2010/7/18

信玄とインターネット  近世

武田信玄。いうまでもなく、乱世を生き抜いた戦国武将です。戦国大名は、守護大名と違って、領内の富国強兵に努めました。信玄はその代表格です。

信玄は優れた戦略家であるとともに、優れた民政家でした。

戦略面では、特に情報管理を重視しました。「上杉謙信が川中島方面に出陣!」という情報は、信玄のいる甲府まで2時間で伝えられたそうです。

情報伝達のスピードでは、信玄の狼煙(のろし)利用では、およそ時速100q程度といいます。通常は騎馬利用でしたので、かなり速い情報伝達力を持っていたわけですね。もちろん、領国内にはたくさんの狼煙台を設置しました。

また、情報面では、狼煙の利用だけでなく、諜報活動も重視して、いわばスパイ集団「諸国使番衆(しょこくつかいばんしゅう)」を組織しました。これによって、全国に数百人のスパイが散らばっていたわけです。かの山本勘助もそのひとりです。

「人とけむりのインターネット」ですね。
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2010/7/18

コンペイトウ  近世

岡本太郎は、歳をとって「丸く」なることなんか成熟じゃない、俺はずっと「金平糖」のように角だらけでいくのだ…という「コンペイトウ宣言」という文章を書いていますが、ま、それとは別に先回からの続きで食べ物ネタを。

金平糖は、安土桃山時代、南蛮貿易によってキリスト教宣教師が伝えました。当時は大変高価なものでした。そのわけは、長い間製法がわからず、輸入品しかなかったからです。長崎で、国産金平糖が作られたのは、日本伝来後100年もたってからでした。つまり100年もの間、その製法を追究していたのです。それほど魅力的なお菓子だったわけです。(井原西鶴『日本永代蔵』にも金平糖づくりの苦心が書かれています。)

さて、その製法は…ケシの実を芯にして、とかした砂糖を何回もかけ、芯に糖分を吸収させます。その後、再度加熱すると、吸収された糖分が吹き出して、イボイボ(ツノツノ)が生まれるのです。

また、金平糖は、角の数が問題とされました。24本が良品とされていますが、幕府への献上品は36本の角のものでなければならなかったのです。なぜか。縁起上、天地と四方の六合の理にかなった数(6×6=36)のものでなければならなかったのです。幕府への献上品はとても厳しくその数がチェックされたようです。役人がいちいち角の数を数えている場面を想像するとなんだかおかしいですね。
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2010/7/18

『お寺の経済学』  近世

明日から、1泊で奈良・京都に行って来ます。観光ではありませんが、お寺をいろいろ観てきます。

さて、手元に『お寺の経済学』という本があります。表紙帯にはこんな問いかけがあります。

「全国にコンビニエンス・ストアは4万店。では、お寺の数はどれくらい?」

答えは7万5000だそうです。お坊さんの数は30万人。それを6000万人の信者が支えているということだそうです。世界に冠たる仏教国ですね。

しかし、仏教について、私もそうですが、知らないことばかりですね。不思議といえば不思議です。

例えば、元来お葬式は仏教のテリトリーではありませんでした。江戸幕府は、キリスト教徒に仏教への改宗を要求しました。そして、その片棒をお寺に担がせました。島原の乱の終結後、幕府は誰もが必ずどこかの仏教寺院に信者として帰属することを義務づけたのですね。これが、寺請制度(檀家制度)です。これは、スポンサーを持たない小規模寺院には願ってもないことでした。幕府が信者を与えてくれたのです。

こうして、お寺は国の一機関となっていきました。

そして、「葬儀担当、兼戸籍係」となっていったのです。もともと一般大衆のお墓は寺院内ないはなく、村の共同墓地のような形で、村はずれや田圃の隅にあったといいます。それが、檀家制度によって、お寺での法事が義務づけられ、その方が便利ということもあって、墓も寺院内に建てられるようになっていったというわけです。

さて、明日はまず東大寺。このお寺は「日本最小の寺」でもあります。なぜか?

本尊の「大仏」さま(ビルシャナ仏)は、「宇宙をあまねく照らす仏」で、その性質上、檀家を持たないからです。ですから、寺の組織としては、最小というわけです。
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2010/7/18

静岡その3 安倍川餅  近世

家康が駿府城にいたころは、金発掘のブームでもありました。そして、安倍川の上流の笹山は、御用金山として有名でした。あるとき、そこで4斗樽300杯分の金が採れました。大収穫です。

そのとき、ある機知に富んだ男が安倍川と金山の「金粉」にちなんで、餅に豆の粉をまぶして「金な粉餅にございます」と称して家康に献上しました。すると、家康公はとても美味しがり、「うむ、うい奴じゃ、これを安倍川餅と名付けよ」と上機嫌でいったそうな。

その男はご褒美を賜り、大喜びで餅屋を創業したところ、大繁盛して天下一品の名物になったということです。(安倍川餅の説明書より)新幹線でお姉さんが売りに来る「静岡名産安倍川餅でございます」にも、こんな歴史があったのですね。

きなこ餅は「金こな餅」…オヤジギャグみたいなもんですね。タヌキオヤジギャグ?
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2010/7/18

静岡旅行 駿府城跡  近世

静岡に行って来ました。家康ゆかりの地ですね。ちょっと渋谷を思わせるような静岡タウンを抜けると。広大な駿府城跡が町の中におおらかに残されていました。本丸などは復元されておらず、門をくぐると広い空き地が広がっていました。なんともおおらかな保存ぶりです。訪ねたのは夕方でしたので、そこかしこのベンチはアベックが陣取っていました。そこにデジカメ中年れきし小僧ですから、ちょっと誤解を招きそうでもありましたが、構うことなく写真を撮りまくってきました。立派な家康像も立っていました。
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