズな歩行は成り立たないはずだからです。
 以上ここまで書いてきましたが、まだうまくまとめることができません。
しかしどれも率直な思い。
なのでここに残しておきます。
今よりももっとみんなが安心して楽しく外出できるようになってほしいし、自分もそのためにたくさん考えて、できることは行動に移して行きたいです。
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2012/8/1  7:00

7月31日 のつぶやき  ツイッター・ネット関連

murasaki67754 http://twitter.com/murasaki67754
7月31日 つぶやきまとめ


21:06
@upasan11 おー、お誕生日おめでとうございます????また新たな1年、すてきな年になりますように????
2012/07/31 Tue 21:06 From Keitai Web upasan11宛

20:59
@non7801 ユアウェルカム!
2012/07/31 Tue 20:59 From Keitai Web non7801宛

02:02
課題終了。ちょっと長い間暖めすぎて内容が発酵し過ぎてる感じするけど、いいのいいの。悔いのないように書いたから良し。あともう一つ課題あるの思い出した、明日書きます。
2012/07/31 Tue 02:02 From Keitai Web
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2012/7/31  23:02

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