2017/4/14

木蓮の思い出(「狸御殿」と共に)  短歌

このごろは街路樹にピンクの木蓮が植えられたところもあって、三月末から四月にはピンク色の風が吹いているような街があるけれど、昔は木蓮は白と紫で、奥山はともかく街ではお屋敷の庭かお寺の庭などに見られるぐらいだった。私の父は世田谷の下北沢の出で、いま若者の集う街になっているが戦前は農村の中に小田急がひけて急に住宅が出来たところだった。忠臣蔵の敵役「吉良」の知行地で代官以下「田中」姓、ほかに飯田、月村などが居て、八幡様と旦那寺が今でもある。
そのお寺の由来は後記にして、その境内に大きな木蓮の樹があった。咲いていた記憶はないのだけれど父がよく「狸御殿のようだ」と言っていた。父は渋谷へ行く坂の途中でたぬきの化けた満月を見たことがあるとも言っていた。私はそのお寺の鬱蒼とした杜が怖くて、なかなか行かなかったけれどいつごろか火事になってその木蓮も焼けてしまい、本堂なども建て直したら随分あかるくなった。

小学生の頃何で見たのか「狸御殿」の映画の一部がとても記憶に残っていたのは、そのオペレッタのような映画の舞台装置の真ん中に大きな木蓮の木が据えられていたからだと思う。思うと言うのはかなり小さくてあらすじも何も分らず、父親に「あれは何」と尋ねたら「木蓮だよ」と教えられた記憶があるだけだからだ。父は「狸御殿」が大好きで、よく話題にしたものだった。今調べてみるとウィキなどでもあらすじはなくて、上映時期と配役を考えると、戦前製作の「歌う狸御殿」か昭和29年の「七変化狸御殿」ではなかったかと思う。
戦後の一時期は戦前製作のものが上映されることは多かっただろう。配役と言うのはタヌキの若殿様が宮城千賀子だったと記憶があるからだ。
それ以来木蓮の写真や絵を好ましく眺めながら、お寺の木蓮も無くなり身近には無い物と思って暮らしていた。大人になった時「北鎌倉」の駅に降りて目の前の家の庭に白と紫の木蓮を見つけて、声が出るほどうれしかった。

去年テレビで舞台の「狸御殿」を中継したので、やっと筋書きが分かったけれど、今のカラーのきれいな舞台は幻想とは違って、面白かったが私の記憶を裏付けてはくれなかった。

街路樹のピンクの木蓮花咲けばリボンでくるんだようなわが町  多香子
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