2016/10/22

語り部バス その1  おでかけ

 美しい海の風景だと思ったけど、向こう岸は盛り土だらけの工事中だった。うかつ。

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 ホテルの大型観光バス仕様の、語り部バス出発。8時45分発で、1時間ばかりのバスツアーだ。ウキウキバスツアーではないので、気持ちに気合いを入れる。

 コースは、戸倉地区 → 高野会館前 → 防災庁舎。2012年からスタートし、現在まで個人・団体を合わせ、約30万人以上の方々が利用されたとか。
 この日は1台だったが、休日や夏休みには3〜6台の大型バスが連なる事もあるそうだ。

 震災を思い出すものは見たくない、という現地のひとたちの切実な感情もあるだろうけれど、震災遺構ともいうべき建物(の残骸)のインパクトは、やはり圧倒的だ。距離的にだけではなく、関西では馴染みの薄い東北の地に思いを寄せるよすがにもなりえるのではないだろうか。

 建物の屋上にいてさえ、津波に流される。避難所に避難していてもキケンで、むしろ寒くても、野外でも山に登っていく方が安全。その場、そのときの判断の重さが、ずっしりと伝わって来る。

 そしてやはり体験者の言葉は、千金の重みがある。もう数えきれないほどに、同じ話をされているはずなのに、言葉に詰まったり途切れたりする様子に、胸が痛むのを禁じ得ない。いや、その語りそのものに込められた思いの深いこと!

 戸倉小学校の話からスタート。海から210メートルという距離の学校なので、日頃から「津波が来る日」を現実的に考えていて、避難訓練なども頻繁にされていた。震災の年には、他所の土地からこられた校長先生が、津波についてもよく調べられ、屋上に避難するのがベストと判断されていた。しかし、地元の先生がひとり高台に逃げることに固執されていたので、震災2日前の避難訓練でも、最終的な決定はなされていなかったそうだ。

 震災当日、校長先生は自分の意見を曲げ、高台に逃げることを即決された。おかげで、子どもたちは全員の命が守られたそうだ。津波は学校の屋上を越えていたので、面子を重視し自己主張を通す先生だったら・・・と考えるとぞっとする。山に逃げてからも大変な一夜をすごされたが、8月に行われた卒業式は、すこぶる感動的なものだったらしい。

 現在は、山の上に新しい戸倉小学校ができている。当時1年生だった子どもたちが3ヶ月だけだが、そこで最後の小学校生活を送り、卒業していったそうだ。

 翻って海から5キロ離れている大川小学校では、74名全員の子どもたちの命が失われてしまった。近々裁判の判決が降りるのですが、どんな判決が出ても、苦く悲しい思いは変りません、とおっしゃるガイドさんの言葉の重みをひしひしと感じた。
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