みなさま  

ようこそ。(みなさまに)コメント欄のメールアドレスは隠せないみたいです。拍手コメント欄は表に出ません。

このたび習作歌集「猫と暮らせば」を上梓いたしました。私家版で第一段の発送をいたしました。まだ20部ほどありますので、ご希望の方には送料300円ほどで贈らせていただきます。お申し込みは下記のめーるアドレスの☆を@マークに替えて、メールをしてください。ご案内メールをさしあげます。通販はしない予定で居ります。よろしくお願いします。       tanuko☆mbx.kokage.cc
40

2017/6/23

「毎日歌壇」掲載  毎日歌壇他

15日「共謀罪」が強行採決されて、その日の朝刊の黒々とした一面の太字を見た時、70年安保の時の「唐獅子牡丹」の流行、その後の無力感に「アカシアの雨の止む時」が流行った事などをしみじみと思い出した。
懐古ではあるけれど、その頃は何かを思い行動することによって、その後の挫折が有ったのに、今はなにもしないうちに手も足も出せなくなっている。「抒情」というものは折れた翼の上に描かれるのだという事を、もうあの頃を知らない世代に伝えなくていいのか、という思いと、どうせ伝わらない気持ちとが同居している。

ベランダに青紫蘇がさやさやと葉を広げて、「鯵の紫蘇巻フライを食べましょう」とささやいている。私たちは太ったブタとなる。

6月13日付「毎日歌壇」米川千嘉子選で◎特選に取って頂きました。

なにもかも見て来たけれど言えなくて国会前庭に立つ時計塔   河野多香子

【評】「時計塔」は<私>でも<人々>でも<時>そのものでもあるか。昨今の国会や政治に対する憤りと不安が滲む。

私自身も社会詠のつもりでしたし、今まで中々社会詠では取られなかったので、時期がちょうど合ったのだと思いました。評もとてもこちらの気持ちと合うものでした。「国会議事堂前、時計塔」で検索していただくと写真が出てきます。でもウェストミンスターの時計塔などとは違って、あまり知られていないのかもしれません。鬱屈は晴れないけれど、嬉しい事でした。米川さんありがとうございます。
4

2017/6/16

唱歌「桜井の決別」  短歌

私は右も左も無く、かなり中道的な人間だと思っているのだが、「歌」の世界となると何でもよくなるところがある。「桜井の決別」というのは楠正成が湊川の戦に行く前、息子正行に南朝の後を託して出て行く話で、戦前は愛国忠臣の話として「修身の教科書」的な所があった。
私は勿論戦後生まれだけど、親たちが歌うし大人になって井上ひさしの「青葉茂れる」などが出ると、つい口ずさんでしまう事が多かった。それでも一番の途中ぐらいまでしか覚えていなかった。「美しい日本の歌」に全歌詞が載っていたので、二番までを引く。

「桜井の決別」作詞 落合直文 作曲 奥山朝恭

@青葉茂れる桜井の 里のわたりの 夕まぐれ
 木の下陰に駒とめて 世の行く末をつくづくと
 忍ぶ鎧(よろい)の袖の上 散るは涙かはた露か

A正成涙を打ち払い 我が子正行(まさつら)呼び寄せて
 父は兵庫に赴かん 彼方の浦にて討ち死にせん
 汝(いまし)はここまで 来つれども
 とくとく帰れ 故郷(ふるさと)へ

明治23年作曲、全15章の内6節に「桜井の決別」という題をつけて、明治36年に文部省唱歌となったものという。落合直文は「浅香社」を興し歌人、国学者として多くの近代歌人を育てた。歌に平易な日本語を用いたとあるが、今の人にはどこが平易?となるだろう。

正行はその後南朝をしょって戦うが、はっきり負け戦と分っても忠義のために死地に赴く。私はそういう無駄な事は好きではないが、正行が後醍醐天皇の御廟の如意輪堂の壁板に書きつけた辞世の歌を読むと名(義と名誉の)を残したい思いに泣ける。

かへらじと かねて思へば 梓弓 なき数にいる 名をぞとどむる 正行
6



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ