椎間板ヘルニアとの闘い。PELD手術までの道のり  椎間板ヘルニアの克服
<椎間板ヘルニアとの闘い。PELD手術までの道のり〜その1〜>

私は現在48歳。昭和39年生まれです。
最初の腰痛の発症は、16歳の時、高校1年生でした。


バスケットボール部に入っていた私は、練習の最初のアップ
(体を温める準備運動)のときに、急に腰が抜ける感じになりました。


腰に力が入らなくなり、その場にひざから倒れこむ感じになりました。
そして、その後神経に触るような痛みを腰に感じ、動けなくなってし
まいました。突然の出来事でした。


特に腰をひねったわけでもなく、ぶつけたわけでもなく、突然に腰が
抜ける感じと神経にさわるような痛みでした。


よく、ぎっくり腰であるような「激痛」という感じではなく、神経に
さわってキーンと痛いという感じだったことを覚えています。


これからお話しする内容は、16歳の時に発症したこの腰の痛みが、
はっきりとした原因がわからない定期的な腰痛になり、32歳の時に
ある検査でようやく「椎間板ヘルニア」と診断され原因がわかり、
そして、手術を経て、一度は完治したと思ったのですが、その後再発。


失意の中でも、ある人からの話で再度治療方法を探し、遂にある方法
で椎間板ヘルニアを克服することができた実際のお話です。


克服したのは45歳。実に、29年の歳月がかかりました。


同じように腰痛に悩む方は多いと思います。
私のように、椎間板ヘルニアという診断をされた方もいれば、MRIや
CTスキャンで腰を撮影しても、ヘルニアは見つからずに原因がわから
ないという方もいると思います。


実際に私の場合も、32歳までは原因がわかりませんでした。
そんな私の経験が少しでも参考になればと思います。



■どこの整形外科に行って言われることは同じ。治りませんでした。

16歳の時、バスケットボールの練習中に、初めて発症した私の腰痛。


当日、すぐに、バスケットボール部の顧問の先生に付き添われて
病院に行きました。学校の近くの整形外科でした。


レントゲンをとり、お医者さんから言われたのは、「レントゲンでは
腰の骨には特段異常が見当たらないので、筋肉の炎症でしょう。
腰の捻挫といういことです。湿布をして、痛み止めを飲んで、炎症が治
まったら、少し理学治療をしてみましょう。」という内容でした。


この時の「理学治療」とは、「低音波の電気治療、ホットパック(温める)
、牽引機で腰を引っ張る、理学療法士によるマッサージ」というものでした。


この治療から、45歳まで29年間、腰の痛み、激痛、椎間板ヘルニアとの
闘いが始まったのでした。



■痛みとぎっくり腰がクセになる

初めての腰痛から、腰の痛みは半年に1回ぐらいの間隔で定期的におこ
るようになりました。
でもまだ、激痛という形ではありませんでした。


神経にふれるキーンとした痛みで、この痛みが起きると腰が抜けたよう
な感じになって動けなくなるのです。


そして、定期的に発症する=クセになるという感じになっていきました。


学生の頃は、中学、高校、大学時代を含めてずーっとバスケットボール
をしていました。


腹筋や背筋のトレーニングをし、筋肉のバランスが取れていたのか、
腰が痛くなっても2〜3日湿布をして安静にしていればひどくはなら
ない状況で、半年に1度くらいの割合で発症していました。


発症が定期化しクセになっていった時期です。


(「痛みが激痛に変わりだす。」に続きます。)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

私が、最終的に椎間板ヘルニアの腰痛から回復できたのはこの方法でした。
     ↓
腰痛改善ストレッチ「福辻式」
0

2013/2/24

椎間板ヘルニアの再発!窮地のどん底に!  椎間板ヘルニアの克服
<椎間板ヘルニアの再発!窮地のどん底に!>

16歳の時に発症した腰痛。
そのまま、椎間板ヘルニアになり、28年間悩み続けた
この病気と、ついにおさらばすることができました。


PELD手術。約、半年間待ってついに手術を受け
そして、何と5日間で退院。
手術は全身麻酔で4時間もかかったのに、手術の翌日
には、立って普通に歩いていました。


PELD手術。「微小内視鏡最小侵襲手術」。
すごい技術の手術が日本でも広がり始めていました。


私が受けた、5年前は、まだ東京でも4ヶ所の病院でしか
受けられませんでした。
この5年間で、東京でも10箇所以上の病院で、この手術が
可能になっています。


手術が終了し、お医者様から言われたことが、
・3人に1人は再発する。
・再発を防ぐポイントは、リハビリ。
・腰を動かすこと。

といわれていました。



リハビリは、基本、病院に通院して行うのではなく、
毎日、自宅で自分で行う方式でした。



そして、2週間に1回、病院に行って、回復状況の
診察を受けるという方式でした。


しかし、28年間悩んだ椎間板ヘルニアから開放された
こと。激痛からも開放されたこと。
そして、腰のズンとした重みというか、つっぱる感じが
すぐになくなったことから、正直、うかれていました。


リハビリも、2回目の診察までの4週間は、毎日ではない
にしても、しっかりやっていました。


しかし、2回目の診察が終わると、サボリ気味に。
さらに、激痛が出ることを恐れて乗っていなかった趣味の
大型バイクに乗り始めて、だんだんとリハビリをサボると
ともに、腰に負担をかけ始めていたのです。


そして、手術から1年半。


腰が、ものすごくだるくて重い。なんとなくイヤな
予感がし、マッサージへ。そして、その後湿布薬を
貼って、1日横になっていました。


次の日、かなり楽になったので、また、元の通りに。
ただし、以前していた、予防用のコルセットをひっぱり
だし、腰痛予防のコルセットをつけて会社へ。


そんな日が、約1ヶ月続いたある日、神経に触る「ピキッ!」
とした痛み。


え!っと思いました。


会社で、イスに座っている状態で発生したこの痛み。
このままの状態でいると、激痛につながり、動けなく
なってしまった以前と同じ症状。


まさか!再発?


激痛につながらないように、ゆっくりと立ち上がり、
急遽、帰宅。


手術をした病院に電話をし、診察の予約を。
しかし、いまも混んでいて、診察の予約が取れたのは
1ヶ月後。


再発の疑いがあるので、MRIの検査も予約しました。
診察までの1ヶ月間のうち、約1週間は仕事を休みました。
自分のなかでは、まずい!再発だな・・・・とあきらめ
気味でした。


そして、1ヵ月後、MRIの検査。


再発です・・・・・・。


PELD手術で、飛び出したヘルニア状態の部分に、
また軟骨が飛び出していました。


しかし、前回の手術前のような飛び出し方ではなく、
まだ、出っ張りはじめた状態の感じとのこと。
お医者さんは、神経が圧迫をうけるクセをなくす
ために、仙骨の硬膜外ブロック注射で痛みを抑える
方法を取りましょうとのお話。


選択の余地がないお話でした。


また、失意のどん底に突き落とされました。

<次回「根本を変える。それに、気づいた!」に続きます。>

-------------------------------------------------------

私が、最終的に椎間板ヘルニアの腰痛から回復できたのはこの方法でした。
     ↓
腰痛改善ストレッチ「福辻式」
1


teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ