| 投稿者: 石村 実

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石村 実
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2017/8/20 | 投稿者: 石村 実

ヨアヒム・パティニール(Joachim Patinir 、1480 頃 - 1524)という画家をご存知でしょうか。
私はこの『青のパティニール 最初の風景画家』という本を読んで、はじめてこの画家について知りました。初期フランドルの画家ということですが、残っている作品が10点から15点くらいしかないそうです。本の巻頭にそれらの作品がカラー図版で掲載されていますが、そのどれもがとても美しい。ヒエロニムス・ボス(Hieronymus Bosch 1450頃 - 1516)やピーテル・ブリューゲル(Pieter Bruegel 1525頃 - 1569)の絵が好きな人には、おすすめです。生没年からもわかるように、ちょうどこの二人の間の年代に活躍した画家で、若い頃にボスの工房で修行していたという説もあるそうです。また、ブリューゲルの作品に影響を与えた、とも言われているそうですが、作品を見るとそれも肯けます。

ではパティニールとは、いったいどのような絵を描いていた画家なのでしょうか。
パティニールの絵を見たときの印象ですが、まず描写の細密さが目をひきます。小さな図版なのでよくわからない点もあるのですが、小さく描かれた人物や動物の細部まで描写してあるようです。
それでいて画面全体の印象は雄大で、水平線や地平線を画面上部に高くとった構図が特徴です。いわゆる鳥瞰的な構図で、当然のことながら画家の視点は手前の空の上にあるような感じがします。そして一見すると厳密な透視図法を駆使して描いたように見えるのですが、実はそうでもないのです。たとえば近景や中景の人物、建物、木、池や入り江の水面などは、ほとんど横から見たような低めの視点で描かれていて、整合性がとれていません。しかしそのことが、それらのものを身近から見ているような実感あふれる描写にしているのです。
またパティニールの絵では、一枚の絵の中に同じ人物や動物が、時間の経過とともに複数描かれる「異時同図表現」が見られます。それが宗教的な物語を、一枚の絵の中で時間を追って表現する方法として使われています。現代の写実的な風景画の常識から考えると不自然な表現ではありますが、だからといって彼の絵が稚拙に見えるのかといえば、そういうことはありません。
それからもうひとつ、パティニールは人物を描くのが苦手だった、という説があり、作品の中心に大きく描かれた人物が実は他の画家の筆によるものだった、ということが多いようです。パティニールの時代は工房で絵を描いていた時代ですから、一つの作品を何人かで手分けをして仕上げるということ自体めずらしいことではなく、普通に行われていたことでした。そうやって、たくさんの絵の注文をこなしていたわけです。しかしパティニールは寡作の画家で、弟子もあまりとらなかったようですから、注文をこなすために人物像を人にまかせた、というわけではないようです。人物が苦手だったかどうかはわかりませんが、好んで背景の風景を描いていたことは確かでしょう。彼はアルブレヒト・デューラー(Albrecht Dürer, 1471 - 1528)と仲が良かったようですが、デューラーは彼のことを「良き風景画家」と言っていたそうです。当時から「風景画」の画家として有名だったのです。

これらのことは、パティニールの絵、あるいは画家本人の特徴や個性を表していると同時に、彼の時代の人々がいかに現在と違った絵の見方をしていたのか、ということも表していると思います。私は、この本の著者のいう「最初の風景画家」の時代に人々が「風景画」、もしくは「風景」をどのように見ていたのか、ということが気になってきました。
それでは、ここでいう「風景画」とは、いったいどのような定義のもとで「風景画」と言われているのでしょうか。「風景画」は、ある特定の個人の発明品ではありませんから、それをどう定義づけるのか、によって「最初の風景画家」がどの時代の誰なのか、話が違ってくるはずです。それがここでは、このように書かれています。

初期フランドル絵画の研究者トーマス・クレンは、風景画とよびうる条件として二つの点をあげていた。人物や室内場面よりも自然の景色が優位をしめていること、眺望が窓などに囲いこまれずに絵の端まで広がっていることである。これは、たんに戸外の景色が絵の中で大きな部分をしめているということではない。この二点は、結局おなじことだとも言える。画家が、人物や室内場面よりも景色のほうを描きたいと思いたとき、景色を断片ではなく広がりとして表現したいと考えるだろう。したがって、景色を柱や窓といった枠の中に閉じこめるのではなく、解放したいと願うことだろう。
(『青のパティニール 最初の風景画家』石川美子 p132)

「風景画」とは「人物や室内場面よりも自然の景色が優位をしめていること」と「眺望が窓などに囲い込まれずに絵の端まで広がっていること」という二つの条件を満たしていることだと、ここでは考えられています。そしてパティニールの絵は、それらの条件を満たしている、というわけです。
実はパティニールの絵の図版を初めて見たとき、私はその題材が宗教的なものだったことから、これは「風景画」というよりも「宗教画」だろう、と思いました。いまの私たちが考えるところの「風景画」とは、若干ずれているのです。しかし、パティニールの活動した1500年頃という時代の中では、彼の絵は同時代の画家と比べて明らかに「風景画」らしく、風景を表現することに傾注していたことは確かです。たとえば、この本でも取り上げられているヤン・ファン・エイク(Jan van Eyck、1395頃 - 1441)の絵と比較すると、ファン・エイクの絵のなかにもみごとな背景の表現、つまり風景画のような表現が見られるのですが、彼の絵の場合は人物や室内が優位をしめています。つまり、上記の風景画の条件に当てはまらないのです。このような観点から、パティニールを「最初の風景画家」と呼ぶことになるわけです。
これに異論がある方も、いらっしゃるでしょう。風景画の定義がもっと厳密になった時代、たとえば自然主義が現れた時期を「風景画」の誕生時期だととらえたい方もいることでしょう。それも妥当な考え方だと思います。しかしとりあえず、ここでは風景画の黎明期、つまり「風景」というものが人々の意識にのぼり始めたころのことを考えていきましょう。「風景」というのは私たちを取り巻く世界でもあるわけですから、言い方を変えるとパティニールの時代の人たちが「世界」をどう見ていたのか、ということにもつながるのです。こんな言い方をすると、すこし大げさに聞こえるのかもしれませんが、次のような一節を読むと、私が何を言いたいのか、わかっていただけると思います。ちょっと長い引用になります。

 スイスの歴史家ブルクハルトは、著書『イタリア・ルネサンスの文化』(1860年)のなかで「風景美の発見」の章をもうけて論じている。そして「イタリア人は、風景のすがたを多少とも美しいものとして知覚し享受した近代人のなかで最初の国民である」と述べ、そのひとりとしてペトラルカをあげたのだった。
 ペトラルカは、1336年に南フランスのヴァントゥー山に登ったことが知られている。なんらかの必要があって登ったのではなく、たんに「有名な高山を見てみたいという願望にかられて」であった。このような好奇心は当時としては異例のことであり、それゆえに最初の近代的登山だったとも言われる。
<中略>
  
  最初、ただならぬ空気と打ちひらけた眺望に驚き、わたしは茫然と立ちつくしました。

 この文からブルクハルトは、ペトラルカが風景に敏感な人であり、「自然の眺めが直接にこの人を感動させたのだ」と考えたのである。
 ペトラルカはつづける。

 ふりむいて見ると、足下には雲があります。アトスやオリュンポスの山々について聞いたり読んだりしたことを、それほど有名ではないこの山で目にして、すこし信じられるようになりました。そして、もっとも心ひかれるイタリアのほうへ視線を向けると、雪におおわれた切り立ったアルプスの山々が、じっさいはたいへんな距離があるのに、とても近く見えるのです。あの残酷な、ローマの敵ハンニバルが、酢で岩をくだきながら通過していったと言われている山々です。
 うちあけますと、わたしの目というよりは心にあらわれたイタリアの空を見て、わたしはため息をつきました。そして友人や祖国をふたたび目にしたいという激しい欲求にとらわれました。

 この一節には景色の描写らしきものはない。その点はブルクハルトも認めざるをえなかった。だから言う。「その眺望をいくら期待しても、もちろん見あたらない。しかし、それは詩人がそれにたいして無感覚だからではなく、反対に、その印象が詩人に対してあまりにも強力に作用しているからである。」と。すなわち、感動ゆえに景色を描くことができなかった、というのである。
 そうだろうか。ペトラルカが景色を描写しなかったのは、じつは彼が風景を「見ていなかった」からではないだろうか。
<中略>
このようにペトラルカの思考をたどってみると、彼が景色に関心をもっていなかったことがわかる。彼の態度は、歴史学者アラン・コルバンの指摘する「古典の旅」を思わせる。コルバンは言っている。「(古典の旅をする人は)田園や森や山の景観にほとんど注意をはらわないし、われわれが自然の風景とよぶものにほとんど関心をもたない。ギリシア・ラテンの古典を読んだことを思い起こさせてくれるであろう町に行くことを望んでいるのだ」と。ペトラルカもまさにそうであった。360度見わたせる眺望を前にしても、考えたのは本で読んだ知識や祖国のことであった。結局、彼はほんとうの意味では景色を見ていなかったのだ。それゆえに景色を描こうとすることもなかったのである。
(『青のパティニール 最初の風景画家』石川美子 p127-8)

 目の前に美しい眺望があっても、それを楽しむことをせずに、古典的な知識にそれを合致させることに夢中になってしまう・・・、それは1300年代では、まだ「風景」を楽しむ意識がなかったからだというわけです。「最初の風景画家」が生まれる以前の時代とは、実は「風景」が発見される前の時代、という言い方もできるのかもしれません。目を開けば誰にでも見えているはずの「風景」が、実は「風景」という意識がのぼってくる以前と以後では、まるで違って見えてしまう、私はそのことを「世界」の見え方が違ってしまうほどの差異ではないだろうか、と思うのです。

 実はこのように考えたことが、以前にもありました。それは学生時代に『日本近代文学の起源』(柄谷行人)という本を読んだ時のことです。その初めの章が「風景の発見」というタイトルなのですが、ここでは問題がもっと複雑です。この本では、世界において、といっても西欧においてということになりますが、「風景」が発見されたことと、明治になって日本のなかで「風景」が発見されたことと、ふたつの考察がからんでいるからです。柄谷行人は、西欧における「風景の発見」を、パティニールの時代よりも数百年あとの近代に近い時代として考えていますが、そこに日本の近代化という問題が加わり、夏目漱石や国木田独歩の文学について語られていくのです。古今東西の思想家、文学者が引用され、「風景の発見」という事件によってそれまでの「知の配置」の再検討をせまるような文章に、目がくらむような思いをして読んだことをおぼえています。自分もたくさんの本を読んで、いつかはこの本をすらすらと理解できるような人間になりたい、とおぼろげに思ったものですが、その願望が生半可だったせいか、あるいはそもそもそんなことはむりだったせいなのかよくわかりませんが、いまざっと目を通してみても、学生時代とおなじように頭がくらくらしてしまう状態です。
 その『日本近代文学の起源』の「風景の発見」から、いくつか引用してみます。

 風景とは一つの認識的な布置であり、いったんそれができあがるやいなや、その起源も隠蔽されてしまう。明治二十年代の「写実主義」には風景の萌芽があるが、そこにはまだ決定的な転倒がない。それは基本的には江戸文学の延長としての文体で書かれている。そこからの絶縁を典型的に示すのは、国木田独歩の『武蔵野』や『忘れえぬ人々』(明治31年)である。とりわけ『忘れえぬ人々』は、風景が写生である前に一つの価値転倒であることを如実に示している。
(『日本近代文学の起源』「風景の発見」柄谷行人)

 つまり、『忘れえぬ人々』という作品から感じられるのは、たんなる風景ではなく、なにか根本的な倒錯なのである。さらにいえば、「風景」こそこのような倒錯において見出されるのだということである。すでにいったように、風景はたんに外にあるのではない。風景が出現するためには、いわば知覚の様態が変わらなければならないのであり、そのためには、ある逆転が必要なのだ。
(『日本近代文学の起源』「風景の発見」柄谷行人)

 ここには、「風景」が孤独で内面的な状態と緊密に結びついていることがよく示されている。この人物は、どうでもよいような他人に対して「我もなければ他もない」ような一体性を感じるが、逆にいえば、眼の前にいる他者に対しては冷淡そのものである。いいかえれば、周囲の外的なものに無関心であるような「内的人間」inner manにおいて、はじめて風景がみいだされる。風景は、むしろ「外」をみない人間によってみいだされるのである。
(『日本近代文学の起源』「風景の発見」柄谷行人)

 「内面的人間」において「はじめて風景がみいだされる」というのは、たいへん示唆に富んだ指摘だと思います。また、「風景とは一つの認識的な布置であり、いったんそれができあがるやいなや、その起源も隠蔽されてしまう」という部分も興味深いところです。つまり、私たちは明治以降の「文学」の輸入によって、深く意識しないうちに「内面的人間」となり、外の世界を「風景」としてながめているわけです。さらに、そのような「認識的な布置」ができあがってしまえば、それ以前のことについては「隠蔽」されてわからなくなってしまう、ということなのです。そういう私たちからすれば、700年近くまえのペトラルカが「360度見わたせる眺望を前にしても、考えたのは本で読んだ知識や祖国のことであった」というふうに「風景」を見ていたことを、想像するほかありません。なんだ、それでは考えても仕方ないじゃないか、と思われるかもしれませんが、私はこういうことは繰り返し意識した方がよいと思っています。自分たちがあたりまえだと思っていることを見直す視点を、たえず持っていた方がよいのです。

 さて、「風景」に話が偏って、『青のパティニール 最初の風景画家』という本の紹介にも、パティニールという画家の紹介にもなっていませんが、この本では「風景」に関する深い考察を含め、パティニールという画家とその時代について、わかりやすい文章で十分に語られています。若い頃は、こういう古い画家のことなどは美術史の専門家にまかせておけばよい、と思っていましたが、ここに書いたような新たな発見があると、それではもったいない、ということがよくわかります。
 それにしても遙か昔の、資料も十分に残っていない画家について、研究者はねばり強く調べ上げるものなのですね。そこには絵画に対する愛着も感じられ、それがこの本をあたたかいものにしているのだろうと思います。味気ない美術史の本とは一線を画している点で、オススメの一冊です。
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