(無題)  

田舎医者は云った。
「いや確に仰せの通りに相違ありません。それでは、第三弾が発射されてるわけですから、第三者がいなければならないわけですな。しかしそうしたら、どんな者がここに現われて、そしてどうして遁げ出したのでしょう?」
「そのことがすなわち、これからの我々の問題ですがね」
 シャーロック・ホームズが云った。
「ね――検察官のマーティンさん、女中たちは室を出るや否や、火薬の臭がしたと云った時に私はそれはとても重要なことだと云ったでしょう?」
「えい、たしかに仰有いました。しかし私は正直のところ、あまりそれに同感も感じていませんでした」
「このことはつまり、発射された時には、室のドアも窓も開いていたのだと云うことを暗示しているのです。もしそうでないとしたら、そんなに早く、火薬の臭が家中に、ただよい渡るはずはないからね。それにはどうしても一陣の隙間風を必要とする。
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愛するということについて思う  

否その判断に於ける云わば公平主義とも云うべきものなのである。彼はそこで、非常に甘い判断を下す人間だと世間から考えられているようだ。或いは一歩進んで、良い点だけに眼をつけて弱点や難点は見て見ぬ振りして通り抜ける無責任なお世辞屋だとさえ考えているものがいるようである。だが今云っている範囲では、谷川は決して判断が甘くはない。寧ろ良いものと悪いものとの判断――趣味判断の様式に於てだが――は可なり峻厳だとさえ云えるだろう。そうなければ事実享受も出来ない筈だ。お世辞屋にさえ見えるのは、彼の判断が趣味判断に止まっていて、批判的な(即ち又科学的な)判断を下さないことから来るに過ぎない。彼が人間の思想の内容を第一にその人の文章のスタイルで判定することにしているらしいなどがその一例だ。
 無論彼であってもいつも趣味判断ばかり下していることは出来ない。趣味判断を一歩でも実際に前進させようとすればすぐ様それは識別の党派性を強化する批判的判断にならざるを得ない。
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