2018/1/18

history  歴史

フランス王国

 現在のフランス共和国にかつて存在し、その前身となった王国。


●家系図

 西フランク王 〜 フランス王ユーグ・カペー 〜 ルイ16世までまとめました。

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 ヨーロッパは女性の王位継承ができる国が多いのに対し、サリカ法を根拠として女性の王位継承権を廃止したのが、フランス王家の特徴ですね。

 フランス・ナバラ王シャルル4世に男子がおらずカペー朝が断絶したとき、フランス王位はカペー家の支流・ヴァロア家のフィリップ6世が継承しました。

 ナバラ王位は女性の継承が認められているので、カペー家の女子・フアナ2世が継承しました。

 (カペー家は男子は断絶しましたが、女子はいました。ただ、フランス王位は継承できませんでしたが…)

 フィリップ6世はナバラ王家の血を引いていなかった、という問題もあったようです。


 その後しばらくはフランス王位とナバラ王位は個々に継承されていきましたが、アンリ4世がフランス王に即位すると、再び兼王となりました。
 

 
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2018/1/18

history  歴史

ナバラ王国

 イベリア半島北東部に興った国。

●家系図

 テオバルド1世(即位1234年) 〜 エンリケ3世(即位1572年)までまとめました。


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 テオバルド1世はフランス貴族ですし、孫のフアナ1世はフランス王フィリップ4世と結婚、その子孫はナバラ王とフランス王の兼王となるなどフランス王国と近い関係にあったようです。

 そして、フランス王アンリ4世(ナバラ王エンリケ3世)以降はフランス王位へ統合されました。

 名前は上段:フランス名、下段:ナバラ名で併記しています。
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2018/1/15

history  歴史

カスティーリャ王国

 中世ヨーロッパのイベリア半島中央部にあった王国。

 後のスペイン王国の中核となった。


●家系図

 初代カスティーリャ王フェルナンド1世 〜 最後のスペイン・ハプスブルク朝の王カルロス2世までをまとめました。


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*橙色の実線:婚姻関係、黒色の実線:親子・兄弟関係(上から下に親子、横に兄弟関係にしています)



〜イベリア半島の簡単な歴史〜
 
 イベリア半島は8世紀に南からイスラム支配を受け、キリスト教国は北部まで追いやられてしまいました。

 キリスト教国はレコンキスタ(国土回復運動、再征服運動)を行い、徐々にイスラム王朝を南へ圧迫していきます。

 1492年カトリック両王の時代にイスラム王朝を完全に滅ぼし、レコンキスタが完了しました。

 以後、イベリア半島はスペイン王国とポルトガル王国によって支配されました。

 ざっくりした地図を作ってみました。

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 スペイン王家はハプスブルク家からフランスのブルボン家へと移り、何度かの空位期をはさみながらブルボン家は現在まで存続しています。


 
●キリスト教国とは…
 
 アラゴン王国、レオン王国、カスティーリャ王国、ポルトガル王国等。

 
 ひとつの国ではなく、いくつもの小国ができたようですね。

 レコンキスタにより徐々に領土を広げていった王国もありますが、レオン王国やアラゴン王国のような同君連合・王位統合された王国もありました。

 最終的にはスペイン王国に統一されたようですね。
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2018/1/3

history  歴史

ハプスブルク家

ヨーロッパの歴史でよく耳にする、ハプスブルク家。

女帝・マリア・テレジアやその娘のマリー・アントワネットもハプスブルク家出身です。

でも、ハプスブルク家って何? どんな家? と思い調べてみました。



●ハプスブルク家

 現在のスイス領内に発祥した貴族の家系。

 政略結婚により広大な領土を獲得していった。

 中世以来、神聖ローマ帝国の皇帝位を保持し、

 20世紀初頭まで中部ヨーロッパで強大な勢力を誇った。


●神聖ローマ帝国 (9-10世紀に成立〜1806年)

 西ローマ帝国の後続国家。ドイツ・オーストリア・チェコを中心に存在。

 15世紀半ばからはオーストリア大公のハプスブルク家が帝位をほぼ独占した。


●オーストリア公国

 神聖ローマ帝国内の、現在のオーストリア共和国の領域に存在した領邦。



家系図をまとめてみました。

ハプスブルク家最初の神聖ローマ皇帝・ルドルフ1世 〜
  最後のオーストリア皇帝・カール1世 までをまとめました。

 多産や血族結婚が多く、全ての子女や配偶者を掲載できませんでした。

 主要人物と思われる方々を独断でまとめました。

 名前はドイツ語名で記載しています。
(婚姻や即位に伴い、スペイン・フランス等での名も併記するようにしました。)


●家系図

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*橙色の実線:婚姻関係、黒色の実線:親子・兄弟関係(上から下に親子、横に兄弟関係にしています)



 調べてみて…

 本当に多産・血族結婚が多かったです。
 一夫一妻制で、10人以上の子女がいる夫妻もいました。日本の様な側室制度はなく、愛人・愛妾がいた国王・皇帝もいましたが、その子女達には相続権はなかったようです。
 得た領土を一族外に継承されないためや家柄の釣り合った婚姻をするために血族結婚を数多く重ねた結果、夭折したり、障害を持っていたりで、結果スペイン王家はハプスブルク家からフランス・ブルボン家(スペイン語ではボルボン家)へ移ってしまいました。このフランス・ブルボン家は現在のスペイン王家まで存続しています。割愛していますが、ハプスブルク家がスペイン系とオーストリア系に分かれた後、両家の婚姻関係は非常に緊密になっていました。
 
 ヨーロッパの王位継承は国によって違うようで、女性が相続できる国と相続できない国があったようです。相続できる国はイギリス・スペイン(カスティーリャ)等、相続できない国はフランス・神聖ローマ帝国等です。オーストリアは女性の相続を認めていませんでしたが、カール6世に男子がなかったため、娘のマリア・テレジアが相続できるようにしたそうです。それでも、神聖ローマ帝国は相続できなかったようで、夫のフランツ1世が相続し、共同統治したそうです。

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2017/12/21


ビオラ

毎週寒波がやってくる2017年12月。
先日降った雪ニモマケズ、風ニモマケズ元気にしております

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